『明日を撃て!』ツアーの記憶――30年の時の往還

201405240722

中島みゆきの1984年のコンサートツアー『明日を撃て!』は、その前年の『蕗く季節に』ツアーにつづいて、私が観た2度目の中島みゆきのコンサートである。それから今年でちょうど30年の時が経つわけだが、いまだにこのツアーは、私にとって最も印象深いライブ経験のひとつでありつづけている。

最近、このツアーのことを改めて懐かしく振り返る機会があり、その際に思い出したことや、新たに考えたことを、この記事にまとめておきたいと思う――とはいえ、なにぶん30年前の (学生時代の) 古い記憶に頼らざるをえないので、不正確な記述が含まれている可能性があることは、ご容赦願いたい。

 

私が観たのは、このツアーの4公演目、3月14日(水)の和歌山県民文化会館での公演である。席は2階のほぼセンター、ステージを真正面から見下ろす位置にあり、全体を見渡しやすい良席だった。

このツアーで何よりも鮮烈な印象を残したのは、そのオープニングである。

スタンドマイクの置かれた中心部の周囲に、ミュージシャンが演奏するための雛壇を兼ねた白い氷山のようなセットが積み上げられた、白一色で構成されたシンプルなステージ。

風が吹き抜ける音のようなSEの中、舞台奥の階段から、白っぽいドレスを身にまとった中島みゆきが静かにゆっくりと降りてくる。マイクのそばに置かれたアコースティックギターを抱えると、こんなイントロをリズミカルに奏で始める――

Gコードのアルペジオを変型した、シンプルではあるがとても印象的な音形。これを4小節反復したのち、弾き語りが始まる――

 僕は青い鳥
 今夜も誰か捕まえに来るよ 銀の籠を持ち

この年、1984年の秋にリリースされるアルバム『はじめまして』の冒頭に収められることになる「僕は青い鳥」――しかしこの時点では、それはまだ私にとって未知の曲だった。

「新曲」を今まさに耳にしつつあるという心の震え、メジャーとマイナーとを行き来する変則的なコード進行、そしてどこまでも真っ直ぐに透明に伸びてゆく中島みゆきの歌声――それらがないまぜになって、私の心は、「自分」という「青い鳥」を追いかけてさまよう幻想世界の中に、一気に引き込まれていった。

かなり後になって、「僕は青い鳥」の初演はこのツアーではなく、さらに5年をさかのぼる1979年秋のツアーで演奏されていたことを知った。彼女の最初期の曲の中には、アルバムやシングルに収録される前に (アマチュア時代も含めて) ライブで初演された曲が多いが、この曲は、そうした例としてはおそらく最も遅いものだろう――もちろん、後の「夜会」オリジナル曲はまた別として。

 

続く「悪女」「泣きたい夜に」では、以前から中島みゆきをライブやレコーディングでサポートしてきた吉川忠英がギター/マンドリンで加わり、心地よいアコースティックな響きとともに、懐かしさに満ちた歌の中に浸らせてくれる。

一転して、4曲目「友情」以降は、ドラム、ベース、エレクトリック・ギター、キーボードを含めたフル編成のバックが、彼女の歌を力強く支えてゆく――この流れはまさに、初期のフォーク色を脱し、いわゆる「御乱心時代」を経て、サウンドへの志向を強めていく中島みゆき自身の歩みを象徴しているかのようだ。

 

セットリストの中盤では、(松坂慶子、古手川祐子への) 提供曲「海と宝石」「煙草」、自らのシングル曲「悲しみに」「あの娘」「おもいで河」「ひとり」といった、どちらかといえば地味な曲目が並ぶ。しかし、これらの1曲1曲それぞれに秘められた多彩なミクロコスモスの色彩感と情感の移ろいの魅力に、それらを通してライブで聴くことで、私は初めて気づかされたような気がする。

とりわけ14曲目、当時の新曲「ひとり」――後にアルバム『はじめまして』に収録されたバージョンではなく、シングルと同じ3連バラードのゆったりしたリズムに乗って歌われる、情感に満ちた歌。

ねぇ 歳をとったら もう一度会ってよね
今は心が まだ子供すぎます
謝ることさえも できぬほど

――この曲の中でもとりわけ印象的な、自らの生の時間の遠い先までを見はるかそうとするこのフレーズは、実際に「歳をとって」しまった現在の私の視点から振り返ると、さらに新たに胸に迫ってくるものがある。

 

さて、「友情」からスタートしたサウンド志向への歩みは、15曲目「カム・フラージュ」で、さらにステップアップする。

中島みゆきは、このツアーのチケットの写真でも予告されていた黒い革ジャンの衣装を身にまとい、自らクリスタルのエレクトリック・ギターを抱えて登場する。曲のアレンジは、後にアルバム『御色なおし』に収録されたリメイク版とは違い、柏原芳恵への提供バージョンと同じく3連リズムのロック。

この曲のサビで盛り上がるところで、ステージにいくつものカップ麺が投げ込まれていた情景を鮮明に思い出す――現今のライブではちょっと考えられないことだが、当時、「オールナイト・ニッポン」で中島みゆき自身がファンに催促(?)したために、この時期のライブではカップ麺などが飛び交う光景が常態化していたことは、当時からのファンにとっては懐かしい記憶だろう。

こうした祝祭的ともカオス的とも形容しがたい、ステージと客席が一体となった盛り上がり方もまた、この年に始まる「御乱心時代」を象徴する風景だったというべきだろうか。

 

続く16曲目「ばいばいどくおぶざべい」――自らの分身ともいうべきギターを弾く左手の力を奪われるロックシンガーの悲痛は、繰り返し重苦しく踏みしめられるレゲエのリズムとともに、いつまでも名残惜しげに歌われる――「幕を引かないでくれ 明かりを消さないでくれ」と。中島みゆき自身が刻むエレクトリック・ギターのリズムが、その悲しみに呼応する。

 

17曲目「傾斜」では、さらなる驚きが待っていた。2番の歌詞の後半――

炊ぎの煙が昇っていますね
そこで誰かが たぶん幸せなのですね
どこまで行くのか忘れてしまって
登り坂を探し 彼女はただ登る

アルバム『寒水魚』には収録されていない――このツアーでのみ歌われた――この歌詞を耳にした瞬間、反射的に私は『古事記』『日本書紀』にある仁徳天皇の「民の竈」の逸話を連想した。記紀では聖帝伝説の一場面として語られる、庶民の「炊ぎの煙」が立ち上るのを見て帝が安堵したという情景が、ここでは、老女が自らの孤独な生と対照させる、見知らぬ人々の日常的な幸福の象徴として読み替えられているのだ。

中島みゆきが国文学科の出身であることを知識としては知っていても、それまで実際に歌詞の中に古典からの明示的な引用がなされることがまだなかった当時としては、この歌詞は大きな衝撃だった――が、今にして思えばそれは、後に「夜会」で展開される記紀あるいは万葉のモチーフへの伏線だったのかもしれない。

 

ラスト、18曲目は「夜曲」。月光のような青い照明のもと――このツアーのパンフレットで自らを「『夜曲』に賭ける男」と称している――松田幸一が奏でる透明なハーモニカの響きと呼びかけあうかのように、いつまでも、どこまでも夜の風景の中を静かに流れ、広がってゆく歌声。

遥かな時の流れを経ても変わることのない想いを歌うこの曲を、私はこの後、2つのライブ――1993年の夜会VOL.5『花の色は……』と、2010~11年のコンサートツアーで――聴いたが、そのたびごとに、積み重ねられた時間の分だけさらに深まった想いが、私の中には響いた。

 

このコンサートは「夜曲」の静かで深い余韻とともに幕を閉じ、アンコールはなかった。

そのことも含めて、『明日を撃て!』は、それまでのコンサートツアーの「お約束」を、いくつかの点で打ち破っている。とりわけ、前年までのツアーのように、新作アルバムの紹介を中心としたセットリストを組んでいないことが重要だろう。上で書いたように、アルバム『はじめまして』がリリースされるのは、このツアーが千秋楽を迎えた4ヶ月後、10月24日のことである。

さらに、未発表曲「僕は青い鳥」をあえてオープニングに持ってきたことや、上述の「傾斜」の新歌詞なども考え合わせると、このツアーで中島みゆきは、自らが本当に「やりたいこと」をやり始めたのだ、ということに気づかされる。

このツアーの43本という公演数は、これまでのところ、コンサートツアー、「夜会」を通じて最大の記録である。この数字にも、このツアーに賭けた中島みゆきの意気込みが反映されているとみるべきだろう。

この年、1984年の秋には、東京・大阪限定のスペシャルコンサート「月光の宴」が、翌年・翌々年の秋には、やはり東京・国技館での「歌暦」が開催される。こうした実験的なライブへの傾斜の深まりは、やがて1989年にスタートする「夜会」へとつながってゆくことになる。

30年前のこのツアーで中島みゆきが撃とうとした「明日」という時間の中に、2014年の中島みゆき自身も、あの時客席にいた私たちも、ともに生きている。そして、その「明日」への射線は、今日からまた次の「明日」へと、さらに遥かにつながっているのだ――

【曲目】

  1. 僕は青い鳥
  2. 悪女
  3. 泣きたい夜に
  4. 友情
  5. 悲しみに
  6. 海と宝石
  7. 煙草
  8. 海よ
  9. 朝焼け
  10. あの娘
  11. タクシードライバー
  12. 捨てるほどの愛でいいから
  13. おもいで河
  14. ひとり
  15. カム・フラージュ
  16. ばいばいどくおぶざべい
  17. 傾斜
  18. 夜曲

【ミュージシャン】

  • 渡嘉敷祐一 (Drums)
  • 岡澤章 (Bass)
  • 吉川忠英 (A.Guitar, F.Mandolin)
  • 作山功二 (E.Guitar)
  • 倉田信雄 (Keyboards)
  • 松田幸一 (Harmonica)
  • 杉本和世 (Chorus)
  • 勅使川原由美 (Chorus)
  • 鈴木智佳 (Chorus)

「『明日を撃て!』ツアーの記憶――30年の時の往還」への3件のフィードバック

  1. なんと、私の席は2階み列19番となっています。(なつかしくなって探しました)私の後ろの列の席にいたんですね。
    3回目のコンサートとノートに記しています。(ちなみに1回目が1979年9月26日、2回目が1981年6月3日と記録しています。)
    残念ながら感想ではなく詩を綴っているので明確には思い出せません。メモした楽曲は「泣きたい夜に」が抜けていました。
    印象に残った曲としてオープニングのタイトル不明曲(「青い鳥」)「あの娘」「カモフラージュ」と記しています。
    もっといろいろ書いておけばよかったのにと、後悔しています。

  2. ナミナミさん、コメントありがとうございます。
    2階み列19番というと、座席表で見ると出入り口の真上で、前に障害物がなくて観やすい席だったのではないでしょうか。
    http://www.wacaf.or.jp/download/pdf/wpch_bhall_seat.pdf
    歌暦ネットなどで知り合いになる前に、けっこうみゆきファン同士、ライブ会場でニアミスしているケースがあったのを思い出しました。(^^;)
    1979年9月26日というと、1979年秋のツアーの初日で、まさに「僕は青い鳥」が初演された(と思われる)公演ですね。その時ことは記憶しておられないでしょうか?

  3. そうですね、みんなどこかの会場でいっしょにみゆきさんを聞いていたんですね。感慨深いです。
    さて、問い合わせの件、感想や記録を記したノートは1984年からとなっています。チケットの保管は『明日を撃て』からしか残っていません。
    わかっているのは、日付と誰と行ったかと印象に残った曲だけです。
    印象に残った曲は「雨が空を捨てる日は」と書いています。
    このコンサートで記憶していることと言えば、「雨が空を捨てる日は」の歌詞に衝撃を受けたことです。
    きちんと記録しておかないと日々の記憶は薄れていくばかり、です。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です