言葉の交響する海――中島みゆき展を振り返って

4月20日から6月23日まで所沢の角川武蔵野ミュージアム、ついで7月5日から9月1日までグランフロント大阪で開催された「中島みゆき展 「時代」2024 めぐるめぐるよ時代は巡る」に、計3回足を運んだ。

コンサート「歌会VOL.1」の公演期間中に始まり、それが5月31日に千秋楽を迎えてからは、まるでコンサートの余韻を私たちファンの胸にさらに長く響かせつづけるかのようなイベントだった。

 

一般に展覧会というと、ビジュアル・コンテンツに満ちた空間を人は想像するだろう。

しかしこの中島みゆき展の全体的な印象は――決してビジュアルな要素を欠いているわけではないにせよ――展示内容は圧倒的に「言葉」で埋め尽くされていて、中島みゆきが類まれな言葉の使い手であること、そしてそれらの言葉が、彼女を取り囲む多くの人びとの言葉たちと交響していることを、深く再認識させられる展示だった。

展示内容は7つのチャプターで構成されている。以下、必ずしも番号順にではないが、辿ってゆこう。

 

「CHAPTER1 今も進化を続ける中島みゆきストリート」では、彼女がこの世に生を享けた1952年から始まり、現在の2024年までの年表形式で、音楽作品やライヴ、ラジオパーソナリティー等々の活動の歴史を辿ってゆく。ここを歩くとき、おそらく誰もが必然的に、いつどのようにして中島みゆきと出会ったのか、そしてそれからどのように彼女と向き合ってきたのか――その個人史を年表の中に再発見するだろう。

この年表の末尾、2024年5月31日に「歌会VOL.1」が千秋楽を迎える――さらにその先には、余白が広がっている。その余白の中で、私は次はどこでどのようにして彼女と再会することができるのだろうか――まだ見ぬ未来を見晴るかす思いがする。

 

例外的にビジュアルを中心とした展示は、「CHAPTER5 夜会 言葉の実験劇場」

ここでの最大の眼目は、中島みゆきが夜会VOL.20「リトル・トーキョー」で大熊杏奴役として身につけた2着の衣装――ワインレッドと純白のクラシカルなデザインのドレス――だろう (これは撮影禁止のため写真はない)。客席からはとうてい窺い知れない衣装の細やかなディティールを、間近にじっくりと観察できる魅惑。それは5年前の夜会の舞台を思い起こさせるだけでなく、まだ記憶に新しい「歌会VOL.1」での2曲、すなわち「リトル・トーキョー」の純白のドレス、そして「野ウサギのように」のワインレッドのドレスの記憶をも反復させる。

舞台美術担当の堀尾幸男氏による舞台模型も貴重な展示だが、このチャプターでさえも、堀尾氏や制作担当の竹中良一氏、衣装デザインの鈴木紀男氏、そして音楽監督の瀬尾一三氏たちが語る言葉が、夜会の時空の意味をさらに増幅する。

 

「CHAPTER4 コラボレーション(映画・ドラマ・CM)」でも、さまざまな映像制作に携わる人びとが中島みゆきとの仕事の経験について語る言葉が興味深い。

後述する「CHAPTER3 レコード万歳」の近くには、中島みゆき関係図書のコーナーがある。そこでは、かつての音楽雑誌のインタビュー記事や多くの評論本だけでなく、さまざまな作家によるエッセイや、研究者による教養書の端々に、中島みゆきが登場する。

 

そして「CHAPTER7 言葉の森」では、中島みゆき自身の多くの印象的な歌詞が織りなす森に、身を包まれる。

 

――そうした言葉の交響する海には、中島みゆき自身やその関係者たちだけではなく、会場を訪れる私たちファンもまた参加する。

「CHAPTER2 MY FAVORITE SONG」は、多彩なアーティストのカバーによる「中島みゆきRESPECT LIVE『歌縁』」のコーナーだが、ここでは、このコンサートで歌われた楽曲に――掲示されたQRコードにスマホでアクセスすることで――メッセージを寄せることができ、それらが大きな液晶パネルに表示される。

 

そして「CHAPTER6 拝啓みゆき様 あなたからみゆきへ」では、会場を訪れた人びとが木の葉型のカードに綴るメッセージを壁の「進化樹」の枝に貼り付けることで、言葉の樹を豊かに繁らせてゆく。

この「進化樹」は、所沢では周囲のスペースにあまり余裕がなかったのだが、大阪ではさいわい余裕があり、会期の序盤(7月10日)から終盤(8月19日)にかけて、ご覧のように、壁いっぱいに広がるほどに見事に成長した。

上述の「MY FAVORITE SONG」でもそうだったが、「進化樹」ではそれにもまして、この会場を訪れる大勢の人びとが自らの人生と重ね合わせながら、それぞれに中島みゆきに寄せる思いを綴る言葉が印象深い。

ちなみに恥ずかしながら私自身は、6月には下記のような、そして7月には写真のようなメッセージを寄せた。

学生時代に出会ってから45年、みゆきさんはずっと、この世界で生きているということの意味についての答えの出ない問いを、私に投げかけ続けてくれました。おそらくこれからもずっと…

 

「CHAPTER3 レコード万歳」では、以上のように文字で綴られた言葉たちに、中島みゆき自身の歌声がさらに交響する。

アナログレコードの収録曲から私たちが選んでリクエストした曲が、会場全体のBGMにもなるという仕掛けだ。この仕掛けもまた、通常の意味での「展覧会」とは異なる、この中島みゆき展というユニークな時空の魅力を際立たせていた。

アナログオーディオの柔らかく繊細な響きで、とりわけ初期のアルバムの懐かしい歌が流れると思わず引き込まれてしまい、いつまでもこのコーナーから立ち去りがたくなる。ちなみに私自身は、6月には「泣きたい夜に」を、7月には「バス通り」を、8月には「夜曲」そして「誰のせいでもない雨が」をリクエストした。

待ち時間は、私が訪れた範囲では最少数分、最大50分程度だったが、その待ち時間がむしろ、自らのリクエスト曲の周囲に拡がる中島みゆきの音楽的世界の隅々を、じっくりと再訪させてくれる。それはもちろん、自らのリクエスト曲がかかった後の時間も同様だ。

私が最後に訪れた8月19日には、帰り際に、どなたかがリクエストした「夜曲」が再び流れ、余韻を深めてくれた――

 

 

この展覧会を訪れた多くのみゆきファン仲間たちから、あまりにも居心地の良い場所で、いつまでも立ち去りがたく名残惜しかった、という感想を聞いた。私もまったく同感だ。

それはおそらく、ライヴとはまた別の意味で、今この場所を共有している見知らぬ多くの人びとが、それぞれの人生からそれぞれの視点で、中島みゆきに思いを寄せていること――そして言葉にならないそれらの思いさえもが交響する目に見えない時空が、この展覧会の時空と重なって存在していること――そのことを実感できることこそが、この場所を立ち去りがたくさせていたのだろう。


「言葉の交響する海――中島みゆき展を振り返って」への2件のフィードバック

  1. いつもありがとうございます。5月に歌会に行った後にまた中島みゆき展は流石に無理でした。吉田さんはじめ、皆様のFB・コメントなどを楽しませていただいています。
    言葉の森などは直接拝見するとすごいのでしょうね。
    レコードでの生リクエスト、いいですね。
    CDでは出ないレコード針でのシャリシャリ感、ヤマハのいいステレオで聞きたかったです。

    • 朝妻さん、コメントありがとうございます。
      「言葉の森」が最終チャプターになっていて、文字通りみゆきさんの歌詞に包み込まれる感覚がとても心地よいのですが、そこにいるとますます立ち去りがたくなり、またレコードのコーナーに戻るということが何度かありました。

      アナログレコードは、優れた装置で再生すると、本当に良い音を聴かせてくれます。
      ちなみに、みゆき展で使われていたのは下記の装置(スピーカーはNS-600A)でした。
      https://soiree.belle-neige.net/wp-content/uploads/2024/09/2024-06-15-14.28.45-scaled.jpg

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です