NOW それはやがての日ではなく

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東日本を大震災が襲った3月11日(金)の2日後、海外出張に発った。

成田乗継便だったので、運行情報を航空会社のサイトで何度もチェックしつつ、その一方で、この未曾有の大災厄の全貌が未だ見えない、歯痒く、後ろ髪を引かれるような思いの中で、私は日本を離れた。

出張先のワシントンD.C.は、私にとって初めて訪れる地だ。

ホテルに帰ってTVをつけると、ニュース専門チャンネルCNNでは、連日、ほとんど日本の震災とそれにともなう原発事故のニュースのみが流れている。

遥かな異国の地から、故国の災厄が少しずつ全貌を現し始めるのを眺めている、隔靴掻痒の感覚――

 

ワシントンD.C.はいうまでもなく、アメリカ合衆国の政治の中心地であるが、それと同時に、この国のアイデンティティの根幹をなすものとしての、戦争の記憶――あるいは「慰霊」――の中心地でもあることを、市内を散策するたびに何度も痛感させられた。

ワシントン記念塔――その真北にはホワイトハウスがある――のすぐ西隣には、第二次世界大戦記念碑 (写真上) があり、その入り口には、つねに星条旗の半旗が掲げられている。

さらにその西側には、広大な緑地の中に、朝鮮戦争戦没者慰霊碑、ベトナム戦争戦没者慰霊碑 (写真下) が並ぶ。ベトナム戦争戦没者慰霊碑は、黒い花崗岩の壁一面に、戦没者たち一人ひとりの名が刻まれている。私が訪れた平日にも、戦没者の遺族なのだろうか、供花と手紙を手向ける人びとが絶えなかった。

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ワシントンD.C.滞在の最終日、ホロコースト記念博物館を訪れた。

ここは、20世紀に人間が引き起こした最も巨大な災厄のひとつを記録し、記憶するための場所である。館内吹き抜けのホールの壁面 (記事冒頭の写真) には、

あたながたは私の目撃者である

との言葉がある (『旧約聖書』イザヤ書43章10節より)

この場所を訪れるという経験が私たちにとってもつ意味を、この言葉はあまりにもシンプルかつ的確に語っている。

この博物館の展示内容の詳細について、ここは記すべき場ではない。いやそれ以前に、私の拙い言葉では、ここで観たものの意味を語り尽くすことは、とてもできない。

ただ、展示の最後の部分には、ホロコーストからユダヤ人を救った人々の一人として、日本の外交官、杉原千畝の名が、写真とともに掲げられていることだけを、ここでは記しておこう。

彼を主人公としたミュージカル「SEMPO」に中島みゆきが提供し、アルバム「DRAMA!」に収録された6曲の中でも、そのラストを飾った「NOW」を、私はこのとき繰り返し心の中で聴いた。

今 ここは過去も未来もない
煩いを捨て 企みを捨て
我等は何を見つめるだろう
今 ここは過去と未来つなぐ
Rigth NOW
Right NOW

時代と国の隔たりを超えて――

同じく無力で有限の存在のひとりでありながら、巨大な災厄に立ち向かう勇気をもちえた人間――それも、私たちと故国を同じくする人間――が存在したこと。

そしてそのことが、今も私たちにとって、限りない勇気の源泉となりうるということ――

異国の地から災厄の只中にある故国に思いを馳せつつ、そんなことをずっと考えつづけていた。

生まれてくれて Welcome

そうねぇ、あたしは時間ってのが好きなんだよね
一緒にいるって感じたり、ずうっと先へ行くのを追ったり、ひょいと後ろに見つけたり、
いろんなことを壊してくれたり 癒してくれたりする 透明なそいつを
あたしは そりゃもう相当慕ってる
それであたしはときどきすごく老けてみたり
ときどき有史以前に戻ってしまったりする
1日が24時間、地球が1万年で1転すれば1日は1万年さ
君は何年生きていますか
あたし、他人を喜べる数で 時を数えたい

1990年のアルバム「夜を往け」の ファーストプレス特典(?)の附録冊子に、中島みゆきの手書き文字で書かれていたメッセージである。

中島みゆきにとって「時間」というテーマがもつ重要性は、彼女を長年フォローしてきたファンには――またとりわけ、「夜会」の舞台に接してきたファンには――改めて強調するまでもないだろう。

「すごく老けてみた」姿は、たとえば夜会VOL.3「邯鄲」で、「傾斜」「殺してしまおう」「雪」を歌う老婆に扮した彼女。

「有史以前に戻ってしまった」姿は、たとえば「昔から雨が降ってくる」で、 「大きな恐竜」と「小さな恐竜」とが「同じ雨にうなだれたのだろうか」と、人類の誕生以前の遥かな過去に思いを馳せる彼女。

あるいは、まだ記憶に新しいTOUR2010第2幕の冒頭で、不思議な巨大な鳥に扮して、「今ではもうない草原の遥か彼方から/滅びた群れが連なってやってくる」と、「真夜中の動物園」を歌う彼女――

そういえば、鳥類が恐竜の子孫であるという、近年有力になっている学説を補強する研究が発表されたというニュースもあった。

そうした巨大な時の流れの果て――「新世代沖積世の/巨大に明るい時間の集積」(宮沢賢治「春と修羅」)の上――に、今、私たちはいる。

その悠久の時間の中で、私たちヒトの生は、まさに束の間――「瞬きひとつのあいだの一生」――に過ぎない。

だからこそ――

「同じ時代に生まれてくれてありがとう」 (TOUR2007のMC) 、「私たちはみんな生物 (なまもの) ですから……今日この場所で、お会いできてうれしゅうございました」 (TOUR2010のMC) と、繰り返し彼女は、同じ時空で「出会う」ということののかけがえのなさを、私たちに語ってきたのだと思う。

――と、なんだか大仰なことを書きつらねてしまったが――

今日、2011年2月23日。

中島みゆきが、「嵐明けの如月」 (本当に嵐明けだったかどうかは知らないが) に札幌の地に生を享けてから59年目の日である。

ちなみに、その年、1952年以来、閏年は15回 (1952 / 1956 / 1960 / 1964 / 1968 / 1972 / 1976 / 1980 / 1984 / 1988 / 1992 / 1996 / 2000 / 2004 / 2008) あったので、 日に換算すると、365*59+15=21550日が経ったことになる。

誕生日が祝われるのは、そのヒトがかつてこの世に生を享けたことへの祝福であると同時に、 その誕生のときから現在まで、そして未来へとつづく「時間」への祝福でもあるのだろう。

彼女と同じように、私も「他人を喜べる数で 時を数えたい 」と願いつつ――

みゆきさん、お誕生日おめでとう!

TOUR2010 千秋楽あれこれ

2011年1月26日(水)、神戸国際会館こくさいホールで千秋楽を迎えた、中島みゆきTOUR2010 (~2011)。

その内容的な感想は1つ前の記事に書いたが、この記事では、そちらには書ききれなかったいくつかのことを、思いつくままに記しておきたい。

神戸と「歌暦ネット」の思い出

中島みゆきのツアーの神戸公演に出かけるのは、1990年8月18日の Night Wings ツアー神戸文化大ホール以来、実に20年ぶりのことだ。

この20年前の神戸公演は、私にとっていろんな意味で、非常に思い出深いコンサートである。当時、リリースされたばかりのアルバム「夜を往け」を中心とした内容のインパクトもさることながら、その前年から参加していたパソコン通信「歌暦ネット」のメンバーとともに観た最初のライブだったという点で、私にとって記念すべきコンサートとなった。

若い人には説明が必要かもしれないので少し補足しておくと、インターネットが現在のように普及する以前、1980年代後半から1990年代にかけて、全国には無数の個人運営の――当時「草の根BBS」と呼ばれた――パソコン通信ネットワークが存在した。「歌暦ネット」もそのひとつで、中島みゆきファンのネットワークとしては、さきがけ的な存在であったと思う。

それまで約10年間の孤独なみゆきファン生活から脱し、多くの――それも私以上にコアな(^^;)――ファン仲間たちと知り合い、オフラインミーティング (飲み会) で語り合ったり、ともにライブに出かけるようになったことは、私にとってまさに革命的な出来事だった。

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この神戸公演につづき、その直後、8月20,21日の大阪フェスティバルホールにも参戦、さらには8月31日、沖縄市民会館にまでネットの仲間たちと遠征し、千秋楽を迎えた。

このように、遠隔地も含めて、1つのツアーに複数回出かけるという――「追っかけ」の第一歩ともいうべき――経験も、この時が初めてのことである。

この夏は、そんなこんなで、また個人的には大学院生時代最後の夏休みだったこともあり、いろいろな意味で「熱い」夏として、強く記憶に残っている。

実を言えば、このときの Night Wings ツアーのチケットはいずれも自力では取れず、歌暦ネットの仲間の協力で取ってもらったものだった。

しかしそうした実利的(?)メリットにとどまらず、このときに始まるネットの仲間たちとの交流、彼ら彼女たちから受けたさまざまな刺激や触発を抜きにしては、それ以後現在に至るまで約20年間にわたる、中島みゆきファンとしての充実した日々はありえなかっただろう――

昔語りの前置きが長くなってしまった。

その後、パソコン通信からインターネットへの世代交代とともに歌暦ネットは運営を停止したが、その頃の仲間たちの多くとは、今でも mixi などで連絡を取り合っている。TOUR2010の初日、そして今回の千秋楽でも、何人かの懐かしい仲間たちと再会し、また終演後の飲み会で愉しく語り合うことができた。

ホールにて

さて、今回の TOUR2010 千秋楽は、Night Wings ツアーのときの夏とは打って変わり、六甲颪が吹き降ろす冬の神戸である。

考えてみると、関西人でありながら、仕事以外の目的で神戸市街に出かけるのは、ずいぶん久しぶり――そう、あの1995年の大震災以後、実に初めてのことだったと気づいて、われながら驚いた。

JR三ノ宮駅で新快速を降り、17時ごろ神戸国際会館着。

ふだん、公演パンフレット以外のオリジナルグッズ類はあまり買わないのだが、今回は久々のツアー千秋楽ということもあり、その記念にと思って、開場前販売のコーナーへ向かう。

ところが、お目当てのご当地ピンズはすでに売り切れで(;_;)、オリジナルストラップと歌姫国パスポート (スタンプ用) のみを購入した (この記事冒頭の写真)

ちなみに、後から某掲示板で知ったのだが、開場後のロビーのグッズ売り場には、ご当地ピンズがまだあったとのことで、諦めが良すぎた自分を後悔した。(;_;)

17:45開場後、まずは「おたよりコーナー」の受付へ。

「おたよりコーナー」も、これまでは人の投稿を楽しむだけだったのだが、今回はやはりちょっと気が変わって、初めて自ら投稿することにした。私事を晒すようでお恥ずかしいが、おおよそ次のような内容である。

今回のみゆきさんのツアーに来るのは、初日以来、今日の楽日で2回目です。
せっかく関西公演が9回もあるので、できればもう少し来たかったのですが、
1月中旬に息子の中学受験を控えていたので、このスケジュールになりました。

今から3ヶ月前、ちょうど大阪での初日の頃には、彼の成績ではまだまだ第1志望校は
遠い目標だったので、どんな気持ちで今日の楽日を迎えることになるのか、
はっきり言って不安でした。

そして、ちょうど今から10日前に、第1志望校の合格発表。
息子の受験番号を見つけたときのうれしさは、かつての自分の受験の時以上でした。
こんなに晴れやかな気持でみゆきさんのコンサート、それも楽日に来ることができて、
がんばってくれた息子に「ありがとう!!」と言いたい気持ちでいっぱいです。

幸か不幸か、私のこの「おたより」が採用されることはなかったが、後でみゆき本人が読んでくれるかもしれないと思うと、やはり書いてよかったと思い返したりもする。

みゆき本人もMCで語っていたように、「おたよりコーナー」は、かつてのラジオDJ、オールナイト・ニッポンの再現である。あの番組を聴いていた当時、私自身はすでに大学受験を終えてはいたが、読まれる葉書の多くが受験生からのものだったことを思い出す。

あの頃のリスナーの多くも、私と同じように、もはや子どもが受験を迎えるような年齢になっているかと思うと、感慨深いものがある――というのが、上記のような「おたより」を書くことにした理由、というか言い訳である(^^;)。

千秋楽という祝祭

さて、肝心のコンサートの内容についてだが、前の記事にも書いたとおり、1階4列目センターという席で、正面わずか数メートルの舞台上にいる中島みゆきから放射されてくる強烈なエネルギーに圧倒されっぱなしであり、あまり言葉として書けるような冷静な記憶が残っていないというのが正直なところだ。

とはいえ、舞台と客席とを一体となって包みこむ、千秋楽ならではの祝祭的な興奮の盛り上がりは、やはり期待通り、いや期待以上のものだった。

それは、いつものことながら、シリアスな歌唱と強烈なコントラストをなすコミカルなMCについてもまったく同様で、みゆき曰く、「私の表情がシリアスに見えるのは左右両側の席で、正面の席はお笑い席」なのだそうだが、まさに舞台間近のその「お笑い席」で、十二分に「ジェットコースター」の加速度に振り回される感覚を味わった。(^^;)

 

シリアスな側面については――

とりわけ、「Nobody Is Right」での、冒頭の朗読が始まったとたんに全身に電流が走り、金縛りにあったかのように身動きできなくなるほどの緊張感。

そして、「時代」冒頭の透明なア・カペラから、後半のリフレインへの盛り上がりとともにどこまでも高まってゆく、遥かな高みから自らの生と世界とを俯瞰するかのようなめくるめく感覚――

そういえば、「時代」の直前のMCで、「あなたの人生に」と、みゆきが拍手を贈ってくれたとき、初日(新歌舞伎座)の聴衆は、私も含めて、予期しえなかったことへの驚きと気恥ずかしさからか、すぐに彼女への拍手で応えることしかできなかった。

しかし千秋楽では、みゆきの拍手は上記の「時代」冒頭のア・カペラへと切れ目なくつながり、やがてバックバンドがイントロを奏ではじめると、待ち構えていたかのように、客席からゆっくりと拍手が湧き起こった。感動的な瞬間だった。

このときに限らず、拍手や掛け声のタイミングの良さ、そしてアンコールの「悪女」「たかが愛」でのスタンディング・オベーションに至るまでひしひしと感じられた、舞台と客席との熱い一体感は、やはり千秋楽ならではのものだと思う。

みゆき自身もMCで、「千秋楽はコアなファンの方が多いので、なんだか保護者に見守られてるみたいで緊張するんですけど(笑)」と照れ隠し気味に語っていたが、それも、そうした雰囲気を感じ取ってくれてのことだろう。

これからも「コアなファン」のひとりとして、何度でもまた彼女とめぐりあうことができれば、と強く願った千秋楽であった。

中島みゆき TOUR2010 千秋楽――有限の生命と無限の生

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2011年1月26日(水)、中島みゆきTOUR2010の千秋楽、神戸国際会館での公演を観た。

それから10日ほど経った今、まだその余韻を心に響かせながらも、祭りが終わった後の一抹の寂しさの中にいる。

私にとっては、2010年10月24日(日)、大阪新歌舞伎座での初日から約3ヶ月ぶりのコンサートだった。音楽的内容という点では、初日と基本的な違いはない――その意味では、3ヶ月前に書いたレビューに付け加えるべきことは、あまりないというべきかもしれない。

しかし、個々の音楽的内容云々よりも、ライブという時空に身を置くこと――中島みゆきと私たち聴き手とが、互いに生身の身体を持った存在として、束の間の同じ時間と空間とを共有すること――そのこと自体の意味を、今回の千秋楽ほど痛切に体感させられたコンサートは、いまだかつてなかったように思う。

 

それは個人的な条件としては、席の位置によるところも大きかったのかもしれない。

初日では3階2列目という、舞台の全体を俯瞰するには絶好の――しかし、中島みゆきの表情を見るにはオペラグラスが必須の――席だった。

それに対し楽日では、1階4列目ほぼ中央という、舞台間近の良席。

夜会では何度か最前列に近い席を経験したが、コンサートツアーをこんなに前方の――肉眼で中島みゆきの表情がありのままに見え、肉声が届くほどの――席で観るのは、私にとっては実に初めてのことだ。

そのせいもあってか、このコンサートから受けたインパクトは、なかなか言葉では言い表せない。個々の曲やMC、歌い方や演出がどうこうというよりも、中島みゆきの全身からほとばしり、客席の私に押し寄せてくる「力の波」のごときものに圧倒されつくした記憶ばかりが、今も私の身体の中にある。

そうしたわけで、このツアー楽日の「内容」については、実はあまり書くことがない、というのが正直なところだ。

ここではその代わりに、初日のレビューの補足をも兼ねて、コンサートという場所で中島みゆきと「出逢う」こと――ライブという非日常の時空を、彼女と私たち聴き手とが共有すること――そのこと自体の意味について、少しだけ考えをつづってみたい。

「真夜中の動物園」という舞台

まず、少々細かいことのようだが、初日のレビュー冒頭に記した舞台装置についての記述を訂正しなければならない。

第一幕で、舞台の上方と左右を、ペンキの剥げかけた白い枠が三重に取り囲んでいたのは、前に記したとおりだ。

しかし第二幕の緞帳が上がると、白い枠は二重に減っている。しかも内側の枠は第一幕よりもずっと小さく、舞台奥中央、遠近法の消失点にある出入り口――第二幕冒頭の「真夜中の動物園」で中島みゆきがそこから登場し、ラストの「時代」でそこから去ってゆく出入り口――の枠組を兼ねたものになっている。

この出入り口は、第一幕では――少なくとも私の席から見えた限りでは――存在せず、第二幕で初めて出現するのだ。

ツアーの途中で、このような舞台装置の基本的な構造が変更されたとは考えにくいので、これはおそらく、初日のときに私が、第一幕と第二幕との変化をうかつにも見逃し、両者を一緒くたにして、記憶を再構成してしまっていたということなのだろう。

 

それはともかく――

このペンキの剥げかけた白い枠については、中島みゆき自身がMCで、「忘れられかけた古い動物園」をイメージしたと語っていた。

さらに、第二幕冒頭の「真夜中の動物園」を歌い終えた直後の、「ようこそ、真夜中の動物園へ!」という台詞からしても、今回のツアーの舞台装置全体が意味するものは明らかだろう。

深夜24時の鐘とともに幕が開く「真夜中の動物園」とは――夜会「24時着0時発」のミラージュ・ホテルや廃墟堰、夜会「今晩屋」の縁切り寺や水底の水族館と同様に――この世の時空の外にあり、遥かな過去に別れたはずの者たち――「逢えない相手」――と、再び巡り逢うことのできる場所だ。

その相手がヒトなのかヒトでないのかは、本質的な違いではない――夜会「ウィンター・ガーデン」で中島みゆき自身が演じた犬が、GLASSHOUSEのかつての持ち主を、転生した後もずっと待ちつづけた愛人だったように。

そうした意味で、「真夜中の動物園」とは、この世界に、地球に、生を享けたすべての有限の生命が、無限の生を得て、出逢いなおすことのできる場所なのだ。

「私たちはお互いに生物 (なまもの) ですから」

そうだとすれば、本編ラストの2曲、「鷹の歌」と「時代」との間をつないだMCも、より重層的な意味をもった言葉として響いてくる。

今日はお会いできて、うれしゅうございました。
私たちはお互いに生物 (なまもの) ですから、明日のことはわかりません。
1歳の人も100歳の人も、明日またお会いできるかどうか、それは誰にもわかりません。
でも、だからこそ、今日のこのひと時、お会いできてうれしゅうございました。
私から、あなたの人生に、拍手を送らせてください――

舞台上の中島みゆきも、ミュージシャンたちも、舞台裏のスタッフたちも、そして客席にいる私たちも――すべて生身の身体をもった生物 (なまもの=せいぶつ) である以上、その生命はすべて、時間軸上の有限の長さの線分としてしか存在しえない。

その複数の線分が、このコンサートという束の間の時空の中でたまたま巡り合い、重なり合うことができたということ――中島みゆきから私たちへの拍手は、その奇跡への祝福のようにも聴こえた。

 

中島みゆきのこのような視点は、昔から基本的には変わっていない。

「同じ時代に生まれてくれて、ありがとう」――COCERT TOUR 2007のテーマとして彼女自身が語ったこのメッセージは、まだ記憶に新しいところだ。

さらに記憶を遡れば、今から30年近く前、1983年のツアー「蕗く季節に」でも、彼女はMCで次のように語っていたのを思い出す (このツアーが、私が初めて接した中島みゆきのライブだった)

どこから来ましたか?
どこへ行きますか?
明日はどうしてますか?
1年後は?
10年後は?
100年後は?
嘘つかないで、どこまで答えてくれますか?
……
誰も明日のことなんてあんたに教えてくれないし、
誰も明日のことなんて私に教えてくれない。
だから、あんたと私は、あいこなんです。

ただ、この時の、聴き手に対して真剣勝負を挑むかのような切迫感は、現在の中島みゆきにはない。

それに代わって、いまの聴き手へのメッセージは、限りない優しさと包容力に満ちている。

「蕗く季節に」の上記のMCに続いて歌われた「この世に二人だけ」は、ある意味で、「真夜中の動物園」と対極にある世界観を歌う歌だ。

二人だけこの世に残し、すべての生命が死に絶えた世界と、「滅びた群れ」たちも含めて、すべての生命が無限の生を得て出逢いなおすことのできる世界と――

TOUR2010の舞台を包んだ後者の世界観――それは、夜会「ウィンター・ガーデン」「24時着0時発」「今晩屋」の世界観でもあった。

だからこそ、本編ラストで歌われた二曲、生へのゆるぎないまなざしを歌う「鷹の歌」、そして転生への希望を歌う「時代」は、限りない力強さをもって響いたのだ。

「逢えない相手」たちとともに

思い返せば、現実のコンサートホールで互いに逢うことのできた――私自身も含めた――人々の背後には、もはや逢おうにも逢えない人々がいる。

今から20年前、私にとって初めての夜会、1990年11月の公演を、私の隣で観た仲間。

そしてつい最近、夜会VOL.16「~夜物語~本家・今晩屋」、2009年11月の公演を私の隣で観た仲間。

――彼ら二人だけではない。

かつて、コンサートツアーと夜会とを問わず、中島みゆきのライブにともに身を置き、ともに杯を傾け、時にはともに旅をし、多くのことを語り合った仲間たち。

彼ら、彼女たちの中には、この世では「逢えない相手」となってしまった――いつの日か、「永遠をゆく鉄道の客となって」出逢いなおすことを望むほかはない――何人かの懐かしい人々がいる。

だからこそ――

有限の生命を生きるほかはない私たちが共有するコンサートという束の間の時空は、よりかけがえのないものとなったのだ。

「逢えない相手」としての彼らの思いとともに、私は客席にいたのだと思う。

 

千秋楽、聴き手への拍手の直後、「今はこんなに悲しくて……」と、この上なく透明なア・カペラで「時代」の冒頭を中島みゆきが歌い始めた瞬間――

これまで繰り返しCD等で聴き、今回のツアーでも初日で聴いて、心の準備はできていたはずなのに、思いがけず、30数年前に初めてこの曲を聴いたときの感動あるいは驚きの感覚――自らの生を遥かな高みから俯瞰する視点への浮揚の感覚――が、はっきりと胸に蘇ってきた。

それは――「夢だもの」の歌詞を借りて言えば――まさに「初めてをもう一度」経験したような感覚だった。

その遥かな高みからは、遥かな過去も遥かな未来も、見はるかすことができる。

いつの日か、遠い未来に、「懐かしい人々」と再び出逢えることへの希望――その無限の生への希望こそは、有限の生命を生きる私自身を、これからもずっと励ましつづけてくれるのだろう。

初日と楽日

「でじなみ」で予約していた、中島みゆき TOUR2010 の楽日 (1/26 神戸国際会館) のチケットが到着した。

第3希望での当選 (ちなみに第1、第2希望はツアー冒頭の大阪新歌舞伎座で順当に落選)だったので、 あまり席に期待はしていなかったのだが、なんと1階4列センターと、いい意味で期待を裏切る良席だ。

ちなみに、苦労の末になんとかチケットを確保できた初日 (2010/10/24 大阪新歌舞伎座) のレビューは、前の記事に詳しく書いたのでそちらを参照されたい。

今回のツアーは、初日と楽日との2回のみの参加という初めてのパターンになった。

ちなみに、初日は「EAST ASIA」ツアー (1993/2/21 かつしかシンフォニーヒルズ) 、楽日はその前年の「カーニヴァル1992」ツアー (1992/4/22 大阪城ホール) 以来である。

関西での公演 (大阪、びわ湖、神戸) は9公演と、計27公演中の3分の1をも占めているので、本当は久々にもっと何回も行きたかったのだが、諸般の事情でこういうスケジュールになってしまった (とはいえ、初日と楽日に行けるのならば、それ以上を望むのは贅沢かもしれないが…)。

初日と楽日は、ツアー・夜会を問わず、それぞれに特別な意味と魅力をもつ公演だ。

初日の、ステージと客席とにピンと張りつめる、新たなものへの期待に満ちた緊張感。

楽日の、それまでの公演のすべてを総括する大団円としての、祝祭的な興奮の盛り上がり。

どちらか一方をとらなければならないとすれば、おそらく楽日を選ぶ人が多いだろうし、私自身もこれまでそうしてきた。

それは、ツアーにせよ夜会にせよ、後半に向かうほど中島みゆきもミュージシャン・共演者も硬さがほぐれ、歌も演奏も演技もより柔軟かつダイナミックになってゆくのが、一般的なパターンであることにもよるのだろう。

今回のツアーも、ネット上各所でのレビューを読むと、そのパターンの例外ではないようなので、楽日ならではの盛り上がりを大いに期待したいところだ。