生まれてくれて Welcome

そうねぇ、あたしは時間ってのが好きなんだよね
一緒にいるって感じたり、ずうっと先へ行くのを追ったり、ひょいと後ろに見つけたり、
いろんなことを壊してくれたり 癒してくれたりする 透明なそいつを
あたしは そりゃもう相当慕ってる
それであたしはときどきすごく老けてみたり
ときどき有史以前に戻ってしまったりする
1日が24時間、地球が1万年で1転すれば1日は1万年さ
君は何年生きていますか
あたし、他人を喜べる数で 時を数えたい

1990年のアルバム「夜を往け」の ファーストプレス特典(?)の附録冊子に、中島みゆきの手書き文字で書かれていたメッセージである。

中島みゆきにとって「時間」というテーマがもつ重要性は、彼女を長年フォローしてきたファンには――またとりわけ、「夜会」の舞台に接してきたファンには――改めて強調するまでもないだろう。

「すごく老けてみた」姿は、たとえば夜会VOL.3「邯鄲」で、「傾斜」「殺してしまおう」「雪」を歌う老婆に扮した彼女。

「有史以前に戻ってしまった」姿は、たとえば「昔から雨が降ってくる」で、 「大きな恐竜」と「小さな恐竜」とが「同じ雨にうなだれたのだろうか」と、人類の誕生以前の遥かな過去に思いを馳せる彼女。

あるいは、まだ記憶に新しいTOUR2010第2幕の冒頭で、不思議な巨大な鳥に扮して、「今ではもうない草原の遥か彼方から/滅びた群れが連なってやってくる」と、「真夜中の動物園」を歌う彼女――

そういえば、鳥類が恐竜の子孫であるという、近年有力になっている学説を補強する研究が発表されたというニュースもあった。

そうした巨大な時の流れの果て――「新世代沖積世の/巨大に明るい時間の集積」(宮沢賢治「春と修羅」)の上――に、今、私たちはいる。

その悠久の時間の中で、私たちヒトの生は、まさに束の間――「瞬きひとつのあいだの一生」――に過ぎない。

だからこそ――

「同じ時代に生まれてくれてありがとう」 (TOUR2007のMC) 、「私たちはみんな生物 (なまもの) ですから……今日この場所で、お会いできてうれしゅうございました」 (TOUR2010のMC) と、繰り返し彼女は、同じ時空で「出会う」ということののかけがえのなさを、私たちに語ってきたのだと思う。

――と、なんだか大仰なことを書きつらねてしまったが――

今日、2011年2月23日。

中島みゆきが、「嵐明けの如月」 (本当に嵐明けだったかどうかは知らないが) に札幌の地に生を享けてから59年目の日である。

ちなみに、その年、1952年以来、閏年は15回 (1952 / 1956 / 1960 / 1964 / 1968 / 1972 / 1976 / 1980 / 1984 / 1988 / 1992 / 1996 / 2000 / 2004 / 2008) あったので、 日に換算すると、365*59+15=21550日が経ったことになる。

誕生日が祝われるのは、そのヒトがかつてこの世に生を享けたことへの祝福であると同時に、 その誕生のときから現在まで、そして未来へとつづく「時間」への祝福でもあるのだろう。

彼女と同じように、私も「他人を喜べる数で 時を数えたい 」と願いつつ――

みゆきさん、お誕生日おめでとう!


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