NOW それはやがての日ではなく

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東日本を大震災が襲った3月11日(金)の2日後、海外出張に発った。

成田乗継便だったので、運行情報を航空会社のサイトで何度もチェックしつつ、その一方で、この未曾有の大災厄の全貌が未だ見えない、歯痒く、後ろ髪を引かれるような思いの中で、私は日本を離れた。

出張先のワシントンD.C.は、私にとって初めて訪れる地だ。

ホテルに帰ってTVをつけると、ニュース専門チャンネルCNNでは、連日、ほとんど日本の震災とそれにともなう原発事故のニュースのみが流れている。

遥かな異国の地から、故国の災厄が少しずつ全貌を現し始めるのを眺めている、隔靴掻痒の感覚――

 

ワシントンD.C.はいうまでもなく、アメリカ合衆国の政治の中心地であるが、それと同時に、この国のアイデンティティの根幹をなすものとしての、戦争の記憶――あるいは「慰霊」――の中心地でもあることを、市内を散策するたびに何度も痛感させられた。

ワシントン記念塔――その真北にはホワイトハウスがある――のすぐ西隣には、第二次世界大戦記念碑 (写真上) があり、その入り口には、つねに星条旗の半旗が掲げられている。

さらにその西側には、広大な緑地の中に、朝鮮戦争戦没者慰霊碑、ベトナム戦争戦没者慰霊碑 (写真下) が並ぶ。ベトナム戦争戦没者慰霊碑は、黒い花崗岩の壁一面に、戦没者たち一人ひとりの名が刻まれている。私が訪れた平日にも、戦没者の遺族なのだろうか、供花と手紙を手向ける人びとが絶えなかった。

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ワシントンD.C.滞在の最終日、ホロコースト記念博物館を訪れた。

ここは、20世紀に人間が引き起こした最も巨大な災厄のひとつを記録し、記憶するための場所である。館内吹き抜けのホールの壁面 (記事冒頭の写真) には、

あたながたは私の目撃者である

との言葉がある (『旧約聖書』イザヤ書43章10節より)

この場所を訪れるという経験が私たちにとってもつ意味を、この言葉はあまりにもシンプルかつ的確に語っている。

この博物館の展示内容の詳細について、ここは記すべき場ではない。いやそれ以前に、私の拙い言葉では、ここで観たものの意味を語り尽くすことは、とてもできない。

ただ、展示の最後の部分には、ホロコーストからユダヤ人を救った人々の一人として、日本の外交官、杉原千畝の名が、写真とともに掲げられていることだけを、ここでは記しておこう。

彼を主人公としたミュージカル「SEMPO」に中島みゆきが提供し、アルバム「DRAMA!」に収録された6曲の中でも、そのラストを飾った「NOW」を、私はこのとき繰り返し心の中で聴いた。

今 ここは過去も未来もない
煩いを捨て 企みを捨て
我等は何を見つめるだろう
今 ここは過去と未来つなぐ
Rigth NOW
Right NOW

時代と国の隔たりを超えて――

同じく無力で有限の存在のひとりでありながら、巨大な災厄に立ち向かう勇気をもちえた人間――それも、私たちと故国を同じくする人間――が存在したこと。

そしてそのことが、今も私たちにとって、限りない勇気の源泉となりうるということ――

異国の地から災厄の只中にある故国に思いを馳せつつ、そんなことをずっと考えつづけていた。


「NOW それはやがての日ではなく」への1件の返信

  1. このブログをその時点では読んでいません。
    2011年の3月は決して忘れることのできない、忘れてはいけないことが私の身の上に起きていたから。
    11日以降は大変でした。リサイクル書店を営んでいたので東北の各地に商品の発送が出来なくなりました。
    テレビニュースは地震の津波の被害を伝えています。
    elaneのことを思います。
    不謹慎ではありますが、この地震がもう少し早くて彼が知っていたら、彼の生き方が変わったかもしれない、と。
    前日に発送した福島の商品は返送されてきました。商品が届けられないので返金しました。かの人たちは受け取れたのかどうか確認はできていません。
    NOW、それは今。

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