古関裕而と朝ドラ『エール』、そして中島みゆき

中島みゆきとNHK朝ドラといえば、多くのファンは、主題歌「麦の唄」を提供した『マッサン』(2014年度後期) のことをまず思い起こすだろう。2015年の紅白歌合戦――現時点では、この回が彼女自身の最後の紅白出演ということになる――で、主演の玉山鉄二とその妻を演じたシャーロット・ケイト・フォックスの二人をゲストに迎え、ドラマの名場面がバックに流れる中で、金色のドレスに身を包んた中島みゆきがこの曲を歌った姿は、まだかなり記憶に新しい。

ただ、このような直接的な接点はないにせよ、先日、コロナ禍のために2ヶ月遅れという異例の放送スケジュールで幕を閉じた『エール』は、いくつかの間接的な接点から、一中島みゆきファンとしても、個人的に印象深い作品となった。

 

古関裕而の記憶

『エール』の主人公・古山裕一のモデル古関裕而は、古賀政男・服部良一の二人と並んで、「昭和」を代表する作曲家である。

その古関作品に私が初めて触れたのは、小学校3年の時だった。

1960年代後半、校舎の大半は鉄筋コンクリートになっていたが、まだ一部に残っていた木造校舎、そしてその中にあった古びた音楽室とグランドピアノ――それらは独特のややかびくさい匂いとともに、セピア色がかった記憶として存在している。その音楽室で、担任の先生――まだ30歳ぐらいの若い男性の先生だった――が教えてくれたのが、古関の戦後の代表作のひとつ「高原列車は行く」だった。

音楽の教科書には載っていない、一般的には歌謡曲に属するこの曲を、なぜ先生が私たちに教えてくれたのか――今にして思えば、やや不思議ではある。「高原列車は行く」は1954年の曲なので、当時すでに「懐メロ」の域に入ってたはずでもある。よほど先生ご自身、お気に入りの曲だったのだろうか。

それはともかく、まるで――紺碧の空の下、アルプスの山嶺が美しく流れる車窓を愉しみながら、高速で駆ける高原列車に心地よく揺られるかのような――どこまでも明るく、異国情緒あふれる歌詞と流麗な旋律とに、私は強く魅せられた。それは、小学校の音楽の時間に習った多くの唱歌――そちらはそちらで好きな曲がたくさんあったけれども――ともかなり異質な、不思議なきらめきに満ちた記憶として、子どもの頃の私の中に残っている。

 

――もっともその時は、「高原列車は行く」の作曲者としての古関裕而の名前を、はっきりと記憶にとどめたわけではない。

その名をはっきりと意識するようになるのは、もう少し後、中学2年から3年の頃である。その頃、とあるきっかけから、大阪の朝日放送ラジオでプロ野球のシーズンオフの時期、毎週日曜の夕方に放送される『日曜懐メロ大行進』という番組を聴くのが習慣になり、またしだいに楽しみになっていった。

この番組ではたしか、曲をかける前に、曲名と歌手の名前だけでなく、作詞者と作曲者の名もアナウンスしていた。そのおかげで、古賀政男や服部良一と並んで、古関裕而という――独特の雅やかさが印象的な――作曲家の名を心に刻み、「露営の歌」「暁に祈る」「若鷲の歌」などの軍歌、そして「長崎の鐘」「夢淡き東京」「イヨマンテの夜」などの戦後の数々のヒット曲が、とりわけ心に残った。

ついでに言えば、この番組で多くの懐メロの名曲を記憶にとどめ、日本歌謡曲史の豊かな堆積の中に身を浸したことが、後に私が中島みゆきファンになる下地のひとつを作ったのではないか、という気がしないでもない。

 

――そのような次第で、『エール』は子どもの頃からの私の音楽的記憶――それは、趣味としてはかなりの少数派だったに違いないが――を蘇らせ、まずその意味で、大いに楽しみながら観ることのできるドラマになった。

が、ここまでの個人的な昔語りだけなら、必ずしもこのブログに書くべき内容ではない。このあたりから、本題に近づいていこう。

 

『エール』の3人の出演者

このドラマには、中島みゆきと何らかの接点のある出演者が3人いる。「思い出だけではつらすぎる」(2003)を提供された柴咲コウ、「未完成」(1987)を提供され、また「時代」をカバーした薬師丸ひろ子、そして主題歌「銀の龍の背に乗って」(2003)を提供したドラマ『Dr. コトー診療所』の主演、吉岡秀隆である。

この3人は、『エール』のストーリーの中で、それぞれに重要な役柄を演じた。

 

柴咲コウ演じるオペラ歌手・双浦環 [三浦環がモデル、以下[ ]内はモデル名] は、古山裕一 [古関裕而] (窪田正孝) の最初の大ヒット曲「船頭可愛や」を歌い、彼が作曲家として世に出るきっかけを作る。

コロンブス・レコードでは、環は西洋音楽(クラシック)専門の「青レーベル」、裕一は流行歌専門の「赤レーベル」に所属していた。したがってこの企画は、2つのレーベルの境界、つまり西洋音楽と流行歌との境界を超えることを意味し、経営陣や西洋音楽界の重鎮・小山田耕三 [山田耕筰] (志村けん) の強い抵抗を受ける。

その抵抗を押し切って発売された「船頭可愛や」の大ヒットに、もともと西洋音楽の作曲家を志し、小山田を尊敬し私淑していた裕一は、自らの音楽的アイデンティティを初めて承認される思いだったのではないだろうか。

 

薬師丸ひろ子演じる関内光子――裕一の妻・音 [古関金子] (二階堂ふみ) の母――は、1945年6月の豊橋空襲で、経営していた馬具店と家を失い、一面の瓦礫と化した焼け野原で、讃美歌「うるわしの白百合」を3分間にもわたってアカペラで――あの透明な声で――切々と歌う。

うるわしの白百合 ささやきぬ昔を
百合の花 百合の花 ささやきぬ昔を

このリフレインに呼応するかのように、彼女は家族と共にした遠い日々を回想する――戦火はすべてを焼き尽くしたかに見えても、記憶は決して焼き尽くされることはない。この歌声は、むしろ戦争という破壊への限りない抵抗のように聴こえた。

『エール』のキリスト教考証を担当した西原廉太氏によれば、この選曲と演出は彼女自身のアイディアだったとのことであり、この場面に、「『死』から『復活』へという、神学的なメッセージ」を読み取っている。

 

吉岡秀隆演じる医師・永田武 [永井隆] は、自らの被爆体験と被爆者の救護を綴った随筆『長崎の鐘』の著者であり、同書をモチーフとした歌の作曲のため長崎を訪れた裕一と出会う。この場面について、吉岡はインタビューの中で次のように語っている。

自分の歌がきっかけで死んでいった人たちのために「長崎の鐘」を作りたい――。そう話す裕一に、「贖罪(しょくざい)ですか」「長崎の鐘をあなたご自身のために作ってほしくはなか」と返すのが印象的でした。

自らの音楽を通じて戦争協力をおこなったことへの裕一の苦悩――それはこのドラマの最も重要な核心であり、また、史実との関係も含めて、さまざまな角度から議論を呼ぶ点でもあろう。

ただ、「戦う人を音楽で応援したい」――その思いが純粋であればあるほど、それはむしろ、個人の心情を超えた国家の巨大な力学へと動員されてゆく――その矛盾の解き難さと酷烈さこそを、吉岡の台詞は鋭く指摘していたのではないか、とも思う。

 

「人を殺す道具」と「幸せにする翼」

――裕一を苦しめるこの矛盾は、戦時中の次の場面で、すでにはっきりと予示されていた。

裕一のかつての弟子、田ノ上五郎 (岡部大) は、作曲家としては芽が出ず、音の妹・梅 (森七菜) の婚約者として、馬具店の跡継ぎとなるべく、馬具職人の修行をしていた。その五郎が梅との結婚の報告のため、二人で久々に裕一を訪れる。彼は、馬具が陸軍に納入され、戦争に用いられることについての悩みを語る (この場面の台詞の引用は記憶に頼っているので、必ずしも正確ではない)

「馬具は人を殺す道具じゃない、人や馬の命を守るものだ」

裕一はこう応えるが、五郎は更に、

「先生には戦争に協力する歌ではなく、人を幸せにする歌を作ってほしいんです」

と、それまで抑えていた思いを遂に吐露する。戦争に動員された人びとが無駄に死んでいく、と言う五郎に対し、

「命を無駄と言うな!」

と裕一は激昂するが、それは彼自身が心の奥に抑え込んでいた自責の爆発でもあったのだろう。ふだんの温和な裕一しか知らない梅は、伏し目がちに「裕一さんの大声、初めて聞いた」とつぶやく。

 

――この一連の場面から、中島みゆきファンとしてはっきりと連想させられたのは、夜会『橋の下のアルカディア』の終盤で歌われる「国捨て」、とりわけ次のフレーズだった。

私の願いは空を飛び 人を殺す道具ではなく
私の願いは空を飛び 幸せにする翼だった

「脱走兵」高橋一曜の叶えられなかったこの願いは、三世代を超えた「緑の手紙」によって孫・九曜 (石田匠) たちに伝えられ、「二度と生贄にならぬよう」彼らを絶体絶命の危機から救済する。

『橋の下のアルカディア』のあのラストシーンは、過去の「戦争の記憶」を現在に、そして未来へと継承していくことの意味は何か、という問いに対する、中島みゆきなりのひとつの解答であった、と思う。

 

アルバム『ここにいるよ』

12月2日にリリースされた中島みゆきの2枚組セレクトアルバム『ここにいるよ』は、奇しくも、1枚目が「エール盤」、2枚目が「寄り添い盤」と名付けられている。

この名称は、いわゆる「企画もの」としての狙いも感じさせ、中島みゆき自身の意志がどの程度反映されているのかはよくわからない。

が、この2枚の選曲そのものには、彼女の意志の存在が明確に感じられる。たとえば、「エール盤」に収められた「ひまわり“SUNWARD”」と「空がある限り」は、いずれも洋の東西を隔てつつも、戦争の傷とそこからの回復を歌う歌として印象深い。

そして、ある意味ではそれらの選曲以上に強烈な意志を放射しているのが、初回特典版の付録DVDに収められた「Nobody Is Right」(『中島みゆき TOUR 2010』より) である。

争う人は正しさを説く 正しさゆえの戦争を説く

アルバムでは「争いを説く」と歌われていた歌詞の一部を、このコンサートでは「戦争」という、より直接的な言葉に変更させた思い――それは10年という時を経た現在、中島みゆきにとって、より強く差し迫ったものとなっているということなのだろうか。

かつて1987年3月、『中島みゆきのオールナイトニッポン』最終回で彼女がリスナーに語り掛けたこのメッセージも、いま新たな意味を帯びてよみがえってくる。

あなたの望んでいる通りになってとは祈れないけれども
あなたにとって一番幸せな方へ行くように祈っています

さまざまな困難と闘う一人ひとりに「エール」を送ること――それは決して、一人ひとりの「正しさ」を鼓舞することではない。そのような鼓舞は、やがて「正しさゆえの戦争」へ、古山裕一が経験したような果てしない苦悩へと、人びとを追いやるだろう。

「エール」は、一人ひとりの思いを「幸せにする翼」に載せ、そしてその翼をより高く遙かにはばたかせるためにこそ送られるのだ。


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