透きとおる高音――杉本和世さんについて

「夜会ステージアートスペース」 (2008年 赤坂TBS 1階ロビー) より、夜会VOL.5『花のいろは…』の舞台

夜会Vol.17『2/2』の初日の感想でも書いた通り、夜会Vol.17『2/2』のエピローグともいうべき第3幕「鏡の中の夏」は、杉本和世の美しい高音のスキャットによる「彼と私と、もう1人」とともに幕を閉じた。

初日は幸運にも、舞台の下で歌う彼女の姿がよく見える席だったこともあり、とりわけこのエンディングの歌唱は、強く印象に残った。

彼女のスキャットといえば、1993年の夜会Vol.5『花の色は…』のラスト「夜曲」のエンディング――中島みゆき演ずる〈時間泥棒〉が、上空に浮かぶ巨大な月に向かって、つづら折りの階段をゆっくりと登ってゆく場面――でのすばらしい絶唱が、それから18年経った今も、はっきりと私の耳と胸に残っている。今回の第3幕では、久々にその絶唱を思い出した。

夜会の多くのミュージシャンたちの中でも、杉本和世は、これまでVol.11『ウィンター・ガーデン』を除くすべての公演に参加してきた無二の存在である。

のみならず、1989年の夜会の開始以前から、コンサートツアーやレコーディングの大半で、彼女がサイドヴォーカリストとして中島みゆきをサポートしつづけてきたことは、年季の入ったみゆきファンなら、よくご存知のことだろう。

この記事では、その杉本和世――というよりも「和ちゃん」という愛称のほうがぴったりくるが――について、個人的な記憶をも交えながら、思い出すことをまとめておきたい。

リードヴォーカルとサイドヴォーカル

中島みゆきは、1986年に出版した『女歌』 (新潮社) の中の「コーラスガール物語」と題したエッセイで、彼女について書いている (この本の帯には「初めての書下ろし小説」というキャッチフレーズがあるが、実質的にはエッセイ集である)

このエッセイは、ヴォーカリストとして、また女性としての「和ちゃん」の人となりを鮮やかに描いていると同時に、中島みゆきが真に信頼しうる仕事仲間として彼女をみつめるまなざしが、よくうかがえる好篇になっている。

とりわけ次の一節には、中島みゆきが彼女にこれほど長きにわたって信頼を寄せつづけている理由が、端的に吐露されているように思う。

でも彼女に要望したのはサイドヴォーカルということ。お飾りやつけ足しじゃなくて、リードヴォーカルの向こうを張ってくる勢いがあること。
まかりまちがって、みゆきがいわゆるみゆきっぽい歌い方の御披露目に安住しようなんて企んだりしようものなら、ふん、てなもんでぽーんと飛び越えて、ここまでおいでとアカンベエをしてくれる人。こうでなくちゃ。

他方で、杉本和世が中島みゆきについて語っている、貴重な記事がひとつある。演劇雑誌『しんげき』 (白水社) 1991年12月号の中島みゆき特集に、「中島みゆき作品と存在をめぐって」と題して8人が寄稿している中の1篇である。その中の次のくだりは、上記の中島みゆきの文章と見事に好一対をなして、2人のあいだの心地よい緊張関係をよく伝えてくれる。

大抵はある程度一緒にやっていると手の内が見えてくるんですけど、これがね、みゆきさんの場合はね、なかなか見えてこないんですよ。あの手この手出してくるから楽しくて。そんなふうにみゆきさんはどんどん先へ先へと出て行こうとするから、私も「行きましょーう」って付いていくんです。

中島みゆきの「内なる声」

また同じ記事の中で彼女が、1989年の最初の夜会の本編ラスト「十二月」のエンディングで、中島みゆきが舞台後方にジャンプする衝撃的な場面について、次のように語っているのも興味深い。

私はその場面ではみゆきさんよりも舞台の前方にいて、落下していくみゆきさんの内なる声を歌うっていう役割だったのではっきりとは見られなかったんですけど、分るんですよ空気で、日一日と高く舞っていくのが、ふわぁーという気配でね。

夜会の本番の舞台で、中島みゆきとミュージシャンや共演者たちとのあいだに張り詰める「空気」がよく伝わってくるエピソードだが、それ以上に印象に残るのは、「みゆきさんの内なる声」という言葉だ。

純粋に技術的な問題として、杉本和世が、中島みゆきと似た声質をもちながら、遥かに高い音域をカバーできるヴォーカリストであることも、彼女を中島みゆきが選んだ理由の一つではあるのだろう――その点は、上記の「コーラスガール物語」にも書かれているとおりだ。

しかし、おそらくより本質的なのは、彼女が中島みゆきの「内なる声」を――いわば、もうひとりの中島みゆきの声を――表現しうるヴォーカリストとして、夜会に不可欠の存在でありつづけているということだろう。

『花の色は……』の「夜曲」のエンディングにせよ、今回の『2/2』の「彼と私と、もう1人」のエンディングにせよ、そのことを改めて強く実感させられる場面であり、歌唱であった。

2人の〈女〉役――『ウィンター・ガーデン』再演

その杉本和世が、これまでの夜会で最も重責を担ったのは、おそらくVol.12『ウィンター・ガーデン』 (再演、2002年) のときだろう。

このとき、〈女〉役に予定されていた吉田日出子が突発性難聴のために降板し、急遽キャストの代役として香坂千晶が起用されるとともに、〈女〉役の歌のほとんどは杉本和世が歌うことになった。

舞台上と舞台下での、この2人の〈女〉役の緊密な連繋なくしては、Vol.12の上演はありえなかっただろう。

このときの杉本和世の歌で、とりわけ私の記憶に強く残っているのは、序盤の「凍原楼閣」――この曲だけは〈女〉の視点ではなく、客観的・俯瞰的な視点から『ウィンター・ガーデン』全体の世界観を呈示する重要な曲――である。

風の渡る凍原では
人間 (ひと) のものは何もない
……
そびえるのは空鏡
望みの意味を解き明かす

「神話の解凍――『ウィンター・ガーデン』再考」でも書いたとおり、とりわけ「空鏡」と歌うときの彼女の透きとおるような高音は、その世界観を表現しきっていて忘れがたい。

――このときのパートナー、香坂千晶は自身のブログで、杉本和世を含め、夜会の共演者たちとの飲み会について何度か書いている。とりわけ、2006年の記事

あの大変な作品を一緒に乗り越えてきたから……
だからあたしにとって、ホント戦友のよーな方々。

というくだりは、彼女たちのあいだの絆を語った本音の言葉として、胸を打つ――

ライブハウスでの出会い

最後に、ジャズ系ソロヴォーカリストとしての杉本和世のライブに、1度だけ接したときのことを書きたい――今からちょうど20年前のことだ。

残念ながらその時のパンフなどの資料は残っていないので、当時のパソコン通信のログと、断片的な記憶だけに頼らざるをえないのだが……

1991年4月30日、東京・六本木の「ピットイン」という (今は閉館した) ライブハウス。

当時、パソコン通信「歌暦ネット」で知り合った――今は亡き――東京のみゆきファンの友人に誘われて、京都からこのライブに出かけて行った。

開演前、その友人と一緒に、杉本和世本人に挨拶する機会があった。一面識もない、にわかファンの私に、「遠くからありがとうございます」と声をかけてくれた彼女のにこやかな笑顔が忘れられない。

曲目は、洋楽スタンダードに加えて数曲のオリジナルという構成。

杉本和世はこれが初めてのソロライブとのことで、やや緊張していた印象もあったが、あの美しい高音を存分に堪能することできた。ベースの富倉安生をはじめ、ミュージシャンたちの演奏も、ライブハウスらしい乗りが愉しかった。

――そして、このライブの客席に、中島みゆきが斉藤ノブやエルトン永田と一緒に来ていたことは、やはり書き落としてはならないだろう。

コンサートホールではなく小さなライブハウスだから、最前列の私たちの席から振り向くと、ほんの数メートル後ろに、中島みゆきたちの姿が見えた。彼女の笑い声を生で聴いたのも、おそらくこれが最初で最後のことだろう。私にとって、忘れがたい記憶の一齣である――

中島みゆきが歌いつづける限り、「ここまでおいで」と杉本和世も歌いつづけるに違いない。これからも、夜会で、コンサートで、あの透きとおる高音を聴けることを楽しみにしつつ――


コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です