神話の解凍――『ウィンター・ガーデン』再考

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「神話する身体」

少々季節外れの話題になってしまうが、先日たまたま今年度の某国立大学の入試 (二次試験) の国語の問題を見ていて、能楽師・安田登氏の「神話する身体」という文章が目にとまり、とても興味深く読んだ。

出題部分を要約すると、おおむね次のような内容である。

新劇の人と一緒にやっていると、能との相違点の多さに驚く。

能の稽古の基本は「マネをする」ということで、メソッドは特にない。

それに対して近代演劇はさまざまなメソッドを生み出した。たとえばメソッド演技というものがある。悲しい場面の演技では、自分の体験の中から悲しい出来事を思い出し、これがうまくいくと本当に涙が流れたりする。

ただし、このメソッドには欠点がある。それは、役者の人生経験が演技の質を左右し、自分の人生経験以上の演技はできないということだ。

能では、稽古でも本番でも、解釈したり気持ちを入れたりはせずに、ただ稽古された通りの型を忠実になぞる。

が、師伝のとおりちゃんとできると、お客さんはそこに立ちあがってくる「何ともいえない感情」に心動かされる。それは、いわゆる演劇的な感情表現ではない。

[人間の] 「ココロ」の特徴は「変化すること」だ。昨日はあの人が好きだったというココロが、今日は違う人に移っている。しかし、能で立ち上がってくる感情は、そのようなころころ変化するココロではない。

対象がある「ココロ」は変化するが、そのココロを生み出す「思ひ」は変化しない。能で立ち上がってくるのは、この「思ひ」だ。

「思ひ」は演者の個人的な体験などは優に超越している。それが型によって実現される。

古人は舞や謡の「型」の中に、言葉にはできない「思ひ」を封じ込めて冷凍保存した。それは私たちの身体に眠る神話そのものである。神話というアイコンは、身体によるクリックを待っている。舞歌とは、その神話を目覚めさせ、解凍する作業である。

いささか長い紹介になってしまったが、中島みゆきの夜会VOL.11/12「ウィンター・ガーデン」 (2000年/2002年) の舞台に接したファンの方なら、私がこの文章に強い興味をひかれた理由を、直感していただけるのではないだろうか。

「ウィンター・ガーデン」では、その物語の舞台である、凍原に立つ GLASSHOUSE ――その傍らに立ち、そこに暮らした者たちをじっと見つめつづけてきた槲の〈樹〉の役を、能楽師/能役者が演じた (VOL.11では佐野登/波吉雅之/渡邊他賀男のトリプルキャスト、VOL.12では佐野登)

ちなみに、上記の文章の著者、安田登氏は、少し検索してみると、佐野登氏や波吉雅之氏とも何度か同じ舞台に立っているようだ。

私は、能――に限らず、日本の古典芸能一般――に関しては、恥ずかしながらまったく不案内な人間である。

また、中島みゆきが、『ウィンター・ガーデン』の上演当時のインタビュー等で、能楽師/能役者を共演者に招いた理由や意味について何か語っていたのかどうか、私は寡聞にして知らない。

が、上記の文章は、その理由や意味を考えるうえで、きわめて重大なヒントを与えてくれるような気がする。

この記事では、そのことを手掛かりにしつつ、『ウィンター・ガーデン』の舞台の記憶を辿りながら、上演から早や10年ほどが経つこの夜会の意味について再考してみたい。

 

「自然」と人間の生

『ウィンター・ガーデン』は、これまで16回にわたって上演されてきた夜会の中でも、おそらく最も特異で実験的な舞台である。

  • 台詞に代えて、約50篇もの詩を用いた朗読劇というスタイル
  • 中島みゆきが、普通の意味での物語の主役である〈女〉ではなく、最初は脇役のようにもみえる〈犬〉を演じたこと
  • そして上述のとおり、能楽師/能役者が共演者として招かれ、〈樹〉としてキャスティングされたこと

以上の3点だけをみても、他の14回の夜会には例をみず、この舞台の特異性が明らかに際立つ。

しかもVOL.11/12は、DVD「夜会の軌跡」に収録された数曲を除き映像化されていない。唯一の公式資料である詩詞集『ウィンター・ガーデン』 (幻冬舎) という手掛かりはあるにせよ、直接に舞台を観た者でなければ、きわめて全貌がつかみにくい。その意味でも、謎や神秘に包まれた夜会でありつづけている。

 

しかしそうした特異性の一方で、VOL.11/12『ウィンター・ガーデン』は、 それにつづくVOL.13/14『24時着0/00時発』、 VOL.15/16『~夜物語~元祖/本家・今晩屋』とともに、 明らかに「転生」を中心的なモチーフとした三部作をなしている。その三部作の劈頭をなすという意味でも、『ウィンター・ガーデン』はきわめて重要な作品なのである。

私自身は、VOL.11, 12 それぞれ1回ずつの観賞をしただけであり、10年ほど前のことでもあるので、舞台の細部の記憶は必ずしも鮮明ではない。しかし、その舞台から――とりわけ、初演のVOL.11で――受けた衝撃の核心部分は、今でも色褪せることなく、私の記憶の深層に響きつづけているように思う。

それは、人間の存在の意味が、そのすべてを無に帰すかのような圧倒的な自然――雪と氷におおいつくされた白色と透明の世界――の中で、根底から揺さぶられ、問い直されるという体験がもたらす衝撃である。

 

勤め先の漁協の金を横領し、北限の荒野に立つ GLASSHOUSE を手に入れて、そこでひとり暮らしながら、道ならぬ恋の相手である義兄――姉の夫――がやってくるのを待つ〈女〉 (VOL.11では谷山浩子、VOL.12では香坂千晶)

その GLASSHOUSE で〈女〉を出迎える、先住者の〈犬〉 (中島みゆき) ――かつて GLASSHOUSE の持ち主であった既婚男性とやはり道ならぬ恋に走り、その地を訪れて湖で命を落とした「愛人」の転生した姿である〈犬〉は、前生の記憶を失いながらも、ずっとそこで「誰か」を待ちつづけている。

――彼女たちの愛も哀しみも、希望も絶望も、人間としての心と記憶のすべては、時の流れとともに、雪と氷の世界、白色と透明の世界の中に吸い込まれ、「過去」という透明な層の中に沈んでゆく。

かつて GLASSHOUSE の持ち主が妻に殺害される(?)という惨劇のあった1階が、今は凍原の地下に沈んでいることに象徴されるように、この世界では、「過去」という時間の層は、地上に対する「地下」――地上からは隠された、目に見えぬ場所――という空間的層として沈下し、堆積してゆくのだ。

 

過去を地下へと堆積させてゆく、悠久の「自然」の営み――

その「自然」のいわば代弁者として、繰り返す季節と時の流れの中で、変転してゆく人間の生をその傍らからじっと見つめつづけ、記憶しつづける役目を果たしてきたのが、槲の〈樹〉である。

この「樹」の視点――それは「自然」の視点でもある――は、終盤で朗読される詩「空からアスピリン」に、とりわけ集約的に表現されている。

この辺りでは 空からアスピリンが降るので
すべての痛みの上に アスピリンが降るので
山も谷も真っ白に掻き消されて
……
一生は本当だったのか 嘘だったのか 何があったのか 何もなかったのか
なんにもわからなくなる
……
何を哀しんでいたのだろう 何を痛んでいたのだろう

この辺りでは 空からアスピリンが降りしきるので
すべての痛みの上に アスピリンが降りしきるので

変わりゆく人間の心が生み出す哀しみも痛みも、そしてその繰り返しとしての一生も、すべてを癒し鎮めるアスピリン――純白の一面の雪によって浄化され、忘却されてゆく。

能楽師・佐野登による朗読――VOL.11を私が観賞したのは千秋楽で、その公演での〈樹〉のキャストは、VOL.12と同じく佐野氏であった――は、一切の演劇的感情移入を排して客観的に、ゆっくりと穏やかに、この詩を語ってゆく。

そしてそれゆえにこそ、この詩は限りないやすらぎと優しさをもって、私の胸の奥底に響いた。

ちなみにこの詩を〈樹)が朗読するのは、VOL.11では〈犬〉の前生の記憶――湖で最期を遂げるまで――が再現され、中島みゆきと谷山浩子のデュエットで「記憶」が歌われた後である。

しかし再演のVOL.12では、この詩はより終盤、〈女〉が義兄から電話で別れを告げられ、グラスハウスが氷の中に沈んでゆく場面、中島みゆきが義兄の視点で歌う新曲「氷を踏んで」につづき、ロックバージョンにリアレンジされた「六花」を歌った後に移されている。

VOL.11とVOL.12の差異について論じるとあまりに煩雑になるので、その詳細についてはこの記事では省略するが、この「空からアスピリン」の位置づけの変更に関しては、明らかにこの詩の意味――雪という「自然」による、哀しみや痛みの浄化――が、物語全体の中でより重きをなすように意図されている、とみることができる。

この詩の意味が、さらに終盤で歌われる「粉雪は忘れ薬」によって、反復・強調されていることは、言うまでもない。

 

空からの/空への「透きとおった手紙」

前節で述べたように、『ウィンター・ガーデン』の世界では、「過去」という時間的層は、「地下」という空間的層として表象されている。

だとすれば「未来」は――そう、地下とは逆の垂直軸の上方、「天空」として表象されるのだ。

 

『ウィンター・ガーデン』の物語は、通常の意味では――〈女〉にとっても〈犬〉にとっても――決してハッピーエンドの物語ではない。

彼女たちの望みが現生で叶えられることは決してない――〈女〉がグラスハウスで待ちつづけた義兄は決してそこを訪れることはなく、すべての過去を記録した帳簿を持ち出し、自らの罪を暴露しつつ彼に復讐を遂げようという絶望的な試みも成就することはなく、結局彼女は、〈犬〉の前生と同じ運命――雪と氷の世界の中で最期を遂げるという運命――を辿ることになる。

しかし、『ウィンター・ガーデン』は――『24時着0時発』や『今晩屋』とまったく同じく――最終的には、「救済」の物語である。

ここで救済されるのは――冒頭の文章での安田登氏の言葉を借りれば――対象によって変わってゆく人間の心ではなく、その心を生み出す根源にあるものとしての、変わることのない「思い」である。

そしてこの救済は、垂直軸の上方としての「未来」=「天空」の方向から、もたらされる。

VOL.11での、〈犬〉が天使の階段を登ってゆこうとしながら「粉雪は忘れ薬」を歌うラストシーンは、VOL.12では、〈犬〉と〈女〉が天空近くの槲の樹の枝に腰掛け、手を携えて「記憶」を歌うラストシーンへと変更されていたが、いずれにせよ、天空からもたらされる救済という結論を強調していることには変わりはない。

 

この天空と地上――未来と現在――とをつなぐメディアは、「雪」である。

「雪」は「自然」の使者として、人間のすべての哀しみと痛みを鎮め浄化する「アスピリン」、「忘れ薬」として、この地上に降り積もる――それはすでにみたとおりだ。

しかし、それと同時に「雪」は――中島みゆきが詩詞集『ウィンター・ガーデン』の「まえがき」で、物理学者・中谷宇吉郎博士の言葉を引用して述べているとおり――「天から送られた手紙」でもある。

広い空の上では 手紙がつづられる
透きとおる便箋は 六つの花びらの花

「六花」のこの詩節で歌われる「透きとおる便箋」としての「雪」のイメージは、さらに (VOL.12では終曲となった) 「記憶」の最も印象的な次の詩節へとつながってゆく。

1人で生まれた日に 誰もが掌に握っていた
未来は透きとおって 見分けのつかない手紙だ

――もちろん「記憶」では、直接に「雪」のイメージが歌われているわけではない。しかし、ここで歌われる「未来」という「透きとおった手紙」が、「雪」という「天から送られた手紙」の、より純化されたイメージであることは明らかだろう。

地上と天空――現在と未来――とを往還する、この「透きとおった手紙」に書かれているのは――再び、安田氏の言葉を借りれば――変わりゆく人間の「心」の根源にあるものとしての、変わることのない、そして言葉にはならない「思い」である。

だからこそ、その手紙の文面は「透きとおって」読み取ることができないのだ。

 

それらの「思い」の基層は、過去の中にある。

「記憶」に歌われているとおり、人間は、過去/前生の記憶を忘却するほかはない。

しかし、忘却するということは、消滅するということではない。変わりゆく「心」は消滅したかにみえても、その根源にあった、変わらぬ「思い」は消滅しない。

『ウィンター・ガーデン』の舞台が、水の上、あるいは氷の上に浮かぶ湿原に設定されている理由は、ここにある。地下に沈んでゆく過去の層は、しかし永遠に光の届かない暗黒の中にではなく、水/氷の透明な層の中で、いつか再び、光を当てられる日を待っている。

――「大切なものから順にみんな 氷室に隠されてしまう」 (「氷室守」) としても、氷室に隠された「大切なもの」はいつか再び必ず、氷室守の手によって明るみに出される時を待っているのだ。

だからこそ、「転生」は「救済」へとつながってゆくことができる――

 

「空鏡」に映るもの

以上のように『ウィンター・ガーデン』を振り返ってみれば、この記事の冒頭で触れた問い――中島みゆきがこの舞台の共演者として、能楽師/能役者を招いた理由や意味――も、すでに明らかだろう。

「転生」と「救済」の物語としての夜会――この2つのモチーフは、VOL.10以前の夜会でもたびたび予示されてはいたが、VOL.11以降、中心テーマとしてはっきりと前面に出ることになる――を紡いでゆくためには、演者個人の人生経験に制約された演劇的表現だけでは不十分だった。

――そのためには、個人の人生経験を超えた表現、すなわち変わってゆく心の基層にある、変わることのない「思い」を表現しうる形式が必要だった。

そのような表現形式として選ばれたのが、「能」だった――ということだ。

『ウィンター・ガーデン』でこの挑戦に成功することによって、中島みゆきは、「24時着0時発」を経て「今晩屋」へとつづく、「転生」と「救済」の物語をスタートさせることができた――とみることができるかもしれない。

 

VOL.16までの夜会を観た現在の視点から振り返ってみると、改めてクローズアップされてくるのは、『ウィンター・ガーデン』の基本的な世界観を表現する詩である「凍原楼閣」、とりわけ次の詩節である。

そびえるのは空鏡
望みの意味を解き明かす

この詩は、VOL.11の舞台では朗読されることなく――同じ題名のインストルメンタル曲として演奏されはしたが――公演パンフレットの最後に、第50番目の詩として収録されていた。が、VOL.12では歌詞付きの曲として、杉本和世によって歌われた。この歌唱での、とりわけ「空鏡」の部分の透きとおるような高音は、今も私の耳にはっきりと残っている。

すでにみたように、『ウィンター・ガーデン』における「空」とは、「未来」の表象である。

「未来」へと向けられた人間のすべての「望み」の意味を解き明かす「空鏡」――このイメージは、「今晩屋」の終曲「天鏡」に、直接につながってゆく。

その鏡は 人の手には 触れることの叶わぬもの
その鏡は 空の彼方 遥か彼方
涙を湛えた瞳だ

人の手が触れることの叶わぬ、空の遥か彼方にある「鏡」――

――「神話」とは、その「鏡」に映し出される、世界の始原から遥かな未来へとつながる永遠の旅路を、そしてその中で無限に受け継がれてゆく「思い」を、紡ぎつづける物語である。

『ウィンター・ガーデン』は、そのような意味での「神話」を解凍し、夜会という形式を借りて、この現代によみがえらせたのだ。

NOW それはやがての日ではなく

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東日本を大震災が襲った3月11日(金)の2日後、海外出張に発った。

成田乗継便だったので、運行情報を航空会社のサイトで何度もチェックしつつ、その一方で、この未曾有の大災厄の全貌が未だ見えない、歯痒く、後ろ髪を引かれるような思いの中で、私は日本を離れた。

出張先のワシントンD.C.は、私にとって初めて訪れる地だ。

ホテルに帰ってTVをつけると、ニュース専門チャンネルCNNでは、連日、ほとんど日本の震災とそれにともなう原発事故のニュースのみが流れている。

遥かな異国の地から、故国の災厄が少しずつ全貌を現し始めるのを眺めている、隔靴掻痒の感覚――

 

ワシントンD.C.はいうまでもなく、アメリカ合衆国の政治の中心地であるが、それと同時に、この国のアイデンティティの根幹をなすものとしての、戦争の記憶――あるいは「慰霊」――の中心地でもあることを、市内を散策するたびに何度も痛感させられた。

ワシントン記念塔――その真北にはホワイトハウスがある――のすぐ西隣には、第二次世界大戦記念碑 (写真上) があり、その入り口には、つねに星条旗の半旗が掲げられている。

さらにその西側には、広大な緑地の中に、朝鮮戦争戦没者慰霊碑、ベトナム戦争戦没者慰霊碑 (写真下) が並ぶ。ベトナム戦争戦没者慰霊碑は、黒い花崗岩の壁一面に、戦没者たち一人ひとりの名が刻まれている。私が訪れた平日にも、戦没者の遺族なのだろうか、供花と手紙を手向ける人びとが絶えなかった。

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ワシントンD.C.滞在の最終日、ホロコースト記念博物館を訪れた。

ここは、20世紀に人間が引き起こした最も巨大な災厄のひとつを記録し、記憶するための場所である。館内吹き抜けのホールの壁面 (記事冒頭の写真) には、

あたながたは私の目撃者である

との言葉がある (『旧約聖書』イザヤ書43章10節より)

この場所を訪れるという経験が私たちにとってもつ意味を、この言葉はあまりにもシンプルかつ的確に語っている。

この博物館の展示内容の詳細について、ここは記すべき場ではない。いやそれ以前に、私の拙い言葉では、ここで観たものの意味を語り尽くすことは、とてもできない。

ただ、展示の最後の部分には、ホロコーストからユダヤ人を救った人々の一人として、日本の外交官、杉原千畝の名が、写真とともに掲げられていることだけを、ここでは記しておこう。

彼を主人公としたミュージカル「SEMPO」に中島みゆきが提供し、アルバム「DRAMA!」に収録された6曲の中でも、そのラストを飾った「NOW」を、私はこのとき繰り返し心の中で聴いた。

今 ここは過去も未来もない
煩いを捨て 企みを捨て
我等は何を見つめるだろう
今 ここは過去と未来つなぐ
Rigth NOW
Right NOW

時代と国の隔たりを超えて――

同じく無力で有限の存在のひとりでありながら、巨大な災厄に立ち向かう勇気をもちえた人間――それも、私たちと故国を同じくする人間――が存在したこと。

そしてそのことが、今も私たちにとって、限りない勇気の源泉となりうるということ――

異国の地から災厄の只中にある故国に思いを馳せつつ、そんなことをずっと考えつづけていた。

生まれてくれて Welcome

そうねぇ、あたしは時間ってのが好きなんだよね
一緒にいるって感じたり、ずうっと先へ行くのを追ったり、ひょいと後ろに見つけたり、
いろんなことを壊してくれたり 癒してくれたりする 透明なそいつを
あたしは そりゃもう相当慕ってる
それであたしはときどきすごく老けてみたり
ときどき有史以前に戻ってしまったりする
1日が24時間、地球が1万年で1転すれば1日は1万年さ
君は何年生きていますか
あたし、他人を喜べる数で 時を数えたい

1990年のアルバム「夜を往け」の ファーストプレス特典(?)の附録冊子に、中島みゆきの手書き文字で書かれていたメッセージである。

中島みゆきにとって「時間」というテーマがもつ重要性は、彼女を長年フォローしてきたファンには――またとりわけ、「夜会」の舞台に接してきたファンには――改めて強調するまでもないだろう。

「すごく老けてみた」姿は、たとえば夜会VOL.3「邯鄲」で、「傾斜」「殺してしまおう」「雪」を歌う老婆に扮した彼女。

「有史以前に戻ってしまった」姿は、たとえば「昔から雨が降ってくる」で、 「大きな恐竜」と「小さな恐竜」とが「同じ雨にうなだれたのだろうか」と、人類の誕生以前の遥かな過去に思いを馳せる彼女。

あるいは、まだ記憶に新しいTOUR2010第2幕の冒頭で、不思議な巨大な鳥に扮して、「今ではもうない草原の遥か彼方から/滅びた群れが連なってやってくる」と、「真夜中の動物園」を歌う彼女――

そういえば、鳥類が恐竜の子孫であるという、近年有力になっている学説を補強する研究が発表されたというニュースもあった。

そうした巨大な時の流れの果て――「新世代沖積世の/巨大に明るい時間の集積」(宮沢賢治「春と修羅」)の上――に、今、私たちはいる。

その悠久の時間の中で、私たちヒトの生は、まさに束の間――「瞬きひとつのあいだの一生」――に過ぎない。

だからこそ――

「同じ時代に生まれてくれてありがとう」 (TOUR2007のMC) 、「私たちはみんな生物 (なまもの) ですから……今日この場所で、お会いできてうれしゅうございました」 (TOUR2010のMC) と、繰り返し彼女は、同じ時空で「出会う」ということののかけがえのなさを、私たちに語ってきたのだと思う。

――と、なんだか大仰なことを書きつらねてしまったが――

今日、2011年2月23日。

中島みゆきが、「嵐明けの如月」 (本当に嵐明けだったかどうかは知らないが) に札幌の地に生を享けてから59年目の日である。

ちなみに、その年、1952年以来、閏年は15回 (1952 / 1956 / 1960 / 1964 / 1968 / 1972 / 1976 / 1980 / 1984 / 1988 / 1992 / 1996 / 2000 / 2004 / 2008) あったので、 日に換算すると、365*59+15=21550日が経ったことになる。

誕生日が祝われるのは、そのヒトがかつてこの世に生を享けたことへの祝福であると同時に、 その誕生のときから現在まで、そして未来へとつづく「時間」への祝福でもあるのだろう。

彼女と同じように、私も「他人を喜べる数で 時を数えたい 」と願いつつ――

みゆきさん、お誕生日おめでとう!

TOUR2010 千秋楽あれこれ

2011年1月26日(水)、神戸国際会館こくさいホールで千秋楽を迎えた、中島みゆきTOUR2010 (~2011)。

その内容的な感想は1つ前の記事に書いたが、この記事では、そちらには書ききれなかったいくつかのことを、思いつくままに記しておきたい。

神戸と「歌暦ネット」の思い出

中島みゆきのツアーの神戸公演に出かけるのは、1990年8月18日の Night Wings ツアー神戸文化大ホール以来、実に20年ぶりのことだ。

この20年前の神戸公演は、私にとっていろんな意味で、非常に思い出深いコンサートである。当時、リリースされたばかりのアルバム「夜を往け」を中心とした内容のインパクトもさることながら、その前年から参加していたパソコン通信「歌暦ネット」のメンバーとともに観た最初のライブだったという点で、私にとって記念すべきコンサートとなった。

若い人には説明が必要かもしれないので少し補足しておくと、インターネットが現在のように普及する以前、1980年代後半から1990年代にかけて、全国には無数の個人運営の――当時「草の根BBS」と呼ばれた――パソコン通信ネットワークが存在した。「歌暦ネット」もそのひとつで、中島みゆきファンのネットワークとしては、さきがけ的な存在であったと思う。

それまで約10年間の孤独なみゆきファン生活から脱し、多くの――それも私以上にコアな(^^;)――ファン仲間たちと知り合い、オフラインミーティング (飲み会) で語り合ったり、ともにライブに出かけるようになったことは、私にとってまさに革命的な出来事だった。

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この神戸公演につづき、その直後、8月20,21日の大阪フェスティバルホールにも参戦、さらには8月31日、沖縄市民会館にまでネットの仲間たちと遠征し、千秋楽を迎えた。

このように、遠隔地も含めて、1つのツアーに複数回出かけるという――「追っかけ」の第一歩ともいうべき――経験も、この時が初めてのことである。

この夏は、そんなこんなで、また個人的には大学院生時代最後の夏休みだったこともあり、いろいろな意味で「熱い」夏として、強く記憶に残っている。

実を言えば、このときの Night Wings ツアーのチケットはいずれも自力では取れず、歌暦ネットの仲間の協力で取ってもらったものだった。

しかしそうした実利的(?)メリットにとどまらず、このときに始まるネットの仲間たちとの交流、彼ら彼女たちから受けたさまざまな刺激や触発を抜きにしては、それ以後現在に至るまで約20年間にわたる、中島みゆきファンとしての充実した日々はありえなかっただろう――

昔語りの前置きが長くなってしまった。

その後、パソコン通信からインターネットへの世代交代とともに歌暦ネットは運営を停止したが、その頃の仲間たちの多くとは、今でも mixi などで連絡を取り合っている。TOUR2010の初日、そして今回の千秋楽でも、何人かの懐かしい仲間たちと再会し、また終演後の飲み会で愉しく語り合うことができた。

ホールにて

さて、今回の TOUR2010 千秋楽は、Night Wings ツアーのときの夏とは打って変わり、六甲颪が吹き降ろす冬の神戸である。

考えてみると、関西人でありながら、仕事以外の目的で神戸市街に出かけるのは、ずいぶん久しぶり――そう、あの1995年の大震災以後、実に初めてのことだったと気づいて、われながら驚いた。

JR三ノ宮駅で新快速を降り、17時ごろ神戸国際会館着。

ふだん、公演パンフレット以外のオリジナルグッズ類はあまり買わないのだが、今回は久々のツアー千秋楽ということもあり、その記念にと思って、開場前販売のコーナーへ向かう。

ところが、お目当てのご当地ピンズはすでに売り切れで(;_;)、オリジナルストラップと歌姫国パスポート (スタンプ用) のみを購入した (この記事冒頭の写真)

ちなみに、後から某掲示板で知ったのだが、開場後のロビーのグッズ売り場には、ご当地ピンズがまだあったとのことで、諦めが良すぎた自分を後悔した。(;_;)

17:45開場後、まずは「おたよりコーナー」の受付へ。

「おたよりコーナー」も、これまでは人の投稿を楽しむだけだったのだが、今回はやはりちょっと気が変わって、初めて自ら投稿することにした。私事を晒すようでお恥ずかしいが、おおよそ次のような内容である。

今回のみゆきさんのツアーに来るのは、初日以来、今日の楽日で2回目です。
せっかく関西公演が9回もあるので、できればもう少し来たかったのですが、
1月中旬に息子の中学受験を控えていたので、このスケジュールになりました。

今から3ヶ月前、ちょうど大阪での初日の頃には、彼の成績ではまだまだ第1志望校は
遠い目標だったので、どんな気持ちで今日の楽日を迎えることになるのか、
はっきり言って不安でした。

そして、ちょうど今から10日前に、第1志望校の合格発表。
息子の受験番号を見つけたときのうれしさは、かつての自分の受験の時以上でした。
こんなに晴れやかな気持でみゆきさんのコンサート、それも楽日に来ることができて、
がんばってくれた息子に「ありがとう!!」と言いたい気持ちでいっぱいです。

幸か不幸か、私のこの「おたより」が採用されることはなかったが、後でみゆき本人が読んでくれるかもしれないと思うと、やはり書いてよかったと思い返したりもする。

みゆき本人もMCで語っていたように、「おたよりコーナー」は、かつてのラジオDJ、オールナイト・ニッポンの再現である。あの番組を聴いていた当時、私自身はすでに大学受験を終えてはいたが、読まれる葉書の多くが受験生からのものだったことを思い出す。

あの頃のリスナーの多くも、私と同じように、もはや子どもが受験を迎えるような年齢になっているかと思うと、感慨深いものがある――というのが、上記のような「おたより」を書くことにした理由、というか言い訳である(^^;)。

千秋楽という祝祭

さて、肝心のコンサートの内容についてだが、前の記事にも書いたとおり、1階4列目センターという席で、正面わずか数メートルの舞台上にいる中島みゆきから放射されてくる強烈なエネルギーに圧倒されっぱなしであり、あまり言葉として書けるような冷静な記憶が残っていないというのが正直なところだ。

とはいえ、舞台と客席とを一体となって包みこむ、千秋楽ならではの祝祭的な興奮の盛り上がりは、やはり期待通り、いや期待以上のものだった。

それは、いつものことながら、シリアスな歌唱と強烈なコントラストをなすコミカルなMCについてもまったく同様で、みゆき曰く、「私の表情がシリアスに見えるのは左右両側の席で、正面の席はお笑い席」なのだそうだが、まさに舞台間近のその「お笑い席」で、十二分に「ジェットコースター」の加速度に振り回される感覚を味わった。(^^;)

 

シリアスな側面については――

とりわけ、「Nobody Is Right」での、冒頭の朗読が始まったとたんに全身に電流が走り、金縛りにあったかのように身動きできなくなるほどの緊張感。

そして、「時代」冒頭の透明なア・カペラから、後半のリフレインへの盛り上がりとともにどこまでも高まってゆく、遥かな高みから自らの生と世界とを俯瞰するかのようなめくるめく感覚――

そういえば、「時代」の直前のMCで、「あなたの人生に」と、みゆきが拍手を贈ってくれたとき、初日(新歌舞伎座)の聴衆は、私も含めて、予期しえなかったことへの驚きと気恥ずかしさからか、すぐに彼女への拍手で応えることしかできなかった。

しかし千秋楽では、みゆきの拍手は上記の「時代」冒頭のア・カペラへと切れ目なくつながり、やがてバックバンドがイントロを奏ではじめると、待ち構えていたかのように、客席からゆっくりと拍手が湧き起こった。感動的な瞬間だった。

このときに限らず、拍手や掛け声のタイミングの良さ、そしてアンコールの「悪女」「たかが愛」でのスタンディング・オベーションに至るまでひしひしと感じられた、舞台と客席との熱い一体感は、やはり千秋楽ならではのものだと思う。

みゆき自身もMCで、「千秋楽はコアなファンの方が多いので、なんだか保護者に見守られてるみたいで緊張するんですけど(笑)」と照れ隠し気味に語っていたが、それも、そうした雰囲気を感じ取ってくれてのことだろう。

これからも「コアなファン」のひとりとして、何度でもまた彼女とめぐりあうことができれば、と強く願った千秋楽であった。

中島みゆき TOUR2010 千秋楽――有限の生命と無限の生

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2011年1月26日(水)、中島みゆきTOUR2010の千秋楽、神戸国際会館での公演を観た。

それから10日ほど経った今、まだその余韻を心に響かせながらも、祭りが終わった後の一抹の寂しさの中にいる。

私にとっては、2010年10月24日(日)、大阪新歌舞伎座での初日から約3ヶ月ぶりのコンサートだった。音楽的内容という点では、初日と基本的な違いはない――その意味では、3ヶ月前に書いたレビューに付け加えるべきことは、あまりないというべきかもしれない。

しかし、個々の音楽的内容云々よりも、ライブという時空に身を置くこと――中島みゆきと私たち聴き手とが、互いに生身の身体を持った存在として、束の間の同じ時間と空間とを共有すること――そのこと自体の意味を、今回の千秋楽ほど痛切に体感させられたコンサートは、いまだかつてなかったように思う。

 

それは個人的な条件としては、席の位置によるところも大きかったのかもしれない。

初日では3階2列目という、舞台の全体を俯瞰するには絶好の――しかし、中島みゆきの表情を見るにはオペラグラスが必須の――席だった。

それに対し楽日では、1階4列目ほぼ中央という、舞台間近の良席。

夜会では何度か最前列に近い席を経験したが、コンサートツアーをこんなに前方の――肉眼で中島みゆきの表情がありのままに見え、肉声が届くほどの――席で観るのは、私にとっては実に初めてのことだ。

そのせいもあってか、このコンサートから受けたインパクトは、なかなか言葉では言い表せない。個々の曲やMC、歌い方や演出がどうこうというよりも、中島みゆきの全身からほとばしり、客席の私に押し寄せてくる「力の波」のごときものに圧倒されつくした記憶ばかりが、今も私の身体の中にある。

そうしたわけで、このツアー楽日の「内容」については、実はあまり書くことがない、というのが正直なところだ。

ここではその代わりに、初日のレビューの補足をも兼ねて、コンサートという場所で中島みゆきと「出逢う」こと――ライブという非日常の時空を、彼女と私たち聴き手とが共有すること――そのこと自体の意味について、少しだけ考えをつづってみたい。

「真夜中の動物園」という舞台

まず、少々細かいことのようだが、初日のレビュー冒頭に記した舞台装置についての記述を訂正しなければならない。

第一幕で、舞台の上方と左右を、ペンキの剥げかけた白い枠が三重に取り囲んでいたのは、前に記したとおりだ。

しかし第二幕の緞帳が上がると、白い枠は二重に減っている。しかも内側の枠は第一幕よりもずっと小さく、舞台奥中央、遠近法の消失点にある出入り口――第二幕冒頭の「真夜中の動物園」で中島みゆきがそこから登場し、ラストの「時代」でそこから去ってゆく出入り口――の枠組を兼ねたものになっている。

この出入り口は、第一幕では――少なくとも私の席から見えた限りでは――存在せず、第二幕で初めて出現するのだ。

ツアーの途中で、このような舞台装置の基本的な構造が変更されたとは考えにくいので、これはおそらく、初日のときに私が、第一幕と第二幕との変化をうかつにも見逃し、両者を一緒くたにして、記憶を再構成してしまっていたということなのだろう。

 

それはともかく――

このペンキの剥げかけた白い枠については、中島みゆき自身がMCで、「忘れられかけた古い動物園」をイメージしたと語っていた。

さらに、第二幕冒頭の「真夜中の動物園」を歌い終えた直後の、「ようこそ、真夜中の動物園へ!」という台詞からしても、今回のツアーの舞台装置全体が意味するものは明らかだろう。

深夜24時の鐘とともに幕が開く「真夜中の動物園」とは――夜会「24時着0時発」のミラージュ・ホテルや廃墟堰、夜会「今晩屋」の縁切り寺や水底の水族館と同様に――この世の時空の外にあり、遥かな過去に別れたはずの者たち――「逢えない相手」――と、再び巡り逢うことのできる場所だ。

その相手がヒトなのかヒトでないのかは、本質的な違いではない――夜会「ウィンター・ガーデン」で中島みゆき自身が演じた犬が、GLASSHOUSEのかつての持ち主を、転生した後もずっと待ちつづけた愛人だったように。

そうした意味で、「真夜中の動物園」とは、この世界に、地球に、生を享けたすべての有限の生命が、無限の生を得て、出逢いなおすことのできる場所なのだ。

「私たちはお互いに生物 (なまもの) ですから」

そうだとすれば、本編ラストの2曲、「鷹の歌」と「時代」との間をつないだMCも、より重層的な意味をもった言葉として響いてくる。

今日はお会いできて、うれしゅうございました。
私たちはお互いに生物 (なまもの) ですから、明日のことはわかりません。
1歳の人も100歳の人も、明日またお会いできるかどうか、それは誰にもわかりません。
でも、だからこそ、今日のこのひと時、お会いできてうれしゅうございました。
私から、あなたの人生に、拍手を送らせてください――

舞台上の中島みゆきも、ミュージシャンたちも、舞台裏のスタッフたちも、そして客席にいる私たちも――すべて生身の身体をもった生物 (なまもの=せいぶつ) である以上、その生命はすべて、時間軸上の有限の長さの線分としてしか存在しえない。

その複数の線分が、このコンサートという束の間の時空の中でたまたま巡り合い、重なり合うことができたということ――中島みゆきから私たちへの拍手は、その奇跡への祝福のようにも聴こえた。

 

中島みゆきのこのような視点は、昔から基本的には変わっていない。

「同じ時代に生まれてくれて、ありがとう」――COCERT TOUR 2007のテーマとして彼女自身が語ったこのメッセージは、まだ記憶に新しいところだ。

さらに記憶を遡れば、今から30年近く前、1983年のツアー「蕗く季節に」でも、彼女はMCで次のように語っていたのを思い出す (このツアーが、私が初めて接した中島みゆきのライブだった)

どこから来ましたか?
どこへ行きますか?
明日はどうしてますか?
1年後は?
10年後は?
100年後は?
嘘つかないで、どこまで答えてくれますか?
……
誰も明日のことなんてあんたに教えてくれないし、
誰も明日のことなんて私に教えてくれない。
だから、あんたと私は、あいこなんです。

ただ、この時の、聴き手に対して真剣勝負を挑むかのような切迫感は、現在の中島みゆきにはない。

それに代わって、いまの聴き手へのメッセージは、限りない優しさと包容力に満ちている。

「蕗く季節に」の上記のMCに続いて歌われた「この世に二人だけ」は、ある意味で、「真夜中の動物園」と対極にある世界観を歌う歌だ。

二人だけこの世に残し、すべての生命が死に絶えた世界と、「滅びた群れ」たちも含めて、すべての生命が無限の生を得て出逢いなおすことのできる世界と――

TOUR2010の舞台を包んだ後者の世界観――それは、夜会「ウィンター・ガーデン」「24時着0時発」「今晩屋」の世界観でもあった。

だからこそ、本編ラストで歌われた二曲、生へのゆるぎないまなざしを歌う「鷹の歌」、そして転生への希望を歌う「時代」は、限りない力強さをもって響いたのだ。

「逢えない相手」たちとともに

思い返せば、現実のコンサートホールで互いに逢うことのできた――私自身も含めた――人々の背後には、もはや逢おうにも逢えない人々がいる。

今から20年前、私にとって初めての夜会、1990年11月の公演を、私の隣で観た仲間。

そしてつい最近、夜会VOL.16「~夜物語~本家・今晩屋」、2009年11月の公演を私の隣で観た仲間。

――彼ら二人だけではない。

かつて、コンサートツアーと夜会とを問わず、中島みゆきのライブにともに身を置き、ともに杯を傾け、時にはともに旅をし、多くのことを語り合った仲間たち。

彼ら、彼女たちの中には、この世では「逢えない相手」となってしまった――いつの日か、「永遠をゆく鉄道の客となって」出逢いなおすことを望むほかはない――何人かの懐かしい人々がいる。

だからこそ――

有限の生命を生きるほかはない私たちが共有するコンサートという束の間の時空は、よりかけがえのないものとなったのだ。

「逢えない相手」としての彼らの思いとともに、私は客席にいたのだと思う。

 

千秋楽、聴き手への拍手の直後、「今はこんなに悲しくて……」と、この上なく透明なア・カペラで「時代」の冒頭を中島みゆきが歌い始めた瞬間――

これまで繰り返しCD等で聴き、今回のツアーでも初日で聴いて、心の準備はできていたはずなのに、思いがけず、30数年前に初めてこの曲を聴いたときの感動あるいは驚きの感覚――自らの生を遥かな高みから俯瞰する視点への浮揚の感覚――が、はっきりと胸に蘇ってきた。

それは――「夢だもの」の歌詞を借りて言えば――まさに「初めてをもう一度」経験したような感覚だった。

その遥かな高みからは、遥かな過去も遥かな未来も、見はるかすことができる。

いつの日か、遠い未来に、「懐かしい人々」と再び出逢えることへの希望――その無限の生への希望こそは、有限の生命を生きる私自身を、これからもずっと励ましつづけてくれるのだろう。