前の記事に引きつづき、もう少し鉄道がらみの話題を。
JR東日本が、その名も「ふるさと行きの乗車券」という、東北・信越方面への帰省向けの割引切符を発売している。同社のサイトで、中島みゆきの「ホームにて」が流れるラジオCM (Ch.4のボタン) を聴くことができる。
関西人である私にはそれを購入・使用する機会はまずないのだが、昨年、その存在を mixi の知人から教えてもらった。
この切符の商品名は、この曲の2番の最後の、
ネオンライトでは 燃やせない
ふるさと行きの乗車券
というフレーズから取られている (この2行は、エンディングでさらに2回も繰り返される) 。
長距離列車が発着する大都市の駅のホームは、これまで数え切れないほどの歌や映画や小説のなかで、「望郷」の物語の舞台装置として用いられてきた。
しかし、中島みゆきの「ホームにて」ほど、望郷という感情が、パターン化された記号を超えて、これ以上ありえないほど痛切かつ透明に、人間にとっての普遍的で根源的な郷愁として昇華されるまでに至った作品を私は知らない。
「ホームにて」の郷愁については、ずっと以前に活字媒体の同人誌に書いた 「異国から EAST ASIA へ――中島みゆきにおける「故郷」の変容――」という記事でも少し触れたことがある。また、都市を象徴する「ネオンライト」の意味については、「灯りが意味するもの」という記事で少し考察した。
鉄道がかきたてる郷愁のイメージという点では、上記のフレーズよりも前、一番の後段と二番の冒頭に繰り返される次のフレーズも、とても印象的で痛切だ。
振り向けば 空色の汽車は
いま ドアが閉まりかけて
灯りともる 窓の中では 帰りびとが 笑う
どうせなら切符だけでなく、「空色の汽車」という愛称で、(後述の青色の客車を用いた) 帰省用臨時列車でも運転してもらえれば、などと勝手な願望をJRに対して抱かないでもない。
この曲を始めて聴いたときから、「空色の汽車」という言葉で私がもっぱらイメージしてきたのは、青色に塗装された客車列車である。
ここでいう「客車」とは、電車やディーゼルカーとは異なり、自らは動力を持たず、もっぱら機関車によって牽引される旅客用車両のことだ。
客車列車といえば、近年、「ブルートレイン」と呼ばれる寝台列車の度重なる廃止が、それらへの鉄道ファンのノスタルジアとも絡めて何度もニュースに取り上げられたことが記憶に新しい。しかし、青色の客車は必ずしも寝台車だけではなく、旧国鉄の12系客車や14系客車など、座席車もかつては多く存在し、急行あるいは特急列車として、日本の各地を結んでいたのだ。
「灯りともる窓の中では 帰りびとが笑う」というシチュエーションにぴったりくるのは――これは多分に私の主観が入っているだろうが――寝台車よりもむしろ座席車のほうである。さらにいえば、かつての急行型、乗客が向かい合わせに座る、ボックスシートの12系客車が最もふさわしい。
また、やや蛇足ながら、ここでいう「汽車」は、必ずしも蒸気機関車 (SL) が牽引する列車を意味するわけではない。
この曲を収録したアルバム「あ・り・が・と・う」がリリースされた1977年にはすでに、SL牽引の定期列車は、日本の鉄道からは完全に姿を消していた。ちなみに、SL旅客定期列車のラストランは、1975年12月14日、C57が牽引し、北海道・室蘭本線を走った列車だということである (『鉄道ファン』2001年7月号による) 。1975年は、奇しくも、中島みゆきのデビューの年である。
しかし「汽車」という言葉は、SLが郷愁の対象となった後も、長距離の旅客列車を一般に意味する言葉として――おそらく中島みゆきも含めて――一定の年代以上のひとびとのあいだで長く用いられてきたものと思われる。ちなみに、「汽車」という言葉は「ホームにて」以外にも、「踊り明かそう」「03時」「さよならの鐘」など、中島みゆきの初期の作品にしばしば登場する。
いずれにせよ、「空色の汽車」のイメージの中心が、機関車ではなく、「窓の中では 帰りびとが笑う」客車のほうにあるのは間違いないだろう。
少々細かい話になってしまった。「ホームにて」の内容に話を戻そう。
「空色の汽車」と、「空色の切符」。
なぜ、 汽車の色も切符の色も――「青色」とか「ブルー」とかではなく――「空色」なのか。
それは、その色こそは、いまこの曲の主人公が暮らす都会の上から、鉄路の彼方の――しかし、そこに辿りつくことの叶わない――「ふるさと」の上へと遥かにつづいているはずの「空」の色だから、なのではないだろうか。
だから、都会と「ふるさと」とを結ぶ汽車と切符とは、やはり都会と「ふるさと」とをつなぐ遠い架け橋としての「空」の色でなければならなかったのではないだろうか。
中島みゆき自身が弾くこの曲のイントロ、アコースティックギターのアルペジオで、1弦の高音と6弦の低音とが2オクターブを隔てたまま平行して、G→F#→E (実音では B♭→A→G) と下降していくのが、初めて聴いたときから、とても印象的だった。
私自身、かつて中島みゆきの曲を弾きたくてアコースティックギターに手を出した頃、このイントロを何度も弾こうとして、なかなかきれいなハーモニーを出せずに苦労したことを懐かしく思い出す。
2オクターブを隔てて響きあう1弦の高音と6弦の低音は、「ふるさと」に向かって遥かな高みに広がる空と、「ふるさと」へとつながるレールが敷かれた地上とを、それぞれ象徴していたようにも思う。
空とレールとが出会う地平線――さらにその彼方に、「ふるさと」はあるのだ。
少し長くなってしまったので、この記事は(2)に続けることにしたい。
JUNさん、おはようございます
「空色の汽車」ですが、
当初特急おおぞらのイメージや、北海道の大地・空のイメージから
とてもブルトレの青色とは思っていなかった。
札幌すすきのの居酒屋で、お客さんから
夜行鈍行「からまつ」(札幌~帯広~釧路)のことを教えてもらった。
http://www.karamatsu-train.co.jp/kiroku/kiroku.htm
ご存じのことかと思いますが、あしあとのつもりです。
めんとれさん、コメントありがとうございます。
たしかに、「空色」という言葉の一般的なイメージは、ブルトレの深い青色からはかなり離れてますよね。
にもかかわらず、私が初めて「ホームにて」を聴いたときに、あの青色の客車を鮮明にイメージしたのは、やはり「夜行列車=青色の客車」という連想が、当時(1980年頃)の状況としてはごく自然だったからではないかと思います。
それも寝台特急だけではなく、座席車中心の夜行急行、それにお書きの「からまつ」のような夜行鈍行も、当時はまだまだ全国を走っていました。
もう少し熱心な「鉄ちゃん」であれば、その頃、いろんな夜行列車に「乗りテツ」しに行っていたところなのでしょうが…
初めまして、世の中にはNHK紅白に抗議のデモをする奇特な人たちがいるのですが、その抗議集会を主催する社長が会場で流した曲で初めて聞きました。ようつべで聞きなおし詩を読んで、喜び勇んで都会に出て来たものの、なかなか世の中思うように行かないって歌っているように聞こえました。ただ、白い煙と言うのは夢や希望を表しているのでしょうか?まぁそんなこともわからない未熟者の自分なんですけどね、まだこの頃の歌はメッセージがあったような気がします。遠い昔の事になりました。
gbcさん、コメントありがとうございます。
未来への夢を抱いて出てきた都会での生活。しかしそれが思うようには行かず、捨ててきたはずのふるさとへの思いにさいなまれる――というのが、この歌の基本的なストーリーではあると思います。
ただ、単純に「ふるさと」を賛美し、都会を否定するのではなく、望郷の念を深く胸に抱きながらも、都会で暮らして行こうとする意志を諦めないという矛盾した思いが、「ホームにて」には表現されています。
「空色のキップ」とともに掌に残る「白い煙」というのは、そういう意味で、決して実現はされないけれども、やはり捨てられないふるさとへの思いの象徴だったのではないでしょうか。
どうも、おっしゃるように「空色のキップ」と同様、時を経るにつれに人生の岐路を悩ましいものにさせるようなものだとしたら望郷の念なのかも知れませんね。人生の途上にある若者ゆえのある意味贅沢な苦悩なのかも知れません。この歌の作者にもそんな時期があったのでしょうか?たぶんそんなものは蹴散らしてしまえたから今のみゆきさんがあるのでしょう。
「ホームにて」の内容は、北海道から東京に出てきたみゆきさん自身のかつての経験を、おそらくある程度は反映しているのでしょう。
ただ、この曲がもつ「懐かしさ」は、そうした個人的経験を越えて、もっと普遍化・抽象化されたもの――決して帰ることのできない「過去」に対して、人間が抱く根源的な郷愁とでもいうべきもの――であるような気が、私はしています。
どうも毎回丁寧なレス有り難うございました。詩を深く理解することが出来てたいへん感謝しています。
どうも、此処に書き込んでから早や半年以上経ってしまいました。ふとまた、この曲を思い出したのですが、空想を膨らませるとこの曲は今の日本人を表しているとさえ思えてきます。欧米の豊かな生活に憧れて、齷齪働いて来たが、たどり着いたら、夢見てきたものとは違っていた。でも、もう帰るべき原点(ふるさと)も失ってしまった日本人。そんな気がします。戯言かな、あまり、中島みゆきさんの歌は詳しくないのですが、時代的なものもあるかもしれませんが、こじ付けと言うか理屈っぽい詩が時々ありますね。
gbcさん、コメントありがとうございます。
(レスポンスが遅くなってすみません。)
「ホームにて」の郷愁の中には、たしかに、戦後日本が高度成長の夢を追い求める中で、置き去りにしてきた過去へのまなざしも、含まれているような気がしますね。
この曲を含むアルバム『あ・り・が・と・う』のリリースが1977年、みゆきさんのデビューはその2年前の1975年――
日本の高度経済成長が、1973年の第一次オイルショックで大きな転換点を迎え、多くの日本人がふと我に返り、過去を振り返り始めた時代に、彼女が登場し、(「時代」や「ホームにて」などで) "故郷" を歌ったのも、偶然ではないような気もします。
ただ、彼女の歌う "故郷" が、(一部のフォーク系シンガーソングライターの作品で見られるような) いわゆる「古き良き日本」のイメージとは明らかに一線を画し、遥かに高度に洗練され抽象化されたものになっていることは、重要なポイントであるとも思います。だからこそ、「ホームにて」の郷愁は、21世紀の現在も、その普遍性を失わないのかもしれません。
度々のご丁寧なレスどうもありがとうございました。
この時代の地方の若者が都会に出てきて一生懸命努力して辛い日々に故郷を想ったことは想像に難くありません。私も同じ時代に生まれました。
それでも何とかそれぞれ小さな幸せを得た人たちが多かったのではないのでしょうか。
現在の若い人はどうなのでしょうか。故郷も暖かくはなく、都会の仕合わせを得るには余りにもお金が掛かる時代です。
文明の利器は人を幸せにするのでしょうか。
tanaka hanakoさん、コメントありがとうございます。
(上の方で、gbcさんのコメントへのレスポンスでも書きましたように)
「ホームにて」に歌われている郷愁は、戦後日本の高度成長とそれにつづく時代、
多くの若者が夢を求めて、地方から都会へと出てきた時代を背景としているように思います。
(「「灯り」が意味するもの」という記事でも書いたように)
都会の夜にまたたく「ネオンライト」は、未来の夢の象徴だったのでしょう。
たしかに現代、都市は必ずしも未来の夢を約束する場所ではなく、
また故郷も、帰るべき安らぎの地ではなくなっているのかもしれません。
それでも「ホームにて」が聴かれつづけているのは、そうした時代だからこそ、
多くの人びとが、未来への「見果てぬ夢」と、懐かしい過去の「あどけない夢」とを
(「ヘッドライト・テールライト」の歌詞のように) 必要としているからなのかもしれません。
ふるさと行きの切符があるのに帰れない事情がある。ネオンライトという以上、夜の商売。
切符は買うけど帰れない何月を重ねる。
そこにある100円ライターを使えば燃やすことはできる。
でも、故郷を想う証を燃やすことができない。
ネオンライトはそこにある。ネオンライトが故郷行きの切符を燃やすことはない。
使うか燃やすかは本人の意志…
如水さん
コメントありがとうございました。気づくのがすっかり遅くなり、たいへん失礼しました。
「ネオンライト」という言葉には、たしかに夜の街、夜の商売という含みもありそうですね。『かなしみ笑い』の、「酒と踊りと歌を覚えて 暗く輝く街へ出かけよう」という一節をも連想しました。
しかし、「そこで覚えた暮らしがいつか 生まれながらに思えて」きたとしても、故郷への思いは消えることはないのでしょうね。
この記事も、なぜか最近スパムコメントが多いので、コメント欄を閉鎖します。
「ホームにて」に関するコメントは、次の記事「 「ホームにて」あれこれ (2)」にお願いいたします。
https://soiree.belle-neige.net/music/257