中島みゆきと地球

2012年が明けた。

正月と中島みゆきといえば、もう4半世紀も前のことになるが、1987年の『朝日新聞』新年版別冊「50億人の地球」の第1面に掲載された詩、「エデンの乳房」のことをいまだに思い出す。

1987年は、世界人口が50億人に達すると推計された年であり、「50億人の地球」という別冊タイトルも、この詩の内容も、そのことを踏まえている。

それから24年後の昨2011年には、世界人口の推計は70億人に達したが、この詩がもつインパクトは、現在でもますます強まりこそすれ、薄れることはない。

この詩の中でとりわけ印象的なのは、すべての生命を育んできた「この星」そのものが生命を終える時にまで思いを馳せようとする、末尾近くの次の一節である。

垂乳根(たらちね)の星よ
火の衣を失い 水の衣を失う日に
五十億の赤児たちは 愛情の糸を織りなし
最後の衣を着せかけうるだろうか

地球という星を、このような遥かな時空を見はるかす視点から、愛おしみつつ見詰めるまなざしを、中島みゆきは現在までずっともちつづけてきたように思う。

それは、以前の記事で書いたように、「時間」を愛おしむ視点とも、おそらくは一体のものであるに違いない。

最近の作品でいえば、「地球」という言葉が直接に出てくるわけではないが、上記のようなまなざしを最も強く感じさせたのは、 「真夜中の動物園」 (2010年のアルバムのタイトル曲) である。

「滅びた群れ」が走る陸、渡り鳥が飛ぶ空、そしてシロクマが泳ぐ流氷の海――それらすべての生命と環境とをつつみこむ「真夜中の動物園」とは、まさに「地球」のことなのではないか。

ただしそれは、現在の、あるいは現実の地球だけを意味するというわけでは必ずしもない。

(これも以前にTOUR2010千秋楽の記事で書いたように) それは、過去・現在・未来の悠久の時間の中で、この「地球」という世界に生を享けた――あるいは、生を享けるであろう――すべての有限の生命が、無限の生を得て、出逢いなおすことのできる、時空を超越した場所である。

真夜中の羊水に
動物園は浮いている
逢いたい相手に逢えるまで
逢えない相手に逢えるまで

この一節は、漆黒の宇宙空間の中に奇跡のように浮かぶ、青い水と生命の星をイメージさせずにはおかない。それは、自らの生命さえ有限でありながら、無限の生への希望を育みうる「羊水」を湛えた場所なのだ。

中島みゆきの地球へのまなざしは、歌詞などの作品内容だけではなく、ビジュアル面にもうかがうことができる。

最近では、アルバム『荒野より』のジャケットで、地球の模様をした球形のガラスの器――その中には球根が根を伸ばしている――に、愛おしそうにほほを寄せる中島みゆきの写真が話題になったことが、記憶に新しい。

また、2004年の夜会『24時着0時発』のパンフレットにあった、銀河鉄道から眼下遥かに見下ろす青い地球のイメージも、とても印象的だった。

201411050824

行き先表示のまばゆい灯りは
列車の中から 誰にも見えない

「無限軌道」のこの歌詞のように、私たち自身が暮らす地球の姿を、私たちのほとんどは、直接眼にすることができない――いつの日か、宇宙船に乗って肉眼で地球を見たいというのは、私の幼い頃からの夢のひとつだが、それが私の有限の生命の中で実現される日が来るかどうかは、いささか心もとない。

――しかし、宇宙の中の地球の姿を思い浮かべ、その行き先に思いを馳せることならば、誰にでもできるだろう。2012年が、私にとってもそのような思いを新たにする年になれば、と思う。


「中島みゆきと地球」への5件のフィードバック

  1. 寒中お見舞い申し上げます。
    「真夜中の動物園」そういった見方があったのですね。
    私は、最近のみゆきさんの作品についてはじっくりと聴いていなかった気がします。以前はもっとじっくり聞いていたはずなのに。反省。
    「エデンの乳房」覚えています。朝日新聞でしたか、当時は実家で他紙を購読していたのでリアルタイムで読んではいません。後にどこかで読んだと思います。インパクトのある素晴らしい詩ですよね。私が詩を書き続けてこれたのはみゆきさんの影響が大きいです。ではまた。

  2. ナミナミさん、コメントありがとうございます。
    「真夜中の動物園=「地球」という解釈は、他では見たことがなく、私のまったく主観的な解釈です。
    ただ、この曲全体の壮大で幻想的なイメージ、とくに「真夜中の羊水に…」という印象的な暗喩の意味が、そう解釈することで、少し具体的に見えてくるのではないかと思っています。
    「エデンの乳房」は、活字では対談集『片想い』(新潮文庫)の巻末近くに載ってますね。みゆきさんの世界観がよく表れた詩ですが、同時に、谷川俊太郎 (とくに初期の詩集『二十億光年の孤独』) の影響を濃厚に感じさせる作品でもあります。

  3. 『二十億光年の孤独』と言えば(或はネリリし キルルし ハララしているか)のフレーズが印象深いです。最後のー僕は思わずくしゃみをしたー
    も好きです。
    余談ですが「六十二のソネット」の 60 さながら風が木の葉をそよがすように を高校の授業でとりあげていて、先生が私の朗読を褒めてくれました
    。それから成人してからですが詩の仲間と和歌山に来た谷川俊太郎さんに会う機会がありました。向こうは覚えてないと思います。(笑)
    すみません、手前みそばっかりで。

  4. >詩の仲間と和歌山に来た谷川俊太郎さんに会う機会がありました。
    それは貴重な機会でしたね。講演会か何かでしょうか。
    『二十億光年の孤独』といえば、「透明な過去の駅で/遺失物係の前に立ったら…」という一節のある「かなしみ」は、おそらく夜会『24時着0時発』の「遺失物預り所」のモチーフになってますね。

  5. 講演会ではなく、メインは息子さんの音楽のイベントでした。そこで少し朗読されてたと思います。なつかしくなってCD探しました。しっかりサインもらっています。(出演者全員)98.7.16の日付入り
    「かなしみ」、私もそう思っていました。

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