中島みゆきの故郷、北海道を私はこれまで幾たびか訪れている。
とはいえ、純粋な「聖地巡礼」と呼べそうなのは――前回の記事でも少し触れたが――今からちょうど四半世紀前の独身時代、パソコン通信でのファン仲間と3人で道央から道東を旅した時ただ1度きりである。他は仕事上の出張であったり家族旅行であったり、いずれにしても私個人の趣味を全面的に旅程に反映させるというようなことは、残念ながら困難だった。
つい先日、8月24~26日の出張でもそれは同様だった――はずなのだが、その一方で、慌しい旅程を辿るふとした合間に、この清冽で透明な空気と風景の中を、中島みゆきもかつて歩いたのだろうな――というほのかな想像が私をひそかにときめかせる瞬間が何度か訪れた。
それは必ずしも具体的な「聖地」――彼女との直接の接点――につながるものとは限らず、それよりもむしろずっと広く、およそこの北海道という風土そのものにたゆたう清冽と透明の感覚こそがもたらしたものだったのだろう。
そうした気ままな想像のゆえに――と言うべきか、旅先で偶然に触れた風景の一齣が、まったく思いがけずも、中島みゆきの作品世界の重要な部分に接続する、という経験を今回は味わった。そのことを書きたい。
狸小路アーケード街にあった模型店
札幌の繁華街すすきのにほど近く、南二条と南三条とのちょうど中間、一丁目から七丁目までを東西に走る狸小路商店街。明治初期に開業し、札幌市民には古くから親しまれてきた商店街である。ここを訪れるのは初めてだが、いわゆる「昭和レトロ」な雰囲気の濃厚なアーケード街は、夜会『橋の下のアルカディア』の舞台を髣髴とさせる。
そのような感想をTwitterに書いたところ、フォロワーのかた――このブログの読者のお一人でもある――から、次のようなご教示をいただいた。
3年前に店を閉じた「中川ライター店」という、創業113年の有名模型店が狸小路4丁目にありました。戦闘機や軍艦のプラモデルが所狭しと並べられ、アルカディアの高橋模型店にちょっと雰囲気が似ている。みゆきさんは狸小路をアルカディアの舞台イメージに重ねたと推測するのですが。
大いに興味を惹かれて検索してみたところ、この店の閉店を惜しむ数多くのブログ記事がみつかり、ここが北海道のかつてのプラモデル少年たちにとって「聖地」のごとき場所だったことが強く実感された。中でもこの記事は、写真・文章ともに当時の雰囲気をよく伝えてくれる。
店内の写真、とくに天井から吊り下げた模型飛行機は、初演VOL.18の「模型のタカハシ」のシャッターに描かれていた絵を連想させる。さらに、この記事 (に引用されている2015年1月12日付の毎日新聞記事) には、次のような事実経過が記されている。
戦時中、海軍航空隊に所属し飛行機が大好きだった3代目の中川昌三さん(88)が復員後に店を継いだ際、それまでの喫煙具などに加え、飛行機の模型をたくさん仕入れ店に並べた。(中略)中川さんは2008年に店を次男功清(のりきよ)さんに引き継いだ。ところが功清さんは13年12月、50歳で急逝。体調がすぐれず入退院を繰り返していた中川さんだったが、「店と一緒に死んでもいい」と2本のつえで体を支えながら店に立った。だが、体力の限界を感じ昨秋、閉店を決意。「頑張ってきたよなあ」と、しみじみ周囲に漏らした。
――飛行機を愛するがゆえに模型店を営んだ、元航空隊員の復員兵。そして、若くして世を去ったその後継者の息子。この時系列は、『橋の下のアルカディア』の高橋一曜・忠の父子 (九曜の祖父と父) の設定と、あまりにも正確に符合する。これを「偶然の一致」と呼ぶのは、むしろ不自然だろう。
もちろん――以前の記事で『橋の下のアルカディア』との関連について触れた小説『緑の手紙』においてもそうだったように――こうした隠された背景は、私たちファンがただ想像するほかはなく、中島みゆき自身の口から、あるいは公式資料で明かされることは決してないだろう。
だが、むしろそうだからこそ、私たちは自由に気ままに想像をめぐらすことができる――その自由を、さらにもう少しだけ行使することにしよう。
「模型」というメディア
上述のTwitterフォロワーのかたからは、こんな趣旨のリプライもいただいた――かつて狸小路商店街のテレビCMは全道に流れており、中川ライター店もよく登場した。最も熱気があった戦闘機プラモデルブームの時代、中島美雪は、弟さんに付き添って店を訪れた可能性もあるのではないか、と。
プラモデルブームの最盛期は、1960年代の高度成長期にあたる。この時代、零戦は――戦艦大和と並んで――最も人気のあるスケールモデルであった。
個人的な述懐になってしまうが――おそらく中島みゆきの弟さんより少しだけ年下の――私自身も小学生の頃、当時暮らしていた大阪郊外の地方都市の商店街の模型店(なぜか帽子屋を兼業していた)で、たまに戦闘機や軍艦、戦車のプラモデルを買ってもらうのがとても楽しみだった。その頃のアーケード街の夢のような雰囲気を、狸小路で少しだけ思い出しもした(その地方都市の商店街も、今はすっかりシャッター街になってしまっているのだが)。
やや横道にそれるが、戦後のプラモデルブームの頃、中川ライター店にせよ、上述の私が知っていた店にせよ、他業種から兼業で模型を商うようになった店が結構あったのではないか、と想像される。プラモデルに詳しい知人からも、その可能性は大いにあるのではないか、との示唆をいただいた。
この当時のプラモデルブームの意味について、ある研究書には次のような記述がある。
戦後の模型メディアは、平和主義のなかで「趣味」の領域へと社会的な位置付けを移すとともに(中略)、すでに存在する〈実物〉の外観を再現する「ホビー」となってきた。こうした模型が媒介する対象は、時間的にはすでに存在する「過去」、空間的には「形状」が重視された〈実物〉である。すなわち、スケールモデルあるいはプラスチックモデルが中心となった戦後の「模型」は、〈過去の形状を再現するメディア〉とまとめることができる。
(松井広志『模型のメディア論――時空間を媒介する「モノ」』、青弓社、2017年、109-110頁)
もちろん、戦闘機や軍艦の模型が戦後の多くの少年たちの熱狂的な「趣味」の対象となりえたのは、それらが再現する形状の原型が〈実物〉として、すなわち「人を殺す道具」として存在していた過去から、そしてネガティブな戦争の記憶の全体から、自らを切断することができたがゆえである。
空間的な形状のリアリティと、時間的な記憶の切断――あるいは忘却――との、不思議な融合。それこそが――私自身も含めて――戦後のプラモデル少年の熱狂を支えた構造的条件だった。
戦争の記憶の再生
だが、『橋の下のアルカディア』では、まさにこの構造にある劇的な反転がもたらされる。
高橋一曜から忠を経て、九曜へと託された「緑の手紙」あるいは零戦は、先の戦争の記憶――最も巨大な「生贄」が捧げられた出来事の記憶――を再生させるがゆえに、九曜たち3人を、新たな「生贄」となる運命から救済することができるのだ。
これまでも『橋の下のアルカディア』についての記事で何度か触れてきたが、この巨大な逆説こそが、この作品がもたらす強烈な衝撃力の根源にあるということは、何度強調してもし過ぎることはない。
『橋の下のアルカディア』の初演の初日、九曜に飛行帽を手渡した一曜が舞台裏に消え、格納庫の扉が一気に開き――「India Goose」のイントロとともに――零戦がその全貌を現したときの衝撃を、私は一生忘れることはないだろう。
「海軍航空隊に所属し飛行機が大好きだった」という中川昌三さんが、復員後、どのような思いで飛行機の模型を店に並べるようになったのかは正確にはわからない。だが、それらの模型が、かつて自ら最前線に身を置いていた現実の戦争の記憶を忘却させるようなものでは、少なくともありえなかっただろう。
中川さんに加えて、もう一人――あえて誤解を恐れずに言えば――高橋一曜の「モデル」と呼べそうな人物がいる。
陸軍特攻隊員として繰り返し9回も特攻を命じられながら、9回すべて生還したという佐々木友次さんについては、劇作家・演出家鴻上尚二の著書『不死身の特攻兵――軍神はなぜ上官に反抗したか』でよく知られるようになった。佐々木さんがなぜ生還できたのか、という問いに対して、鴻上は著者インタビューの中でこう応える――
突き詰めていくと空を飛ぶことが大好き、その思いなんじゃないかと。
生還すれば、また飛べるんですから
この言葉は、『橋の下のアルカディア』の大詰め、高橋一曜が飛行服姿で登場する場面で歌われる「国捨て」を、改めて想起させる。
空ゆく数多の翼には 憧れ抱かせる光がある
……
私の願いは空を飛び 人を殺す道具ではなく
私の願いは空を飛び 幸せにする翼だった
空ゆく数多の翼の光への限りなき憧れ――それこそが、あらゆる負の記憶を超えて、「幸せにする翼」へと人を誘うことを可能にする。
そのとき「模型」は、過去の負の記憶を託されることによってこそ、未来の人々を救済へと導く転生のメディアとなるのだ。
付記
独自ドメインに移転して最初の記念すべき(?)記事は、図らずも、またしても夜会『橋の下のアルカディア』にまつわる内容となった。この記事の続編となる(2)では、その舞台に登場した零戦について、リアリティとファンタジーとの融合という観点を中心に、少し書いてみるつもりである。
5年半続いたオールナイトニッポン月イチの放送終了や、来年1月にスタートする予定の夜会VOL.20のことなど、他にも気になる話題は色々あるのだが、また追い追い気が向いたら書いていきたい。
ひきつづき、気軽にお付き合いいただければ幸いです。
4年という歳月を経て、このようなことが世間に知らしめられる。
それが「中島みゆき」の醍醐味なのかもしれません。
もし彼女がこれを題材に作品を創ったのなら、
「バレた?」
と舌を出しているかもしれません。
増田さん、コメントありがとうございます。
たしかに、舌を出しているみゆきさんの顔が目に浮かぶような気がしますね。(^^;)
それはそうと、つい2週間前に訪れた北海道が大きな災害に見舞われ、
何とも言えない気持ちです。
札幌市内もかなり被害があったようで、これ以上被害が拡大しないことを願うばかりです。