iPS細胞と『24時着0時発』

夜会VOL.13「24時着0時発

2012年のノーベル医学・生理学賞を京都大学の山中伸弥教授が受賞するというニュースは、向かうべき道標を見失い漂流しつつあるかにみえる震災後の日本社会に、久々に希望の灯をかざしたかのようだった。

とりわけ、原発事故によって根底から損なわれた科学技術への希望と信頼を、再び取り戻すよすがとなることへの期待が、この受賞に寄せられた喜びにはこめられている。

再生医療への臨床応用にはまだ何段階かのステップが必要とされるiPS細胞の研究が、今回の授賞の対象となったのは、基礎生物学の領域に与えた大きなインパクトが重要な理由だったという。

その点についての解説の中で、とくに興味深かったのが、「iPSは『細胞のタイムマシン』 常識覆した山中氏」という『日本経済新聞』の記事である。

iPS細胞の「本当に画期的な点は、皮膚などに変化した細胞を元の受精卵のような状態に戻したこと」で、「細胞の中の時計の針を巻き戻すことを実現した山中伸弥教授らの成果は『タイムマシン』の開発と称賛された」という。

――ただ一つの受精卵が分裂を繰り返し、体の組織・器官をつくりだしていくプロセスは、生命の誕生から死に至る不可逆的な時間のプロセスであり、それはいうまでもなく人間も含めたあらゆる動物の生命にとって、抗いえない自然法則であり、逃れがたい運命のごときものだった。

この「生物学の常識」を覆し、不可逆的な時間を可逆的なものに変換し、生命を逃れがたい運命から解放する可能性を示したこと――ここに、iPS細胞の発明がもつ巨大なインパクトがあった、ということだろう。

残念ながら、上記の日経の記事の全文は、電子版の有料会員でなければ読めないのだが、このブログをお読みの会員の方は、できればぜひ全文をご覧いただきたい

 

さて――ようやくここから本題に入るのだが――上記の記事の内容もさることながら、「細胞の時計をリセットする」というキャプションのついた解説イラスト――細胞の時計が、初期状態の受精卵の時刻、0時へと巻き戻されることを図示したもの――を見て、私が反射的に連想したのが、中島みゆきの夜会VOL.13「24時着0時発」、とりわけそのクライマックスの場面だった 。

故郷への道を閉ざされた〈鮭〉たちが棲む、時間が止まったかのような廃墟堰――その象徴のように、12時寸前をさしたまま止まっている大時計。

ヒロイン〈あかり〉は、その大時計の扉を開く鍵を探し出し、時計の針を0時に戻すことによって、廃墟堰の水門を開き、〈鮭〉たちを、生まれ故郷の川につながる水路へと導く。

全ての梃子をゼロに戻せば
初めて次の梃子は傾き
初めて次の線路は開く
切り替われ、もう一つの命の線路へ!

この夜会の物語の構想について、中島みゆき自身は、「宮澤賢治の音楽会 ~3.11との協奏曲~」 (NHK BSプレミアム 2011/10/29) という番組の中で、おおよそ次のように語っていた。

宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」が、(1)鮭が産卵のために遡上する河の流れ 、(2)生命の時間の流れ、そして (3)〔それらの流れを象徴する〕鉄道の線路――これら3つをトリプルミーニングとして重ね合わせるためのヒントとなった――

――この着想から、未来への道を閉ざされた〈鮭〉たちの生命の時間の流れを「転轍」することにより、新たな生命――「転生」――へと導き救済するという、この夜会の根幹をなすSF的アイディアが生まれてきたのだ。

個人的な思い出になるが、シアターコクーンの客席で観たこの「転轍」の場面――〈あかり〉が時計の針を0時に戻し、〈鮭〉たちを転生へと導く場面――は、これまでのすべての夜会の中でも、おそらくは最も強い衝撃と感動を与えられた場面だった。それは、あたかも私自身の生きている世界全体が「転轍」されるかのような、めくるめく体験だった――このブログのタイトルも、その体験に由来している。

言うまでもないことだが、上記のような私の連想は、一種の牽強付会に過ぎないのかもしれない。

誕生から死へと向かう、不可逆的な生命のプロセスを、科学の力によって覆そうとする企てそのものを、「神」の領域への挑戦として批判する考え方も、当然ありうるだろう。

しかし――これは私がたまたま、科学の力が人類の未来を切り開くということを素朴に信じることのできた少年時代を過ごした世代であったための、楽観的な希望にすぎないのかもしれないが――人類が、世界を認識し、世界を改造する力としての「科学」を手にしたことは、人類の歴史の中での不可逆的な前進であったと、私は信じている。

その前進によって切り開かれた未来の可能性――象徴的な意味だけではなく、現実的な意味での「転生」の可能性――がiPS細胞によって一歩近づいたことを、人類の一員として、今は素直に喜びたい。

新曲とコンサートツアー

前回のコンサートツアー「TOUR2010」の千秋楽から1年9ヶ月を隔てて、「縁会2012~3」の初日(10月25日)が近づいてきた。

会場は、奇しくも前回の楽日と同じ、神戸国際会館こくさいホール。関西人としては、願ってもないスケジュールである (もっとも、今回の千秋楽、来年2月10日の福岡公演への遠征はさすがに難しく、私にとっては、1月26日(土) 大阪オリックス劇場での公演が、事実上の千秋楽となりそうだが……)。

今年は公私ともに何かと忙しく、夜会VOL.17「2/2」大阪公演の千秋楽以降、中島みゆきからも少々遠ざかり気味で、このブログの更新も滞っていたのだが、初日のチケットが送られてくると、さすがに「いよいよ」感が高まってくる。

ツアーに先立って、10月10日には、ニューシングル「恩知らず」もリリースされた。少し懐かしさも感じさせるようなシンプルな曲調は、これまでのいくつかの彼女の作品と同様に、吉田拓郎の初期の作品を彷彿とさせないでもない。

ビルの屋上というロケーションが意表を突く公式PVでは、おなじみのメンバーに心地よくバックアップされながら歌う、彼女の伸びやかな表情が印象的だ。

ツアー初日の前日、10月24日には、約1年ぶりのオリジナルアルバム『常夜灯』もリリースされる。

例によって、曲名からはさまざまな想像をかきたてられる。すでに一部の曲はラジオ番組などで放送されているようだが、私はあえて聴かないようにしている。

というのも、このアルバムから何曲かが、ツアーの曲目に加わることはほぼ間違いないので、初日にまったく白紙の状態で、新曲を聴きたいという思いがあるからだ。

前々回の2007年のツアーでは、10月7日(日)、大阪フェスティバルホールでの公演に行ったのだが、その4日前にリリースされたアルバム『I Love You, 答えてくれ』を、その時私はまだ聴いていなかった。そのおかげで、このアルバムの曲を中心としたライブからは、とても新鮮なインパクトを受けたのをよく覚えている。

オリジナル曲を中心とする (VOL7以降の) 夜会とは違って、コンサートツアーではいつも、十二分にアルバムの「予習」をしてからライブに臨むのが通例だったので、そんな経験をするのは、その時が初めてのことだった。

――あのインパクトをもう一度、と目論んでいるわけである。

歌うことと語ること

フィッシャー=ディースカウのシューベルト3大歌曲集 (ブックレットとケース表紙)

今年に入ってから俄かに身辺が慌しくなり、夜会「2/2」大阪公演以降、3ヶ月もの間、ブログの更新をさぼってしまった。

この間、5月14日からは「歌旅」劇場版の上映があり、また5月21日は――中島みゆきと直接関係はないが、夜会VOL.4のタイトルと内容を思い出させずにはおこない――金環蝕という壮大な天体ショーがあり、ブログのテーマにはことかかなかったはずなのだが、いずれも書きそびれてしまった――「歌旅」劇場版は、一部の劇場で上映期間が延長されたので、時間があれば観に行こうとは思っているのだが。

さらに5月末日には、今秋からスタートする2年ぶりのコンサートツアー「縁会2012~3」の公演日程発表という、大きなニュースが飛び込んできた。

だが、直接に中島みゆきについて書く前に、まず今の私の心にかかっているのは、最近相次いで世を去った、いずれもクラシック音楽に関わる二人の人物のことである。

――ドイツのバリトン歌手、ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ、2012年5月18日没、享年86歳。

――日本の音楽評論家、吉田秀和、2012年5月22日没、享年98歳。

これまで、このブログでクラシック音楽について書くことはほとんどなかったが、この二人は、私が若い頃から魅かれつづけてきた――中島みゆきも含めた――「音楽」という広大な世界の中で、とりわけ中心的な場所にいつづけてきた人たちである。

というよりも、若い頃にフィッシャー=ディースカウの ――シューベルトの歌曲をはじめとする――歌に魅きつけられたこと、また吉田秀和氏の文章に親しんだことは、私にとっての「音楽」全体への関わり方を通じて、おそらくは私の中島みゆきへの魅かれかた、彼女の歌の聴きかたにも、どこか深い部分で影響を及ぼしたに違いない、と思っている。

その「影響」の内容について、具体的に表現するのはなかなか難しい――というよりも、今この記事を書こうとしてはじめて、私の中にはっきりとある、その「影響」の存在に気づいたというのが正直なところだ。

だがこの機会に、この二人についての記憶を辿ることを通じて、せめてその「影響」の内容の一部なりとも、この場を借りて――いわば私自身に対する備忘録として――いま言葉にできることを書きとどめておきたい、と思う。

フィッシャー=ディースカウのシューベルト

フィッシャー=ディースカウと吉田秀和といえば、私がまず思い出すのは、1966年にベルリン・ドイツ・オペラが来日公演をおこなった際、たまたま吉田氏がディースカウと同じタクシーに乗り合わせたときのことについて書かれた文章である (「シューベルト讃」、『一枚のレコード』中公文庫版所収、これは、私が学生時代、はじめて手に取った吉田氏の数冊の本の一冊だったと思う)。

タクシーのラジオから流れてきた、バックハウスの弾くベートーヴェンのピアノ協奏曲「皇帝」を聴きながら、ディースカウは吉田氏に、次のような意味のことを言う。

ベートーヴェンは、今もヨーロッパでもアメリカでも日本でも、世界中の人々に聴かれる。それはすばらしいことだ。だが、シューベルトの歌曲はそうではない。本場のドイツでさえ、聴衆はかつてほど熱心には歌曲に耳を傾けなくなった。
しかし、日本だけは例外だ。日本でシューベルトを歌うと、聴衆が本当に心の底から共感して聴いてくれていることがよくわかる。
だが、それはなぜなのだろう? 日本では古くから、短詩形のような一瞬の中に永遠を見る芸術が発展してきたというが、そのことと関係があるのだろうか?

吉田氏はこう応える――

――そうかもしれない。それに、日本人には、心情の深さと真実を歌った芸術に対して、特別の共感、敏感な理解を寄せる伝統がまだ生きているのかもしれない。

この短いけれども非常に印象的なエピソードを紹介したのち、吉田氏は、ディースカウの歌うシューベルトへの讃辞をつづる。

シューベルトの音楽がもつ、根本的にデモーニッシュなもの――「魔王」や「さすらい人」のように、時には悪魔的・暴力的なすさまじささえ帯びながら、「きくものの心の中に浸透してきて、それをすっかり音楽の中にひたしきってしまうような性格」――「にもかかわらず、青春の芸術のみがもつ優しさ、それから本当の充溢の静けさとでもいうべき稀有な瞬間」。

フィッシャー=ディースカウは、以上の全ての意味で、私には、完全に満足がゆく。……私がそれについて書くとか考えるとかでなくて、ただ〈音楽がききたいな〉と思う時、このレコードをひっぱりだしてきくことが、たびたびあるのも、このためである。

――この吉田氏の言葉に、私などが付け加えるべきことはほとんどない。ただ、あえて蛇足を覚悟で言えば――

「わが挨拶をおくらん」の遥かなものへの憧れ、「水面に歌う」の自然の悠久の美と己れの有限の生との鮮やかな対照、「ガニュメート」の超越的な存在の高みへの賛歌……

そしてもちろん、『美しき水車小屋の娘』『冬の旅』『白鳥の歌』の「3大歌曲集」での、愛とその喪失という、あまりにも普遍的なテーマ――中島みゆきもまた、繰り返し歌いつづけてきたテーマ――を通じての、人間の生の意味への容赦のない、徹底的な問いかけ。

およそ人間がその生の中で触れ、感じることのできる世界の「存在の奇跡」とでもいうべきもの、歓喜と慟哭、希望と絶望の両極への振幅に至る心の震えのすべてを、「歌」がこれほどまでも克明に、鮮やかに表現しうるということを、私はフィッシャー=ディースカウの歌うシューベルトによって知ったように思う。

西洋(ドイツ)と東洋(日本)、クラシックとポップス(フォーク)、男性と女性、そして――あえて一般に流布しているイメージでいえば――知的にコントロールされた歌唱と、感情のほとばしりのままの歌……

――こんなふうに対比してみると、フィッシャー=ディースカウと中島みゆきほど、対照的な性格をもった「歌手」もあまりいないような気がしてくる。

しかし、「歌」が「世界」の意味を開示しうるということ――単純に言ってしまえば、このことこそ、私がディースカウの歌うシューベルトと同様に、中島みゆきの歌に魅かれつづけてきた最も基本的な理由でもあったのだと、今にして気づいたように思う。

音楽について語ること

上記の『一枚のレコード』のような、いわゆる「名曲・名演」への紹介本を入口として、吉田氏の著作に親しむようになったというのは、おそらく私も含めて、多くの日本のクラシック音楽ファンが辿った道なのではないかと想像する。

そうした本の中では、『私の好きな曲』(現在はちくま文庫で再版)も、繰り返し読んだ本の一冊である。

この本でまず印象的だったのは、吉田氏が「私の好きな曲」として――これは『藝術新潮』に連載されたエッセイをまとめた本だが――、最初にいきなり二曲つづけて、ベートーヴェンの後期の作品――弦楽四重奏曲作品131、ピアノソナタ作品111――を取り上げ、その理由について、次のように弁明(?)されている箇所である。

「またベートーヴェン? そんなにベートーヴェンが好きなのか?」
自分でも意外なのである。バッハやモーツァルトをさしおいて、ベートーヴェンばかりあげるなどというのは、まったく予期しないことだった。……
「好きな音楽」というのと、「好きな音楽について書く」というのとは、少し違う。そうして、音楽について書くということになると、ベートーヴェンはどうしてもさけがたくなる。この自己主張の強い音楽は、聴き手のそれをも誘発しないではない。

――「好きな音楽を聴く」ことと、「好きな音楽について書く(語る)」こととの違い。

中島みゆきもまた、彼女について書く(語る)者の多さという点で――書かれた(語られた)内容の「質」の評価はまた別の問題として――、少なくとも日本のポピュラー音楽の世界では、際立った存在である ――このことについては、かなり以前に「愛の逆説と世界への眼差し」という同人誌の記事の中でも書いた。

私自身も――このようなブログを書いているからといって――いつも中島みゆきばかり聴いているわけではない。

ベートーヴェンと同じく(?)「自己主張の強い」彼女の歌は、気軽に日常のBGMとしては聴けない。聴くときにはそれなりの「覚悟」というか――やや大げさに言えば、非日常的な――緊張感が必要になる。私が、彼女の録音よりも、ライヴにこそ本領があると感じる理由も、そのこととも関係しているかもしれない。

しかしながら、中島みゆきの歌を――とりわけライヴで――いったん聴いたとなると、しばしば「聴く」ことだけでは自分の中でどうしても完結せず、それについて語らざるを(書かざるを)えなくなってしまう。このようなブログを書いている理由も、そこにある。

舞台と世界

最後に、比較的最近に読み、強く印象に残った吉田氏の文章について。

「音楽展望」(『朝日新聞』2009年1月24日付)で吉田氏は、20世紀の中頃、はじめてベルリンを訪れた際、ブレヒトの劇のリハーサルを見学に行ったときのことについて書いている。

赤子を背負い、戦場を逃げまどう女性(演じるのは、ブレヒト夫人として有名な女優)。彼女は、回り舞台の進行と逆方向に、汗みずくで気息奄々となりながら、歩きに歩きつづける。

明らかに場内の空気は変わっていた。そうして、この間ずっと黙りこくって舞台を見ていた私の目に霞がかかったようになり、やがて頬に涙が伝わってきた。彼女が可哀想というのではない。ただ、涙が出て止まらないのだ。
……
一つのシーンが舞台全体、つまり世界の意味を示す、時には変えてしまう。そうした例を、私はシェークスピアの芝居[《リア王》]でも知った。
……
人間の悪は底知れない。でも、その無明の世界にも、愛の赦しの光が差し、すべてを照らす瞬間があるのだ。

――舞台のシーンが「世界の意味を示す」というときの「世界」というのは、上記のシューベルトの歌曲が開示する「世界」とは、たぶん少し意味が違う。

歌曲が開示するのが、「個」が出会い、触れ合うもののすべてという意味での「世界」だとすれば、演劇的舞台が開示するのは――吉田氏が「人間の悪」という言葉で示唆しているように――複数の「個」がせめぎあう「社会」という意味での「世界」だ。

中島みゆきが、「夜会」という演劇的方法論を取り入れた舞台を、ライフワークとして20年以上もの長きにわたって上演しつづけているのも、後者の意味での「世界」について歌い、演じることが、おそらく彼女にとってのっぴきならない衝動でありつづけているからなのだと思う。

「一つのシーンが舞台全体、つまり世界の意味を示す、時には変えてしまう」
「無明の世界にも、愛の赦しの光が差し、すべてを照らす瞬間」
――それらを、私はこれまでいくたびも、「夜会」の舞台に接する中で体験してきた――そのうちのいくつかについては、このブログの中でもすでに書いた。

フィッシャー=ディースカウも吉田秀和も、すでにこの世にはいない。

――しかし彼らが遺した歌と言葉は、これからも変わることなく、「音楽」がどのように「世界」と関わりうるかについて、私に語りつづけてくれるに違いない。

中島みゆきと地球

2012年が明けた。

正月と中島みゆきといえば、もう4半世紀も前のことになるが、1987年の『朝日新聞』新年版別冊「50億人の地球」の第1面に掲載された詩、「エデンの乳房」のことをいまだに思い出す。

1987年は、世界人口が50億人に達すると推計された年であり、「50億人の地球」という別冊タイトルも、この詩の内容も、そのことを踏まえている。

それから24年後の昨2011年には、世界人口の推計は70億人に達したが、この詩がもつインパクトは、現在でもますます強まりこそすれ、薄れることはない。

この詩の中でとりわけ印象的なのは、すべての生命を育んできた「この星」そのものが生命を終える時にまで思いを馳せようとする、末尾近くの次の一節である。

垂乳根(たらちね)の星よ
火の衣を失い 水の衣を失う日に
五十億の赤児たちは 愛情の糸を織りなし
最後の衣を着せかけうるだろうか

地球という星を、このような遥かな時空を見はるかす視点から、愛おしみつつ見詰めるまなざしを、中島みゆきは現在までずっともちつづけてきたように思う。

それは、以前の記事で書いたように、「時間」を愛おしむ視点とも、おそらくは一体のものであるに違いない。

最近の作品でいえば、「地球」という言葉が直接に出てくるわけではないが、上記のようなまなざしを最も強く感じさせたのは、 「真夜中の動物園」 (2010年のアルバムのタイトル曲) である。

「滅びた群れ」が走る陸、渡り鳥が飛ぶ空、そしてシロクマが泳ぐ流氷の海――それらすべての生命と環境とをつつみこむ「真夜中の動物園」とは、まさに「地球」のことなのではないか。

ただしそれは、現在の、あるいは現実の地球だけを意味するというわけでは必ずしもない。

(これも以前にTOUR2010千秋楽の記事で書いたように) それは、過去・現在・未来の悠久の時間の中で、この「地球」という世界に生を享けた――あるいは、生を享けるであろう――すべての有限の生命が、無限の生を得て、出逢いなおすことのできる、時空を超越した場所である。

真夜中の羊水に
動物園は浮いている
逢いたい相手に逢えるまで
逢えない相手に逢えるまで

この一節は、漆黒の宇宙空間の中に奇跡のように浮かぶ、青い水と生命の星をイメージさせずにはおかない。それは、自らの生命さえ有限でありながら、無限の生への希望を育みうる「羊水」を湛えた場所なのだ。

中島みゆきの地球へのまなざしは、歌詞などの作品内容だけではなく、ビジュアル面にもうかがうことができる。

最近では、アルバム『荒野より』のジャケットで、地球の模様をした球形のガラスの器――その中には球根が根を伸ばしている――に、愛おしそうにほほを寄せる中島みゆきの写真が話題になったことが、記憶に新しい。

また、2004年の夜会『24時着0時発』のパンフレットにあった、銀河鉄道から眼下遥かに見下ろす青い地球のイメージも、とても印象的だった。

201411050824

行き先表示のまばゆい灯りは
列車の中から 誰にも見えない

「無限軌道」のこの歌詞のように、私たち自身が暮らす地球の姿を、私たちのほとんどは、直接眼にすることができない――いつの日か、宇宙船に乗って肉眼で地球を見たいというのは、私の幼い頃からの夢のひとつだが、それが私の有限の生命の中で実現される日が来るかどうかは、いささか心もとない。

――しかし、宇宙の中の地球の姿を思い浮かべ、その行き先に思いを馳せることならば、誰にでもできるだろう。2012年が、私にとってもそのような思いを新たにする年になれば、と思う。

親しらず子しらず――冬の日本海

前の記事に引きつづき、またまた私事にちなんだ話で恐縮だが――今年の秋、次男の中学の合唱コンクールで、あるクラスが歌った「親知らず子知らず」という曲が、とても強く印象に残った。

少し調べてみたところ、合唱曲としてはいわゆる定番のひとつになっている有名曲らしいが、中島みゆきの世界とも、どこか深い部分で相通じる作品のような気がしてならず、この記事で紹介することにしたい。

この曲の舞台は、かつて日本海沿いの旅の難所として知られた、急崖が連なる地帯である。現在の新潟県糸魚川市の西端に位置し、「親不知と子不知に分かれるが、この二つを総称した名称も親不知である」。

その名称の由来は、親が子を、子が親を省みることすらできない難所という説が一般的なようだが、より具体的に、平安末期、平家の落人となって越後にいる父親を尋ねてゆく母子がこの難所に差し掛かったとき、子を波に攫われたという伝承もあるという (Wikipedia記事「親不知」より)

子を呼ぶ母の 子を呼ぶ母の
叫びが聞こえぬか

母を呼ぶ子の 母を呼ぶ子の
すすり泣きが聞こえぬか

上記の伝承や、それに基づくこの印象的なリフレインは――シチュエーションは異なるにせよ――夜会『今晩屋』の素材となった「山椒大夫」の物語を、思い出させずにはおかない。

九州へ行ったきり帰らぬ父を尋ねてゆく旅の途上、やはり越後の海辺で、母は、人買い・山岡太夫に欺かれ、二人の子、安寿と厨子王を攫われてしまう――

――子を攫ったのが波であるにせよ、人買いであるにせよ、「子を呼ぶ母の叫び」の深さは、変わるところがない。

こうした暗く悲劇的な冬の日本海のイメージは、中島みゆき作品の重要な背景としてしばしば登場する「海」にも、繰り返し投影されているように思う。

とりわけ最近で、何といっても印象的だったのは―― 別の記事にも書いたとおり――夜会Vol.17『2/2』 の第2幕第2場 (福井県・厳冬) 、圭が莉花の故郷を訪ね歩く場面で、ホリゾント全面に映し出される、吹雪が舞う海の風景であろう。

――その暗い冬の海をゆく旅の果てに、圭が莉花の「帰り道を照らす」ための「真実の灯」を見出したように、海を彷徨うすべての悲しみが、いつか故郷に帰り、やすらぐ日が来ることを祈りつつ――