生まれる前にみた夢 ――中島みゆきにおける「誕生」あるいは「再生」をめぐって――


『MIYUKOLOGIE』第23号、1996年

一 はじめに

今日は倒れた 旅人たちも
生まれ変わって 歩きだすよ

中島みゆきの最初期の代表作「時代」は、しばしば彼女のデビュー直前に倒れた父・真一郎氏に捧げられた作品として語られてきた。そうした解釈が生まれるに至った経緯や、その解釈そのものの当否についての議論はここでは省くが(1)、いずれにせよ冒頭に引用した歌詞、とりわけ「生まれ変わって」という暗喩の効果が、そうした解釈の一因となってきたことは容易に想像がつく。真一郎氏が世を去ったのは彼女のデビューの翌年のことであるから、この一節が直接に亡き父に宛てられたものとは考えられないが、実際、もしこの一節が「生まれ変わって」ではなく(例えば)「立ち上がって」と書かれていたとすれば、「時代」はこれほど長いあいだ多くの聴き手に感動を呼び起こし続ける作品ではありえなかったに違いない。これは単に作詞技術の問題ではない。

ところで、中島真一郎氏が産婦人科医であったことは、本誌の読者には周知の事実であろう。評論家の故こすぎじゅんいちは、中島みゆきの評伝『魔女伝説』のなかで、彼女が大学卒業後デビューするまでのあいだ、帯広にある父の医院に身を寄せていた時期について、次のような想像を展開している。

 彼女は帯広に帰って何をしていたか。たぶん、人手の少ない、収入の少ない、そのわりにいそがしい中島産婦人科を手伝っていたのだろうと思う。……この時代に、彼女は、助手として出産という人生のドラマの現場にも立ち会っただろうと思われる。これこそが、平凡で厳かな儀式。……この現場で、初めて、でも一瞬のうちに、彼女は、父・真一郎氏の仕事の意味と情熱を理解したのだろう。(2)

筆者にはこの想像がどれだけ事実を反映しているかの判断はつかない――もし本当に、助産婦や看護婦の資格を持たない彼女が分娩室で助手として働いていたとすれば、おそらく法律的な問題が生じることになろうが、そうした散文的な議論もここでは無視する――が、この想像の内容になんとなく同意したくなる中島みゆきファンは、(私も含めて)決して少なくないのではないだろうか。

最近のファンであればおそらくすぐに思い出すのは、一九九二年に放送されたTVドラマ「親愛なる者へ」で(主題歌「浅い眠り」を提供していた)中島みゆき自身が、まさに産婦人科の女医役で出演していたという事実であろう。彼女に出演を依頼した番組プロデューサーは、彼女の父親が産婦人科医だったことはそれまでまったく知らなかったと述べているので(3)、この配役自体は――あまりにできすぎた偶然ではあるがやはり――偶然の結果であったに違いない。しかしその脚本の内容については、中島みゆき自身が「実際に患者を前にした医師であれば、こんなきつい言い方をするはずがない」と細かく厳しい注文をつけ、さらに彼女自身がアレンジした台詞まで提示したという(4)。こうした態度はやはり、人の生命の誕生を左右する仕事の意味と重みを十二分に知っていてこそ出てくるものであろう。言うまでもなく、産婦人科を訪れる妊婦は、歓びとともに新たな生命を産み出そうとする女性だけではない。「親愛なる者へ」で中島みゆきが演じた女医も、最初は(浅野ゆう子演ずる)女主人公に中絶を施すという役柄で登場したのである。

そのこととあわせてもう一つ強く思い出されるのは、かつて「オールナイト・ニッポン」の最後の葉書のコーナーで、恋人の子供を何度も妊娠し(そして彼の要求で)中絶したという女性の葉書が読まれたときのことである。(記憶に頼って書くので正確な再現ではないが)中島みゆきはわきおこる感情を必死に押さえるかのように、「一回中絶するだけで、確実にあなたの体はボロボロになっていきます。もう赤ちゃんが産めなくなることだってあるんです」とその女性を叱り、その男に対する怒りをあらわにした。八年間、ほとんど毎週放送された「オールナイト・ニッポン」の最後の葉書のコーナーでも、中島みゆきがそれほど強い怒りと悲しみを隠そうともせずに語ったことは、私の記憶にはほんの数えるほどしかない。

以上のようなエピソードは、中島みゆきの「作品」には直接には関係のないことかもしれない。しかし、誰もが人生の最初に経験したはずの「誕生」という「平凡で厳かな儀式」へのこだわりが、多くの中島みゆき作品において重要なモチーフとして貫かれていることもまた確かなのである。そこに、彼女が父・真一郎氏から受け取ったものが反映しているのではないかという想像は、あながち不当ではあるまい。最近においてこのモチーフが展開された最も重要な例が一九九五年の「夜会VOL.7"2/2"」であることは、このステージに接した人には自明であろうとも思われる(5)。以下では、この「夜会」も含めて中島みゆきのいくつかの作品を辿りながら、「誕生」あるいは「再生」というモチーフが彼女の作品世界の中でどのような意味をもち、またどのように展開されてきたかを考えてみたい。

二 転生への希望――喪われたHALFを求めて

中島みゆきはわれわれファンとのあいだの関係のありかたを、しばしば「一対一の対話」という言葉で表現してきた。この対話に入るとき、中島みゆきは、またわれわれ一人一人は、(意識するとしないとにかかわらず)世界の中での自己の根源的孤独、つまり、この世界の中で「この私」は他の誰でもない「一者」にすぎないという認識を出発点としている。あるいは、この根源的孤独の認識こそが、彼女が歌い、われわれがそれに応えるという関係が成立するための前提なのだと言ってもよい(6)。この認識は、最も典型的には愛の対象の喪失という経験から得られるものだろうが、いずれにせよこの根源的孤独を少しでも癒してくれるものがもしあるとすれば、それは自己の外部、すなわち「他者」に求めるしかない。中島みゆき作品においてはこの「他者」が、時には愛の対象として、また時には未だ到達されていない故郷として表現されてきたのである(7)

自己(内部)を世界(外部)から隔てる壁は、空間的なものだけではない。言うまでもなく個人の生は、誕生を始点とし死を終点とする限られた長さの線分としてしか、時間軸上に存在しえない。根源的孤独を癒してくれる「他者」への渇望がこの時間軸上に投影され、始点よりもさらに前、あるいは終点よりもさらに向こう側へと視線が向けられるとき、「転生」というテーマが浮上してくる。

次に生まれて来る時は
めぐり会おうと誓ったね
次に生まれて来る時は
離れないよと誓ったね
せめて伝えたい 後ろ姿に
私 おぼえていたよと今さらなのに
もう一度誓いなおすことができるなら
この次に生まれて来る時は きっと

 「HALF」は、「この人生」の中ではついに「他者」にめぐりあうことができなかったという諦観の歌である。前世で果たせなかっためぐりあいの誓いをようやく思い出し、それを果たすチャンスがようやくやってきたにもかかわらず、それとはっきり気づいたときにはもはや遅すぎて、めぐりあうべき「他者」は「後ろ姿」しか見せてはくれない。めぐりあいへの希望は、来世すなわち「この次に生まれて来る時」へと再び繰り延べられるのである。

重要なのは、この諦観・喪失感が「魂の半分が足りなかった」という言葉で表現されていることである(言うまでもなくこの一節こそ、「HALF」というこの歌の題名の由来ともなっている)。「あなた」に寄り添えなかった「私」は、自分自身を「一者」ですらなく「半分」としか感じられない。この喪われた「半分」が、来世で「私」に取り戻されるという保証は何もない。「この次に」生まれ変わった「私」も、また前世と同じように「HALF」を歌わなければならないかもしれないのである。

喪われたHALFが取り戻される場所があるとすれば、それはどこなのだろうか。

生まれる前に僕は夢みた
誰が僕と寒さを分かちあってゆくだろう
時の流れは僕に教えた
みんな自分のことで忙しいと

誰だって旅くらいひとりでもできるさ
でも、ひとりきり泣けても
ひとりきり笑うことはできない

with…そのあとへ君の名を綴っていいか
with…淋しさと虚しさと疑いとのかわりに

 「with」の「僕」は、「HALF」の「私」の生まれ変わりなのか――かつて「HALF」に涙したことのある聴き手であれば、そうであってほしいと希いたくなるかもしれない。だが両者が決定的に違うのは、「with」の「僕」が「旅くらいひとりでもできる」という自立への勇気を持っていることである。ここには、自己の存在を「半分」としか感じられないアイデンティティの脆弱さはない。
 「僕」が「生まれる前に」みた夢は、(現実には存在しない)「来世」へと再び繰り延べられるのではなく、まさに「この人生」でこそ実現されるべきものである。この決意が自立への意志へと、さらには「with…」のあとへ名を綴るべきひとへの呼びかけへとつながっていく。たとえ「遠い砂漠」をゆく旅であっても、それは永遠に孤独な旅ではないはずだという希望は、この自立に支えられた、他者とのコミュニケーションへの強い意志からこそやってくるのである。

この意志は、「炎と水」でもかたちを変えて表現されている。

Flame & Aqua なんて遠い者たち
私たちは互いに誰より遠い
Flame & Aqua なんて同じ者たち
いちばん遠い者がいちばん近い
Flame & Aqua 互いから生まれあう
あなたがいなければ
私はまだ生まれていないような者

あなたがあなたになればなるほど
私が私になればなるほど
互いは互いが必要になる
誰から教えられることもなく

「あなたがいなければ私はまだ生まれていないような者」という一節は、そこだけを取り出してみれば一見「HALF」を思い出させるかもしれない。しかしながらこの「私」は、「あなた」とのあいだの遠さ、すなわち「私」と「あなた」は、どんなに近づこうとしてもやはり互いに「一者」と「一者」でしかありえないということをよく知っている。そして、この遠さの認識こそが近さを――すなわちコミュニケーションを――可能にする。

だから前記の一節は、他者に依存することによってしか自己が存立しえないという弱さを意味するのではない。むしろ逆に、「あなた」も「私」も、それぞれが「一者」として自立すればするほど、自らのアイデンティティを追求すればするほど、互いをますますかけがえのない「他者」として、コミュニケーションの相手として、必要とするようになるのである。「互いから生まれあう」とは、このコミュニケーションを通じて、「あなた」がより新しい「あなた」に、「私」がより新しい「私」にと――あくまでもこの現世において――生まれ変わってゆくプロセスを意味している。

しかしながら、「この私」はこの世界の中で「一者」にすぎないという認識は、どうすれば――他者への依存ではなく――自立へと、そして他者とのコミュニケーションへと結びつくのだろうか。「HALF」の「私」は、根源的孤独に耐えられなかったからこそ、喪われたHALFを(もしかしたら永遠に)探し続けなければならなかったのではないのか。

この問いへの答は、まさに「誕生」という作品で与えられているように思われる。

Remember 生まれた時だれでも言われた筈
耳をすまして思い出して最初に聞いた Welcome
Remember けれどもしも思い出せないなら
私いつでもあなたに言う生まれてくれて Welcome

"Welcome"とは、「この世界へようこそ」という意味である。自分はこの世界に歓迎されてやってきたのだという記憶こそが、たとえ孤独であっても自立しようとする勇気の、そして他者とのコミュニケーションへの意志の源泉となる。でも、もしも「あなた」がその記憶を失ってしまっていたら、「私」が「あなた」にもう一度、この世界への歓迎の言葉を伝えよう――「あなた」がもう一度この世界に「誕生」できるように。

そして、「あなた」が「私」にとってかけがえのない存在であるとすれば、それは「あなた」が他の誰でもない、この世界にただ一人しかいない「一者」だからこそなのである。つまり、この世界の中での根源的孤独こそは、逆説的にも、人と人とが互いにかけがえのない存在となるための条件なのだ。この逆説ゆえに、人は世界の――あるいは宇宙の――中で「一者」として、時間軸上での限られた長さの線分としての生を生きてゆくことができる。

そしてその線分の終点の向こう側には、空白の延長線が宇宙の中に永遠に引かれている。

百億の人々が
忘れても 見捨てても
宇宙の掌の中
人は永久欠番

三 アイデンティティの再生への旅

二では、個々の作品に沿って、中島みゆきにおける「転生」「再生」あるいは「誕生」というモチーフの意味を考えてきた。そこで取り上げた作品それぞれが、中島みゆきの作品史全体を語る上でも重要な作品の一つであることは、多くの読者にも同意していただけるのではないかと思う。このことだけからも、このモチーフが中島みゆきの創造にとって大きな意味をもちつづけてきたものであることはうかがえよう。

しかし、現在の中島みゆきにおける「誕生」「再生」のモチーフの意味を考える場合にどうしても抜かすことができないのは、「夜会」におけるその展開のされかたである。以前に本誌に寄せた拙稿でも書いたように、「夜会」にはその当初から「(日本の)女性のアイデンティティの再発見」という全体的テーマが存在した。一九八九年、奈落へのダイビングという衝撃的なラストシーンによる「古き女性像の死」で始まった「夜会」は、女性のアイデンティティの再発見という意味での自己再生のストーリーを、繰り返し変奏しながら語っているようにも見えるのである(8)

この「再生」というモチーフが、演出上はっきり目に見えるかたちで最初に大きく前面に出てきたのは、一九九二年の「夜会VOL.4―金環触―」であろう。アマテラスの死後、閉じた巨大な岩戸をもう一度押しひらき、光の中で舞い踊る娘について、中島みゆき自身はシナリオの中でこう書いている。「アマテラスが死とひきかえに生み残した娘。赤ん坊が、アマテラスを呼んでいる」「ここでの「娘」にはアマテラスの魂の転生という意味もこめられている」(9)。この場面――「EAST ASIA」から「二隻の舟」を経て「DIAMOND CAGE」へと続く場面――は、「金環触」の作劇上のクライマックスであると同時に、コミュニケーションの力による孤独な魂の救済というテーマが最も集約的に表現されている場面でもある。(「二隻の舟」で三人のアメノウズメが登場する場面については、中島みゆきはこう書いている。「生命誕生の細胞分裂のように、二人目のアメノウズメ、三人目のアメノウズメ……と生まれて増えてゆく。」(10))

死から再生へというヴェクトルは、ここでもやはり他者とのコミュニケーションへの意志につながるものとして位置づけられている。ただ「夜会」の場合に重要なのは、このヴェクトルがつねに具体的なストーリーの中で、コミュニケーションを阻む社会的な「壁」とのせめぎあいというかたちで描かれるという点である。転生したアマテラス――あるいはアメノウズメ――が最初に歌う歌が、国境という「山より高い壁」を越えてゆく「柔らかな風」の自由を讃える「EAST ASIA」であることは、その意味できわめて象徴的である。

翌一九九三年の「夜会VOL.5―花の色は……―」でも、四人の「待つ」女たちは「雨月物語」の宮木の亡霊であった。叶えられなかった彼女たちの思いは、時間泥棒へと再び化身し、「待つこと」の美徳を否定し「逢いにゆく」積極的な意志を肯定する。そしてその時間泥棒自身も、ラストシーンでスロープの途中で一度倒れ、そして再び蘇ったかのように、上空の巨大な月に向って階段を登ってゆく。ここで歌われる「夜曲」が、かつて「臨月」という名のアルバムの最後に収められていた作品であったことも、決して単なる偶然ではないように筆者には思われる。言うまでもなく「月」は、新たな生命を産み出す営みにとって重要な意味を持つからである。

さて、ここまでの「夜会」では、「再生」あるいは「誕生」のモチーフは、それ自体はつねにポジティブな意味合いで用いられてきた。しかし一九九四年の「夜会VOL.6―シャングリラ―」では、生命を産み出す営みそのものと密接に絡みあった社会的なくびきの存在が、はじめてストーリーの根幹に据えられることになる。母・美齢(メイリン)が生まれたばかりの娘・美(メイ)を友人に託さざるをえなくなり、やがて美が美齢を実の母とは知らず復讐の念に燃えることになる遠因を作ったのは、彼女たちの経済的な困窮であった。それゆえ美は友人の身代りに、支配階級の男の「妾」という身分に甘んじなければならなかったのである。

この暗澹としたストーリーの結末で、美を実の娘と気づいた美齢が死の間際に歌う歌が「誕生」である。閉ざされていたチェストの蓋を開き、かつて赤ん坊の美をあやしたガラガラを手にする美齢。封印を解かれた「誕生」の記憶は、引き裂かれた母と娘との魂を、再びめぐりあわせることができたのだろうか。「シャングリラ」のエピローグで「生きてゆくおまえ」を歌った黒衣――おそらくは喪服――の歌手は、母の死を悼む美のようにも、あるいは転生した美齢の姿のようにも見えた。

そして「再生」「誕生」のモチーフは、それと絡み合った社会的なくびきという問題とともに、一九九五年の「夜会VOL.7―2/2―」において全面的に展開されることになる。

「2/2」は表面上では、生まれてこなかった双子の姉に対する無意識の原罪感――姉が死んだのは自分のせいだという思い込み――から、その姉の幽霊によって妹が解放されるという、いささか伝奇小説的なストーリーを語っているが、その裏にはもっと普遍的な意味がこめられているように思われる。この「幽霊」は(「花の色は……」における時間泥棒と同じように)、生まれてこなかった姉・茉莉の意志の具現化であると同時に、妹・莉花の――アイデンティティの再発見という意味での――自立と自己再生を促す存在でもある。

莉花が、恋人と別れ、会社からは見捨てられることによって、日本とのつながりから切り離された状態は、もちろん彼女自身の意志で選び取ったものではなくて、直接には(自分の不注意による)アクシデントというかたちで否応なしに直面せざるをえなかったものだった。莉花の出生の秘密を調べた後、日本から彼女を追ってやってきた恋人は、彼女の無意識の原罪感を意識化させることはできたけれども、こから解放することはできず、逆に原罪意識をより尖鋭化させただけだった。

この二つの条件 (日本からの切り離しと、原罪の意識化)は、莉花が自己のアイデンティティを再発見するに至る過程での必要条件ではあったけれども、十分条件ではなかった。この過程の最後のブレークスルーとして茉莉の幽霊が登場し、二人の出生の真相を語り、莉花を原罪意識から解放するというどんでん返しが来るのである。

莉花を苦しめてきた、「茉莉の代わりに自らを裁こうとするもう一人の莉花」 は、「一者」 として自立できず、「噂」 という社金的強制 (「人殺しだっていうのにさ」という叔母の言葉に象徴きれる)に押しつぶされていた弱い自我の象徴だったとも言える。それに対し茉莉の言葉は、「あなたは私の代わりになどなれない。あなたは一人、私も一人。あなたは私とは違うあなただけの幸せを探しなさい」という、主体的な自立を促すメッセージとなっている。

もう少し「2/2」について考えてみるために、ここで次の三つの問いを設定してみよう。

[1]「2/2」の舞台がベトナム(と思われる場所)に設定されている理由ないし必然性はどこにあるのだろうか。

[2]莉花の「過去への旅」は、なぜ(ベトナムと思われる場所への)物理的な旅と同時におこなわれたのか。(恋人を忘れるために旅に出たというのはあくまでもストーリーの表面上の意味と思われる。その背後にある意味は何か。)

[3]日本に帰れなくなるというアクシデントが莉花の「過去への旅」のきっかけの一つになったようにも見えるが、それはなぜか。

まず、物理的・空間的な旅を精神的・時間的な旅に結びつけるキーワード(というか、鍵となる風景)が「竹」と「紅い河」の二つであり、この二つを風景としてもつ国であるがゆえに、ベトナム(と思われる場所)が舞台となったのだと思われる。

「竹」とは、「強い風」(=噂に象徴される社会的強制)が吹いても「折れることなくそよぐ」(=自由に生きてゆく)」という生き方の象徴であり、「紅い河」は自らの血縁(ルーツ)を過去へと辿ることによってアイデンティティを探す旅の象徴である。

この物語は、莉花というヒロインの自己再発見の旅であると同時に、裏の意味として、日本人が「アジア人」としてのアイデンティティを再発見する旅というモチーフも隠されているように思える。

「竹」が日本の風景にも共通するものであることにも注目すべきだろう。それともう一つの重要な理由は、「お金」という要素のもつ意味である。第一幕で、クレジットカードで派手に買い物をしまくっていた莉花が、第二幕では、カードも限度額を越えて使えなくなり、会社からも見放されることによって、日本との経済的絆から切り離されてしまった。

逆にいうと、(恋人以外に)莉花を日本という場所につなぎとめるものは、経済的な絆だけしかなかった。それを失うことによって、アジアという土地を、自らが「根を張る」べき生活の場として再発見し、結果的に自己の真のアイデンティティ、あるいは「幸福」を発見することができた、ということになるだろうか。(もっとも、ここで「根を張る」というのは、本当にそこに土着してしまうという意味ではなく、むしろ「EAST ASIA」の主人公のように、「どんな大地でも生きてゆくことができる」強さを身につける、という意味に解釈するべきであろう。)

いずれにせよ、莉花の原罪からの解放による自己再生は、帰るべき場所としての「日本」への依存と甘え(およびそれと裏腹の社会的強制)を、好むと好まざるとに関わらず捨て去って、それらに依存しない生き方を模索せざるをえなくなったという状況があってはじめて、可能になったと言えるのである。

しかしそうした考察を別にしても、「目撃者の証言」から(「二隻の舟」をはさんだ)「幸せになりなさい」に続く場面での茉莉の歌唱と語りは、われわれの胸にストレートに響く強い訴求力を持っている。そこには、生まれてこなかった姉の魂という、時間軸上の「生」という線分の始点に到達する前に消えてしまった存在が、現実の「生」の時間のなかにいる妹に呼びかけ、彼女の「再生」のための助産婦役をつとめるという、一種の逆転がもたらす衝撃がある。

世界の中の、他の誰でもない「一者」として誕生した「私」は、つねにわれわれの外部にいる「他者」とのコミュニケーションによって、自己を再生しつづける(決して依存や強制によってではなく)。その「他者」は、ときには時間的な意味での外部――この世界の外部にいることさえあるかもしれないのだ。「2/2」は、そのことをわれわれに思い出させてくれる。


(1) このあたりの事実関係については、落合真司『中島みゆきデータブック』(青弓社、一九九五年)、二四―二六頁に客観的な記述がある。
(2) こすぎじゅんいち『魔女伝説―中島みゆき』、CBS・ソニー出版、一九八二年、八八-八九頁。
(3) 中島みゆき『愛が好きですII』(新潮文庫、一九九三年)の、大多亮による解説、三六六―三六七頁。
(4) 同。
(5) 筆者自身は(私事にわたるが、これもまた奇妙な偶然ながら)ちょうど妻が出産を控えた身であったため、直接東京へ出かけてこの「夜会」のステージに接するということはできなかった。しかしながら、本誌の姉妹誌(?)である季刊『寒水魚』の別冊として、詳細な『筆録夜会1995「2/2」』および全曲の採譜『Motifs 1995 YAKAI"2/2"』が発行されているので、これらの貴重な資料を本稿での「2/2」に関する考察のために使用させていただくこととしたい。同誌の編集・発行者である寒水魚企画代表・金井立身氏には、ここに深く謝意を表したい。なお、蛇足ながら現実に自分の子供という新たな生命の誕生と成長とを目の当たりに経験してみると、「2/2」の内容も(そのステージを現実には観ていないにもかかわらず)ますます感動的に胸に迫ってくるように思われる。
(6) 詳しくは、拙稿「愛の逆説と世界への眼差し――呉・勢古論争、あるいは中島みゆきを『語ること』をめぐって」(『MIYUKOLOGIE』第十九号、一九九四年)を参照されたい。
(7) 詳しくは、拙稿「『異国』から『EAST ASIA』へ――中島みゆきにおける『故郷』の変容」(『MIYUKOLOGIE』第十七号、一九九三年)も参照されたい。
(8) 詳しくは、拙稿「物語の物語――折り返し点を迎えた『夜会』に寄せて」(『MIYUKOLOGIE』第二十号、一九九四年)を参照されたい。
(9) 中島みゆき『夜会VOL.4―金環触―』、角川書店、一九九三年、一一九頁。
(10) 同、一二六頁。