2011年1月26日(水)、中島みゆきTOUR2010の千秋楽、神戸国際会館での公演を観た。
それから10日ほど経った今、まだその余韻を心に響かせながらも、祭りが終わった後の一抹の寂しさの中にいる。
私にとっては、2010年10月24日(日)、大阪新歌舞伎座での初日から約3ヶ月ぶりのコンサートだった。音楽的内容という点では、初日と基本的な違いはない――その意味では、3ヶ月前に書いたレビューに付け加えるべきことは、あまりないというべきかもしれない。
しかし、個々の音楽的内容云々よりも、ライブという時空に身を置くこと――中島みゆきと私たち聴き手とが、互いに生身の身体を持った存在として、束の間の同じ時間と空間とを共有すること――そのこと自体の意味を、今回の千秋楽ほど痛切に体感させられたコンサートは、いまだかつてなかったように思う。
それは個人的な条件としては、席の位置によるところも大きかったのかもしれない。
初日では3階2列目という、舞台の全体を俯瞰するには絶好の――しかし、中島みゆきの表情を見るにはオペラグラスが必須の――席だった。
それに対し楽日では、1階4列目ほぼ中央という、舞台間近の良席。
夜会では何度か最前列に近い席を経験したが、コンサートツアーをこんなに前方の――肉眼で中島みゆきの表情がありのままに見え、肉声が届くほどの――席で観るのは、私にとっては実に初めてのことだ。
そのせいもあってか、このコンサートから受けたインパクトは、なかなか言葉では言い表せない。個々の曲やMC、歌い方や演出がどうこうというよりも、中島みゆきの全身からほとばしり、客席の私に押し寄せてくる「力の波」のごときものに圧倒されつくした記憶ばかりが、今も私の身体の中にある。
そうしたわけで、このツアー楽日の「内容」については、実はあまり書くことがない、というのが正直なところだ。
ここではその代わりに、初日のレビューの補足をも兼ねて、コンサートという場所で中島みゆきと「出逢う」こと――ライブという非日常の時空を、彼女と私たち聴き手とが共有すること――そのこと自体の意味について、少しだけ考えをつづってみたい。
「真夜中の動物園」という舞台
まず、少々細かいことのようだが、初日のレビュー冒頭に記した舞台装置についての記述を訂正しなければならない。
第一幕で、舞台の上方と左右を、ペンキの剥げかけた白い枠が三重に取り囲んでいたのは、前に記したとおりだ。
しかし第二幕の緞帳が上がると、白い枠は二重に減っている。しかも内側の枠は第一幕よりもずっと小さく、舞台奥中央、遠近法の消失点にある出入り口――第二幕冒頭の「真夜中の動物園」で中島みゆきがそこから登場し、ラストの「時代」でそこから去ってゆく出入り口――の枠組を兼ねたものになっている。
この出入り口は、第一幕では――少なくとも私の席から見えた限りでは――存在せず、第二幕で初めて出現するのだ。
ツアーの途中で、このような舞台装置の基本的な構造が変更されたとは考えにくいので、これはおそらく、初日のときに私が、第一幕と第二幕との変化をうかつにも見逃し、両者を一緒くたにして、記憶を再構成してしまっていたということなのだろう。
それはともかく――
このペンキの剥げかけた白い枠については、中島みゆき自身がMCで、「忘れられかけた古い動物園」をイメージしたと語っていた。
さらに、第二幕冒頭の「真夜中の動物園」を歌い終えた直後の、「ようこそ、真夜中の動物園へ!」という台詞からしても、今回のツアーの舞台装置全体が意味するものは明らかだろう。
深夜24時の鐘とともに幕が開く「真夜中の動物園」とは――夜会「24時着0時発」のミラージュ・ホテルや廃墟堰、夜会「今晩屋」の縁切り寺や水底の水族館と同様に――この世の時空の外にあり、遥かな過去に別れたはずの者たち――「逢えない相手」――と、再び巡り逢うことのできる場所だ。
その相手がヒトなのかヒトでないのかは、本質的な違いではない――夜会「ウィンター・ガーデン」で中島みゆき自身が演じた犬が、GLASSHOUSEのかつての持ち主を、転生した後もずっと待ちつづけた愛人だったように。
そうした意味で、「真夜中の動物園」とは、この世界に、地球に、生を享けたすべての有限の生命が、無限の生を得て、出逢いなおすことのできる場所なのだ。
「私たちはお互いに生物 (なまもの) ですから」
そうだとすれば、本編ラストの2曲、「鷹の歌」と「時代」との間をつないだMCも、より重層的な意味をもった言葉として響いてくる。
今日はお会いできて、うれしゅうございました。
私たちはお互いに生物 (なまもの) ですから、明日のことはわかりません。
1歳の人も100歳の人も、明日またお会いできるかどうか、それは誰にもわかりません。
でも、だからこそ、今日のこのひと時、お会いできてうれしゅうございました。
私から、あなたの人生に、拍手を送らせてください――
舞台上の中島みゆきも、ミュージシャンたちも、舞台裏のスタッフたちも、そして客席にいる私たちも――すべて生身の身体をもった生物 (なまもの=せいぶつ) である以上、その生命はすべて、時間軸上の有限の長さの線分としてしか存在しえない。
その複数の線分が、このコンサートという束の間の時空の中でたまたま巡り合い、重なり合うことができたということ――中島みゆきから私たちへの拍手は、その奇跡への祝福のようにも聴こえた。
中島みゆきのこのような視点は、昔から基本的には変わっていない。
「同じ時代に生まれてくれて、ありがとう」――COCERT TOUR 2007のテーマとして彼女自身が語ったこのメッセージは、まだ記憶に新しいところだ。
さらに記憶を遡れば、今から30年近く前、1983年のツアー「蕗く季節に」でも、彼女はMCで次のように語っていたのを思い出す (このツアーが、私が初めて接した中島みゆきのライブだった) 。
どこから来ましたか?
どこへ行きますか?
明日はどうしてますか?
1年後は?
10年後は?
100年後は?
嘘つかないで、どこまで答えてくれますか?
……
誰も明日のことなんてあんたに教えてくれないし、
誰も明日のことなんて私に教えてくれない。
だから、あんたと私は、あいこなんです。
ただ、この時の、聴き手に対して真剣勝負を挑むかのような切迫感は、現在の中島みゆきにはない。
それに代わって、いまの聴き手へのメッセージは、限りない優しさと包容力に満ちている。
「蕗く季節に」の上記のMCに続いて歌われた「この世に二人だけ」は、ある意味で、「真夜中の動物園」と対極にある世界観を歌う歌だ。
二人だけこの世に残し、すべての生命が死に絶えた世界と、「滅びた群れ」たちも含めて、すべての生命が無限の生を得て出逢いなおすことのできる世界と――
TOUR2010の舞台を包んだ後者の世界観――それは、夜会「ウィンター・ガーデン」「24時着0時発」「今晩屋」の世界観でもあった。
だからこそ、本編ラストで歌われた二曲、生へのゆるぎないまなざしを歌う「鷹の歌」、そして転生への希望を歌う「時代」は、限りない力強さをもって響いたのだ。
「逢えない相手」たちとともに
思い返せば、現実のコンサートホールで互いに逢うことのできた――私自身も含めた――人々の背後には、もはや逢おうにも逢えない人々がいる。
今から20年前、私にとって初めての夜会、1990年11月の公演を、私の隣で観た仲間。
そしてつい最近、夜会VOL.16「~夜物語~本家・今晩屋」、2009年11月の公演を私の隣で観た仲間。
――彼ら二人だけではない。
かつて、コンサートツアーと夜会とを問わず、中島みゆきのライブにともに身を置き、ともに杯を傾け、時にはともに旅をし、多くのことを語り合った仲間たち。
彼ら、彼女たちの中には、この世では「逢えない相手」となってしまった――いつの日か、「永遠をゆく鉄道の客となって」出逢いなおすことを望むほかはない――何人かの懐かしい人々がいる。
だからこそ――
有限の生命を生きるほかはない私たちが共有するコンサートという束の間の時空は、よりかけがえのないものとなったのだ。
「逢えない相手」としての彼らの思いとともに、私は客席にいたのだと思う。
千秋楽、聴き手への拍手の直後、「今はこんなに悲しくて……」と、この上なく透明なア・カペラで「時代」の冒頭を中島みゆきが歌い始めた瞬間――
これまで繰り返しCD等で聴き、今回のツアーでも初日で聴いて、心の準備はできていたはずなのに、思いがけず、30数年前に初めてこの曲を聴いたときの感動あるいは驚きの感覚――自らの生を遥かな高みから俯瞰する視点への浮揚の感覚――が、はっきりと胸に蘇ってきた。
それは――「夢だもの」の歌詞を借りて言えば――まさに「初めてをもう一度」経験したような感覚だった。
その遥かな高みからは、遥かな過去も遥かな未来も、見はるかすことができる。
いつの日か、遠い未来に、「懐かしい人々」と再び出逢えることへの希望――その無限の生への希望こそは、有限の生命を生きる私自身を、これからもずっと励ましつづけてくれるのだろう。