夜会Vol.17『2/2』 2夜目

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初日の感想と同様に1週間遅れの記事になってしまったが、12/10(土)、夜会Vol.17『2/2』 2夜目の鑑賞をした。

やはり初日よりも全体にこなれてきた印象で、1階最後列から要所要所でオペラグラスを覗きながらの鑑賞ではあったが、中島みゆきをはじめ、共演者・ミュージシャン一体となっての「熱」が、客席にひしひしと伝わってくる舞台だった。

初日には気づかなかった (あるいは、気づいてはいても言語化できるほど明瞭に意識できていなかった) いくつかの点について、書いておきたい。

「竹」というモチーフ

まずビジュアル面で、 映像化もされている1995年のVol.7『2/2』 (初演) の時以上に、「竹」というモチーフがくりかえし強調されていることが、改めて強く印象に残った。

第1幕の開幕前から、最後のカーテンコールまでずっと、舞台両袖に存在しつづける竹林。

それは、日本とベトナムとをつなぐ、この物語全体の世界観の外枠をなす風景であると同時に、天空へ――未来へ、「まっすぐに光のほうへ」――伸びてゆこうとする生の象徴でもあるのだろう。

そして、いうまでもなくそれは、「竹の歌」に歌われているとおり、「吹きつける風にひれ伏しながらけして折れはせぬ」――大叔母の声に象徴される社会的抑圧に屈することのない――勁くしなやかな生の象徴でもある。

またそれと関連して、ヒロイン梨花 (中島みゆき) の恋人である圭の役柄が、初演・再演でのイラストレーターから日本画家に変更されたのも、コビヤマ洋一のキャラクターに合わせてというよりは、むしろ、彼が描く竹や朝顔に代表される日本的風景を、物語全体をつつむ世界観の表現の一環として位置づけるという発想が、おそらく先にあってのことではないかと思われる。

だからこそ、まず第1幕第1場で、美術誌編集部から流行遅れとして没にされるのが竹の絵であることも、後半への効果的な伏線ともなるのだ。

母と娘、姉と妹

初演・再演からの大きな変更点のひとつとして、小説版『2/2』と同様に、旅先のベトナムで莉花が身を寄せる家族――ホア母さん (植野葉子) とトァン (香坂千晶) の母娘――の登場がある。

第2幕第1場 (ベトナム・竹工場) でホア母さんは莉花に、トァンと「姉妹になるがいい」と歌う。この母娘は、莉花にとって、すでにこの世にいない母と、この時点ではまだその存在すら知らない姉とを代替する存在となるのだ。

ずっと以前、『2/2』の初演当時に書いたエッセイ「生まれる前にみた夢」でも考察したように、第2幕の舞台としてベトナムが選ばれた本質的な理由は、「竹」と「紅い河」という、物語全体の鍵となる2つの風景をあわせもつ国という点にあったのだと思われる。

「竹」の意味についてはすでにみたとおりであり、また「紅い河」とは、莉花を無意識のうちに縛りつづけてきた「血縁の流れ」を遡り、自らのアイデンティティを探そうとする旅の暗喩である。

もちろん、莉花を縛ってきた過去への現実の探索は、圭によっておこなわれることになるのだが、それと同時に、莉花のベトナムへの旅は、「竹」と「紅い河」という風景に加えて、母と姉とを代替する母娘の登場という点でも、彼女の失われた過去を探そうとする、いわば無意識的な帰郷という意味をもつのだ。

第1幕のラストと第2幕のオープニングで歌われる「帰郷群」も、そのことをはっきりと裏づけている。

なお、「帰郷群」の歌詞は、『今晩屋』や『24時着0時発』の世界観とも、強い連続性を感じさせる。そのことについては、アルバム『荒野より』の感想の中でも書いた。

厳冬の日本海

さて、圭が莉花の故郷を訪ね歩く第2幕第2場 (福井県・厳冬) では、ホリゾント全面に映し出される、吹雪が舞う海の風景が、なんといっても強烈な印象を残す。

白色と灰色とに覆いつくされるこの荒涼とした日本海の風景は、おそらくは、岩内で過ごしたという少女時代以来、中島みゆき自身の原風景のひとつでありつづけてきたのだろう。

厳冬の日本海といえば、中島みゆきが主題歌「愛だけを残せ」を提供した映画『ゼロの焦点』 (2009年) にたびたび登場し、エンディングロールの背景ともなった能登半島の海の風景もまた、印象的だった。

失踪した夫を探す旅の途上、ヒロイン禎子はその暗い海をみて、不意に、学生時代に読んだ英詩の一節を思い出し、涙を流す。

In her tomb by the sounding sea!
とどろく海辺の妻の墓!

――圭が吹雪の中、 (おそらくは) 莉花の母の墓前に花を供える場面もまた、この一節を思い浮かべさせずにはおかない。

第3幕「鏡の中の夏」

初演・再演と同様、誕生の前に世を去った莉花の姉・茉莉の――異界からの――登場によって物語が大団円を迎えた後に、いわばエピローグとして追加された第3幕第1場「鏡の中の夏」は、とても短いけれども――初日の感想でも書いた通り――美しく暖かな余韻を深く胸に残す場面だ。

暗い舞台の中央にぽっかりと浮かぶ明るみの中、母・綾子 (香坂千晶) の膝に仲良く甘えるようにもたれる茉莉 (中島みゆき) と莉花 (植野葉子) の姉妹――それはやはり、(すでに多くの方が指摘しているとおり) 母の胎内の記憶の再生なのだろう。

第1幕からたびたび登場した、歪んだ台形の不思議な鏡は、莉花の幸福を許そうとしない、少女の頃のもうひとりの莉花がそこから現れ出てくる通路――いわば過去と現在とをつなぐ通路だった。

しかしこの第3幕で初めて鏡は、抑圧された忌まわしい過去ではなく、茉莉花の姉妹が母の胎内で寄り添っていた幸福な過去へと、莉花の記憶を誘う通路に変貌するのだ。

二人がともにこの世界に生まれ出るはずだった7月――その夏の記憶を誘う通路に。

そういえば (これは『2/2』の初演のときから漠然と思っていたことではあるが)、第2幕の大詰めで茉莉が莉花に向けて歌う「幸せになりなさい」の最も印象的な一節、

ただまっすぐに光のほうへ行きなさい

の「光」とは、産道の向こうにある世界――彼女たちが生まれ出ようとする世界――の明るみの暗喩であると同時に、「まちがった怖れ」から解き放たれた莉花の、新たな生への希望をも意味するのだろう。

だとすれば、この胎内回帰は、莉花の記憶以前の過去――生まれる前にみた夢――への遡行であると同時に、彼女が新たな未来の生へと、もう一度「生まれなおす」ためのステップでもある、ということになる――

このような両義性――過去への遡行が、同時に未来への跳躍でもあるという両義性――には、やはり、『ウィンター・ガーデン』『24時着0時発』そして『今晩屋』という、これまでの夜会3作を通じて追求されてきた「転生」というテーマからの強い連続性を感じざるをえない。

ところで胎内回帰といえば、21年前の『夜会1990』の「月の赤ん坊」の場面――巨大な月を背景として、中島みゆきが膝を抱えたシルエットで登場する場面――も思い出される。

『2/2』では明示的に登場することはないが、夜会『花の色は……』や『今晩屋』をはじめとして、月は中島みゆき作品ではたびたび、きわめて重要な象徴として登場してきた。それはおそらく、月こそはさまざまな意味で、生――誕生、再生、そして転生――を象徴する天体だからなのだろう。

奇しくも、この12月10日、夜会の終演後に劇場を出ると、空では皆既月蝕が始まりつつあった (この記事末尾の写真の右のほうにも、それを見上げているらしい人影が映っている)。

まったくの偶然とはいえ、それはあたかも、ヒロイン梨花の再生の物語を反復する天の悪戯のような気もして、私もずっと、欠けてゆく月を見上げていた――

『2/2』というタイトル

最後に――再々演の今になって言うのも今更という気もしないでもないが――『2/2』という、この夜会のきわめてシンプルなタイトルについて。

以前の記事「初めての再々演」でも書いたように、夜会『2/2』は、「2/2 = 1」という、数学的には自明の等式が成り立たない不条理の世界から始まる物語である。

しかし、それは同時に、その不条理の解消という形式をとった、救済の物語でもあるのだ。

私たちはジャスミン 茉莉花の2人
1人と1人 半分ずつじゃない

この「幸せになりなさい」の歌詞に端的に表現されているように、茉莉と莉花の姉妹は、「1/2」と「1/2」の和としての「2/2」なのではない――茉莉によって莉花は、そのことを知る。

――このときはじめて、「2/2」は約分され、莉花は「1」となり、茉莉からも、自らを苦しめてきたもうひとりの莉花からも離れ、自らの生を歩み始めるのだ。

再び「竹」について

この記事の冒頭で述べたように、「2/2」の世界観の視覚的象徴ともいうべき「竹」の表現は、舞台上の美術だけにはとどまらない広がりをもみせる。

たとえば、赤坂ACTシアター周辺には、美しい竹のオブジェ (この記事冒頭の写真) がちりばめられ、会場を訪れる私たちを出迎えてくれる。

また終演後には、会場のガラス壁面一面に、こんな竹模様のカーテンが降ろされ、舞台の余韻に浸る私たちを見送ってくれるのだ。

今回の夜会・東京公演の鑑賞は、私はこの12月10日が最終で、次は来年2月、大阪公演の初日に出かける予定だ。大阪公演の会場シアターBRAVA! では、どんな風景が私たちを出迎えてくれるのか、それをも楽しみにしながら、その日を待ちたい――

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