春と修羅
(mental sketch modified)心象のはひいろはがねから
あけびのつるはくもにからまり
のばらのやぶや腐植の湿地
いちめんのいちめんの諂曲〔てんごく〕模様
(正午の管楽よりもしげく
琥珀のかけらがそそぐとき)
いかりのにがさまた青さ
四月の気層のひかりの底を
唾し はぎしりゆききする
おれはひとりの修羅なのだ
(風景はなみだにゆすれ)
碎ける雲の眼路をかぎり
れいろうの天の海には
聖玻璃の風が行き交ひ
ZYPRESSEN 春のいちれつ
くろぐろと光素〔エーテル〕を吸ひ
その暗い脚並からは
天山の雪の稜さへひかるのに
(かげろふの波と白い偏光)
まことのことばはうしなはれ
雲はちぎれてそらをとぶ
ああかがやきの四月の底を
はぎしり燃えてゆききする
おれはひとりの修羅なのだ
宮沢賢治の「春と修羅」の冒頭である。
賢治が身を置いていたであろう岩手の四月の清冽で透明な空気は、私がいる京都の四月には望むべくもないが、それでもこの季節の爽やかな快晴の日には、不意にこの詩節が私のなかによみがえり、「四月の気層のひかりの底」をゆききする自分の姿を再発見する――今がまさにその季節だ。
この連想が強烈に私をとらえるようになったのは、2004年1月に、夜会VOL.13「24時着0時発」を観てからである。
「銀河鉄道の夜」をモチーフとした「24時着0時発」 (およびその再演である2006年のVOL.14「24時着00時発」) で、中島みゆきが賢治に触発されながら展開した世界像のなかに身を置いたことが、私に賢治への強い関心を呼び覚ました。
もっとも、中島みゆきにおける賢治からの触発は、「24時着0時発」で初めて示されたわけではおそらくない。たとえばその前の夜会、2000年/2002年のVOL.11/12「ウィンター・ガーデン」においても、明示こそされなかったものの、舞台となった北限の荒野――人の存在の意味を根底から問いなおさせずにはおかない白色と透明の空間――の鮮烈な世界感覚は、今から思えば、明らかに賢治の世界に共通するものだった。
いっぽう、夜会の最近作、2008~2009年のVOL.15「夜物語~元祖・今晩屋」における、生命や人間や社会を「過去を喰らふ有機体」としてとらえる歴史観や、「十二天」で開示される、全宇宙の時空を透明に見はるかす世界観も、おそらくは賢治から継承されたものと思う。
また、夜会に限らずとも、中島みゆきの個々の作品の中にも、賢治からの影響がみてとれるものがいくつかある――たとえば最近では、人類が誕生する以前のはるかな過去に思いを馳せた「昔から雨が降ってくる」 (2007年のアルバム「I Love You, 答えてくれ」に所収) はその典型である。
これらの夜会や個々の作品と賢治との関係については、機会があればいずれ稿を改めて論じたい。
「春と修羅」は、上述のような夜会や個々の作品というよりは、中島みゆきの作品群全体をつつむ世界像、さらにいえば、中島みゆきという存在そのもののありかた――私たち聴き手をも含めた、世界全体との関係のありかた――をイメージするときの、ひとつの原型を提示してくれているように私には思われる。
それはこの小さな記事で考察するにはあまりにも大きすぎる主題だが、ここではそのためのとりあえずのラフスケッチのひとつとして、「春と修羅」がどのような意味で、中島みゆきの世界像のイメージの原型といえるのかについて、少しだけ考えをつづってみたい。
天空への垂直軸
「春と修羅」から最初に受ける鮮烈な印象は、最初の4行のほの暗く鬱屈し錯綜した「はひいろはがね」の心象風景が、まばゆくかがやく「四月の気層のひかりの底」に再発見されるときの、影と光のコントラストの鮮やかさにある。
詩人のまなざしは、「四月の気層」――この地上から遥かな天空へと積層する透明な空気の層――の垂直軸を、地上から天空へ、また天空から地上へとふりあおぐように往還する。下降し、また上昇する詩列は、この視線の往還の、文字列上への直接的な視覚化である (モニター画面ではそれが横倒しのかたちでしか表現できないのが残念だが) 。
この透明な垂直軸は、ZYPRESSEN (ツィプレッセン = 糸杉) の列によって可視化される。
詩の冒頭の陰湿な〈諂曲模様〉と鮮明な対照をなすものとして、ZYPRESSEN は立ち並んでいる。――曲線に対する直線。水平に対する垂直。からまり合うものらにたいして、一本一本、いさぎよくそそり立つもの。……
それが〈イトスギ〉でも〈サイプレス〉でもなく、〈ツィプレッセン〉という、硬質の、重い切れ味をもった音価のドイツ語でなければならなかったのも、このためである。
(見田宗介『宮沢賢治――存在の祭りの中へ』 岩波現代文庫 2001年 124-125頁)
それは地上における「修羅」という自己のありかたをのりこえ、天空へと垂直に上昇していこうとするヴェクトルの表象であり、「『銀河鉄道』の天気輪の柱とおなじに、地上と天上をむすぶものとしての解放のメディアであった」 (同書 126頁) 。「銀河鉄道の夜」のジョバンニは、この垂直軸を上昇することによって、「永遠をゆく鉄道の客」となる。
しかしここでは、いったん視点を天空から地上に戻し、なぜ詩人が自らを、「かがやきの四月の底を/はぎしり燃えてゆききする/ひとりの修羅」として再発見しなければならなかったのか――そのことの意味を考えたい。
「修羅」という自己規定
賢治がこの詩を含めてしばしばおこなった「修羅」という自己規定――「春と修羅」という標題が詩集全体の総題ともなっていることは、とりわけこの自己規定の重要性を示唆している――は、見田宗介によれば、修羅が「矛盾の存在」であり、またそれゆえに「苦悩する存在」であるということを軸とするものである (同書 111頁) 。
「修羅」の矛盾と苦悩は、賢治自身の生活史においては、しばしば家族の「恩愛の両義性」というかたちをとってあらわれたという。両義性とは、賢治が父母の恩愛を、それが純粋で無垢なものであるがゆえに、耐え難い抑圧としても感じざるをえなかったという矛盾のことである。
抑圧としてこれに対する行動をつらぬくならば、それは恩愛の側面からみて決して許されることのない〈忘恩〉の徒となるだろう。恩愛としてこれに対する行動をつらぬくならば、それは抑圧の側面からみて恥ずべき〈諂曲〉の徒となるだろう。諂曲〔てんごく〕とはこびへつらうことであり、修羅の特性とされていることである。
賢治の苦しみのいちばん深いところにあったのは、たんなる抑圧の強さに対する怒りでもなく、たんなる恩愛の深さに対する悔悟でもなく、この恩愛の両義性それ自体であったのではないだろうか。(同書 106頁 強調箇所は原文では傍点、以下同様)
ここで見田は「春と修羅」の第4行、「いちめんのいちめんの諂曲模様」を念頭に置きながら述べているのだが、しかしこの両義性――修羅の矛盾と苦悩――を、必ずしも家族の恩愛のそれに限定する必要はないようにも、私には思われる。
ここでいったん、見田が描く賢治像からは、少し距離を取ることにしたい。
愛の逆説性
天沢退二郎は、「春と修羅」の第7行「いかりのにがさまた青さ」――詩人の心象が「四月の気層のひかりの底」へと歩み出るまさにその時点におかれた1行―― について、詩集で「春と修羅」の次におかれた「春光呪詛」にも「おおこのにがさ青さつめたさ」という詩句があることに注目しながら、ここには「恋の憂悶とそれに対する自嗔〔じしん=自らに対する憤り〕という隠れた主題が暗示されている」と注釈している (『新編 宮沢賢治詩集』 新潮文庫 1991年 384頁) 。
私もこの注釈に同意したい。
なぜ「恋の憂悶」は、詩人にとって「唾し」「はぎしり」するほどの自らへの激しい憤りをともなわなければならなかったのか。
それは、見田が「恩愛の両義性」として述べた逆説性の構造が、抽象的にはあらゆる愛に――したがって具体的には恋愛に――共通する構造だからなのではないか。
すなわち、 愛が強く純粋なものであればあるほど、まさにそれゆえに、より抑圧的なものとならざるをえないという逆説こそが、「はぎしり燃えてゆききする/ひとりの修羅」の矛盾と苦悩の根源にあったのではないだろうか。
ただし、恩愛と恋愛には、容易に気づくように、少なくとも2つの重要な差異がある。
第1に、前者が (親-子という) 非対称的関係のなかで生じるものであるのに対し、後者は個と個の対称的関係のなかで生じるものである。
第2に、前者が「家族」という (子にとっては) 所与の関係のなかに生み出されることによって生じるものであるのに対し、後者は新たな関係の形成を――とりわけ性的関係の形成を――志向するものである。
この2つの差異は、恋愛における愛の逆説性を――したがって矛盾と苦悩を――恩愛の両義性よりもさらに解き難いものにする。
第1に、愛する者にとって、愛する相手の苦しみをみることこそは、自らの苦しみ以上に耐え難い苦しみであるはずだ。その苦しみが、自らのほかならぬ愛によって生じるという矛盾は、さらに新たな苦しみを生むだろう。また、愛される者にとって、愛を抑圧としてはねのけることは自らを愛する者への裏切りであるかもしれないが、抑圧としての愛をそのままに受け入れることは、自らへの裏切り――したがってまた、自らを愛する者へのより深い裏切り――とならざるをえないだろう (愛される者のこの矛盾は、見田のいう「恩愛の両義性」と、あるところまでは同型的である) 。
第2に、このように錯綜し解き難い矛盾と苦悩は、愛が性的関係の形成へと方向づけられることによって、私たちの生命と身体の最深部にまで及ぶ、耐え難いほどの痛みとなって現象する。この痛みは、いかなる言葉によっても語りえないものである――この痛みのなかでは、「まことのことばはうしなはれ」ざるをえないのだ。
「春と修羅」の季節が、「春」とりわけ「かがやきの四月」、生命の新生あるいは再生の季節である理由のひとつは、ここにあるように私には思われる。この季節こそは、私たちの内なる生命・身体と外なる自然の風景とが、新たな生命を生み出すことにかかわる営みへの予感と不安、歓びとおののきという隠された回路を通じて、交感し交響する季節だからだ。
世界との関係の発見
だから、「ひとりの修羅」としての「おれ」にとって、「かがやきの四月」は単純に自らの外部に発見される風景なのではない。それは、自らの身体と交感し交響する世界の全体として、「かがやきの四月の底」をゆききする自らの姿をそのなかに含みこんだ風景の全体として、そして、愛の逆説性の構造の全体として、発見されるのだ。
《おれはひとりの修羅なのだ》という断定は、たんにそのような自己の正体の発見なのではなく、世界との関係の発見であり、世界との関係の見方の発見、さらにいえば、それを見る位置の発見――悲しくもいきどおろしい発見であった。
(天沢退二郎 『《宮澤賢治》鑑』 筑摩書房 1986年、151頁)
この発見が「悲しくもいきどおろしい」のは、それが、自らと世界との関係が愛の逆説性という構造によって規定されてしまっていることの発見でもあったからである。
もっとも、上に述べたような愛の逆説性の構造は、つねにすでに、誰にとっても自明のものとしてあるわけではない。むしろ多くの場合それは、潜在的なままにとどまっているものだろう。
一般的には、愛の成就とは、その逆説性が潜在的なままにとどまりつづけることのできた形態をさすのかもしれないし、愛の喪失とは、その逆説性の構造の内部に踏み込んでゆく手前で、踏みとどまらざるをえなかった形態をさすのかもしれない。
愛の逆説性の構造の全体は、自己と世界との矛盾に満ちた関係性の全体を、限りなく透明に見はるかすことのできる賢治のまなざし――見田宗介はそれを、賢治の「明晰な倫理」と呼んだ――によってはじめて発見されたものとみるべきだろう。
愛は、それが限りない矛盾と苦悩とを生み出す逆説だからこそ、自己と世界との関係へのまなざしを、より深く透明なものにする。「春と修羅」の風景が、限りなく透明な光に満ちているのは、そのためである。
中島みゆきの世界像
そして――ここでようやくこの記事の主題に到達することになるが――、中島みゆきの作品群全体をつつむ世界像、さらにいえば、中島みゆきという存在そのもののありかた――私たち聴き手をも含めた、世界全体との関係のありかた――の原型には、まさに「春と修羅」と同型的な形式、すなわち愛の逆説性によって規定された「世界との関係」の発見があったのではないかと、私には思われるのだ。
この形式は、中島みゆきという表現者に、ほかの誰ともくらべることのできない存在の特異性――おそらくは賢治からのみ継承された特異性――をもたらしている。
世界との関係の発見の前提にあるのは、世界の中で〈この私〉は他の誰でもない〈一者〉にすぎないという根源的孤独の認識である。愛という経験は、〈この私〉の根源的孤独という壁の外部に、〈この私〉自身を含む世界全体の意味を根底から変容させる、ただひとりの〈他者〉を発見する経験である。それは、世界との関係の発見ということの、最も基本的な形式である。
この発見によって世界にむけて開かれるまなざしは、まさに「春と修羅」の詩人のまなざしのように、〈私〉がいるこの地上と遥かな天空とのあいだの透明な垂直軸を、地上から天空へ、また天空から地上へと、ふりあおぐように往還していく。根底から変容した世界のすべてへの新鮮な驚きのために。
表現者とは、このようにして開かれる世界との関係へのまなざしを、読者あるいは聴き手という自らは見知らぬ存在たちと共有することのできる者のことである。
聴き手のひとりとしての私の記憶のなかで、中島みゆきの世界との関係へのまなざしを視覚的に表象しているのは、1976年4月にリリースされたファーストアルバム「私の声が聞こえますか」のモノクロームのジャケット写真である。高い空の下に広がる白い雪原をうつむき加減に歩いてくる中島みゆきの姿と、その高い空が私自身の上にも拡がっていることに気づいたときの、眩暈のような世界感覚――。
「私の声が聞こえますか」のLP版歌詞カードには、中島みゆき自身から聴き手に宛てた、「速達」と題されたメッセージが掲載されていた (原文は手書き文字の縦書き。これは残念ながら現行の CD には収録されていない) 。
もう何年も前から、あなたを探していたように思います。
ただ、あなたの居どころがわからないが故に私は、黙って泣いて、笑っていたように思います。
でも今、私は自分の声を聞きたくてならないのです。
自分が生きているのかどうかを確かめなければ、恐くてしかたがないのです。
だから、……私は今、私の声を、詞に、曲に、歌にして、果てしのないあなたへ向けて、投げ上げます。
聴き手としての私にとっても、このメッセージは、「自分が生きているのかどうかを確かめ」るための、世界とのまなざしの往還の軌跡――「私は世界のなかでどこにいるのか、そしてどこへ行くべきなのか」という、果てしのない問いなおしの軌跡――の出発点であったと思う。
その問いなおしの軌跡は、現在も終着点に到達してはいないし、おそらく未来にも、到達することはないだろう。
中島みゆきという表現者の特異性は、「世界との関係」の(再)発見が、そのように決して終着点に至ることのない果てしのない問いなおしとして繰り返されるという点にある。その軌跡が果てしがないことの根源的な理由の少なくともひとつは、 「世界との関係」が、解きがたい愛の逆説性という構造によって、その出発点において規定されてしまっていることにある。
「私の声が聞こえますか」の最初の3曲においてすでに、その逆説性は色濃く表現されていた。
今日も坂は だれかの痛みで 紅く 染まっている
紅い花に 魅かれて だれかが 今日も ころげ落ちる (「あぶな坂」)
あたしはあんたの 胸の中じゃ 夢も 見られないわ
あたしの やさしい人 あんたは やさしすぎる (「あたしのやさしい人」)
なんて 不幸な あなた そして 不幸な 私
裏切り続けるのは 言うほど楽じゃない ことなのよ (「信じられない頃に」)
もっとも、愛の逆説性がこのように明示的に表現されている作品は、必ずしも多くはない。ある時期までの中島みゆきにおいては、それはよりしばしば、愛の喪失という、より単純化された形式をとっていたようにみえるかもしれないが、それは上に述べたように、愛の逆説性がとりうる形式のひとつにすぎない。
もう少し後の時期で、愛の逆説性が明示的に表現されている作品として、あとひとつだけ例をあげておこう。
私はあなたを傷つける者 誰よりあなたを傷つける者
けれども唯一癒せるすべを それとは知らずに持っている者Flame & Aqua なんて遠い者たち
私たちは互いに誰より遠い
Flame & Aqua なんて同じ者たち
いちばん遠い者がいちばん近い
Flame & Aqua 互いから生まれあう
あなたがいなければ
私はまだ生まれていないような者
1991年のアルバム「歌でしか言えない」の終曲、「炎と水」である。ここで愛は、決して相容れあうことのない「炎」と「水」との、「誰より遠い」関係として――にもかかわらず、「いちばん近い」「互いから生まれあう」関係として――歌われている。愛は予定調和的な成就に至る自明の祝福としてではなく、ここでも根源的な矛盾と苦悩をはらむ逆説としてとらえられている。
しかしこの根源的な矛盾と苦悩のゆえにこそ、中島みゆきはくりかえし、愛の歌を歌いつづけなければならなかったのではないだろうか。
もちろん、「世界との関係」の表現は、必ずしもつねに直接に、「恋愛」の逆説性というかたちをとる必要はない。むしろ、夜会を中心とする近年の作品群は、そうしたかつての彼女において典型的だった表現形式からの、遠心的な離脱をはかっているようにもみえる。
しかし重要なのは、中島みゆき自身が、そして私たち聴き手が、いまも問いなおし再定義しつづけている「世界との関係」の原型が、愛の逆説性によって規定された関係として発見されたものだったということである。「春と修羅」は、まさにこの原型を私に思い起こさせるのだ。
付論――焼身と自己犠牲
再び見田宗介によれば、賢治の自己規定としての修羅が「矛盾の存在」であり、またそれゆえに「苦悩する存在」であるというのは、究極的には、自己の生あるいは幸福が、他者の犠牲あるいは不幸を代償としてはじめて成立するという根源的な矛盾と、それゆえの苦悩とを意味した。
「よだかの星」のよだかや、「銀河鉄道の夜」に登場する〈さそりの火〉のさそりのように、「賢治が自分をそこに投影した主人公たちは、自分が生きていることが否応なしに他者たちの死を前提としているような、原的な罪の存在たちである」 (『宮沢賢治――存在の祭りの中へ』 112頁) 。そこからの極限的な脱出口は、よだかやさそりのように、しばしば〈焼身〉と〈自己犠牲〉という形式で見いだされた。
しかし、とりわけ〈自己犠牲〉という観念は、「それがひとつの『犠牲』であること、つまりひとつの抑圧をかならず内包しているということのもつ重苦しさ」を必然的にともなうものでもあった (同書 155頁) 。
それゆえ、賢治の「ほとんど無意識の夢が行こうとしていた」場所は、「〈自己犠牲〉ということを至上の観念としなければならないような世界の重苦しさのかなた」にある「ひとつの解き放たれた世界」だったのではないか、と見田は述べている (同書 157頁) 。
夜会VOL.15「夜物語~元祖・今晩屋」が、まさにこの〈自己犠牲〉の重苦しさを主題とし、そこから「解き放たれた世界」を見いだすための実験劇場となっていたことは、まだ記憶に新しいところだ (この夜会についての私見の詳細は、 「物語の構造 (1)」 「物語の構造 (2)」 を参照されたい) 。
ただし、〈自己犠牲〉を必要としない世界とは、決して愛を必要としない世界と同義ではない。そのことは、愛が恋愛という姿をとるにせよ、家族愛という姿をとるにせよ、あるいはより普遍的に、世界への愛という姿を取るにせよ、中島みゆきの基本的な前提として変わることがない。それは、愛が解きがたい逆説であるがゆえに、私たちと世界との関係を規定する形式の原型でありつづけているからなのだ。
追記
この記事で言及したファーストアルバム「私の声が聞こえますか」のリリースの日付は、1976年4月25日であった。つまり、奇しくもこの記事を投稿した日付のちょうど33年前の日にあたる。これは意図したわけではなく、後から気づいた偶然に過ぎないのだが、不思議な暗合を感じずにはいられない。