2月26日(水)の大阪フェスティバルホールでの公演を最後に、新型コロナウイルス感染症の拡大の影響を受けて中断していた中島みゆき2020ラスト・ツアー「結果オーライ」は、4月中旬、ついに今後の全公演――いったん発表されていた札幌・大阪の振替公演を含む――の中止が発表された。
オフィシャルサイトの告知文は、「感染拡大が収束し、いつも通りコンサートを楽しめる日が一刻も早く戻ってくることを強く願っております」と結ばれている。その願いを、今はただ共有するほかはない。
同伴者としても含めて、私が行くことを予定していたいくつかの公演も「幻の公演」となった。が、開催された貴重な8公演のうち2つめの金沢公演 (本多の森ホール) に、私は幸いにも足を運ぶことができた。
まずは、そのかけがえのない記憶をいま蘇らせたい。
金沢公演の記憶
自らにとってのコンサート初日をできるだけ「まっさら」な状態で迎えたいとの強い思いから、1月12日の初日以降、ニュースやSNSでの「ネタバレ」情報を可能な限り遮断し、ニューアルバム『CONTRALTO』さえも聴かず、1月20日、私は特急サンダーバードに身を委ねて金沢へと向かった。
開場前、昔からのファン仲間の一人と、近況などを語り合いながら兼六園を散策。金沢はそう遠い場所ではないのに、この名所を訪れるのは初めてである。小雨交じりの天気ではあったが、起伏する空間と豊かな緑が、心を潤してくれた。
隣接する石川県立歴史博物館を訪れたのち、その向かいの本多の森ホールへ。
ロビーではさらに何人かのファン仲間たちと遭遇、しばしの語らいのひと時を過ごす。ツアーがスタートして2つめの公演なので、初日の東京公演のチケットが取れなかった人びとがかなり集まっていたようだ。
この会場を訪れるのは、2012年12月22日、「縁会」ツアーの公演以来である。席は奇しくもその時と同じL列左ブロック。かなり下手寄りではあるが、通路直後の見通しの良い席である。
ステージの中央部、中島みゆきが立つ場所は、銀色の天球儀のような舞台装置に取り囲まれている。コンサートツアーが経めぐる時空の表象なのだろうか。このセットの奥の方で天球の緯線・経線を斜めに横切る6本のラインは、流星群あるいは太陽か月の軌道の遷移――つまりは時間――を表しているようにも見える。
やがて、この舞台装置の中心に中島みゆきが登場し、コンサートは「一期一会」で幕を開けた――コンサートツアーという「旅」そのものへの彼女の思いを凝縮したかのような歌。
上記のように「ネタバレ」を遮断してきた甲斐あってか、開演してからの一曲一曲が、新鮮な驚きの連続だった。それは、私が初めて行った彼女のコンサート、1983年の『蕗く季節に』の富山公演で味わった感覚がよみがえったかのようでもあった。
ただ、そのことの裏返しとして、1曲1曲の歌い方や演出、あるいは衣装や立ち居振る舞いについての記憶は――いつものことながら――あまり鮮明ではない。とくに衣装や立ち居振る舞いについては、いつも頼りにさせていただいている、ぴしわさんの「覚え描き」ブログを今回も参照していただきたい。
1曲1曲の詳細な記憶は、2月、4月、そして5月に行く予定の公演で、徐々に補完していくはずだった――だが、それも今となっては叶わない。それだけになおさら、「新鮮な驚き」の印象は、今もそのままに、私の中に残っている。
――そのようなコンサート全体の印象をあえて一言に圧縮すると、これは「ラスト・ツアー」というより、まるで「ファースト・ツアー」のようだった、ということに尽きる。
これまでにも増して強い思いのこもった歌声、朗らかな笑顔、愉しいMC、そしてお便りコーナーでの客席からのポジティブな反応――それらのすべてが、「新鮮さ」の印象として凝縮された。お便りコーナーで、私の隣席、昔からのファン仲間のお一人のお名前が呼ばれたのも初めての経験で、コンサートの記憶に華を添えてくれた。
セットリスト(画像)を振り返ると、このツアーが、1977年から2013年までの中島みゆきのすべてのツアーの集大成にもなっていることがよくわかる。1979年春/秋のツアーと1981年の『寂しき友へ』を除くすべてのツアーで演奏された曲が、『結果オーライ』のセットリストには含まれている (もちろん、いくつかの新曲を除いて)。
1977年のコンサートは、正式に「ツアー」と銘打たれてはいなかったが、今回のラストツアーのパンフレットに掲載された “TOUR LIST” には、1976,77年のコンサートも掲載されているので、表に加えた。なお、1976年のコンサートはセットリストが不明のため省いた。
今回のコンサート本編セットリストを振り返ると――「あなたの笑顔を忘れないで」と歌う「一期一会」から、「そして覚えていること」で締めくくられるラスト「誕生」に至るまで――大切なすべての記憶を忘れずにいること、覚えていることへの希求が、繰り返し胸に迫る。
にもかかわらず、アンコールの1曲目「人生の素人」、2曲目「土用波」、そして何よりもラスト「はじめまして」は、いずれも過去と訣別し、未来へと真っ直ぐに足を踏み出そうとする歌である。このアンコールのゆえに、このコンサートの全体は――本編で、かけがえのない記憶たちへの愛惜を歌いながらも――過去へのノスタルジアではなく、未来へ歩み出そうとするエネルギーこそを、圧倒的に心に残した。
これまでも中島みゆきの短くないキャリアの中には、「過去の中島みゆき」との別れと、「未来の中島みゆき」との出会いという節目が、何度かあったように思う。
たとえば、1987年の「中島みゆきのオールナイトニッポン」降板は、今思い返しても、とりわけ大きな節目だった。それを発表した時の彼女の「私はやる気で辞めますから!」という限りなくポジティブな言葉を、久々に思い出したりもした。
コンサートツアーの終了というのは、おそらくそれ以上に大きな、もしかしたらこれまでの彼女のキャリアで最大の節目かもしれない。そこに、ただ一度とはいえ立ち会うことのできた幸運に、今は感謝するほかはない。
「結果オーライ」という言葉
その後、開催が危ぶまれる中で実施された最後の公演、2月26日の大阪フェスティバルホールでのコンサートに、私は残念ながら足を運ぶことはできなかった。が、この公演の様子については、Facebookでの畏友のおひとりAさんが、ブログで詳細なレポートをしてくださっている。
中島みゆきはMCで、この後に予定されていた28、29日の公演――それらには私も足を運ぶはずだった――の見送りを発表したのち、これから起こるであろう事態を見据えて、私たちファンを気遣い、励ますメッセージを送ってくれたという (具体的には上記ブログ記事を参照)。
こうした社会的危機に遭遇するたびに発せられる彼女からのメッセージは、4年前に札幌のコーヒーハウス「ミルク」を訪れたときにマスターの前田重和さんから伺ったこと――アマチュア時代から、彼女ほど社会の本質を深く、鋭く捉えていた者はいなかった――という言葉を、私に思い出させる。
あるいはより以前、彼女が高校卒業時の寄せ書きに書いたというこの言葉も、いま新たな意味をもって響くだろう。
この世で一番醜いのは人の心、そして、この世で一番美しいのも人の心です。
コンサートツアーの中断という――おそらくは中島みゆき自身にとって最も――思いがけない事態――そして、それを余儀なくさせた社会状況――によって、「結果オーライ」というツアータイトルには、はからずも新たな深い意味が加わることになった。
まったく状況は違うけれども、1980年春のコンサートツアー中止についてオールナイトニッポンで語った時の彼女の、重苦しく苦渋に満ちた声を思い出したりもした (その放送については、以前、この記事でも少し触れた)。
ツアーメンバーの一人、文さんこと宮下文一さんがTwitterでつぶやいてくれたように、いつの日か、「結果オーライ・リターンズ」と題してのツアー再開を期待したい――私もその気持ちに偽りはない。
そして、「まるで真っ白な霧の中」のように見通しがたい状況の中にあるからこそ、未来へと「真っ直ぐに空を見て、足を踏み出す」ことへの勇気を、未完の「ラスト・ツアー」の記憶から――そして、そこに至る中島みゆきのすべての活動が、過去から未来へと時間軸を貫いて描いてきた限りない軌跡から――今はただ、受け取りたい。
追記 (2020/5/5)
1月20日の金沢公演からこの記事を書くまでに3ヶ月以上――さらに、前の記事「万葉集と中島みゆき」からは、なんと1年以上も――かかってしまった。それは、未完の「結果オーライ」ツアーについて、どのような視点・角度から書くべきなのか、ずっと迷いつづけていたのが大きな理由だった。
おそらく、その迷いを解いてくれたのは、今回も――半ば偶然ながら――昔からのみゆきファン仲間たちとの再会だったように思う。
つい先日、1990年頃にパソコン通信『歌暦ネット』で出会って以来のファン仲間たちと、私にとっては初めてのオンライン呑み会を開催した。通信環境のせいもあって、必ずしもスムーズなやりとりとはいかない場面もあった――が、それ以上に、現在の状況の中で、気の置けない仲間たちと語り合う時間の貴重さを愉しんだ。それはある意味、30年前に初めてパソコン通信のオフ会に参加した時を思い出させるような、新鮮な感覚でもあった。
私たちの話題は必然的に、未完の「結果オーライ」ツアーのことへと向かう。とりわけ、アンコールのラスト「はじめまして」が、ファンの予想の遥か斜め上を行く選曲だったこと――そして、そこにこそ、まぎれもない「中島みゆき」らしさが最も強く感じられたこと。
はじめまして 明日
はじめまして 明日
あんたと一度 つきあわせてよ
実はこのリフレインには、36年前に初めて聴いた時からずっと、少し不思議な印象を抱きつづけてきた。
「あんた」という二人称は――「中島みゆきのオールナイトニッポン」の、とりわけ最後の葉書のコーナーでそうだったように――彼女にとって、おそらく最も飾り気なく「素」の状態で相手に語り掛けるときに選ばれる言葉なのだろう。
ただ、この歌詞の「あんた」は、普通に解釈すれば「明日」という時間のことを指しているのだろうが、それと同時に、私たち聴き手への呼び掛けであるようにも聴こえる――その両義性のゆらぎが、ずっと不思議だった。
だがおそらくは、「あんた」への呼び掛けがそうした両義性をはらんでいるからこそ、このリフレインは、まだ見ぬ「明日」と「つきあう」ことへの躊躇いのない勇気を、私たちに鼓舞するのではないか――古い仲間たちとの語らいは、はからずも私にそう気づかせてくれたような気がする。
その鼓舞を胸に、今はこの未完のツアーの記憶を心にとどめつづけたい。
コンサートの詳細、ありがとうございます。
現状から思えば2月26日の時点では想定できなかった今があります。
自分が参加するはずだった公演が見送りになった、振替公演が決まったと一喜一憂しておりましたが、全公演中止と決まった時点で一つの区切りをつけました。
実は私もブログを書いたのですが、公演を観ていないにも関わらず同志の皆様に見せるものではない、と判断し公開はしておりません。
ただし何らかの形でツアーが再開された時は、答え合わせのつもりで公開しようと思っています。
今回の事態はアクシデントのようなもので、誰が悪いというものでもありません。
自分にとっては残念な結果でしたが、それも含めて時が経てば、
「あんな時代もあったね」
と笑い飛ばしていることを願っています。