今年に入ってから俄かに身辺が慌しくなり、夜会「2/2」大阪公演以降、3ヶ月もの間、ブログの更新をさぼってしまった。
この間、5月14日からは「歌旅」劇場版の上映があり、また5月21日は――中島みゆきと直接関係はないが、夜会VOL.4のタイトルと内容を思い出させずにはおこない――金環蝕という壮大な天体ショーがあり、ブログのテーマにはことかかなかったはずなのだが、いずれも書きそびれてしまった――「歌旅」劇場版は、一部の劇場で上映期間が延長されたので、時間があれば観に行こうとは思っているのだが。
さらに5月末日には、今秋からスタートする2年ぶりのコンサートツアー「縁会2012~3」の公演日程発表という、大きなニュースが飛び込んできた。
だが、直接に中島みゆきについて書く前に、まず今の私の心にかかっているのは、最近相次いで世を去った、いずれもクラシック音楽に関わる二人の人物のことである。
――ドイツのバリトン歌手、ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ、2012年5月18日没、享年86歳。
――日本の音楽評論家、吉田秀和、2012年5月22日没、享年98歳。
これまで、このブログでクラシック音楽について書くことはほとんどなかったが、この二人は、私が若い頃から魅かれつづけてきた――中島みゆきも含めた――「音楽」という広大な世界の中で、とりわけ中心的な場所にいつづけてきた人たちである。
というよりも、若い頃にフィッシャー=ディースカウの ――シューベルトの歌曲をはじめとする――歌に魅きつけられたこと、また吉田秀和氏の文章に親しんだことは、私にとっての「音楽」全体への関わり方を通じて、おそらくは私の中島みゆきへの魅かれかた、彼女の歌の聴きかたにも、どこか深い部分で影響を及ぼしたに違いない、と思っている。
その「影響」の内容について、具体的に表現するのはなかなか難しい――というよりも、今この記事を書こうとしてはじめて、私の中にはっきりとある、その「影響」の存在に気づいたというのが正直なところだ。
だがこの機会に、この二人についての記憶を辿ることを通じて、せめてその「影響」の内容の一部なりとも、この場を借りて――いわば私自身に対する備忘録として――いま言葉にできることを書きとどめておきたい、と思う。
フィッシャー=ディースカウのシューベルト
フィッシャー=ディースカウと吉田秀和といえば、私がまず思い出すのは、1966年にベルリン・ドイツ・オペラが来日公演をおこなった際、たまたま吉田氏がディースカウと同じタクシーに乗り合わせたときのことについて書かれた文章である (「シューベルト讃」、『一枚のレコード』中公文庫版所収、これは、私が学生時代、はじめて手に取った吉田氏の数冊の本の一冊だったと思う)。
タクシーのラジオから流れてきた、バックハウスの弾くベートーヴェンのピアノ協奏曲「皇帝」を聴きながら、ディースカウは吉田氏に、次のような意味のことを言う。
ベートーヴェンは、今もヨーロッパでもアメリカでも日本でも、世界中の人々に聴かれる。それはすばらしいことだ。だが、シューベルトの歌曲はそうではない。本場のドイツでさえ、聴衆はかつてほど熱心には歌曲に耳を傾けなくなった。
しかし、日本だけは例外だ。日本でシューベルトを歌うと、聴衆が本当に心の底から共感して聴いてくれていることがよくわかる。
だが、それはなぜなのだろう? 日本では古くから、短詩形のような一瞬の中に永遠を見る芸術が発展してきたというが、そのことと関係があるのだろうか?
吉田氏はこう応える――
――そうかもしれない。それに、日本人には、心情の深さと真実を歌った芸術に対して、特別の共感、敏感な理解を寄せる伝統がまだ生きているのかもしれない。
この短いけれども非常に印象的なエピソードを紹介したのち、吉田氏は、ディースカウの歌うシューベルトへの讃辞をつづる。
シューベルトの音楽がもつ、根本的にデモーニッシュなもの――「魔王」や「さすらい人」のように、時には悪魔的・暴力的なすさまじささえ帯びながら、「きくものの心の中に浸透してきて、それをすっかり音楽の中にひたしきってしまうような性格」――「にもかかわらず、青春の芸術のみがもつ優しさ、それから本当の充溢の静けさとでもいうべき稀有な瞬間」。
フィッシャー=ディースカウは、以上の全ての意味で、私には、完全に満足がゆく。……私がそれについて書くとか考えるとかでなくて、ただ〈音楽がききたいな〉と思う時、このレコードをひっぱりだしてきくことが、たびたびあるのも、このためである。
――この吉田氏の言葉に、私などが付け加えるべきことはほとんどない。ただ、あえて蛇足を覚悟で言えば――
「わが挨拶をおくらん」の遥かなものへの憧れ、「水面に歌う」の自然の悠久の美と己れの有限の生との鮮やかな対照、「ガニュメート」の超越的な存在の高みへの賛歌……
そしてもちろん、『美しき水車小屋の娘』『冬の旅』『白鳥の歌』の「3大歌曲集」での、愛とその喪失という、あまりにも普遍的なテーマ――中島みゆきもまた、繰り返し歌いつづけてきたテーマ――を通じての、人間の生の意味への容赦のない、徹底的な問いかけ。
およそ人間がその生の中で触れ、感じることのできる世界の「存在の奇跡」とでもいうべきもの、歓喜と慟哭、希望と絶望の両極への振幅に至る心の震えのすべてを、「歌」がこれほどまでも克明に、鮮やかに表現しうるということを、私はフィッシャー=ディースカウの歌うシューベルトによって知ったように思う。
西洋(ドイツ)と東洋(日本)、クラシックとポップス(フォーク)、男性と女性、そして――あえて一般に流布しているイメージでいえば――知的にコントロールされた歌唱と、感情のほとばしりのままの歌……
――こんなふうに対比してみると、フィッシャー=ディースカウと中島みゆきほど、対照的な性格をもった「歌手」もあまりいないような気がしてくる。
しかし、「歌」が「世界」の意味を開示しうるということ――単純に言ってしまえば、このことこそ、私がディースカウの歌うシューベルトと同様に、中島みゆきの歌に魅かれつづけてきた最も基本的な理由でもあったのだと、今にして気づいたように思う。
音楽について語ること
上記の『一枚のレコード』のような、いわゆる「名曲・名演」への紹介本を入口として、吉田氏の著作に親しむようになったというのは、おそらく私も含めて、多くの日本のクラシック音楽ファンが辿った道なのではないかと想像する。
そうした本の中では、『私の好きな曲』(現在はちくま文庫で再版)も、繰り返し読んだ本の一冊である。
この本でまず印象的だったのは、吉田氏が「私の好きな曲」として――これは『藝術新潮』に連載されたエッセイをまとめた本だが――、最初にいきなり二曲つづけて、ベートーヴェンの後期の作品――弦楽四重奏曲作品131、ピアノソナタ作品111――を取り上げ、その理由について、次のように弁明(?)されている箇所である。
「またベートーヴェン? そんなにベートーヴェンが好きなのか?」
自分でも意外なのである。バッハやモーツァルトをさしおいて、ベートーヴェンばかりあげるなどというのは、まったく予期しないことだった。……
「好きな音楽」というのと、「好きな音楽について書く」というのとは、少し違う。そうして、音楽について書くということになると、ベートーヴェンはどうしてもさけがたくなる。この自己主張の強い音楽は、聴き手のそれをも誘発しないではない。
――「好きな音楽を聴く」ことと、「好きな音楽について書く(語る)」こととの違い。
中島みゆきもまた、彼女について書く(語る)者の多さという点で――書かれた(語られた)内容の「質」の評価はまた別の問題として――、少なくとも日本のポピュラー音楽の世界では、際立った存在である ――このことについては、かなり以前に「愛の逆説と世界への眼差し」という同人誌の記事の中でも書いた。
私自身も――このようなブログを書いているからといって――いつも中島みゆきばかり聴いているわけではない。
ベートーヴェンと同じく(?)「自己主張の強い」彼女の歌は、気軽に日常のBGMとしては聴けない。聴くときにはそれなりの「覚悟」というか――やや大げさに言えば、非日常的な――緊張感が必要になる。私が、彼女の録音よりも、ライヴにこそ本領があると感じる理由も、そのこととも関係しているかもしれない。
しかしながら、中島みゆきの歌を――とりわけライヴで――いったん聴いたとなると、しばしば「聴く」ことだけでは自分の中でどうしても完結せず、それについて語らざるを(書かざるを)えなくなってしまう。このようなブログを書いている理由も、そこにある。
舞台と世界
最後に、比較的最近に読み、強く印象に残った吉田氏の文章について。
「音楽展望」(『朝日新聞』2009年1月24日付)で吉田氏は、20世紀の中頃、はじめてベルリンを訪れた際、ブレヒトの劇のリハーサルを見学に行ったときのことについて書いている。
赤子を背負い、戦場を逃げまどう女性(演じるのは、ブレヒト夫人として有名な女優)。彼女は、回り舞台の進行と逆方向に、汗みずくで気息奄々となりながら、歩きに歩きつづける。
明らかに場内の空気は変わっていた。そうして、この間ずっと黙りこくって舞台を見ていた私の目に霞がかかったようになり、やがて頬に涙が伝わってきた。彼女が可哀想というのではない。ただ、涙が出て止まらないのだ。
……
一つのシーンが舞台全体、つまり世界の意味を示す、時には変えてしまう。そうした例を、私はシェークスピアの芝居[《リア王》]でも知った。
……
人間の悪は底知れない。でも、その無明の世界にも、愛の赦しの光が差し、すべてを照らす瞬間があるのだ。
――舞台のシーンが「世界の意味を示す」というときの「世界」というのは、上記のシューベルトの歌曲が開示する「世界」とは、たぶん少し意味が違う。
歌曲が開示するのが、「個」が出会い、触れ合うもののすべてという意味での「世界」だとすれば、演劇的舞台が開示するのは――吉田氏が「人間の悪」という言葉で示唆しているように――複数の「個」がせめぎあう「社会」という意味での「世界」だ。
中島みゆきが、「夜会」という演劇的方法論を取り入れた舞台を、ライフワークとして20年以上もの長きにわたって上演しつづけているのも、後者の意味での「世界」について歌い、演じることが、おそらく彼女にとってのっぴきならない衝動でありつづけているからなのだと思う。
「一つのシーンが舞台全体、つまり世界の意味を示す、時には変えてしまう」
「無明の世界にも、愛の赦しの光が差し、すべてを照らす瞬間」
――それらを、私はこれまでいくたびも、「夜会」の舞台に接する中で体験してきた――そのうちのいくつかについては、このブログの中でもすでに書いた。
フィッシャー=ディースカウも吉田秀和も、すでにこの世にはいない。
――しかし彼らが遺した歌と言葉は、これからも変わることなく、「音楽」がどのように「世界」と関わりうるかについて、私に語りつづけてくれるに違いない。
久々の更新ですね、興味深く読みました。
私は、ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウも吉田秀和も全く知りませんでした。
新聞の死亡記事で知った次第です。
みゆきさんとの対比について書かれている点(例えば「愛とその喪失という、あまりにも普遍的なテーマ――中島みゆきもまた、繰り返し歌いつづけてきたテーマ――を通じての、人間の生の意味への容赦のない、徹底的な問いかけ。」)にたいへん感銘しました。そして、「愛の逆説と世界への眼差し」も拝見しました。(『MIYUKOLOGIE』第19号、1994年、読者でした。この号を持っているのか確認しなければ(笑))
みゆきさんの歌を聴いていると語らずにはいられない。
なんだかJUNさんに長い手紙を書いてしまいそうです。
しかしながら、オペラは興味ないですが、吉田秀和氏を知らなかったとは反省です。
ナミナミさん、コメントありがとうございます。
クラシック音楽というのは、ある意味、中島みゆき以上にコアな世界ですので(^^;)、少々近寄りがたいものはあるかもしれません。しかし、いったんはまってしまうと……という点も似ているかも。
愛を喪って雪の荒野をあてもなくさまよう青年を歌うシューベルトの歌曲集『冬の旅』は、とりわけみゆきさんの世界 (更にいうと『生きていてもいいですか』の後半) とも相通じるような気がして、若い頃には繰り返し聴きました。
ただ、(吉田秀和氏もそう言っているのですが) このすさまじい曲は、若いころはともかく、中年以降になってしまうといつ聴けばいいのか……なかなか最近はその覚悟が持てないでいます。
ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウの「さすらう若人の歌は」年に一回ぐらい聴いています。悲しい歌ですが、デスカウの悲しみに満ちてはいますが、やさしい歌声で安らぎを覚えています。
吉田秀和さんは、NHKFMの「名曲の楽しみ」を時々聴いてました。解説は多岐にわたり、いつも興味深いものでした。なくなられた後も録音が残されていたのでしょう、今も放送は続いています。でもJUNさんはご存知でしょうね。
みゆきさんの曲は聞き流しで聞いていても、疲れる曲があるので、安らぎを得たいときは曲目に注意ですね。
信一さん、コメントありがとうございます。
フィッシャー=ディースカウのマーラー「さすらう若人の歌」、とくにフルトヴェングラー指揮の伴奏で歌ったモノラル盤は、私にとっても若い頃からの「愛聴盤」のひとつです。
中でも、最後の曲「恋人の青い目」のさらにラスト、
と、(交響曲第1番第3楽章にも出てくる穏やかで美しいメロディで) 歌われるところでは、信一さんの言われる通り、悲しみの果てにようやく安らぎが訪れ、救われる思いがします。
吉田秀和氏のNHK-FMの番組、文章の印象とは少し違う、訥々とした語り口が印象的でしたね。
ちなみに、吉田氏がディースカウについて書いた文章を読み返していて、シューベルト「冬の旅」の1955年モノラル盤について、次のように書かれていたのがとても印象に残ったので、この場を借りてご紹介しておきます(『世界の演奏家』ちくま文庫、397-8頁)。