「SEMPO」再演

新国立劇場エントランス

9月14日(土)の夕方、新国立劇場・中劇場でのミュージカル「SEMPO」を観てきた。

2008年春に同じ劇場で公演された作品の再演である。この初演を私はライヴでは観ていない。

もちろん、中島みゆきが6つのオリジナル曲を提供したことが気になってはいたのだが、ミュージカルというジャンルへのなじみの薄さと、中島みゆき自身が出演するわけではない舞台を東京まで観に出かけることへのためらいがやはりあった。

だが、彼女の2009年のアルバム『DRAMA!』 (夜会「今晩屋」からの7曲とともに) 収録された「SEMPO」の6曲には、初めて聴いた時からとても強く魅きつけられた。

――あれらの歌が、いったいどんな場面で、どんな物語の文脈の中で歌われたのか。

私の中で火がついたこの問いは、初演のDVDを通販で購入して観ることで、ある程度は解消された (「SEMPO」という作品そのものにも、強い感銘を受けた) が、生の舞台でそれを再確認したいという思いは、それからもずっと、私の中でくすぶりつづけていた。

 

今年、2013年の再演が発表されたときも、東京まで足を運ぶかどうか、まだ迷っていたのだが、折よく公演期間中の東京出張が決まったので、意を決してチケットを取ることにした――という次第である。

初めて訪れる新国立劇場・中劇場は、新宿からひと駅の初台駅直結とアクセスも良く、開場を待つためのスペースも、そして会場内のロビーもゆったりとしていて、とてもやすらげる空間だ。

ロビーには多くの花束が華やかに飾られていたが、残念ながら、中島みゆきからの花束はなかったようだ。

それはともかく、ロビーのバーで求めたシャンパンでひとり祝杯を挙げながら――暑い日だったので、シャンパンがことさら美味しい――開演前のひとときを過ごした。

全体的印象

上にも書いた通り、私はミュージカルというジャンルにはほとんどなじみがない。生の舞台でミュージカルを観るのは、実にこれが初めてのことである。

したがって、以下のレビューは、あくまでもひとりの中島みゆきファンの視点からの、ごくごく偏ったものになることをお許し願いたい。

 

――さて、同じ舞台作品である以上、これまでずっと観てきた中島みゆきの「夜会」との比較という点に、どうしても意識が向いてしまう。

その点でこのミュージカルからまず強く印象づけられるのは、なんといっても、構成や演出の「わかりやすさ」ということである。

「SEMPO」初演と同じ年に上演されたVOL.15「元祖・今晩屋」が、数ある夜会の中でもとりわけ「難解」な印象を与えた――私自身も、その第一印象を否定はしない――のとは、まさに好対照といってもよい。

たとえば、第一幕の中盤では、4人の女優さんがそれぞれ日本、イギリス、ドイツ、ロシアの役割を演じ、当時の国際情勢を歌で説明してくれるなど、歴史的知識が十分ではない観客にも、時代背景やストーリーが十分に理解できるように親切に構成されている。

大道具はほとんど机と椅子、階段ぐらいのシンプルなもので、回り舞台によるスムーズな場面転換によって、それぞれの場面が次々とわかりやすく呈示される。さらに舞台の外枠にはその場所(都市名など)も表示され、舞台の上には、外国人の観客向けに、英語字幕も表示される。

舞台背景全面に描かれた第二次大戦当時のヨーロッパの地図 (ストーリーの中心となるいくつかの都市がイルミネーションされている) や、休憩時や終演後の緞帳の、杉原千畝が書いたビザ実物の写真なども、物語の可視性を高めてくれる。

――こうした、さまざまな面での「わかりやすさ」は、「夜会」を見慣れた私にとっては、ある意味、新鮮でさえあった。

 

ただ、このように書いたからと言って、この作品は平板なエンターテインメントでは決してない。それは、この物語の主題の「重さ」からいって当然のことではあるのだが、それ以上に、主演の吉川晃司の存在が全体をしっかりと引き締めている点が大きい。

彼の歌唱と演技――というよりも舞台上の存在感そのもの――は、ミュージカルというジャンルに対して私が (これまでやや偏見まじりに) 抱いていたイメージとはむしろ逆に、とても内面的で真摯だ。

その内面性が、彼が歌う中島みゆき作品にふさわしいのは当然なのだが、何よりも杉原千畝という人物像のもつ歴史的リアリティをしっかりと支えている。

彼については、私は大昔のアイドル時代のおぼろげな記憶しなかったのだが、外交官というよりも一人の人間として、「国家」との板ばさみに苦悩しつつ、最後にはユダヤ人難民を救うためにビザを発給する決断に至るまでの千畝の心の揺れを、見事に演じきっていることに深い感銘を受けた。

――また、だからといって、全編が重くシリアスな雰囲気に塗りつぶされるというわけでも決してない。

シリアスなテーマに、良い意味でのエンターテインメント性を加味してバランスを取っているのは――この再演で新たに参加したAKB48のメンバーを含む女優陣、子役たち、そして何よりもユダヤ人難民を演じる大勢の人びとの――助演陣の熱演である。

彼女たちや彼らのおかげで、中島みゆきの「夜会」では――少数の例外的場面を除いて――まず観ることのできない、迫力ある群像劇としてのミュージカルの魅力を、十二分に堪能することができた。

「夜の色」

――さて、当然のことながら、中島みゆきが提供した6曲のことを抜きにして、このミュージカルを語ることはできない。

ファンの欲目をあえて承知の上で言えば、これらの6曲こそが、テーマの重さにふさわしい圧倒的な世界観の深みを「SEMPO」という作品に与えているのは明らかだろう。

第1幕最初の中島みゆき曲は「夜の色」。千畝のリトアニアへの転任の直前、前任地フィンランドの白夜の空を見上げながら、妻・幸子 (鈴木ほのか) とその妹・節子 (片山陽加) がデュエットで歌う。

白夜の色に人は騙され
見晴らすつもりで 夜を見ない

ここで白夜という自然現象に託して歌われるのは、人々が歴史の流れを――その向こうにあるかもしれない「闇」を――見通すことの困難さの暗喩である。

この曲によって一気に、舞台上の世界は立体的な奥行きを獲得する。客席の私は、単なる傍観者の視点を離れ、舞台上に構築される時空の中に連れ去られ、その参加者となる――

「愛が私に命ずること」

この曲は第一幕後半、ナチスドイツが侵攻したポーランドから脱出しようとするユダヤ人の青年ノエル (坂元健児) と、彼にともに脱出しようと誘われながらも、家族とともにその地にとどまる恋人エバ (白羽ゆり) とのデュエットで歌われる。

それは――かれらの以後の運命を予感させつつ――人びとが見通し難い歴史の流れに立ち向かう術 (すべ) を決然と呈示する歌でもある。

もしも愛と違うものが命ずることなら
従いはしない
心には翼がある

この歌を聴くと、私はどうしても、中島みゆきの1992年のアルバム『EAST ASIA』のタイトル曲を思い出してしまう。

山より高い壁が築きあげられても
柔らかな風は笑って越えてゆく
力だけで 心まで縛れはしない

抗いがたき歴史の激流と、それでもそれに抗おうとする心の自由――

このテーマの普遍性への思いこそは、このミュージカルへの楽曲提供へと、中島みゆきの背中を押したものだったのかもしれない。

「掌」「こどもの宝」

第2幕の中盤で千畝 (吉川) が歌うこの2曲は対をなしている。ここで彼は人生の岐路に立ちつつ、自らの「来し方、行く末」に思いをめぐらす。

何んでも出来ると 未来を誇っていたのは
小さな掌の少年の頃だけだった

自らの「やつれた掌」の無力さへの無念――そして、少年の頃の願い、夢、「宝」を忘れてしまっている自らへの幻滅。

今の私の願う宝は
あの子と同じものだろうか

――しかし、この過去への立ち戻りこそは、未来への新たな道を見出すためのステップでもあった。

第2幕の終盤近く、ずっと千畝と対立していたドイツ人秘書グッシェ (栗原英雄) が、ついにユダヤ人たちのビザ発給への協力に転じるとき、「こどもの宝」を歌いはじめる。この場面は、ある意味では千畝が歌う時以上に、この歌の意味を表現しきっていて強く胸を撃つ。

人生の岐路にあって、「こどもの宝」――すなわち「未来への夢」――を思い出す、ということの意味を。

「翼をあげて」

アルバム「DRAMA!」の冒頭を印象的に飾ったこの曲は、まず第二幕後半、千畝が妻・幸子に励まされ、ユダヤ人難民へのビザ発給を決断した直後に、二人のデュエットで歌われる。

ついで、さらに終盤、リトアニアの都市カウナスの駅の場面、ロシア (シベリア) を経て、遥か東方の地へと脱出しようとする列車の前で、ユダヤ人難民たちによる合唱。

それは、杉原夫妻にも、かれらによって救われることになる難民たちにも、ともに未来へと進むべき道を指し示す歌である。

恐れは消えはしない 生きる限り消えない
迷え 選べ 己れが最も畏れるものを選べ

――「恐れ」と「畏れ」との違いに注意したい。

かれらが「最も畏れるもの」とは何なのか。それはおそらくは、「口を塞ぐ者」「夢を捩る者」の力によっても屈することのない、縛られることのない、それがもたらす「恐れ」よりもさらに高いところにある何ものかである。

私はこのようなフレーズに、中島みゆきの「宗教性」――そう呼ぶしかないもの――の存在を強く感じる。それは、人間の有限性の認識と、人間を遥かに超えたもの――世界あるいは宇宙――への畏敬の念であり、次の「NOW」にも、あるいは夜会「今晩屋」の終曲「天鏡」にも、またさらにいくつかの中島みゆき作品にも、共通して存在するものである。

翼をあげて 今ゆくべき空へ向かえ
翼をあげて 向かい風の中
高く

――高らかな昂揚感、浮揚感、そして遥かなる希望への飛翔。このフレーズの響きと意味とをかみしめながら、私は大団円へと向かう流れに身を委ねた。

「NOW」

「SEMPO」の物語の時間、そこに登場するすべての人びとの思いは、終曲「NOW」へと奔流のように流れ込む。

舞台奥から客席に向けられた眩いバックライトの中を、まず千畝 (吉川) がひとりで歩み出しつつ、ソロで――見事な声量で――冒頭部を歌う。

やがて彼の家族や同僚が、ユダヤ人難民たちが、そしてこのミュージカルの出演者全員が次々と登場し、足並みを揃え、手を携えて前へと――光の方向へと――歩みながら、全員の大合唱となる。

今 ここは過去も未来もない
煩いを捨て 企みを捨て
我等は何を見つめるだろう
今 ここは過去と未来つなぐ
Right NOW
Right NOW

――過去と未来とをつなぐ “Right NOW”。

それは、夜会「24時着0時発」のタイトルそのものに表現され、冒頭の「サヨナラ・コンニチハ」や終盤の「無限軌道」で歌われる時間認識でもあった。

「SEMPO」の初演では、この曲はまず第1幕の冒頭で、ユダヤ人たちのリーダーの一人カイム (沢木順) によって歌われ、またカーテンコールでの出演者全員の大合唱でも歌われた。

だがこの再演では――熱狂的なスタンディングオベーションによるカーテンコールが何度も繰り返されたにもかかわらず――「NOW」は第2幕終結のただ1度だけしか歌われなかった。

しかし、それゆえにこそ、”Right NOW”という生涯でただ一度きりの時間のもつ意味を、私は、全身が震えるほどの圧倒的な衝撃とともに、体感することができたのだと思う。

エピローグ

「SEMPO」の2008年の初演と2013年の再演とのあいだには、あの2011年の大震災があった。

さまざまな重要なテーマを――「絆」といった、あれ以降一種の流行語になってしまった言葉とともに――いたずらに東日本大震災と結びつけて語ろうとする潮流には、私は与したくない。

――しかし、この「SEMPO」再演の舞台を観ながら、私は改めて――以前にこのブログの記事にも書いたことだが――あの災厄の直後、ワシントンD.C.のホロコースト博物館を訪れたときの記憶を思い返さざるをえなかった。

苦難の中にある人びとへの共感――といった月並みな表現では、その記憶の意味はとても語りつくせない。

苦難の中にあるのは、過去や遠い場所にいる見知らぬ人びとばかりではなく、まさに「今、ここ」にいる、この私自身でもあるのではないか――

主演の吉川晃司が、東日本大震災の被災者たちを「SEMPO」に招待したというエピソードも、そのような思いこそがもたらしたものだったのではないか――

そこにあるのは、自らを含む人間の有限性 (弱さや愚かさや哀しみ) を徹底して見据えつつも、それを諦念やシニシズムではなく、むしろ人間への限りない希望につなげようとする意志である。

その意志こそが、時間の流れを超えて、杉原千畝を、中島みゆきを、「SEMPO」に関わったすべての人びとを、そして客席にいた私たちを、遥かにつないでいるのだ。

「『夜会』工場」Vol.1

 

しばらく前からでじなみ・なみふくで予告されていた、今秋からの「夜会ガラコンサート」の正式タイトルと日程・会場が発表され、FC先行予約もスタートした。

「『夜会』工場」Vol.1――

「工場」という言葉の意味といい、二重鍵括弧の使い方といい、”Vol.1″ がシリーズ化を意味するのかどうかという点といい、さまざまに想像をそそられるタイトルではある。

 

しかしまずは、チケット取りの算段をしなければならない。

4都市12公演という公演数の少なさに加え、東京・大阪の会場が、これまで夜会が上演されてきた小ホール (赤坂ACTシアター・シアターbrava!) であること、さらには金・土を多く含む遠征者に優しい(?)日程であること等々、多くの要因から、今回はこれまでにも増して、チケット争奪戦の激しさが予想されるからである。

それはさておき――

オペラやミュージカルでいうところの「ガラコンサート」というのは、典型的なイメージとしては、複数の出演者が、それぞれの得意とする持ち歌――オペラであれば有名なアリア――を歌うオムニバス形式のコンサート、といったものだろう。コンサート形式である以上、個々の演目のストーリーに沿った演出や舞台装置の再現などはなされないのがふつうだ。

しかしながら、ちょっと検索してみたところ、たとえば、2012年に3回目の公演を迎えたという宝塚歌劇の「エリザベート ガラ・コンサート」についての記事には、「回を重ねるごとに衣装が加わり、演技に厚みが加わり、より本公演に近いスタイルに」なってきた、という記述がある。

こうした例をみると、ガラコンサートと本公演との境界は、必ずしも明確ではないのかもしれない。

 

――とはいえ、中島みゆきの夜会の場合、これまで17回の公演の蓄積があり、それらを踏まえての初めてのガラコンサートである以上、「エリザベート ガラ・コンサート」のような特定の演目の再現ではなく、複数の演目から、さまざまな楽曲を選んで歌う、という形式になるのは、まず間違いないだろう。

コンサートツアーで夜会曲が歌われた例はすでに少なくないし、アルバムでの夜会曲のオムニバスは、1995年の「10WINGS」以来、数作がすでにリリースされている。

その上で、「『夜会』工場」と題して、新形式のライヴを上演するからには、そうした既存の作品にはない新しい「何か」を、中島みゆきは呈示してくるはずだ。

何よりも注目されるのは――曲目や共演者もさることながら――個々の楽曲に、どのような新たな演出が――新たな文脈が――与えられるのか、ということである。

個々の楽曲は、いわばこれまでの夜会のさまざまな演目という「完成品」の中に、その構成要素として組み込まれてきた「原料」あるいは「素材」である。それらがかつての文脈から自由に解き放たれることで、どのような新たな生命を吹き込まれ、新たな世界観を提示してくれるのか――

それこそが、「工場」見学の最大の楽しみとなることだろう。

4分の3拍子の子守歌

一般に4分の4拍子の曲が大多数を占めるポピュラーソングの世界の中で、中島みゆきほど4分の3拍子を――ほとんど偏愛していると言っていいほどに――多く書いてきたソングライターも珍しいのではないだろうか。

たとえば、これまで39枚のオリジナルアルバムのラスト曲のうち実に8曲――「時は流れて」「断崖―親愛なる者へ―」「かもめの歌」「人待ち歌」「思い出だけではつらすぎる」「ララバイSINGER」「走」「月はそこにいる」――が、4分の3拍子である。

ただし、「断崖―親愛なる者へ―」は途中から4分の4拍子に変わる。このことについては、後で触れる。

ここで、他のアーティストとの比較の上での統計的データを示すことまではできないが、アルバムのラストという重要な位置づけを与えられた曲での2割強という比率は、明らかに高いと言っていいように思う。

一方、他の歌手への提供曲でも、研ナオコの「あばよ」と加藤登紀子の「この空を飛べたら」という、初期の提供曲を代表する2つのヒット曲があり、また最近では、まだ記憶に新しい『縁会2012~3』の大阪フェスティバルホールでの追加公演で、ゲストの中島美嘉が歌った「愛詞」もまた4分の3拍子だった。

子守歌のリズム

そのツアー『縁会2012~3』の曲目の中でも、個人的にとりわけ懐かしく、聴くたびに胸を衝かれたのが、「泣きたい夜に」である。

1980年のアルバム『生きていてもいいですか』は、私が中島みゆきファンになりたての頃、初めて買ったアルバムだった。

その2曲目――あの「うらみ・ます」の慟哭を粛然として聴き終えた後――郷愁を誘うようなカントリー調のアレンジをバックに、「暗い時代を泳ぐひな魚」に向けて優しく優しく歌われるこの子守歌に聴き入るとき、まだ若かったその頃の私はいつも、自らを「ひな魚」になぞらえつつ、「私の胸においで」と歌う彼女の歌声に心を抱き取られていた。

子供の頃に好きだった歌の名前を言ってごらん
腕の中できかせてあげよう 心が眠るまで

現実のすべての悲しみや苦しみを忘れさせ、幼い日のやすらぎに満ちた眠りへと誘う子守歌――それは、揺り籠を優しく揺らすような4分の3拍子でなければならなかったのだと思う。

――4分の3拍子の子守歌。

「アザミ嬢のララバイ」でデビューして以来、中島みゆきは繰り返しそれを歌ってきた。

上記の「泣きたい夜に」や、2007年のツアーで「アザミ嬢のララバイ」へとつながる絶妙なメドレーで歌われた「ララバイSINGER」――それ自体、自らのデビュー曲へのアンサーソングでもある――のような、明示的で典型的な子守歌のことだけを言っているのではない。

中島みゆきにおいては、いわば歌詞の内容以前に、4分の3拍子のリズムそのものが「子守歌」の役割を果たしてきたのではないか――聴く者の心を、この「現実」の時間の流れから解き放ち、「夢」に象徴される、もうひとつの時間の流れへと誘うという意味で。

たとえば――

これもまだ記憶に新しい、夜会『2/2』の再々演VOL.17の大詰めで、ヒロイン梨花に (彼女が生まれる前に世を去った) 姉・茉莉が歌いかける「幸せになりなさい」――そして、それにかぶせるように、彼女を「古い記憶」の呪縛から救い出そうとして駆けつけた恋人・圭が歌う「旅人よ我に帰れ」。

この重唱は、梨花をこれまでの「現実」の時間から解放し、茉莉の存在する過去――あるいは異界――への遡行を経由して、新たな未来への転生へと誘うという意味で、やはりひとつの「子守歌」だったのではないか、と思う。

あるいは、最近の2枚のアルバム『荒野より』『常夜灯』のラスト曲である、「走」と「月はそこにいる」――後者は言うまでもなく、ツアー『縁会2012~3』の本編ラストでもあった――の2曲もまた、「現実」の時間からの離脱あるいは浮揚を誘う歌である。

どこまでもどこまでも続く「荒野」としての、あるいは「日々の始末に汲汲として」閉じてゆく1日の繰り返しとしての、この「現実」の生の時間を俯瞰し、過去から未来へと茫々と流れる「時」を見晴るかすことのできる、遥かな高みへの浮揚。

「夢」から「現実」へ

――しかしながら、「現実」の時間からの離脱あるいは浮揚は、当然のことながら永遠にはつづかない。私たちは、その束の間の「夢」のような時間を経て、また「現実」の時間へと戻ってゆくほかはない。

(このような図式を一般化することの危険性をあえて承知の上で言えば、ポピュラーソングの世界のマジョリティである) 4分の4拍子とは、中島みゆきにとって、その「現実」の時間を刻むリズムだったのではないか。

4分の3拍子と4分の4拍子、「夢」と「現実」という対比――

この対比の意味に――半ば無意識のうちに――最初に気づかされたのは、彼女の5枚目のアルバムのラスト曲、「断崖―親愛なる者へ―」を聴いたときのことだったと思う。

扉をあけて 出てくる人は
誰も今しも 旅に出る仕度、意気も高く

――「意気も高く」のところで曲は、それまでの伸びやかに踊るような4分の3拍子から、激しく疾走する4分の4拍子に、一瞬で切り替わる。この鮮やかな転換は、初めてこの曲を聴いた時から――そして何度聴きかえしても――とても印象的だった。

1984年のスペシャルコンサート「月光の宴」のラストでこの曲を歌ったとき、中島みゆきは4分の3拍子の前半部は歌わず、その代わりに、アルバムにはない――詞・曲ともオリジナルの――導入部から歌いはじめた。

ここから出て行きゃ あんたも現実
あたしも化粧を落とせば現実
だけど会えたよね 確かに見たよね
覚えてておくれよ

――それは、コンサートという束の間の「夢」の時間を共有し、そして「現実」の時間へと帰ってゆく客席の私たちへの、彼女からのエールだった。

4分の3拍子と4分の4拍子の対比を鮮やかに示しているもうひとつの曲が、夜会『ウィンター・ガーデン』の終盤で歌われる「六花」である。

六花の雪よ 降り積もれよ
すべてを包んで 降り積もれよ

初演VOL.11での、降り積もる雪がすべての痛みと哀しみとを癒し鎮めてくれることを祈りながら、〈女〉と〈犬〉とが互いに向けて歌う子守歌のような4分の3拍子。

しかし再演VOL.12では、〈犬〉は、自らの前生と同じ愛憎の悲劇へと〈女〉を導こうとする絶望的な運命に必死に抗い叫ぶかのように、激しく疾走する4分の4拍子のロックのアレンジでこの曲を歌う。

 

――もちろん、「夢」から「現実」への帰還とは、「夢」を否定し、かつてと同じ「現実」に舞い戻るという意味ではない。

むしろ「夢」の時間を経ることではじめて、中島みゆきの歌の主人公たちも、そして客席の私たちも、かつてとは異なる新たな「現実」へと転生することができる――

中島みゆきの4分の3拍子とは、その転生へと至るための「夢」の時間のリズムなのだ。

「縁会2012~3」追加公演

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新生フェスティバルホール

2013年5月23日、新生・大阪フェスティバルホールでの「縁会」追加公演。チケット確保は予想以上に困難を極めたが、直前になってようやく、幸運にも手にすることができた――涙をのんだ多くの友人、知人たちに対して、少々うしろめたい気持ちさえ抱きながら。

当日は初夏を思わせる快晴のもと、これまで何度も歩き慣れた中之島の土佐堀川沿いの道を、これまでとはまた異なる新たな期待を胸に、新しいホールへと足を運んだ。

かつてのフェスティバルホール側面を飾ったレリーフ「牧神、音楽を楽しむの図」が再現されているのも、うれしく懐かしい。

関西出身・在住の私にとって、フェスティバルホールは、若い頃から (クラシックなどの公演も含めて) なじんできた、ホームグラウンドとでもいうべきホールだ。1984年秋の「月光の宴」から2007年のツアーまで、2回の「歌暦」と夜会を除くほとんどの中島みゆきのコンサートを、私はこのホールで聴いた。

1990年代以降、パソコン通信への参加をきっかけに、多くのファン仲間の誘惑に負けて「追っかけ」の真似ごとをしはじめてからは、東京や各地方の多くのホールにもずいぶん遠征したが、そうすればするほどかえってフェスティバルホールは、帰るべき場所――最も無心な状態で、彼女の歌に浸りきれる場所――としての懐かしさを増していったような気がした。

 

そのフェスティバルホールが改築されることが明らかになったとき、別れの寂しさと、新しいホールへの期待と不安とがないまぜになった気持ちを味わったのは、おそらく私だけではないだろう。

そうした気持ちは、私のような1オーディエンスなどよりも、このホールのステージに登場してきたアーティストたちにとってはなおさらのことだったようで、中島みゆきを含む4人のアーティストが新生フェスティバルホールに寄せたメッセージ (『朝日新聞』2013年4月4日付記事) からも、それはよくうかがわれる。

 

――しかし、新しいホールのエントランスにはじめて足を踏み入れた瞬間、 (やはり上記記事のアーティストたちも語っているように) なんともいえない懐かしさが、私の身を包んだ。

かつてこのホールで何度も味わってきた、開演前から胸に高まる期待を優しく受け止めてくれるような独特の空気感が、よみがえってくる。

その空気感を味わいながら、開場前の短い時間、同じく幸運にもこの追加公演に来ることのできた少数の友人たちと、ホール2階のビヤホールでささやかな祝杯をあげた。

「縁会」の大団円

さて、前置きがずいぶん長くなってしまった。

座席につき、前後左右、そして上方を見回してみる。3階まで満席のホール内――その内装のデザインや色調は当然新しくなっているのだが、その空気感は、やはり上記の第一印象を裏切らない。

――やがて客電が落ち、「空と君のあいだに」のイントロが静かに流れ、石橋尚子のヴァイオリンが、この曲のサビの旋律をゆったりと奏ではじめる。それは、これまで3回経験したこのツアーのオープニングと音楽的にはまったく同じであるはずなのだが、しかし、やはり何かが違う。

2月の本来の千秋楽から3ヶ月を隔てて、1日だけの追加公演という異例のスケジュールということも相まってか、PAのバランスも、また中島みゆき自身の声の調子も、出だしは必ずしも万全ではないように聴こえた――しかし、そんなことはすぐに、まったく問題ではなくなった。

生命力溢れるリズムを叩き出す島村英二のドラムをはじめとして、ミュージシャンたちの伸びやかで力強く、かつ繊細な演奏もさることながら、やはり何といっても、ツアーの大団円に向けて、思いのたけのすべてをほとばしらせるかのような中島みゆきのヴォーカルが、胸を熱くする。

――たとえば、「化粧」のラストの激しい慟哭、「過ぎゆく夏」のサビの素晴らしい疾走感と昂揚感。

あるいはがらりと趣を変えて、第2幕前半の「夜」のムードの3曲――「真直な線」「常夜灯」「悲しいことはいつもある」――での、この上なく繊細でアンニュイな声の表情の魅力。そしていうまでもなく、本編ラスト4曲――「時代」「倒木の敗者復活戦」「世情」「月はそこにいる」での、遥かな時の流れに寄せる、祈りにも似た深く熱い想い。

それらは、過去3回の公演での表現と基本的に違いはないはずなのだが、ただそれらのすべての表現の幅、あるいはダイナミックレンジが極限にまで拡大され、客席に押し寄せてくるのだ。

 

異例の追加公演ならではのサプライズは、2回だけあった。

1回目は、第1幕ラストの「風の笛」の前のMC。中島みゆきは上記の記事が載った新聞をスタッフから受け取り、 (まるでオールナイトニッポンの葉書を読むかのようなコミカルで巧みな表情をつけながら) 自らのメッセージを朗読する――

ただいま。新しいフェスティバルホール。
恐~~いヌシたち、健在。
新しくなろうと何だろうと、フェスティバルは温かい。

――そして、「では、現物をご覧いただきましょう。ヌシのかた、どうぞこちらへ!」と、下手袖から、黒っぽい衣装を着た3人の男性スタッフをステージ中央に呼び出す。その代表者から彼女への「おかえりなさい」という返礼に、大きな拍手がわいた。

 

そして2回目は、大詰め近いアンコールの2曲目「パラダイス・カフェ」のエンディングのあとだった。間髪を入れず、ピアノによる聴きなれない3拍子のイントロが流れだし、周囲の客席から静かなどよめきが起こる――

――前日、5月22日にリリースされたばかりの、中島美嘉への提供曲「愛詞 (あいことば)」。もしやこの歌が曲目に加えられるのではないか、というかすかな予感がなかったわけではないが、実際にそのイントロを耳にした瞬間、やはり私の中に驚きが走った。

やや抑え気味の声で1番を歌い終わった中島みゆきは、舞台下手に向かって右腕を差し伸べる――間奏が流れる中、袖から登場する、黒いワンピースのドレスをまとった小柄で華奢な女性――中島美嘉本人だ。

客席のどよめきはさらに高まって拍手へと変わり、2番からは彼女がソロで、声を振り絞るように歌う――さらにラストのサビでは、中島みゆきが低音部のハーモニーをつける。

このゲスト出演のために仙台からかけつけてきたという中島美嘉のストレートで懸命な熱唱に、彼女の歌を初めてライヴで聴く私は率直に胸を打たれ、客席からはさらに大きな拍手がわいた。

――このサプライズをレポートした記事にもあるように、中島みゆきのコンサートに、他の歌手がゲストとして登場するのは、実に初めてのことだ。

それも、今回はじめて曲の提供を受けた、中島みゆきからみれば娘のような年齢の中島美嘉が――「北のナカジマと南のナカシマ」という準同姓(?)のよしみがあるとはいえ――その記念すべきゲストになったのは、さらなる驚きというほかはない。

 

――このサプライズの余韻、そして今夜の特別なコンサートの余韻、さらには、「縁会」ツアー全体の余韻が重層する中で、終曲のイントロが静かに流れだす。

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夜明けが近づいてくる空を背景に、中島みゆきはこれまでにも増して万感の思いをこめぬいて、「ヘッドライト・テールライト」を歌いきる。

「縁会」ツアーはこの大団円で幕を閉じても、「旅はまだ終わらない」。

この次には、どのような旅の風景の中で、私は中島みゆきと再会できるのだろうか――その時への期待と希望を胸に、私はまた日常の現実へと帰ってゆく。

植山和美 詩と写真展「行ってきます」

1990年代のパソコン通信「歌暦ネット」以来の中島みゆきファン仲間のひとり、植山和美さん (同ネット管理人だった故・植山哲男さんのご夫人でもある) の詩と写真展「行ってきます」が、6月から7月にかけて、川西市と和歌山市で開かれる。

[会期1]
2013年6月17日(月).~22日(土) 11:00~18:00 (最終日は16:00まで)
会場:画廊シャノワール
兵庫県川西市小花1-8-1
072-758-0811
http://chat-noir-asahiya.jimdo.com/

[会期2]
会期:2013年6月26日(水)~7月1日(月) 10:00~18:00  (最終日は16:30 16:00まで)
会場:ギャラリー半田
和歌山県和歌山市本町2-48
073-422-7779

[案内チラシ]

植山和美さんは、故郷・和歌山を拠点に、「いちかわかずみ」という筆名で活動してこられた詩人でもある。上記、詩と写真展の会期中の6月28日に、詩集「アオイカゲ」がリリースされるとのことだ (上記[案内チラシ]も参照)

私は彼女の作品のすべてを知っているわけではないが、詩を読むたびにいつも印象づけられるのは、絶えずうつろいゆく時の流れ――雲の流れ、季節の流れ――を愛おしみ、その流れゆく風景の中に、自らを再発見しつづける視点である。

うつろいゆく時の流れの中で私たちは、「別れと出会いを繰り返し」つづけるほかはない。そして――前の記事「『時代』という曲」に書いたこととも重なるが――およそ私たちが年齢を重ねるにつれて、「別れ」の記憶がしだいに比重を増していくのもまた、必然的なことだ。

――そのことも含めて、時の流れそのものを愛おしむ視点。

それこそは、中島みゆきに寄せる私たちの共感と、それに基づく「縁」との、ひとつの原点でもありつづけてきたのではないだろうか。

今回の詩と写真展が、その「縁」を結びなおし、また広げる貴重な機会になれば、と思う。