『異界を旅する能』と夜会

夜会VOL.12「ウィンター・ガーデン」

「神話の解凍――「ウィンター・ガーデン」再考」で、「神話する身体」というエッセイを引用させていただいた能楽師・安田登氏の著書、『異界を旅する能――ワキという存在』 (ちくま文庫、2011年6月) を読んだ。

期待通り、とても興味深く、かつ刺激的な本だった。

「神話の解凍」でも書いたように、私は能――も含め日本の古典芸能一般――については、恥ずかしながらまったく不案内な人間である。その私にとって、この本はまず、「異界と出会う」物語としての能 (夢幻能) の世界への、わかりやすく、かつユニークな入門書として、とても勉強になった。

ユニークな、というのは、能それ自体 (演目や約束事など) についての解説にとどまらず、能の世界を、古今の日本文化の中に大きな広がりをもつものとしてとらえたうえで、現代の私たちにも「新たな生を生き直す」ためのヒントを呈示するという内容になっているからである。

その意味で、この本は、能をとおしてみた日本文化論として読むこともできる――とはいっても、これは決して堅苦しい内容の本ではない。わかりやすく軽妙な語り口で、かつ、思想的な「深み」をたたえた内容になっていて、そのバランス感覚が見事だ。

 

――さて、この本には 「能」的世界の表現者として、松尾芭蕉、夏目漱石、三島由紀夫なども登場するが、安田氏はさらに次のようにもいう。

人は異界と出会う物語を求めていて、それを提供する物語形式が実はたくさんあるということだ。
現代においてそれを継ぐのは、多分、村上春樹だったり、つげ義春だったりするのだろうが、彼ら以外にもそれこそあまりにたくさんい過ぎて、そんな話をしていると本題からどんどんそれてしまう……
(『異界と旅する能』 55-56頁)

――「彼ら以外」のひとりとして、ここで (「本題」からあえて外れて) 登場させたいのは、 (このブログのテーマ上) いうまでもなく、中島みゆきである。

『異界と旅する能』を読み、「能」という視点を通してみることで――『ウィンター・ガーデン』のみならず、他のいくつかの演目をも含めて――私は、夜会という舞台のもつ意味について、いくつもの新しい「発見」をさせられた。

念のために言っておけば、この本の中に、中島みゆきや夜会についての記述があるわけではまったくない。それらの「発見」は、あくまでも私の主観的な読み方によるものである。

この記事では、それらの「発見」――もしかしたら、中島みゆきと能の両方に詳しい人にとっては、言わずもがなのことばかりなのかもしれないが――について、思いつくままに綴ってみたい。

シテとワキ

まずは、本書の要点を簡単に紹介しておこう。

能の主要な登場人物にはシテとワキの二人がいる。シテを演じるのはシテ方という流儀に属する能楽師であり、かれらは一生シテを演じる。一方、ワキを演じるワキ方の能楽師は、一生ワキを演じる。

著者・安田登氏はワキ方の能楽師であり、ワキの視点から、ワキがシテと「出会う」物語としての能の世界を案内する。

ワキは漂泊する生者――典型的には、旅の僧――であり、ある「ところ」に通りがかった時に、異界の存在であるシテ――たとえば、源義経の亡霊や六条御息所の亡霊――と出会う。

ワキがシテと出会うことによって、「此岸」と「彼岸」が出会い、「順行する時間」と「遡行する時間」が交わりあう、聖なる時空がそこに現出する。

シテとは、その「ところ」に思いを残してこの世を去った霊魂である。その不可視の存在としてのシテの姿を観客に「分からせる」 (可視化する) のが、ワキの第一の役割である。

そして、ワキの第二の役割は、シテの「残根の思ひ」 (意識化されないトラウマ) を「分ける」 (分析する、分節化する) ことにより、その「成仏」 (昇華作業) を助けることである。

人は、このように「異界と出会う」ことによって、新たな生を生き直すことができる――

なお、上記のパターンに当てはまるのは、厳密には能の中でも「夢幻能」と呼ばれるジャンルであり、他に、現実世界を舞台に展開する「現在能」と呼ばれるジャンルもある。

「異界と出会う」物語

以上は、本書のごく「さわり」を紹介しただけであるが、中島みゆきの夜会の舞台に接し続けてきたファンの方なら、これだけでも、多くの「思い当たる節」があるのではないだろうか。

上記の夢幻能のパターンに最もぴったりあてはまるのは、やはり『ウィンター・ガーデン』だろう。

〈女〉 (ワキ) が、凍原の GLASSHOUSE という「ところ」で、〈犬〉 (シテ) と出会い、やがて〈犬〉の前生――氷の湖で命を落とした、かつての GLASSHOUSE の主人の愛人――が明らかにされる。終局において、〈犬〉の魂は、「天使の階段」を伝い昇り、救済される――

そういえば、『ウィンター・ガーデン』の初演 (VOL.11) のとき、この夜会は「夢幻能の約束事」に則っている、と指摘してくれた――今は亡き――友人がいる。今にしてようやく、私は彼の言葉の意味がよく理解できる。

しかし、「異界と出会う」ことを通じての救済の物語、というふうに夢幻能の枠組みをもう少し広く理解すると、最近の夜会の演目の大半がこのパターンに当てはまる、と言っても過言ではないことに気づく。

たとえば――

(今秋から再々演が上演される) 『2/2』 (初演 VOL.7) では、ヒロイン梨花は、海外旅行先のベトナムで、自らが生まれる前に世を去った双子の姉・茉莉と出会うことによって、自らの無意識の罪責感から解放される。

『24時着0時発』のヒロインあかりは、やはり海外旅行先のミラージュ・ホテル (=廃墟堰という異界) で、故郷への道を見失った〈鮭〉たちと出会い、やがて彼らとともに自らの生をも救済する。

そして、最近作『今晩屋』では、「此岸」と「彼岸」とが出会う「聖なる時空」――縁切寺と水底の水族館――で、転生し再会を果たした安寿・厨子王・母・姥竹に、前生の記憶が再生し、罪責と悔恨からの救済がなされる。

「無為」の旅人としてのワキ

こうしたプロットの外形上の類似は、おそらく単なる偶然ではない。

これらの夜会の登場人物たちは、いずれも安田氏がいうところの、「無為」の旅人としてのワキの条件を――期せずして――備えることになった存在であることに注意したい。

ワキが異界と出会うためには、まず「旅をする」必要がある。

それも、世を捨て、身を捨てて、自らを「無力」で「無用」な存在と思いなして、「無為」の旅をしなければならない。

「たび」の語源は「賜 (た) ぶ」だという説がある。道行く人に「もの賜べ」と、食事や宿を乞いながら旅をする。すなわち「乞う旅」、物乞いの旅だ。
(『異界を旅する能』86頁)

ベトナムで日本への帰路を絶たれ、その日の糧のために航空券を売り歩く梨花の姿 (「竹の歌」の場面) が、たちどころに思い浮かぶ。

しかし、これほど典型的ではなくとも、ミラージュ・ホテルからの帰路を絶たれたあかり、前生の記憶を失った〈元・画家のホームレス〉こと厨子王、そして GLASSHOUSE で不倫の恋人 (義兄) を無為に待ちつづける〈女〉は、いずれも、上記のような意味でのワキ的な存在者たちである。

「乞い」と「恋」

それゆえに、彼女たちは、つねに何かを、あるいは誰かを、「乞い」=「恋い」つづける者たちでもある。

「乞い」と「恋」が同源であることに、安田氏は注意を惹く。

「乞ふ」や「恋ふ」を英語で言えば「want」でも「need」でもなく、「beg」だろう。ただ何かがほしいのではなく、絶対必要なものが欠落している状態だ。
(同書 101頁)

――ここでただちに思い出されるのは、『ウィンター・ガーデン』の再演、VOL.12の終盤で、〈樹〉 (佐野登) が、義兄の視点で〈女〉に向けて朗読する詩篇、「乞 (こい) 」だ。

僕はもう、今までのようにはいかなくなったんだ
子どものためには、他人に頭を下げなきゃいけない時もある、ってわけさ
love の「恋」より beg の「乞い」が、人生には必要な時もある、ってやつかな
乞い願うなら、たとえば君に、「早く誰かを見つけて幸せに」ってことを乞い願う
……

ここで義兄が語る「乞い」は、表面上は「恋」とは別物の、もっと世俗的な「必要 (need)」を意味しているようにもみえる。

しかし決定的に重要なのは、この義兄の「乞」が、彼への「恋」のみによって自らの存在をつなぎとめてきた〈女〉にとって、その存在の根拠を根底から断ち切る――「絶対必要なものの欠落」をもたらす――言葉であったということだ。

その意味で、義兄の「乞」は〈女〉の「恋」と同値であり、この「乞」によって、〈女〉はより厳密な意味でのワキ的存在――「無為」の旅人――となる。

「思ひは同じ、恋路なれば」

「絶対必要なものの欠落」の対象は、恋人だけではない。「たとえば能では子もその対象だ」と、安田氏は指摘する。

……我が子を亡くした母親が、京の都から遠く東国の隅田川まで、狂乱しながら我が子を求めて旅する能は、名曲『隅田川 (角田川) 』だ。
…… (中略) ……
武蔵の国と下総の国の境に流れる隅田川は、『伊勢物語』で有名になった。都を追われて東国放浪の旅に出た在原業平が、隅田川原に群れ飛ぶ都鳥を見て、都に残してきた恋人を思い出し、
「名にし負はば いざ言とはむ都鳥 わが思ふ人は 有やなしやと」
という歌を詠んだ名所だ。
『隅田川』の狂女もその故事をふまえて謡う。

ワキ「昔にかへる業平も、
シテ「ありやなしやと言問ひしも、
ワキ「都の (に) 人を思ひ妻、
シテ「わらはも東に思ひ子の、行方を問ふは同じ心の、
ワキ「妻を忍び、
シテ「子を尋ぬるも、
ワキ「思ひは同じ、
シテ「恋路なれば、

ここでは「妻を忍ぶ」のも「子を尋ぬる」のも、「思ひ」はおなじであるといい、それを「恋路」だと結んでいる。
(『異界を旅する能』102-104頁、下線部は原文では傍点)

――長々と引用してきたのは、『隅田川』のこの同じくだりを、中島みゆきも、自らが編集した詩歌集『日本の恋歌 その3 涙が出ないのはなぜ』 (作品社、1985年) で――万葉集から現代のフォークやロックに至るまでの――古今東西の「恋歌」の中のひとつとして、選んでいたことが思い出されるからである。

おそらくは、『隅田川』の、とりわけこのくだりは、中島みゆきがごく若い頃から親しみ、傾倒してきた「恋歌」のひとつであったに違いない。

 

――そして、「我が子を亡くした母親の狂乱」といえば、夜会の最近作『今晩屋』、とりわけその終盤で〈母〉が歌う「ほうやれほ」である。

もちろん、『今晩屋』は「山椒大夫」を素材とした物語であり、『隅田川』と直接の関係はない。しかし、あの場面での〈母〉の限りない慟哭は、森鴎外の「山椒大夫」の結末に登場する母よりも、むしろ『隅田川』の狂女のそれに近い。

「ほうやれほ」で中島みゆきが歌い、演じるのは、子を攫われた自らの愚かさへの限りない自責と悔恨と絶望である。

しかし、その絶望の果てに、突然の啓示のように、「十二天」の救済の光が訪れる――

――〈女〉においても〈母〉においても、「思ひは同じ」である。

そして、何よりも重要なのは、彼女たちにとって、「絶対必要なものの欠落」こそが、逆説的にも、救済への道を開くということだ。

この逆説性の構造は――これ以上、詳説はしないが――『24時着0時発』にも『2/2』にも、はっきりと共通して存在するものである。

小野小町と夜会『花の色は…』

上記の『隅田川』の例でもわかるように、「絶対必要なものの欠落」を抱え、「恋し乞う道行き」を旅するのは、ワキではなくシテである場合もある (その場合のシテは死者ではなく生者である)

『隅田川』の狂女もそうだが、安田氏がその典型としてあげるのは、『卒都婆小町』『通小町』『関寺小町』など、いわゆる「小町もの」のシテ、小野小町である。

それは、容色美麗の象徴であり、華やかな恋愛遍歴を重ねた若き日の小町ではなく、容色も衰え乞食 (こつじき) となって諸国を放浪する、九十九歳の老婆となった小町である。

かつて小町に恋した男――百夜通えば思いを遂げることができるという約束を得て、彼女のもとに九十九夜まで通い詰めながら、あと一夜というところで煩悶の末に死んだ深草少将――の霊が、彼女には取り憑いている。

そんな少将の怨念を身内に宿し、物狂いとなりながらも、小町は放浪の旅を続ける――

小野小町といえば――もう18年も前の演目になってしまったが――夜会VOL.5『花の色はうつりにけりないたづらに わが身世にふるながめせし間に』である。

中島みゆきは、夜会VOL.5のシナリオ本の冒頭 (扉の次、目次よりも前) で、この夜会のタイトルとなった小野小町の歌について、長い〈語文注釈〉を書いている。

それによれば、この夜会は、数々の伝説に包まれた小野小町の「伝説の中にはいない本人」を探す旅の歌枕として、舞台は『雨月物語』の中の一篇、「浅茅が宿」 の姿を借りて始まる。

歌枕とは、ワキとシテが――世界と異界が、此岸と彼岸が、巡行する時間と遡行する時間が――出会う「聖なる時空」である。

――「浅茅が宿」で、帰らぬ夫を待ちつづけた末に死んだ妻・宮木の亡霊は、第一幕では、現代の日本のカフェテラスを背景に、四人の「待つ」女たちに姿を変えて、春・冬・秋・夏と遡行する時間の中で、自らの物語を変奏していく。

そして第二幕で、叶えられなかった彼女たちの思いは、「己れの意志の向かうところに存在する」時間泥棒へとさらに化身する――

――その終局、舞台上空に浮かんだ巨大な月に向かって、時間泥棒がつづら折りの階段を少しずつ、少しずつ昇ってゆく「夜曲」の場面は、これまでのすべての夜会の中でも、間違いなく、最も印象的かつ感動的な場面のひとつだった。

それは、「浅茅が宿」のヒロイン宮木の化身たる時間泥棒の姿を借りつつも、「伝説の中にはいない」――そして、この夜会にも表面上は登場することのない――ヒロイン小野小町の「思い」が、長い長い放浪の旅の果てに、最終的に救済される場面でもあったのだ、と今にして思う。

「リセット」と「救済」

――まだまだ重要なことで書き残したことも多いような気がするが、すでにかなり長くなってしまったので、この記事はこのあたりで締めくくることにしたい。

最後に一点だけ。

冒頭でも少し触れたように、安田氏は、「異界と出会う」ことが重要なのは、それによって人は、「新たな生を生き直すことができる」、すなわち「リセット」することができるからだ――それは、正月などの年中行事にもみられるように、日本民族の伝統でさえある――という。

このテーゼは、中島みゆきが『元祖・今晩屋』のパンフレットの「あとがき」で書いていたこと、

実は、何もリセットなんかされないのかもしれないと、お思いになりませんか。
今生で為した事は全部、次の生へと連なってゆくのかもしれないと。

と、表面上は正反対のことを言っているようにもみえる。

しかし、安田氏も、「単なる逃げ」としての安易な「リセット」を肯定しているわけでは決してない。

それどころか、真に (ワキとして) 「リセット」を可能にするには、自らを根底から変化させること――「『思いなす』ことによって、古い世界 (現状) を捨て、新しい世界に生き直す」こと――が必要だ、と言う。

これは言うほどたやすいことではない――それが本当にできる人は、現実にはきわめて稀だろう。

 

――今、この記事を書いている私自身にしてからが、古い世界 (現状) に如何に強く、がんじがらめに縛りつけられているかということを思うと、まさに忸怩たるものがある、と言わざるをえない。

これまで、夜会に関する記事で何度か書いてきたように、夜会の舞台に触れるたびに、私は、直ちに応えることのきわめて困難な新たな「問い」を、くりかえし突き付けられてきた。

それらの「問い」のほとんどすべては――おそらくは人生の折り返し点をとうに過ぎてしまった今となっても――いまだに答が出せないまま、私の中に、深く重く降り積もっている。

ただ、せめてそれらの「問い」を忘れずにいること――たとえ答は出なくとも、たゆみなく自らに問いつづけること――

――そのことだけが、やがて「新たな生」へと――そして「救済」へと――つながる遥かな道を歩むことであるはずだと、今は「思いなし」たい。

荒野より (2) ――アルバム収録曲について――

アルバム『荒野より』の収録曲の曲名からは――アルバムのリリース前は、いつものことながら――いろいろと想像力を掻き立てられる。

「バクです」

第2曲「バクです」 (シングル「荒野より」のカップリング曲でもある) の「バク」とは、人の夜の夢を喰って生きるというあの想像上の動物、 「獏」のことなのだろうか。

だとすれば、この曲は前作『真夜中の動物園』の流れを引く (あるいは、前作の収録から漏れた?) 曲なのかもしれない。

が、「獏」といえば個人的に思い出すのは、瀬尾一三のかつてのソロアルバム (1973年) のタイトルである。

1990年のツアー「Night Wings」の千秋楽 (8/31 沖縄市民会館) のアンコールで、このアルバムのラスト曲「何時かのあの頃へ」を、中島みゆきが瀬尾一三とのデュエットで歌うというサプライズがあった。私にとって、初めての沖縄への「追っかけ」体験のときでもあったので、この出来事は非常に強く印象に残っている。

なお、このエピソードにはいろいろと伏線や後日談があるのだが、それらについては長くなるので、「中島みゆき研究所」の掲示板過去ログを参照されたい。

「彼と私と、もう一人」「帰郷群」

第6曲「彼と私と、もう一人」および第10曲「帰郷群」は、11月にスタートする夜会VOL.17『2/2』の新曲のようだ。

「帰郷群」というタイトルは、『24時着0時発』の、故郷を求めてさまよう「鮭」たちを思い出させるし、「もう一人」の「私」という表現も、やはり同じ夜会の「あかり」にとっての「かげ」を連想させる。

再々演となる『2/2』が、これらの新曲も含めて――またおそらくは、これまでの夜会の経験も踏まえて――どのような「完成形」を見せてくれるのかを、大いに楽しみにしたい。

「走」

第11曲 (ラスト曲) の「走」 (そう) は、来春放送されるTV時代劇「忠臣蔵~その義その愛」 (テレビ東京系) の主題歌として起用されるとのことだ。

中島みゆき自身が初めて歌う時代劇主題歌という話題性もあるが、それよりも、中島みゆきと「忠臣蔵」といえば思い出されるのは、映画「四十七人の刺客」 (市川崑監督、1994年) との関わりについてである。

この映画は、これまでもっぱら赤穂義士の視点から描かれてきた忠臣蔵の物語を、吉良家側の視点も含めた情報戦・謀略戦として、新たな角度から描いたことで注目された。

そのシナリオに感銘を受けた中島みゆきは、主題歌として「伝説」 (後に1996年のアルバム「パラダイス・カフェ」所収) を作曲、提供しようとしたが、すでに決まった主題歌があったために起用されず、この曲は「幻の主題歌」となったという。

「四十七人の刺客」 についてのエッセイの中で中島みゆきは、「復讐劇」がもっぱら「復讐する側」の視点から、真実を明かされないまま「美談」へと仕上げられることへの批判をこの映画から読み取っており、それは夜会「シャングリラ」などの内容にも反映されたと想像される (そのことについては、やはりかなり以前に、 「物語の物語」というエッセイで少し触れた)

「忠臣蔵」は、いうまでもなく1702年の赤穂浪士たちの吉良邸討ち入り事件という史実を素材とした物語である。

まだ事件の記憶が新しかったはずの江戸時代においてすでに、幕府を憚って時代や人物の設定を変えながらも、それは歌舞伎や人形浄瑠璃の人気演目として定着していた。

戦後、連合国軍による占領期には、「封建的価値観に基づく『仇討ち』の物語は、日本の民主化への妨げとなる」との理由で、上演や出版が禁止された一時期もある。

――そうした時代や政治による紆余曲折を経ながらも、「忠臣蔵」は現在に至るまで、最も日本人に人気のあるストーリーのひとつでありつづけてきた。

そのことは、現代の芸能界でも、主役の大石内蔵助を演じることが、役者として最高の誉れとされているということからも推察されよう (上記リンク先、Wikipedia記事より)。

――そうした「定番」の物語であるからこそ、 「四十七人の刺客」 のような批判的視点からの捉えなおしにも意義があった、とも言えるだろう。

1990年代前半、「邯鄲」「金環蝕」「花の色は…」とつづく夜会の演目で、中国や日本の古典の批判的な読み直しをモチーフとしてきた中島みゆきにとって、「四十七人の刺客」 は同様の批判的視点をもった作品として、心の琴線に触れたのかもしれない。

今回の新春ドラマは、サブタイトルや上記リンク先の記事から判断する限り、比較的オーソドックスな「忠臣蔵」像を基調としているようだ。

しかし、その映像に中島みゆきが歌う「走」が重ねられることで、そこにどのような新しい「意味」が生まれてくるのか――ファンとしては、まずはその意外性を楽しみにしたい。

荒野より (1) ――「荒野」の意味について――

しばらくブログ更新をさぼっているうちに、ニューシングル「荒野より」とニューアルバム『荒野より』のリリース、およびそれに関係したニュースが次々と舞い込んできた。

まったく同一タイトルのシングルとアルバムがリリースされるのは、中島みゆきにとって、意外にもこれが初めてのことだ。

――シングル「あした」のカップリング曲「グッバイガール」と、アルバム『グッバイガール』 (ただし、ややこしいことに「グッバイガール」は収録されていない) 、そしてシングル「時代」 (リメイク版) と、セルフカバーアルバム『時代―Time goes around―』という、2つのかなり変則的なケースは過去にあったにせよ――。

中島みゆきにとって、「荒野より」というタイトルに、それだけ強い思い入れがあったということなのだろうか。

シングルのタイトル曲「荒野より」は、TVドラマ「南極大陸」 (2011/10/16~、TBS系) の主題歌である。

ドラマの内容――日本の戦後復興の象徴として描かれる、南極越冬隊の物語――からすれば、「荒野」とは、敗戦後の日本の現実を意味すると同時に――中島みゆき自身が語っているように、南極に残された犬たちの視点からみた――極寒と不毛の地、南極大陸それ自体を指す言葉でもあるのだろう。

先行して公開されている歌詞からも、そうした印象を受けないではない。

しかし、「荒野」という言葉は――彼女の過去の作品も含めて――さらにさまざまなイメージの広がりを感じさせる。私が即座に連想するのは次の2曲だ。

Rollin’ Age 笑いながら
Rollin’ Age 荒野にいる
僕は僕は荒野にいる
(「ローリング」)

荒野を越えて 銀河を越えて
戦を越えて 必ず逢おう
(「人待ち歌」)

いずれの場合も、「荒野」とは、これらの歌の主人公たちが、それぞれの視点から見つめ、そしてやがてそこから歩き出そうとする、「今、ここ」の世界の現実の風景としてある (そのことについては、ずっと以前に「回帰する歌たち」というエッセイでも少し触れた)

「荒野」とは、すべてが失われた場所であると同時に――そうであるからこそ――そこからすべてを新たに始めなおすことのできる「フロンティア」でもあるのだと思う。

この両義性は、「フロンティア」を終曲とする夜会『海嘯』や、「すべて失くしても すべては始まる」 (「無限軌道」) という夜会『24時着0時発』の世界観にも、明らかに通じるものである。

そうした「荒野」のイメージを思うとき、2011年の秋にリリースされる「荒野より」を、この年の春に東日本大震災という戦後最大の災厄を経験した日本の現実と、まったく結びつけずに聴くことは、今の私にとってはむしろ難しい。

――もちろん、歌からどのような意味を聴き取るかは、個々の聴き手の自由だし、中島みゆき自身がそれを意図していたかどうかは、まったく想像の及ぶところではないのだが。

アルバム『荒野より』については、次の(2)で書くことにしたい。

9.11の「サウンド・オブ・サイレンス」

2011年9月11日は、東日本大震災から半年目の日であると同時に、奇しくも、あの「9.11テロ」から、ちょうど10年目の日でもあった。

ニューヨークのいわゆる「グラウンド・ゼロ」でおこなわれた追悼式典で、ポール・サイモンが「サウンド・オブ・サイレンス」を歌う映像を観た。

率直に言って、彼も年を取ったな、というのが第一印象だった。おそらく初めて見るスーツ姿にも、違和感があった。

しかし、彼がギターでイントロを弾きはじめた瞬間、そうした些末なことはどうでもよくなり、久しぶりに聴くこの歌に、私は一気に引き込まれた。

ベトナム戦争の時代、1965年にサイモン&ガーファンクルが歌って大ヒットたこの曲が、21世紀の今なお――というよりも、むしろ今こそ――世界の現実を照らし出し、人びとの思いをつなぐ力をもっていることに、目を覚まされる思いだった。

式典に参加したジャーナリストのブログによれば、サイモンは公式プログラムでは「明日に架ける橋」を歌うことが予定されていたが、彼が実際に歌うことを選んだのは「サウンド・オブ・サイレンス」だった、という。

遺族たちの多くは泣いていた。声を合わせて歌う人々も多くいた。……
それはおそらく、ニューヨークのこの式典で、最も感動的な瞬間だった。
(上記ブログ記事より)

愛と未来への希望を歌う「明日に架ける橋」ではなく、「静寂 (沈黙) の響き」、すなわちコミュニケーションの空白が社会を覆ってゆくことへの恐怖と警告を歌う「サウンド・オブ・サイレンス」を、ほかならぬこの式典での演奏曲に選んだことに、私は彼のきわめて明確な意志を感じ取らざるを得ない。

 

この式典を中継するNHK BSの番組で、9.11の後、二組の対照的な道を辿った遺族が紹介されていた。

イスラム系移民を排斥する運動に身を投じた父親と、逆に、かれらとの対話と相互理解こそが平和と安全への道だとして、そのための運動に携わる叔父と――

この対比を、単純化されたステレオタイプと批判することは簡単だろう。しかし、ここで強調したいのは、ポール・サイモンの視点がどちらに近いのか、ということだ。

中島みゆきのファンであれば、9.11といえば、まだ記憶に新しい TOUR2010 で歌われた「Nobody Is Right」を思い浮かべる人も、少なくないかもしれない。

争う人は正しさを説く 正しさゆえの戦争を説く

アルバムでの歌詞の一部を変更してまで、「戦争」という、より直接的な言葉を彼女に歌わせた思い――そこに私は、ポール・サイモンとも共通する視点の存在を強く感じる。

 

3月にこの国を訪れた時に書いた記事でも触れたように、戦争の記憶――とりわけその犠牲者への「慰霊」というかたちで受け継がれる記憶――は、アメリカ合衆国という国家と国民のアイデンティティの根幹をなすものである。

9.11は、そのアメリカが記憶すべき犠牲者たちの列に、新たに3000人の名を書き加えた。

追悼という一点で、ここに集った人々の思いは一つであったようにもみえる。

しかし、上記の二つの対照的な遺族の歩みに象徴されるように、また、9.11以後のいわゆる「テロとの戦い」を主導したブッシュ前大統領がこの式典に参列していたことにも象徴されるように、9.11という記憶にいかなる意味を見出すか、そしてそこからいかなる未来への道筋を見出すかについては、人びとの思いは必ずしも一つではない。

むしろそこには、架橋しがたい深い亀裂――ひとりアメリカだけではなく、この国が「唯一の超大国」として君臨してきた20世紀後半以来の世界全体を大きく分断する亀裂――がある。

 

ポール・サイモンには、1973年――まさにベトナム戦争の末期――にリリースされた “American Tune” 「アメリカの調べ」という曲がある。

この曲に色濃く漂うのは、アメリカという共同体に無数の人びとが託してきた巨大な夢と、それが挫折するかもしれないという深い幻滅感とのアンビヴァレンスである。

私は夢を見た、空高くはばたく夢を
自由の女神が沖の彼方へと去ってゆくのを
はっきりと見おろしながら
夢の中で私は飛びつづけた
……
私達はメイフラワー号という名の船でやってきた
私達の乗った船は、月まで旅をした
最も不確かな時代に私達はやってきた
そしてアメリカの調べを歌っている……

この歌をサイモンが歌った1973年よりも、さらに深い「不確かさ」の中に、2011年の私達はいるというべきだろう。

そしてこの「船」の行方は、いうまでもなく、遥か太平洋を隔てた対岸の島国に暮らす私達にとっても、決して無縁なことではないのだ。

果しなき流れの果に

2011年7月26日、SF作家・小松左京が世を去った。

ひとつの時代が終わったな、という思いが強くする。東日本大震災という、おそらくは戦後最大の災厄を日本が経験した年に、この人が世を去るのも、なんだかとても必然的なことのようにも思える。

私ぐらいの年代のSF好きのご他聞に漏れず、私も中学ぐらいの頃、小松左京の作品をきっかけにSFの洗礼を受けた一人である。

一般に代表作とされる長編『日本沈没』が世に出たのは、中2の時だった。カッパ・ノベルス版の初版本を父が買ってきたのを横取りして、熱中して読んだ。

『日本沈没』がその映画版とともに大ヒットした1973年は、第一次オイルショックによって日本の高度経済成長時代に終止符が打たれ、低成長時代に移行する歴史的転換点だった。その意味で、この時期にこの作品が、一種の終末論的世界観の表現として広く受け入れられたのも、とても象徴的で必然的なことだったように思う。

ただ、小松左京自身がこの作品に込めたテーマは、高度成長に浮かれた時代への反省を踏まえて、”日本とは、日本人とは何か、国土というハードウェアを失ってなお、日本というアイデンティティは存立しうるのか” という壮大な問いだったのだが――

この問いは今なお――というよりも、むしろ今こそ――問いなおされるべき問いだろう。

しかし私の場合、『日本沈没』よりも前、最初に読んだ小松左京の長編 『果しなき流れの果に』 (ハヤカワ文庫JA) で、めくるめくような “センス・オブ・ワンダー”の世界に一気に引きずり込まれたのが、決定的な体験だった。

全10章の長い物語の2章と3章のあいだ、まだ実質的なストーリーが始まる前にはさまれた「エピローグ(その2)」の末尾のこの文章で、おそらく私は、自己という矮小な存在を遥かに超えた、巨大な時間と空間の存在の意味を一瞬で体感したのだと思う。

――だが、時は、できごととは関係なく、さらにのびて行き、21世紀はやがて、
22世紀につながり、さらにその先には、はてしない等質の時間がひろがっていた……。

今から6年前の2005年、母校・京大で小松左京の講演会があり、それが私が直接、謦咳に接した唯一の機会だった。

その時すでに、外見はかなりお年を召した印象があったが、話しぶりは――しばしば脱線しつつも――楽しく快活で、貴重なお話が聴けた講演だった。

とりわけ、「文理の枠を超えた京大の学風から、文学と科学とが融合したサイエンス・フィクションの確立への影響を受けた」というお話が印象的だった。

 

上述の『果しなき流れの果に』に代表されるように、小松SFの究極のテーマは、”宇宙の中での人類の存在の意味” ということだ。

世界を認識し、世界を改造する力としての「科学」を手にしたことが、人類に、また人間に、いかなる可能性と限界を、夢と挫折を、ユートピアとディストピアをもたらすのか――

そのような問いが思想的・文学的問いとして成立しうるということ――そのこと自体への驚きが、私が小松SFから受けた “センス・オブ・ワンダー” の本質だったように思う。

――中島みゆきとは関係のない記事のように思われるかもしれない。

しかし私自身の中では、思春期の頃に小松左京たちのSFから受け取った上述のような意味での “センス・オブ・ワンダー” は、もう少し後に中島みゆきから受けた、世界観を揺さぶられるような衝撃の経験の基礎になったのではないかと思っている。

それは端的にいえば、”宇宙の中での人類の存在の意味” という問いが、”世界の中での自己の存在の意味” という問いへとつながっていったということだ。

「果しなき流れの果」への限りなき思いが、私の中で、この二つの問いを遥かにつないでいる――