四月の気層のひかりの底を

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春と修羅

(mental sketch modified)

心象のはひいろはがねから
あけびのつるはくもにからまり
のばらのやぶや腐植の湿地
いちめんのいちめんの諂曲〔てんごく〕模様
(正午の管楽よりもしげく
琥珀のかけらがそそぐとき)
いかりのにがさまた青さ
四月の気層のひかりの底を
唾し はぎしりゆききする
おれはひとりの修羅なのだ
(風景はなみだにゆすれ)
碎ける雲の眼路をかぎり
れいろうの天の海には
聖玻璃の風が行き交ひ
ZYPRESSEN 春のいちれつ
くろぐろと光素〔エーテル〕を吸ひ
その暗い脚並からは
天山の雪の稜さへひかるのに
(かげろふの波と白い偏光)
まことのことばはうしなはれ
雲はちぎれてそらをとぶ
ああかがやきの四月の底を
はぎしり燃えてゆききする
おれはひとりの修羅なのだ

宮沢賢治の「春と修羅」の冒頭である。

賢治が身を置いていたであろう岩手の四月の清冽で透明な空気は、私がいる京都の四月には望むべくもないが、それでもこの季節の爽やかな快晴の日には、不意にこの詩節が私のなかによみがえり、「四月の気層のひかりの底」をゆききする自分の姿を再発見する――今がまさにその季節だ。

この連想が強烈に私をとらえるようになったのは、2004年1月に、夜会VOL.13「24時着0時発」を観てからである。

「銀河鉄道の夜」をモチーフとした「24時着0時発」 (およびその再演である2006年のVOL.14「24時着00時発」) で、中島みゆきが賢治に触発されながら展開した世界像のなかに身を置いたことが、私に賢治への強い関心を呼び覚ました。

もっとも、中島みゆきにおける賢治からの触発は、「24時着0時発」で初めて示されたわけではおそらくない。たとえばその前の夜会、2000年/2002年のVOL.11/12「ウィンター・ガーデン」においても、明示こそされなかったものの、舞台となった北限の荒野――人の存在の意味を根底から問いなおさせずにはおかない白色と透明の空間――の鮮烈な世界感覚は、今から思えば、明らかに賢治の世界に共通するものだった。

いっぽう、夜会の最近作、2008~2009年のVOL.15「夜物語~元祖・今晩屋」における、生命や人間や社会を「過去を喰らふ有機体」としてとらえる歴史観や、「十二天」で開示される、全宇宙の時空を透明に見はるかす世界観も、おそらくは賢治から継承されたものと思う。

また、夜会に限らずとも、中島みゆきの個々の作品の中にも、賢治からの影響がみてとれるものがいくつかある――たとえば最近では、人類が誕生する以前のはるかな過去に思いを馳せた「昔から雨が降ってくる」 (2007年のアルバム「I Love You, 答えてくれ」に所収) はその典型である。

これらの夜会や個々の作品と賢治との関係については、機会があればいずれ稿を改めて論じたい。

「春と修羅」は、上述のような夜会や個々の作品というよりは、中島みゆきの作品群全体をつつむ世界像、さらにいえば、中島みゆきという存在そのもののありかた――私たち聴き手をも含めた、世界全体との関係のありかた――をイメージするときの、ひとつの原型を提示してくれているように私には思われる。

それはこの小さな記事で考察するにはあまりにも大きすぎる主題だが、ここではそのためのとりあえずのラフスケッチのひとつとして、「春と修羅」がどのような意味で、中島みゆきの世界像のイメージの原型といえるのかについて、少しだけ考えをつづってみたい。

天空への垂直軸

「春と修羅」から最初に受ける鮮烈な印象は、最初の4行のほの暗く鬱屈し錯綜した「はひいろはがね」の心象風景が、まばゆくかがやく「四月の気層のひかりの底」に再発見されるときの、影と光のコントラストの鮮やかさにある。

詩人のまなざしは、「四月の気層」――この地上から遥かな天空へと積層する透明な空気の層――の垂直軸を、地上から天空へ、また天空から地上へとふりあおぐように往還する。下降し、また上昇する詩列は、この視線の往還の、文字列上への直接的な視覚化である (モニター画面ではそれが横倒しのかたちでしか表現できないのが残念だが)

この透明な垂直軸は、ZYPRESSEN (ツィプレッセン = 糸杉) の列によって可視化される。

詩の冒頭の陰湿な〈諂曲模様〉と鮮明な対照をなすものとして、ZYPRESSEN は立ち並んでいる。――曲線に対する直線。水平に対する垂直。からまり合うものらにたいして、一本一本、いさぎよくそそり立つもの。……
それが〈イトスギ〉でも〈サイプレス〉でもなく、〈ツィプレッセン〉という、硬質の、重い切れ味をもった音価のドイツ語でなければならなかったのも、このためである。
(見田宗介『宮沢賢治――存在の祭りの中へ』 岩波現代文庫 2001年 124-125頁)

それは地上における「修羅」という自己のありかたをのりこえ、天空へと垂直に上昇していこうとするヴェクトルの表象であり、「『銀河鉄道』の天気輪の柱とおなじに、地上と天上をむすぶものとしての解放のメディアであった」 (同書 126頁) 。「銀河鉄道の夜」のジョバンニは、この垂直軸を上昇することによって、「永遠をゆく鉄道の客」となる。

しかしここでは、いったん視点を天空から地上に戻し、なぜ詩人が自らを、「かがやきの四月の底を/はぎしり燃えてゆききする/ひとりの修羅」として再発見しなければならなかったのか――そのことの意味を考えたい。

「修羅」という自己規定

賢治がこの詩を含めてしばしばおこなった「修羅」という自己規定――「春と修羅」という標題が詩集全体の総題ともなっていることは、とりわけこの自己規定の重要性を示唆している――は、見田宗介によれば、修羅が「矛盾の存在」であり、またそれゆえに「苦悩する存在」であるということを軸とするものである (同書 111頁) 。

「修羅」の矛盾と苦悩は、賢治自身の生活史においては、しばしば家族の「恩愛の両義性」というかたちをとってあらわれたという。両義性とは、賢治が父母の恩愛を、それが純粋で無垢なものであるがゆえに、耐え難い抑圧としても感じざるをえなかったという矛盾のことである。

抑圧としてこれに対する行動をつらぬくならば、それは恩愛の側面からみて決して許されることのない〈忘恩〉の徒となるだろう。恩愛としてこれに対する行動をつらぬくならば、それは抑圧の側面からみて恥ずべき〈諂曲〉の徒となるだろう。諂曲〔てんごく〕とはこびへつらうことであり、修羅の特性とされていることである。
賢治の苦しみのいちばん深いところにあったのは、たんなる抑圧の強さに対する怒りでもなく、たんなる恩愛の深さに対する悔悟でもなく、この恩愛の両義性それ自体であったのではないだろうか。(同書 106頁 強調箇所は原文では傍点、以下同様)

ここで見田は「春と修羅」の第4行、「いちめんのいちめんの諂曲模様」を念頭に置きながら述べているのだが、しかしこの両義性――修羅の矛盾と苦悩――を、必ずしも家族の恩愛のそれに限定する必要はないようにも、私には思われる。

ここでいったん、見田が描く賢治像からは、少し距離を取ることにしたい。

愛の逆説性

天沢退二郎は、「春と修羅」の第7行「いかりのにがさまた青さ」――詩人の心象が「四月の気層のひかりの底」へと歩み出るまさにその時点におかれた1行―― について、詩集で「春と修羅」の次におかれた「春光呪詛」にも「おおこのにがさ青さつめたさ」という詩句があることに注目しながら、ここには「恋の憂悶とそれに対する自嗔〔じしん=自らに対する憤り〕という隠れた主題が暗示されている」と注釈している (『新編 宮沢賢治詩集』 新潮文庫 1991年 384頁)

私もこの注釈に同意したい。

なぜ「恋の憂悶」は、詩人にとって「唾し」「はぎしり」するほどの自らへの激しい憤りをともなわなければならなかったのか。

それは、見田が「恩愛の両義性」として述べた逆説性の構造が、抽象的にはあらゆる愛に――したがって具体的には恋愛に――共通する構造だからなのではないか。

すなわち、 愛が強く純粋なものであればあるほど、まさにそれゆえに、より抑圧的なものとならざるをえないという逆説こそが、「はぎしり燃えてゆききする/ひとりの修羅」の矛盾と苦悩の根源にあったのではないだろうか。

ただし、恩愛と恋愛には、容易に気づくように、少なくとも2つの重要な差異がある。

第1に、前者が (親-子という) 非対称的関係のなかで生じるものであるのに対し、後者は個と個の対称的関係のなかで生じるものである。

第2に、前者が「家族」という (子にとっては) 所与の関係のなかに生み出されることによって生じるものであるのに対し、後者は新たな関係の形成を――とりわけ性的関係の形成を――志向するものである。

この2つの差異は、恋愛における愛の逆説性を――したがって矛盾と苦悩を――恩愛の両義性よりもさらに解き難いものにする。

第1に、愛する者にとって、愛する相手の苦しみをみることこそは、自らの苦しみ以上に耐え難い苦しみであるはずだ。その苦しみが、自らのほかならぬ愛によって生じるという矛盾は、さらに新たな苦しみを生むだろう。また、愛される者にとって、愛を抑圧としてはねのけることは自らを愛する者への裏切りであるかもしれないが、抑圧としての愛をそのままに受け入れることは、自らへの裏切り――したがってまた、自らを愛する者へのより深い裏切り――とならざるをえないだろう (愛される者のこの矛盾は、見田のいう「恩愛の両義性」と、あるところまでは同型的である)

第2に、このように錯綜し解き難い矛盾と苦悩は、愛が性的関係の形成へと方向づけられることによって、私たちの生命と身体の最深部にまで及ぶ、耐え難いほどの痛みとなって現象する。この痛みは、いかなる言葉によっても語りえないものである――この痛みのなかでは、「まことのことばはうしなはれ」ざるをえないのだ。

「春と修羅」の季節が、「春」とりわけ「かがやきの四月」、生命の新生あるいは再生の季節である理由のひとつは、ここにあるように私には思われる。この季節こそは、私たちの内なる生命・身体と外なる自然の風景とが、新たな生命を生み出すことにかかわる営みへの予感と不安、歓びとおののきという隠された回路を通じて、交感し交響する季節だからだ。

世界との関係の発見

だから、「ひとりの修羅」としての「おれ」にとって、「かがやきの四月」は単純に自らの外部に発見される風景なのではない。それは、自らの身体と交感し交響する世界の全体として、「かがやきの四月の底」をゆききする自らの姿をそのなかに含みこんだ風景の全体として、そして、愛の逆説性の構造の全体として、発見されるのだ。

《おれはひとりの修羅なのだ》という断定は、たんにそのような自己の正体の発見なのではなく、世界との関係の発見であり、世界との関係の見方の発見、さらにいえば、それを見る位置の発見――悲しくもいきどおろしい発見であった。
(天沢退二郎 『《宮澤賢治》鑑』 筑摩書房 1986年、151頁)

この発見が「悲しくもいきどおろしい」のは、それが、自らと世界との関係が愛の逆説性という構造によって規定されてしまっていることの発見でもあったからである。

もっとも、上に述べたような愛の逆説性の構造は、つねにすでに、誰にとっても自明のものとしてあるわけではない。むしろ多くの場合それは、潜在的なままにとどまっているものだろう。

一般的には、愛の成就とは、その逆説性が潜在的なままにとどまりつづけることのできた形態をさすのかもしれないし、愛の喪失とは、その逆説性の構造の内部に踏み込んでゆく手前で、踏みとどまらざるをえなかった形態をさすのかもしれない。

愛の逆説性の構造の全体は、自己と世界との矛盾に満ちた関係性の全体を、限りなく透明に見はるかすことのできる賢治のまなざし――見田宗介はそれを、賢治の「明晰な倫理」と呼んだ――によってはじめて発見されたものとみるべきだろう。

愛は、それが限りない矛盾と苦悩とを生み出す逆説だからこそ、自己と世界との関係へのまなざしを、より深く透明なものにする。「春と修羅」の風景が、限りなく透明な光に満ちているのは、そのためである。

中島みゆきの世界像

そして――ここでようやくこの記事の主題に到達することになるが――、中島みゆきの作品群全体をつつむ世界像、さらにいえば、中島みゆきという存在そのもののありかた――私たち聴き手をも含めた、世界全体との関係のありかた――の原型には、まさに「春と修羅」と同型的な形式、すなわち愛の逆説性によって規定された「世界との関係」の発見があったのではないかと、私には思われるのだ。

この形式は、中島みゆきという表現者に、ほかの誰ともくらべることのできない存在の特異性――おそらくは賢治からのみ継承された特異性――をもたらしている。

世界との関係の発見の前提にあるのは、世界の中で〈この私〉は他の誰でもない〈一者〉にすぎないという根源的孤独の認識である。愛という経験は、〈この私〉の根源的孤独という壁の外部に、〈この私〉自身を含む世界全体の意味を根底から変容させる、ただひとりの〈他者〉を発見する経験である。それは、世界との関係の発見ということの、最も基本的な形式である。

この発見によって世界にむけて開かれるまなざしは、まさに「春と修羅」の詩人のまなざしのように、〈私〉がいるこの地上と遥かな天空とのあいだの透明な垂直軸を、地上から天空へ、また天空から地上へと、ふりあおぐように往還していく。根底から変容した世界のすべてへの新鮮な驚きのために。

表現者とは、このようにして開かれる世界との関係へのまなざしを、読者あるいは聴き手という自らは見知らぬ存在たちと共有することのできる者のことである。

聴き手のひとりとしての私の記憶のなかで、中島みゆきの世界との関係へのまなざしを視覚的に表象しているのは、1976年4月にリリースされたファーストアルバム「私の声が聞こえますか」のモノクロームのジャケット写真である。高い空の下に広がる白い雪原をうつむき加減に歩いてくる中島みゆきの姿と、その高い空が私自身の上にも拡がっていることに気づいたときの、眩暈のような世界感覚――。

「私の声が聞こえますか」のLP版歌詞カードには、中島みゆき自身から聴き手に宛てた、「速達」と題されたメッセージが掲載されていた (原文は手書き文字の縦書き。これは残念ながら現行の CD には収録されていない) 。

もう何年も前から、あなたを探していたように思います。
ただ、あなたの居どころがわからないが故に私は、黙って泣いて、笑っていたように思います。
でも今、私は自分の声を聞きたくてならないのです。
自分が生きているのかどうかを確かめなければ、恐くてしかたがないのです。
だから、……私は今、私の声を、詞に、曲に、歌にして、果てしのないあなたへ向けて、投げ上げます。

聴き手としての私にとっても、このメッセージは、「自分が生きているのかどうかを確かめ」るための、世界とのまなざしの往還の軌跡――「私は世界のなかでどこにいるのか、そしてどこへ行くべきなのか」という、果てしのない問いなおしの軌跡――の出発点であったと思う。

その問いなおしの軌跡は、現在も終着点に到達してはいないし、おそらく未来にも、到達することはないだろう。

中島みゆきという表現者の特異性は、「世界との関係」の(再)発見が、そのように決して終着点に至ることのない果てしのない問いなおしとして繰り返されるという点にある。その軌跡が果てしがないことの根源的な理由の少なくともひとつは、 「世界との関係」が、解きがたい愛の逆説性という構造によって、その出発点において規定されてしまっていることにある。

「私の声が聞こえますか」の最初の3曲においてすでに、その逆説性は色濃く表現されていた。

今日も坂は だれかの痛みで 紅く 染まっている
紅い花に 魅かれて だれかが 今日も ころげ落ちる (「あぶな坂」)

あたしはあんたの 胸の中じゃ 夢も 見られないわ
あたしの やさしい人 あんたは やさしすぎる (「あたしのやさしい人」)

なんて 不幸な あなた そして 不幸な 私
裏切り続けるのは 言うほど楽じゃない ことなのよ (「信じられない頃に」)

もっとも、愛の逆説性がこのように明示的に表現されている作品は、必ずしも多くはない。ある時期までの中島みゆきにおいては、それはよりしばしば、愛の喪失という、より単純化された形式をとっていたようにみえるかもしれないが、それは上に述べたように、愛の逆説性がとりうる形式のひとつにすぎない。

もう少し後の時期で、愛の逆説性が明示的に表現されている作品として、あとひとつだけ例をあげておこう。

私はあなたを傷つける者 誰よりあなたを傷つける者
けれども唯一癒せるすべを それとは知らずに持っている者

Flame & Aqua なんて遠い者たち
私たちは互いに誰より遠い
Flame & Aqua なんて同じ者たち
いちばん遠い者がいちばん近い
Flame & Aqua 互いから生まれあう
あなたがいなければ
私はまだ生まれていないような者

1991年のアルバム「歌でしか言えない」の終曲、「炎と水」である。ここで愛は、決して相容れあうことのない「炎」と「水」との、「誰より遠い」関係として――にもかかわらず、「いちばん近い」「互いから生まれあう」関係として――歌われている。愛は予定調和的な成就に至る自明の祝福としてではなく、ここでも根源的な矛盾と苦悩をはらむ逆説としてとらえられている。

しかしこの根源的な矛盾と苦悩のゆえにこそ、中島みゆきはくりかえし、愛の歌を歌いつづけなければならなかったのではないだろうか。

もちろん、「世界との関係」の表現は、必ずしもつねに直接に、「恋愛」の逆説性というかたちをとる必要はない。むしろ、夜会を中心とする近年の作品群は、そうしたかつての彼女において典型的だった表現形式からの、遠心的な離脱をはかっているようにもみえる。

しかし重要なのは、中島みゆき自身が、そして私たち聴き手が、いまも問いなおし再定義しつづけている「世界との関係」の原型が、愛の逆説性によって規定された関係として発見されたものだったということである。「春と修羅」は、まさにこの原型を私に思い起こさせるのだ。

付論――焼身と自己犠牲

再び見田宗介によれば、賢治の自己規定としての修羅が「矛盾の存在」であり、またそれゆえに「苦悩する存在」であるというのは、究極的には、自己の生あるいは幸福が、他者の犠牲あるいは不幸を代償としてはじめて成立するという根源的な矛盾と、それゆえの苦悩とを意味した。

「よだかの星」のよだかや、「銀河鉄道の夜」に登場する〈さそりの火〉のさそりのように、「賢治が自分をそこに投影した主人公たちは、自分が生きていることが否応なしに他者たちの死を前提としているような、原的な罪の存在たちである」 (『宮沢賢治――存在の祭りの中へ』 112頁) 。そこからの極限的な脱出口は、よだかやさそりのように、しばしば〈焼身〉と〈自己犠牲〉という形式で見いだされた。

しかし、とりわけ〈自己犠牲〉という観念は、「それがひとつの『犠牲』であること、つまりひとつの抑圧をかならず内包しているということのもつ重苦しさ」を必然的にともなうものでもあった (同書 155頁)

それゆえ、賢治の「ほとんど無意識の夢が行こうとしていた」場所は、「〈自己犠牲〉ということを至上の観念としなければならないような世界の重苦しさのかなた」にある「ひとつの解き放たれた世界」だったのではないか、と見田は述べている (同書 157頁)

夜会VOL.15「夜物語~元祖・今晩屋」が、まさにこの〈自己犠牲〉の重苦しさを主題とし、そこから「解き放たれた世界」を見いだすための実験劇場となっていたことは、まだ記憶に新しいところだ (この夜会についての私見の詳細は、 「物語の構造 (1)」 「物語の構造 (2)」 を参照されたい)

ただし、〈自己犠牲〉を必要としない世界とは、決して愛を必要としない世界と同義ではない。そのことは、愛が恋愛という姿をとるにせよ、家族愛という姿をとるにせよ、あるいはより普遍的に、世界への愛という姿を取るにせよ、中島みゆきの基本的な前提として変わることがない。それは、愛が解きがたい逆説であるがゆえに、私たちと世界との関係を規定する形式の原型でありつづけているからなのだ。

追記

この記事で言及したファーストアルバム「私の声が聞こえますか」のリリースの日付は、1976年4月25日であった。つまり、奇しくもこの記事を投稿した日付のちょうど33年前の日にあたる。これは意図したわけではなく、後から気づいた偶然に過ぎないのだが、不思議な暗合を感じずにはいられない。

法然院・春季伽藍内特別公開

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京都・鹿ヶ谷にある法然院の春季伽藍内特別公開に行ってきた。

私はふだんまったく不信心な人間なのだが、「今晩屋」公演パンフレットに写真が掲載されている茅葺きの山門がこの法然院の門であることを mixi の知人Sさんから教えられ、私の職場からほど近くと地の利がいいこともあって、これも一つの縁と思い、この春の特別公開を機に参拝することにしたという次第である。

ちなみに、Sさんはパソコン通信時代以来の長いお付き合いのある仏教学の専門家であり、「今晩屋」の演出進行表の作成にあたっても、とくに仏教関係の知識については、多くの貴重なご示唆をいただいた。この場をお借りして厚く御礼を申し上げたい。

 

さて、法然院はその名称から想像されるとおり、鎌倉初期に専修念仏の元祖・法然上人が弟子とともに修業に耽った鹿ヶ谷の草庵に由来している。この草庵は久しく荒廃していたが、江戸初期の1680年、知恩院第38世萬無和尚が元祖法然上人のゆかりの地に念仏道場を建立することを発願し、現在の伽藍の基礎が築かれたということである (案内パンフレットによる)。

伽藍内部は通常は非公開であるが、毎年、4月1日から7日までと、11月1日から7日までの年2回、一般公開を行っている。

私が訪れた4月2日は、風は肌寒かったが、まずまずの好天に恵まれた。

京都市バスを白川通の「浄土寺」で降り、東に入ってしばらく歩くと「哲学の道」に出る。桜はまだ6,7分咲きだったが、好天ということもあり、外国人を含む多くの観光客が散策していた。

哲学の道を少し南へ下ると法然院への案内板があり、疎水を東へ渡って坂を少し上ると、すぐに参道に出る。短い参道を上ると、茅葺きの山門 (ページトップの写真) が見えてくる。

山門を入ると、両側に白い台形の盛り砂がある。これらは白砂壇(びゃくさだん)と呼ばれ、水を表しており、その間を通ることは「心身を清めて浄域に入ることを意味している」とのことである。「身を包むものは禊の河水」 (「安らけき寿を捨て」)という一節を思い出さないでもない。

 

入口で拝観料500円を納め、本堂に上がる。

堂内は当然のことながら撮影禁止なので写真はないが、本尊の阿弥陀如来座像の他、観音・勢至両菩薩像、法然上人立像、萬無和尚座像を拝観することができた。横に担当の女性が立ち、それぞれの仏像の由来を解説してくれる。

堂内には、狩野光信 (永徳の長男) の障壁画 (重文) をはじめとする貴重な絵画も多くあり、それらについても、担当の方の解説を聴きながら、ゆっくり観覧することができた。

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圧巻だったのは、本堂中庭の椿である。この春季特別公開は、ちょうど椿の開花時季にも合わせてあるのだろうが、それにしても見事だった。

夜会VOL.15のタイトル「夜物語~元祖・今晩屋」の「元祖」という言葉に、仏教の一宗の開祖、とくに法然上人をさす意味がある……などという知識は、ここでは蛇足だろう。

 

1時間ほどで拝観を終え、再び白砂壇の間を通り、山門をくぐって外界に出た。バスに乗りわずか3駅で、職場という日常の空間に私は戻って行った。束の間ではあるが、浄域に身を置いた記憶とともに。

【上記記事に載せられなかった写真も、フォトギャラリーに掲載しています】

「山椒大夫」と森鴎外

夜会VOL.15~夜物語~「元祖・今晩屋」

夜会「今晩屋」のモチーフとなった森鴎外「山椒大夫」のオリジナルが、日本中世末期から近世初期の語り物文芸である説経節の代表作のひとつ「さんせう太夫」にあることはよく知られている。つまり「今晩屋」は、形式的には、鴎外による近代化というワンクッションをはさんでの、説経節「さんせう太夫」の二重のリメイクとでもいうべき位置にある。

ただし、舞台をご覧になった方はよくご承知のように、「今晩屋」は「山椒大夫」の単なるリメイクではない。そこでは「山椒大夫」のさまざまな素材が引用されてはいるが、それらは登場人物(安寿、厨子王、母、姥竹)たちの「来生」の物語として、中島みゆき独自の視点から徹底的に再構成されたものとなっている (再構成された物語の構造についての私見は、本ブログの「物語の構造 (1) 、物語の構造(2) 」を参照)。

この記事では、「今晩屋」にとって「山椒大夫」というモチーフのもつ意味について、この物語の古層に分け入ること、すなわち鴎外の「山椒大夫」を経て、説経節「さんせう太夫」にまで遡る作業を通して考察してみたい。

(1) 説経節「さんせう太夫」の構造

説経節「さんせう太夫」については、鴎外の「山椒大夫」との差異という問題を含めて、岩崎武夫『さんせう太夫考――中世の説教語り』 (平凡社ライブラリー、1994年) の第1章に詳細な考察がある。同書の主題は、中世に淵源をもつ説教語りの考察を通して、その担い手であった「民衆のもつ多義的な思考や想像力、その豊かな可能性をつかみとること」(33頁)にあり、鴎外の「山椒大夫」は、そのオリジナルとの対比においてネガティブな位置に置かれざるをえない。そのことにも注意しながら、まずは同書の議論の要点を紹介しておこう。

「生命の転換と更新」

岩崎氏によれば、説経節「さんせう太夫」の近代版とされる鴎外の「山椒大夫」における最も決定的な欠落は、「説教のいわば生命ともいうべき場の構造と論理をかえりみない点」にあるという。

さんせう太夫の支配の網の目を逃れて、づし王は丹後の国の国分寺から摂津の国天王寺へとたどり着くが、その天王寺で賎しい乞丐人〔こつがいにん=乞食〕の身分を捨てて、生命の浄化と更新を得、もとの奥州五十四群の主として復活する。「天王寺」を契機として、乞丐人の身分から、一躍高貴な身分に生まれ替わる。そこに演じられた生命の転換と更新の劇、それを説教における場の構造と論理とよぶわけである。(42頁)

すなわち、鴎外の近代化によってこの物語から失われたのは、づし王の「生命の転換と更新」が、天王寺という「聖なる空間」を媒介として、「賎から貴へ」という垂直軸の再上昇として生起するという構造と論理だ、ということである。

このような「生命の転換と更新」を可能とする「聖なる空間」の構造は、基本的には、そこで説経節が語られ民衆によって聴かれる、祝祭の場の構造――それは「聖なる時間」の構造でもある――にも共通するものである。

説教が、寺社の祝祭の日、その境内(外)で語られたことは間違いない事実である。それは祭りというものの持っている本質――古きものの消滅と新しきものの生誕――を、語り物の世界に転移し、それを軸にして展開したものであり、安寿とづし王の関係もその祭りの論理を踏まえて生まれたものである。(98頁)

つまり、安寿の死を代償としたづし王の再生という物語は、それ自体、説教節が語られ聴かれる祝祭という場 (時間) がもつ、「古きものの消滅と新しきものの生誕」――より端的にいえば、死と再生の反復――という本質の投影でもある、ということである。

こうした説経節「さんせう太夫」の構造の背景をなしているのは、世界を「聖」と「俗」という二領域に分割することを基本原理とする伝統的世界像である。この「聖俗」二元論は、空間と時間の双方を秩序づける。空間構造においては、「聖なるもの」を頂点とする「貴賎」の垂直軸が、社会の全体を貫徹し支配する。時間構造においては、「聖なる時間」 (ハレ) としての祝祭 (非日常) における死と再生の反復が、「俗なる時間」 (ケ) としての日常的秩序の再活性化をもたらす――すなわち、聖→俗→聖→俗……と循環する、円環的な時間が流れていく。

(2) 森鴎外と「山椒大夫」の近代性

「さんせう太夫」と「山椒大夫」

(1)で紹介した岩崎武夫『さんせう太夫考』で指摘されていた点の他にも、説経節「さんせう太夫」と森鴎外の「山椒大夫」(大正4年) とのあいだには、いくつかの顕著な差異が存在する。

まず明らかに目につくのは、鴎外版においては――「さんせう太夫」にあった、づし王を逃走させた安寿が火責め水責めの極刑に遭って惨死するとか、あるいはづし王が報復として太夫の首を竹鋸で三日三晩引かせるなどといった――凄惨な身体的暴力をともなう場面がほとんど姿を消していることである。そうしたものとして唯一残された、安寿と厨子王が額に十文字の烙印をされる場面でさえ、結果的には夢であったという処理がなされている。

このことは、支配者と被支配者との和解不可能な対立、あるいは被支配者のゆきどころのない情念といった、岩崎氏がこの物語の「生命」としていた中世的論理が、鴎外版では基本的に関心の外におかれていることを示している。

また、興味深いのは、丹後国守となった厨子王 (平正道) が、人身売買を禁じた結果である。

そこで山椒大夫も悉く奴婢を解放して、給料を払うことにした。大夫が家では一時それを大きい損失のように思ったが、この時から農作も工匠の業も前に増して盛になって、一族はいよいよ富み栄えた。

これは岩崎氏の言うように、厨子王と山椒大夫との「暗黙の和解」ともみることができるかもしれないが、それ以上に、封建的な生産関係から近代的 (資本主義的) な生産関係への移行が語られている点が重要である。

そして、やはり岩崎氏が指摘するとおり、説経節「さんせう太夫」の本質であった、「聖なる空間」を媒介とした「生命の転換と更新」という宗教的論理は、鴎外の「山椒大夫」には基本的に存在しない。

それに代わって物語の前面に出るのは、姉の自己犠牲による弟 (そして母) の救済という、強い倫理性を帯びた物語である。それは一見、伝統的な家族倫理を踏襲しているようにみえるかもしれないが、重要なのは、安寿の自己犠牲という行為が、彼女の――あえていえば――近代的自我の覚醒と一体となってなされているという点である。安寿の聡明な自我と強靭な意志に基づく計画が、厨子王を彼女の代行者として、伝統的支配からの脱却と近代的世界への到達を成就せしめるという意味で、これはきわめて強い近代性を志向する物語へと変換されているのだ。

「山椒大夫」で、宗教的な超越性を帯びた存在として唯一登場するのは、安寿と厨子王の守本尊の、放光王地蔵菩薩の金像である。安寿は厨子王を逃走させるとき、「この地蔵様をわたしだと思って……大事に持っていておくれ」と、守本尊を手渡す。事実この像は逃走後の厨子王を、文字通り安寿の身代りとして救済へと導き、最後の場面では、厨子王と再会した盲いた母の目を開かせる。

この地蔵菩薩の役割は、「さんせう太夫」における、亡き安寿が後に銕焼地蔵として信仰を集めたという後日談と比較すると興味深い。そもそも「さんせう太夫」は、丹後国の銕焼地蔵の由来を説き広めるという語り出しで始まるのであり、そこではいわば物語の外枠をなしていた地蔵菩薩が、「山椒大夫」においては物語の内部構造に取り込まれる。そこで地蔵菩薩が最終的な救済者の役割を演じるのは、あくまでも安寿の意志を代理表象する存在としてなのだ。

以上のような「山椒大夫」の物語の背後にあるのは、説経節「さんせう太夫」の背後にあった、「聖俗」二元論を基本原理とする伝統的世界像の解体の上に成立する、近代的世界像である。それは次のような空間構造と時間構造とから成る。空間構造においては、「聖」を頂点とする「貴賎」の垂直軸が解体され、流動化し水平に拡大した空間の中を、人びとは「自由」な「個人」として浮遊しはじめる。時間構造においては、「聖」と「俗」 (非日常と日常) を循環する円環的時間の環がほぐれ、無限の過去から無限の未来へとひとすじに伸びる直線的時間の中を、人びとは未来の「幸福」を求めて、それぞれの現在を生きてゆくようになる。

こうした「山椒大夫」の近代性のもつ意味について、鴎外の他の作品をも参照しながら、もう少し考察を加えておこう。

自己没却と自己主張

高橋義孝氏は、『山椒大夫・高瀬舟』(新潮文庫版)の解説で、鴎外の諸作品の中には二本の「赤い糸」が貫き流れているという。

その一本は、「一切の束縛、制約、伝統、因襲、秩序、隷属、諦念、自己否定を受けつけまいとする自己肯定、自己主張、広義における、また素朴な意味における個人主義」の線である (同書 362頁)。この線は、小編「杯」 (明治42年) で、西洋人の少女が日本人の少女たちに対してフランス語でつぶやく下記の言葉を出発点として、「妄想」「阿部一族」「最後の一句」などへつらなっている。

わたくしの杯は大きくはございません。それでもわたくしはわたくしの杯でいただきます。

もう一本の「赤い糸」は、それとは正反対に、「自己没却、自己否定、秩序への完全な服従、権威に対する全幅の肯定、ある意味での『運命への愛』の線」である (同書 366頁)。これは、「興津弥五右衛門の遺書」「護持院原の敵討」そして「山椒大夫」にも共通する理念的主題であり、「山椒大夫」における下記の厨子王の言葉に最も簡潔に表現されているという。

姉えさんのきょう仰ゃる事は、まるで神様か仏様が仰ゃるようです。わたしは考を極めました。なんでも姉えさんの仰ゃる通にします。

この「自己没却と自己主張という対立概念」は、高橋氏によれば、「鴎外の内部にあった旧時代の武士気質と、近代的な合理主義との角逐」から生じたものである (森鴎外『阿部一族・舞姫』新潮文庫版・解説、363頁)。

ただ、客観的状況として、鴎外の外部における日本の「近代化」が不可逆的な変化として生じていた以上、この角逐ないし矛盾が、自己没却から自己主張へという方向でしか、いいかえればそれらの背後にある伝統的世界像からの離脱と近代的世界像への参入という方向でしか解決を見いだしえなかったという点は、付け加えておくべきだろう。

この西欧的な近代合理主義との角逐、あるいは日本の「近代化」という問題は、鴎外に限らず、夏目漱石など明治の文学者や知識人が共通して直面した大問題でもあった。ただ鴎外の場合、この角逐ないし矛盾の解決のありかたが、以下にみるように、「女性の自己犠牲による救済」というモチーフによってときに彩られているようにみえる点に、ここでは注目しておきたい。

女性の自己犠牲による救済

「山椒大夫」は、たしかに高橋氏の指摘するように、厨子王の視点からみれば、姉・安寿が主導する運命への全面的な服従という意味で、そしてまた安寿の「自己犠牲」によって救済がなされるという意味で、「自己没却」を主題とした物語であるようにもみえる。しかし安寿の視点からみれば、厨子王と母の救済は、彼女の聡明な自我による周到な計画と厨子王への情理を尽くした説得の結果として達成されるのであり、その意味で、これはきわめて強烈な安寿の「自己主張」の物語でもある。

「自己犠牲」をともなう「自己主張」という構図は、「山椒大夫」と同じ大正4年に発表された 「最後の一句」 において、より鮮明に表現されている。罪人となった父の命乞いをするために、自らをはじめとする子供たちの命を差し出そうとする長女いちが、白洲での取調の場で言う、「お上の事には間違はございますまいから」という最後の一句は、まさに伝統的秩序に対する「献身の中 (うち) に潜む反抗の鉾 (ほこさき) 」であった。

このような、女性の「自己犠牲」をともなう「自己主張」、そしてそれによって達成される救済というモチーフは、鴎外にとって、「自己没却」と「自己主張」との矛盾を解消し、未来へと進む道を見いだすための、ひとすじの希望だったのではないだろうか。

さらに想像をたくましくすれば、これらの女性の原型は、鴎外のドイツ留学での経験を下敷としたとされる初期の代表作「舞姫」 (明治23年) のエリス、さらには、「舞姫」との関連が論じられることのある (鴎外自身が初訳をおこなった) ゲーテの「ファウスト」のグレートヒェンにまで、さかのぼり見いだすことができるかもしれない。

「舞姫」には、直接には「自己犠牲による救済」というモチーフが登場するわけではない。むしろこの物語は、ドイツに置き去りにした恋人エリスに対する、主人公の限りない罪責と悔恨を主題としている。ただ、その罪責と悔恨のゆえにこそ、鴎外はのちに、舞台を過去の日本に移し替えながら、「女性の自己犠牲による救済」をモチーフとした物語を書かなければならなかったのではないだろうか。

「ファウスト」の、絶命した主人公がかつての恋人グレートヒェンの天上での祈りによって魂を救済される終幕、とりわけその最後の、「永遠に女性なるもの、我等を引きて往かしむ」 (鴎外訳) という一節は、この救済への希望の原点をなしているようにもみえる。

(3) 過去の救済

近代的世界像の獲得が不可逆的な変化としてもたらした直線的な時間軸の上では、個人の生は有限の長さの線分としてしか存在しえない。したがって、「自己犠牲」の物語の主人公となるべき女性たちの姿は、「過去」という半直線の中に、永遠に置き去りにされるほかはない。

「舞姫」と同様、鴎外のドイツでの恋愛体験を土台にしたとされる 「普請中」 (明治43年) は、前出の「杯」と同様に、鮮やかな光と影の陰影の中に、西洋と日本という対比を浮かび上がらせた小編である。

主人公・渡辺参事官は、かつての恋人、演奏旅行中に日本を訪れたドイツ人女性歌手と夕食を共にする。「あなたは少しも妬んでは下さらないのね」という彼女に対して、彼は乾杯とともに、彼女の現在の恋人であるポーランド人伴奏者との将来を祝福する言葉を贈る。彼女との記憶を過去へと押しやるその言葉は、彼の「日本はまだ普請中だ」という言葉とともに、過去から訣別し未来へと向かう道を見いだそうとする鴎外の強烈な「自己主張」の反映でもあったのだろう。

未来を照らし出す光が眩さを増すほどに、過去はより深い影の中へと沈みこんでゆく。「近代」が置き去りにしてきたもの、未来のために犠牲となった過去、そしてその中に取り残された女性たち――。

安寿は、自らの主体的意志によって自らの身を過去へと置き去りにすることにより、厨子王に過去からの脱却を促し、未来への道を見いださせる。このような「近代」の物語としての「山椒大夫」で問われることなく残されたのは、未来のために犠牲となった過去、そしてそこに置き去りにされた安寿に象徴される女性たちは、いかにして救済されうるのかという問いである。

「今晩屋」は、この「山椒大夫」で問われようのなかった問いに応えるために構想された物語である。その意味でそれは、「近代」が置き去りにした「過去」を救済しようとする物語でもあり、そこには、「過去の救済」をめざす歴史意識とでもいうべきものがこめられているのだ。

「元祖・今晩屋」 – 物語の構造 (2)

物語の構造 (1) からつづく】

第2幕

「水族館」という空間

第2幕第1場「水族館」は、水族館と呼ぶにはまことに奇妙な構造物である。

第1幕の「縁切寺」の周囲にあった欄干と正面階段、舞台手前から奈落に降りる幅広い階段、および舞台左右の水が流れ落ちる崖はそのままに残っている。したがって、《舞台上の舞台》ともいうべき二重構造の空間もそのまま継承されている。

その《舞台上の舞台》の上に、丸みを帯びた半透明の屋根をもつ粗末な小屋がある。小屋の正面の扉の左には電源スイッチと配電盤らしきものが、右には「消火栓」の赤い扉がある。小屋の左裏手には、ポンプ設備らしきものも見える。そして何より目を引くのは、小屋の周囲・上空、すなわち舞台上の空間いっぱいに浮かぶ、たくさんのカラフルな魚たちである。

一般に水族館とは、魚介類の棲息する水中環境を地上の水槽の中に移設・再現した施設を意味するはずである。しかしながらこの「水族館」はどうやら水底に位置し、小屋を中心とする施設は、水中に構築された地上の世界の「飛び地」のごとき空間であるらしい。だとすれば、この空間はいわば、内部と外部とが位相的に反転した「水族館」とでもいうべきものなのである。

 

第2幕第1場に登場する人物は、

  • 〈暦売り〉       (転生した母)      [中島みゆき]
  • 〈水族館の飼育員〉  (  〃  姥竹)   [香坂千晶]
  • 〈左官〉       (  〃  厨子王)  [コビヤマ洋一]
  • 〈脱走した花嫁〉     (  〃  安寿)   [土居美佐子]

の4人。ただし転生した安寿の役割は、やはり場面に応じて、〈暦売り〉と〈飼育員〉にも割り当てられる。

〈飼育員〉を除く3人は、「水族館」あるいは「消火栓」の扉から出入りする。「水族館」が水底にあるとすれば、これらの扉は、地上の世界、あるいは登場人物たちの前生とつながる通路であるらしい。

冒頭、その「水族館」の扉から、薄紅色の着物を着た〈暦売り〉が登場する。両足には、第1幕のラストで彼女自身が《舞台上の舞台》に置いたものと同じ藁沓を履いている。これは、安寿の記憶の継承を意味するのだろうか――しかし彼女は、地上から長い道を歩いてきたのか、ひどく疲れた様子でその藁沓を脱ぎ捨て、「水族館」の前に転がしてしまう――。

ついで「水族館」の扉から登場するのは、ウェディングドレス姿の〈脱走した花嫁〉である。彼女の登場とともに〈暦売り〉が歌う「安らけき寿を捨て」は、その文字の組み合わせによって、〈花嫁〉が――第1幕における〈脱走した禿〉と同様に――やはり転生した安寿であることを示唆する。

ウェディングドレス姿の〈花嫁〉と彼女が捨てた花飾りは、現世的な幸福の典型的な象徴である。だとすれば、「水族館」の扉の向こう側にあり、〈花嫁〉がそこから「脱走」してきた世界とは、人びとが現世的な幸福を追求しながら生を送る地上の世界――おそらく、われわれが生きているこの「現実」の世界――なのだろう。

「水族館」の世話役ともいうべき〈飼育員〉の役割をも含めて、キャスティングおよび登場人物たちとその前生における役柄との対応関係をみるかぎり、この第2幕は第1幕の反復であるようにもみえる。

しかし、第2幕は第1幕の単なる反復でも延長でもない。それは後半の展開で明らかになるのだが、すでに山上の「縁切寺」と水底の「水族館」という空間的な対称関係によって予示されていたともいえる。山上から水底へという垂直軸の降下――これが第1,2幕を貫く空間的構造をなす。

なぜこの「水族館」は「水の底」にあるのだろうか――

 

「水の底」の意味

「水の底」という場所は、すでに第1幕で〈暦売り〉が歌った「私の罪は水の底」をはじめとして、歌詞や台詞でたびたび言及され、あるいは演出によって表現される。第1幕でも第2幕でも「私の罪は水の底」が歌われるとき、舞台全体が水底のように美しく青くゆらめく照明に包まれる (この場面に限らず、各場面の意味を表現しきった照明の効果の見事さは、今回の夜会でとりわけ印象的だった)。

「山椒大夫」では、姥竹は人買い舟から海中に身を投げ、安寿は厨子王を逃走させた後、山のふもとの沼に入水する。いずれの意味でも「水の底」とは、彼女たちがそこに身を沈めた場所であり、母や厨子王にとっては、過去の罪責や悔恨の記憶が存在する場所である。しかし「水の底」には、原作に由来するこの意味に重層して、次のような場面でうかがわれるように、もう一つの重要な意味が与えられている。

たとえば第2幕の最初のほうで、客に配りきれず余った暦を欄干の下に捨てようとして、〈暦売り〉は言う。

隠し事なら、水の底
水の底には誰も無し 見ている人は誰も無し

その瞬間、〈暦売り〉のいる場所の真下から上方へと急角度で魚が飛び出し、やはりこの空間が水中にあることを意識させる。しかしそれにも増して重要なのは、ここで「水の底」とは、誰もそこにいない、誰もそこを見ていない場所、何かを隠すのにふさわしい場所として意味づけられている点である。

また第2幕の中盤、〈左官〉とのコミカルな言葉遊びのやりとりの最後に、〈飼育員〉はこう語る。

焚き付けて、追いやって、隠れた私は、水の底
そこ、水漏りますよ

その途端、〈暦売り〉は「水族館」の屋根の一角を手に持った暦で押さえようとするが、そこから真横に向けて細い水がほとばしり出る。ここでは〈飼育員〉に前生の――第1幕で炎上する「縁切寺」へと厨子王を追いやった――安寿の記憶が再生しかけているのだが、それと同時に、「水の底」が「私」が「隠れた」場所として語られている点が重要である。

コミカルなやりとりの直後だけに、このシリアスな場面への急転換は強く印象に残る。とりわけ「そこ、水漏りますよ」のところで私はいつも、思わず背筋がぞくりとするような感覚に襲われた。それは、とうに忘れてしまったはずの遠い記憶が、何かの拍子に不意に意識の表面に浮かび上がってくるかのような感覚であった。

「水の底」とは、隠したい何かを、あるいは「私」自身を、隠すための場所である。すなわちそこは、意識から抑圧された――「忘れてしまった」――記憶、とりわけ悔恨や罪責の記憶――「私の罪」――が保存される、無意識の領域を意味しているのだ。

だとすればこの「水族館」という大道具は、それ全体が、そこに登場する人々の前生 (過去) の記憶を封じ込め、保存しておくための装置なのではないかと考えられる。

 

「有機体は過去を喰らふ」

過去の記憶を保存する「水族館」の機能は、それに付随する消火栓や消火器という小道具によって補強されている。ウェットスーツ姿の〈飼育員〉が あたかもアクアラングのように背負っている赤い消火器や、「水族館」正面の消火栓の大きな赤い扉は、第1幕最後の「縁切寺」の炎上を否応なく想起させる。それらはまるで、あの炎上を決して繰り返させまいとする意志の表現であるかのようだ。

「物語の構造 (1)」で考察したように、「炎」が過去を否定・忘却し未来へと突き進むエネルギーの象徴であったとすれば、消火栓と消火器にはそのエネルギーを打ち消すこと、すなわち過去の記憶が失われないよう、「炎」から過去を守る役割を果たすことが期待されていると思われる。

第1幕の最後で、炎上する「縁切寺」の中に姿を消した、前生における厨子王=〈元・画家のホームレス〉 (コビヤマ洋一) が、第2幕では消火栓の赤い扉から〈左官〉として姿を現すのは、その意味できわめて象徴的である。

その〈左官〉が歌い始める「有機体は過去を喰らふ」は、それまでの過去の罪責と悔恨に深く染められた舞台の空気を一気に吹き払うかのような、底抜けの明るさと楽天性という点で、「今晩屋」のすべての曲目の中でも際立った特異性を示している。

そういうものなんじゃないですか 流れてゆく水のように
過去を喰ろうて 骨を喰ろうて 罪を喰ろうて生きてゆく
過去を受け取り 骨を受け取り 罪を受け取り生きてゆく
新しき赤子たちの 掌には昔がある
有機体は過去を喰らう 有機体は己を喰らう
思い上がっていたんだね
思い上がっていたんだね

「有機体」とは人間を含む生命だけでなく、すべての生命を包含する環境・生態系の比喩、あるいは人間がかたちづくってきた社会や文明の比喩でもあろう。そう考えると、この歌は重層的な意味のひろがりをもって聴こえてくる。

人間も含むあらゆる生命は、有限の環境・生態系の中で、過去の生命の遺骸(「骨」)を糧としながら生きてゆかざるをえない存在であり、またその意味で、自らの過去をたえず自らの上に累積させながら、新たな生命を得て再生していく存在である。

過去を喰らい、己を喰らうことによってしか生きることのできない有機体としての己の姿を忘れ、過去を否定し、忘却することによって無限の未来への前進がかなうかのように「思い上がっていた」者とは、社会でも文明でもあり、それをかたちづくってきた個々の私たちでもある――ということなのだろう。

男声 (コビヤマ洋一・宮下文一) から引き継いで、この曲を《舞台上の舞台》で歌うときの〈暦売り〉(中島みゆき) のパフォーマンスは、その弾むような歌いぶりも、まるで「はないちもんめ」のような軽快なダンスも、全2幕を通じて最も明るい歓びに満ちあふれていた。その希望の源は、いったいどこからやってくるのだろうか――

ここではその謎はまだ隠されたままで、舞台は次の場面に移ってゆく。

 

再浮上する過去

二度目の「有機体は過去を喰らふ」を歌い終わった後に、上述の〈左官〉と〈飼育員〉とのコミカルなやりとりの場面がくる。

「そこ、水漏りますよ」と〈飼育員〉が告げると、「水族館」の裏から、再びあの赤白縦じまの紙風船が飛んでくる。第1幕と同様に、「らいしょらいしょ」の曲に乗って〈飼育員〉〈花嫁〉〈左官〉の3人が赤白紙風船で鞠つきに興じ、欄干の上に立つ〈暦売り〉も合わせて鞠つきの身振りをする。やはり第1幕と同様に、安寿・厨子王らの幼時の記憶の再生であろうか。

しかしこの、前生において縁あった者たちの束の間の平和な再会は、その直後、1・2幕を通して5回目の――そして最後の――「百九番目の除夜の鐘」によって中断される。「消火栓」の上の赤ランプが点滅を開始するのは、それまで「水族館」に封印されていた登場人物たちの前生の記憶の全面的な再生が始まることの予告であろうか。

またこのとき、周囲上空のたくさんの魚たちが上方に消えていく。これは、むしろこの「水族館」全体が、魚の住まないより深い水底へと下降していくとみることもできる。すなわち、無意識のより深い奥底への下降――それは同時に、より奥深くに隠されていた罪責と悔恨の記憶が再浮上することをも意味するのだろう。

この曲のエンディングでは、第1幕冒頭と同じく3回の鐘の音が鳴り、前生への回帰と記憶の再生への回路が、ここで一順し完成したことを示す。

 

ここからは、各曲・各場面ごとに少し詳細に、物語の流れを辿ってゆくことにしたい。

〈飼育員〉〈花嫁〉は前世における安寿として、〈左官〉は前生における厨子王として、3人は《舞台上の舞台》の上に立つ〈暦売り〉を振り返り、書面を示しながら、声を合わせて叫ぶ。これが第2幕最後の台詞となる。

この十字路は、十文字、裏切る手筈の、姉・弟の !
額を灼かれよ、十文字 !

原作「山椒大夫」では、安寿・厨子王の姉弟は逃走を企てた罰として、額に十文字の烙印を押される悪夢をみる。このエピソードがモチーフとなってはいるが、ここでは「十文字」の意味は大きく転換されている。

「裏切る手筈」とは、第1幕でもすでに表現されていたように、弟が姉を「迎えに戻る」という約束を、また姉が弟の「迎えを待つ」という約束を、ともに果たせなかったこと――その約束が果たせないことを前提として、厨子王の脱出がなされたこと――を意味する。

それを「裏切り」と呼ぶ倫理的な要求水準は、あまりにも高いものにみえるかもしれない。しかしそれをあえて「裏切り」と呼ばざるをえないのは、物語の構造 (1) で述べた、「愛」に基づく「自己犠牲」という行為がはらむ根源的な矛盾――その「愛」が純粋なものであればあるほど、より深い罪責と悔恨を互いの記憶に残さざるをえないという矛盾――のゆえであろう。

しかしここからは、前生における母としての〈暦売り〉が、家族のすべての罪責と悔恨を一身に集約する役割を担うことになる。

彼女は、舞台床上に赤いライトの交差によって描かれた「十文字」の上を前後左右に辿りながら歌う。

今いる陸は掌の上
その掌に焼き付いている
その十文字は何だ

この歌詞の意味は難解だが、「陸」とは、「水族館」のある水底と対比され、日常的な生活の場としての現世――われわれ自身の住む現実世界――を意味するとすれば、「十文字」とは、安寿と厨子王の「裏切り」によって象徴される、あらゆる人間にとって普遍的な罪責――互いに「縁」ある存在として生きようとするときに、背負わざるをえない罪責――を意味するのではないか。「その十文字は何だ」と歌うとき、客席正面を指さす彼女の身振りも、そのことを示唆している。

 

「十文字」を歌い終えると、〈暦売り〉――ここではすでに〈母〉とみるべきか――は、赤い目隠しをして舞台手前中央に坐り、長い葦を右手に持って「ほうやれほ」を歌いはじめる。〈母〉の記憶が全面的に再生し、子を攫われたこと――すべての悲劇の出発点となった、自らの愚かさ――への限りない自責と悔恨が切々と歌われる。

欄干の上には、もはや記憶の保存という役割を終えた「水族館」は姿を消し、赤く光るたくさんの灯籠が浮かんでいる――「十文字」においてと同様、ここでも「赤」は罪責を象徴する色である。ここは原作「山椒大夫」の最後の場面の再現ではあるが、厨子王との再会による救済という結末はやってこない。

ほうやれほ ほうやれほ
私の罪は水の底
ほうやれほ ほうやれほ
赦されまいぞ、消せまいぞ

「私の罪は水の底」と歌うとき、〈母〉は手に持った葦を奈落に落とす。記憶の最深部への下降とともに露になった、いくたび転生しようとも消すことのできない、無限の罪責と悔恨への絶望――。

エンディングで繰り返される「ほうやれほ」の無限の慟哭のようなリフレインに、やがて宮下文一が歌う「百九番目の除夜の鐘」のリフレインが重なりながら、クレッシェンドしてゆく。

絶望の極点へ向けて全世界が収斂していくかとさえ思われたそのクレッシェンドの頂点で、「今晩屋」の物語の最大の転換点が訪れる。

 

救済

暗転した舞台の中央に、絶望の果てに倒れ臥した〈母〉を――そして彼女の絶望を目の当たりにした客席のわれわれを――少しずつ、少しずつ照らし出し、無限の悲しみを癒すかのように、舞台の前後上下左右に交錯しながら、スポットライトが灯ってゆく――ひとつ、またひとつと。

心地よい揺れと郷愁に満ちた「十二天」の旋律を、宮下文一のヴォーカルが、ついで杉本和世と香坂千晶のデュエットがひきついで、優しく歌ってゆく。

北の天から 南の天へ
乾 [北西] の天から 巽 [南東] の天へ
西の天から 東の天へ
坤 [南西] から 艮 [北東] へ
上の天から 下の天
日の天から 月の天

視点は、まず地平から天頂を経て180度反対の方角の地平へと、天空を振り仰ぐように回転しながら、太陽や月が沈む方角から、それらが昇ってくる方角へと――すなわち過去から未来へと振り向けられる。ついで、天頂から地上へと、そして、昼から夜へと。

この曲では、登場人物たちの内面はいっさい歌われることがない。歌われるのは、彼女たちが転生してきた世界のすべてを、あるがままに一望のもとに見はるかす遠心的な世界観である。

彼女たちが束の間の再会を果たした山上の「縁切寺」も、水底の「水族館」も、忘れ捨てた前生も、前生の記憶に苦しんだ今生も、脱出しようとした来生も――それらの空間と時間のすべてをつつみこむ、はるかに広大な全宇宙が、このときはじめて全貌を現わすのだ。

このめくるめくような世界観の開示こそが、すべての救済への転換点となる――

救済の光に照らされて目覚めたかのように、〈母〉は上半身を起こし、この全宇宙を守護する十二天の名を絶唱する。

毘沙門天から 焔魔の天へ
風の天から 火の天へ
水の天から 帝釈天へ
羅刹天から 伊舎那天
梵の天から 地の天へ
日の天から 月の天

 

つづく「紅蓮は目を醒ます」で、前曲で開示された広大な世界観の中に、〈母〉は微小な存在としての自己の位置を再発見する。

泥から生まれて 泥に住み
泥を喰ろうては 生きてゆく
誰が悪いじゃないけれど
私はここにいる

蓮の種子は、泥の中できわめて長い年月――数百から数千年も――発芽能力を保持することで知られる。「泥」は、有機体としての己が「喰ろうて」きた、「過去」や「骨」や「罪」のすべてを含むのだろう。 「目を醒ます」とは、そうしたきわめて長い時間――「泥」の中で過ごす苦悩の時間――を経ての覚醒を意味すると考えられる。

この覚醒を経て、〈母〉は過去の限りない苦悩と悔恨を、家族の来生(未来)を救済するためのエネルギーに転化させてゆく。この曲を歌い終えると、〈母〉は目隠しを外し、薄紅の着物を脱ぎ、白装束となる。すでに次曲「赦され河、渡れ」のイントロが始まっている。

 

客席に正面を向けた巨大な帆船が舞台上方から降りてくる。奈落から――すなわち過去の記憶の最深部から――這い上がってきた、やはり白装束の〈厨子王〉〈安寿〉〈姥竹〉が、〈母〉に促され、揺れる船縁に次々とよじ登る。〈母〉はさらに客席にも向い、乗船を促すかのような身振りを繰り返す。

もう十分に泣きました
もう十分に散りました
過去は拭っても消えません
一足先は 闇の中
裁く力も 赦す力もない

甲板の上に立った3人は、すべてから解放されたかのような晴れやかな表情で、上空を見上げている。帆に貼られた多くの紙風船は、第1幕の「縁切寺」に封じ込められていた多くの人々の「縁」が、〈安寿〉たちとともに救済されることを意味するのだろう。

「赦され河」とは、ひとりひとりには互いを「裁く力も、赦す力もない」、無力な存在としての人間が、他者――とりわけ縁あった人びと――とともに、生きてゆく時間そのものの暗喩ではないか。

だとすれば、「赦され河」を「渡る」というのは、ひとりひとりが自らのすべての過去の記憶を、罪責・悔恨も含めてあるがままに自らに引き受け、それらを抱えたままで、互いの生を見守りあい、認めあいながら、無限の未来へと歩んでいくことを意味するのではないだろうか。

この場面では、舞台上に残っていた欄干をめぐらせた空間――《舞台上の舞台》――が、船の甲板の役割を果たす。だとすればここでは、船は上方から降りてきたというよりも、むしろ《舞台上の舞台》が、水底――過去のすべての罪責の記憶が沈んでいた無意識の最深部――から、水面――未来へと出帆する船が存在する空間――へと再浮上したとみるべきなのかもしれない。

この場面で、船の帆の向こう側には巨大な満月が浮かぶ。このとき月は、第2幕で初めて空に現われるのであり、このことも、《舞台上の舞台》がそれまで水底にあったことを傍証しているようである。

 

劇中劇

暗転後、再び照明が明るくなると、舞台中央には欄干に囲まれた《舞台上の舞台》だけが
残り、その床には紅毛氈が敷き詰められている。舞台手前の床上には、白い着物の上に濃藍色の印半纏を羽織った〈今晩屋〉が、左横顔を客席に向けて座っている。ポスター写真と同じ構図である。

このとき、「安寿と厨子王のその後の物語」はすでに幕を閉じ、その物語のすべてが、〈今晩屋〉が《舞台上の舞台》の上でわれわれに見せた劇中劇であったことが明らかになる。ここで〈今晩屋〉が「夜いらんかいね」と歌いかける相手は、今度は客席にいるわれわれなのだ。

このとき〈今晩屋〉は、二重の意味を帯びた役柄として立ち現れる。すなわち彼女は、劇中劇の内部の視点からみれば、その事実上の主人公であった〈母〉の限りない思い――「若しもこの夜が買えるものならば」――に応えるために具現化された存在であるようでもあり、客席にいるわれわれの視点からみれば、夜会という実験劇場のなかにさまざまな世界を構築してきた中島みゆき自身が、その自らの役割を劇中に化身させた存在であるようにも見えるのだ。

 

「夜いらんかいね」を歌い終えた〈今晩屋〉は正面階段を昇って《舞台上の舞台》の中央に立ち、終曲「天鏡」を歌いはじめる。

その鏡に映るものは 隠しきれぬ愚かさと
その鏡に映るものは 拭いきれぬ哀しみと
その鏡に映るものは 失くしてから気がつく愛しさ
その鏡に映るものは 置き忘れた約束と
その鏡に映るものは 通り過ぎて気がつく過ち

「天」の「鏡」という言葉は、直ちに「月」を連想させる。第1幕では「夜をくだされ」とそれに呼応する「夜いらんかいね」の場面で、第2幕では「赦され河、渡れ」の船の場面で、空に鮮やかな満月が浮かんでいた。それらは、 「十二天」の最後に歌われる「月の天」の化身であったのかもしれない。

「天鏡」とは、人間の手の届かない遥かな天空の高みにあって、地上の人間のあらゆる愚かさや哀しみや愛しさ、約束と過ち――救済されるべき過去のすべてを映し出す鏡である。

「天鏡」を手にすること――すなわち、人間の運命のすべてをコントロールし、いかなる罪責も悔恨も残すことのない、完璧な過去と完璧な未来を手に入れること――は、人間には決して叶わないことである。それまでの穏やかな歌いぶりとは一転して、〈今晩屋〉(中島みゆき)が深い怒りをこめた声と表情で歌う次の歌詞は、そのような無際限な欲望あるいは「思い上がり」への警告を意味しているのだろう。

その鏡を 手にすることに焦がれ
戦を起こす 心を捨てる
手にするものは 砕け散る道標

人間は、限りない苦悩と悲しみを過去から背負ってこざるをえない存在であるからこそ、限りない希望と喜びに胸踊らせながら未来へと歩んでゆくことのできる存在でもありうるのだ。そのことを忘れてはならない――と。

輪廻転生は――あるいはより端的に、人の生は――たしかに、過去の罪責と悔恨、ネガティブな記憶を無限に導く水路であったかもしれない。しかし、そうだからこそ逆説的にもそれは、ポジティブな「願い」を無限の未来へと導く水路でもありうるのだ。救済への鍵は、この逆説の中にこそある――。

〈今晩屋〉が《舞台上の舞台》で歌いつづけるうちに、やがて舞台奥から床上を客席方向に向かって、透明な水が河のように流れはじめる。

この水は、第1幕の最後で「縁切寺」を焼いた炎――過去を否定することによって未来へと突き進もうとするエネルギー――へのアンチテーゼである。

それは、遥かな過去という源泉から湧出しながら、過去のすべてをあるがままに――その河底に沈んでいた罪責や悔恨とともに――遥かな未来へと運びながら救済する時の流れなのだ。

その鏡は人の手には 触れることの叶わぬもの
その鏡は空の彼方 遥か彼方 涙を湛えた瞳だ

〈今晩屋〉は右手を高く天空へと差し上げながら、晴れやかな笑顔で、「瞳だ」の最高音を振り絞るように歌い切る。

エンディングの演奏が流れる中、彼女は《舞台上の舞台》の正面階段手前に坐ると、印半纏を脱いで丁寧に畳み、客席に向けて差し出すかのように、自らの手前に置く。ついで、おだやかな笑みをたたえて左右上方にまなざしを向けた後、正面に向かって深々と頭を下げる。

《舞台上の舞台》の下には、「涙を湛えた瞳」としての「天鏡」から溢れ出た涙のようにも見える流れが、まだ滔々と流れつづけている――

幕――

 

エピローグ

公演パンフレットの「あとがき」で、中島みゆきは次のように述べている。

一生は、終ってしまえばリセットされて、
次の、まっさらなところからやり直せるというふうに、
いつの頃からか、この国では誤解されているのかもしれないと、お思いになりませんか。
(中略)
実は、何もリセットなんかされないのかもしれないと、お思いになりませんか。
今生で為した事は全部、次の生へと連なってゆくのかもしれないと。

「転生」によっても決して生の「リセット」はなされず、「今生で為した事は全部、次の生へと連なってゆくのかもしれない」と考えることは、人は過去の罪責や悔恨を、未来永劫まで背負ってゆかなければならないと考えることだ。これはあまりにも「救い」のない、恐ろしい認識のようにみえるかもしれない。

しかし逆説的にもその冷厳な認識こそが、すべての過去の救済の可能性を開示するという、めくるめくような世界像の転換が最後に提示されて、「今晩屋」は幕を閉じた。


これまでの夜会においてもつねにそうであったように、今回も中島みゆきは私に、直ちに答えることの困難な問いを投げかけてきた。

「過去の救済」――それは私自身にとっても可能なことなのか。

今の私にはまだ、「赦され河」を渡る船に乗る資格はないように思えた。それは、私が自らの過去の罪責と悔恨に対して、これまで十分に真摯に向き合ってこなかったということを、まさに「今晩屋」の舞台を観ることによって、鋭い痛みとともに自覚させられたからだった。

客観的にみれば、「今晩屋」の登場人物たちが苦しんだ罪責と悔恨に比べれば、私の過去にあるそれらなどは、物の数ではないかもしれない。しかし私にとってもそれらが、逃れることのできない問いとして、現在の私の記憶の根底にありつづけていることには違いはない。

この問いへの答は、私自身がこの現実の生のなかで――現在から未来へと積み重ねてゆく時間のなかで――探しつづけてゆくほかはないだろう。その問いから逃げずに向かい合いつづけることだけが、かけがえのない過去という時間を――そこに存在した愚かさや哀しみや愛しさ、約束や過ちのすべてを――よりかけがえのない未来へとつづく一条の航路へとつなぐことを可能にするはずだ、という思いとともに。

「元祖・今晩屋」 – 物語の構造 (1)

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夜会VOL.15「夜物語~元祖・今晩屋」(以下、「今晩屋」) 大阪公演が千秋楽を迎えて1週間が経った頃に書き始めたこの記事も、その後、多くの改稿を重ねた。

今回の夜会は、当初は東京公演1回、大阪公演2回と、計3回の観賞の予定だったのだが、昨年11月に初めて東京公演を観てから、その――これまでのどの夜会よりもさらに――謎めいた幻想世界に強く心惹かれ、できることならすべての謎を解き明かしたいとの思いが深まり、結局、東京公演 (赤坂ACTシアター) には、2008年11月24日(日)、12月 6日(土) の2回、大阪公演 (シアターBRAVA!) には2009年 2月 2日(月)、2月11日(水)、そして千秋楽の2月15日(日)の3回と、合計5回も足を運ぶこととなった。

これほどの回数の参加は、1991年のVOL.3「邯鄲」以来だから、実に18年ぶりのことである。

しかしすべての公演が幕を閉じた現在でも、すべての謎が解き明かせたとはとても言えない。これまでの夜会にも増して、今回の演目「今晩屋」については、考えるべきことが多すぎて、少しでも早く、舞台の記憶がまだ鮮明なうちに考えを整理しておきたいと気は焦るのだが、いざそれらを言語化しようとするとなかなか明確なかたちにはならない。あるいは、無理に言語化しようとすれば、むしろ本質的な部分が抜け落ちてしまうような不安もある。

 

とはいえ、やはりまず最初におこなうべきなのは、この物語の構造を整理・確認しておくことだろう。

「今晩屋」は、事前に予告されていたとおり、森鴎外の「山椒大夫」をモチーフとしている。

九州にいる父を尋ねてゆく旅の道中で人買いに攫われ、母と生き別れになった安寿と厨子王の姉弟、そして奴婢として隷属していた荘園領主・山椒大夫のもとから、姉の自己犠牲によって脱出した弟は、母との再会を果たす――

日本中世の説話に由来し、家族愛と自己犠牲を主題とした悲劇としてもっぱらイメージされてきたこの物語を今回、モチーフとして選んだ意図について、公演パンフレットの「まえがき」で中島みゆきは次のように述べている。

お気掛かりではございませんでしたか。
あの時、姉を犠牲にした弟の心は、めでたしめでたしで済んだものかと。
あの時、姉を犠牲にしたと囁かれ続ける弟を、姉はどんな気持ちで振り返ったかと。
あの時、母は何ゆえ、あれほど愚かに子を攫われたかと。

「山椒大夫」に描かれることのなかったこれらの素朴でかつ本質的な問いへの答を見いだすために、舞台は「安寿と厨子王」の「何十年も、何百年も経った、その後の物語」として設定される。

第1幕は、その登場人物たちが転生した来生の物語として、そして第2幕は第1幕の登場人物たちが再び転生した次の来生の物語として、それぞれ位置づけられている。

以上のことを念頭に置きながら、以下、第1幕、第2幕の順に、物語の構造を――とくに空間構造と時間構造を中心として――考察していきたい。全体が長くなるので、第1幕を中心としたこの記事と、第2幕を中心とした次の記事に分割する。

なお、これらの記事は、舞台のレビューを兼ねてはいるが、物語の背後にある構造を析出することに重点を置くので、記述は必ずしも舞台の進行順には沿っていない。進行順の演出の詳細やその解釈については、 「演出進行表」を参照されたい。


第1幕

「縁切寺」という空間

冒頭、鐘の音が3回鳴り、舞台がしだいに明るくなるとともに、周囲に欄干をめぐらせた六角堂が姿を現わす。

幕開けを飾るインストルメンタル曲「十二天」は――2001年のアルバム「心守歌」のタイトル曲にも少し似た――ヴァイオリンのG線 (最低弦)が奏で始める、心地よい揺れを繰り返す郷愁に満ちた旋律によって、聴く者を舞台の世界に引き込んでゆく。

この曲は、次の記事で後述するように、第2幕終盤で歌われるとき、この物語の全体を包む世界観を開示するという、きわめて重要な役割を果たす。その世界観が、すでにこの冒頭で予示されているのだ。

 

六角堂の正面には、舞台床に降りる5段の階段がある。さらに舞台正面、客席に向かっては、舞台の幅いっぱいに近い、奈落に降りる幅広い階段がある。六角堂の正面階段にも、舞台から奈落に降りる階段にも、欄干と同じデザインの青緑色の木製の手摺がついている。

欄干の上の六角堂は、舞台に対していわば《舞台上の舞台》ともいうべき二重構造の空間をなしている。この二重構造は、第2幕にも継承され、舞台の構成上、重要な役割を果たすことになる。

水が流れ落ち続ける左右の崖の深山幽谷を思わせる風景、および〈暦売り〉(中島)が舞台下手の奈落から階段を上りながら姿を現すところなどからみて、この「縁切寺」はかなり人里離れた山上にあるらしい (この点は、水底にあるらしい第2幕第1場「水族館」との空間的な対比をなしている)。

「縁切寺」とは、伝統的な共同体、家族や主従の「縁」から人々を解き放つアジール (避難所) である。それは聖なる空間であるがゆえに、世俗的な世界において人びとを束縛するルールを無効化する異空間なのだ。

 

ここに登場する人物は、

  • 〈暦売り〉        (転生した母)         [中島みゆき]
  • 〈縁切寺の庵主〉       (  〃  姥竹)   [香坂千晶]
  • 〈元・画家のホームレス〉 (  〃  厨子王)     [コビヤマ洋一]
  • 〈脱走した禿(かむろ)〉    (  〃  安寿)   [土居美佐子]

の4人。ただし転生した安寿の役割は、場面に応じて、〈暦売り〉と〈庵主〉にも割り当てられる。

彼女たち4人はいずれも前生の記憶を喪失しているが、前生の「縁」に引き寄せられるかのように、「縁切寺」で再会する。前生において「縁」あった者たちが、「縁」無き者たちとして初めて再会を果たすという逆説――。

この逆説は、彼女たちが前生において「縁」ある者たちであったがゆえに――再会の約束を果たせなかった姉弟として、あるいは子を攫われた母として――罪責と悔恨を背負わなければならかったことの反映であろう。「縁切寺」は、それらの罪責と悔恨の根底にあった「縁」を断ち切る空間である。第1幕の舞台が「縁切寺」に設定されている理由はここにある。

 

六角堂の周辺にたびたび姿を現わすらしいおかっぱ頭の少女〈脱走した禿〉について、〈庵主〉はこう語る。

売られた子供が逃げようならば、ここまで自ら駆け込めば
縁切寺になるものを

「ここまで」と語りながら、〈庵主〉は自ら、六角堂の正面の階段を上がってみせる。してみれば、アジールとしての「縁切寺」の空間は、厳密には六角堂をめぐる欄干――《舞台上の舞台》――を境界として画定されているということなのだろう。

〈禿〉は、六角堂の裏手から取り出した赤白縦縞の紙風船で、「らいしょらいしょ」の曲に合わせて鞠つきを始め、〈ホームレス〉もそこに加わる。転生した安寿と厨子王が、「縁切寺」の境内で束の間の再会を果たし、童心に帰って遊ぶ場面だろうか。

 

それにつづけて〈暦売り〉が歌う「ちゃらちゃら」は、「縁切寺」という空間のもつ意味を端的に表現している。

縁のない者に なりたい人は
罪のない者に なりたい人は
駆け込んで来られ 逃げ込んで来られ
縁切りの寺は 身の上をちゃらにしよ

〈暦売り〉がこの曲を歌い続けるうちに、六角堂の裏側から正面階段を伝って舞台床へと、鞠つきに使われたのと同じ赤白縦縞の紙風船が、最初は数個ずつ、やがて無数に転がり出てくる。紙風船はまるで自らの意志をもっているかのように転がり、舞台床全体に広がってゆく。

この無数の紙風船は、縁切寺に封じ込められていた、そこに駆け込んだ人々が捨てた過去の「縁」を意味するのだろうか。この恐怖さえ覚えるような幻想的な光景は、全2幕の中でも最も印象的な場面のひとつであった。

 

大晦日という時間

「縁切寺」が上記の様な意味で空間的な特異点であったとすれば、除夜の鐘が鳴る「大晦日」――1年を次の1年へとつなぐ時間――は、時間的な特異点であるということができる (この点は、第2幕にも共通している)。

〈暦売り〉が売る暦には、日付も曜日も入っていない。 「暦売りの歌」に歌われるように、この暦には、過ぎ去りし日であれまだ知らぬ日であれ、自らが望む日付を書き込むことで、「今日の日」をその日へと自在に運んでゆくことができるのだろうか。

ああ一日を どこへ運ぼうか
過ぎ去りし過去の日へ 暦を直すため
ああ一日を どこへ運ぼうか
まだ知らぬ先の日へ 暦を先取るため

この物語の世界は、時間を自在に行き来すること――誰もが一度は望んだであろう、この素朴で空想的な願い――が、実現されうる世界であるらしい。しかし、そこに還りたい時間がある一方で、その記憶を――さらには時間それ自体を――消し去りたい時間もあるだろう。さらには、その両方がひとつの時間に重なり合っている場合さえあるかもしれない――人の生は、つねにそうした矛盾に満ちている。

 

大晦日に鳴る、一年間の百八個の煩悩を払うとされてきた百八回の除夜の鐘の音は、新たな一年への「リセット」を可能にしてくれる信号のはずだった。しかし「百九番目の除夜の鐘」が鳴るとき、逆に、かつて「リセット」されたはずの過去、前生が、再びよみがえりはじめる。

百九番目の除夜の鐘 鳴り始めたならどうなろか
百九番目の除夜の鐘 鳴り止まなければどうなろか
このまま明日になりもせず このまま来生になりもせず
百と八つの悲しみが いつまで経っても止みもせず
百九番目の鐘の音が 鳴り止まなければどうなろか

第1幕では3回歌われるこの曲は、曲の始まりと終わりに鳴る鐘の音とともに、前生から転生してきた人物の登場、あるいは前生の記憶の再生を促す信号の役割を果たす。

最初の「百九番目の除夜の鐘」では〈庵主〉が欄干の上に登場し、2度目には六角堂の裏手から〈禿〉が登場する。そして3度目にこの曲が歌われた後には、後述するように、〈ホームレス〉に厨子王としての記憶が、また〈暦売り〉には安寿としての記憶が、それぞれ再生しはじめるのである。

 

逃走の意味

〈ホームレス〉は最初は、六角堂の縁の下の暗がりに身を潜めながら、密やかに登場する。それは彼が、絶えず何かから逃走しつづけている存在であることをすでに示している。

彼は、自分がどこから、どこへ逃げようとしているのかさえ記憶していない。 「逃げよ、少年」で、着物や座布団を渡して世話を焼こうとする〈庵主〉に追われて六角堂の周囲を逃げ回るコミカルな場面にせよ、(後述する) 第1幕ラストの「旅仕度なされませ」から「都の灯り」に至るシリアスな場面にせよ、――幼い頃の姉弟に戻ったかのように〈禿〉と鞠つきに興じる「らいしょらいしょ」の場面をほぼ唯一の例外として――ただ、絶えず何かから逃げつづけなければならないという衝動と焦燥だけが、彼を駆り立てている。

この逃走は、直接には、前生における厨子王としての、山椒大夫のもとからの逃走の記憶の (当初は不完全な) 再生を意味するのだろうが、そこにはもうひとつの重要な意味が隠されている。その手がかりとなるのは、〈暦売り〉が歌う「私の罪は水の底」の、次のような不思議な歌詞である。

逃げてゆく身の危うさ
逃げてゆかせる者の方がすぐ追い抜いて
さて どちらが逃げ遂げた

「逃げてゆかせる者」とは、直接には安寿を意味しているのだろうが、彼女が厨子王を「追い抜く」とは、いったいどういう意味なのだろうか。

「逃げてゆかせる者」とは、厨子王にとって、「迎えに戻る約束」を果たせず置き去りにした姉の記憶、自らの罪責と悔恨の根源であるがゆえに意識から抑圧され、「忘れてしまった」前生の記憶を意味するのではないか――このように考えることができるとすれば、それが「すぐ追い抜いて」ゆくというのは、前生の記憶が、最終的には逃れ難いもの、決して「逃げ遂げる」ことのできないものであるということを予告しているのではないだろうか。

事実、第1幕後半の展開は、この予告を裏づけるかのように進んでゆく。

 

「夜」と「昼」の意味

前生で縁あった者たちの「縁切寺」での束の間の再会は、すでにみたように、前生の「縁」を捨て去ることを代償にして実現されたものだった。それは、「憂き世ばなれ」での次の歌詞に象徴されるように、諦念と裏腹の静かなやすらぎにみちた再会であった。

大切なものなんて 端 (はな) からないと思い込もう
失くすにも 壊すにも 何ひとつ なかったと
(中略)
どうせ嘘なら葦ひと夜 あとは野となれ山となれ

 

しかしこの再会は、「夜いらんかいね」と呼びかける、〈暦売り〉を代理人とする〈今晩屋〉の意志の介入を契機として中断され、諦念は破棄される。そして、彼女たちが忘れ捨てたはずの過去、前生の記憶が再びよみがえり始めるのだ。

“若しも この夜が買えるものならば
何を代わりに払ってもいい”
願う人もあろう 探す人もあろう
お代は代わりに あなたの昼を
一つならず一つならず いただきましょう

〈今晩屋〉が売る「夜」とは、人々にとって過去の悔恨の出発点、運命の分岐点であり、そこから生を再出発させることを人々が望むであろう特別な時間を意味している。その時間が「昼」ではなく「夜」であるのは――「山椒大夫」において、一行が人買い・山岡太夫に出会った一夜が運命の分岐点であったことにも由来しているのだろうが――本質的には、「夜」こそが一日を次の一日へとつなぐ時間であるからだろう。

だとすれば、〈今晩屋〉が「夜」の「お代」として要求する「あなたの昼」とは、悔恨の出発点=運命の分岐点としての「夜」の後、人々が現在まで積み重ねてきた生の時間を意味すると考えることができる。それらを引き渡すことと引き換えに、運命の分岐点へと連れ戻されること――それが、「夜」を「買う」ということの意味なのだろう。

 

3度目の「百九番目の除夜の鐘」が歌われた後、〈ホームレス〉に前生の厨子王としての記憶が再生しはじめる。彼が連れ戻された悔恨の出発点=運命の分岐点は、姉・安寿に促され、山椒大夫のもとから逃走しようとした「門出」の時点であった。赤白の紙風船をつぶした「椀」を右手に持ち、〈ホームレス〉はこう独白する。

木の椀に、清水を汲んで汲みかわし
門出を祝う水杯を汲みかわし
ごきげんよう、ごきげんよう
逃げも隠れもいたします

「逃げも隠れもいたします」という台詞はコミカルなようでもあるが、姉・安寿を置き去りにして逃走しようとすることへの自責がすでに含まれている点に注意したい。これに応じる〈暦売り〉の台詞には、この厨子王の自責がより鮮明に表れる。

門出の誓いは、その場の気持ち
迎えに来ますも、待ちますも、
門出の誓いは、その場の気持ち

頭を抱えながら「忘れてしまった!」と繰り返し、自責の記憶を振り払おうとする〈ホームレス〉に対し、〈暦売り〉は――安寿としての記憶を再生させながら――六角堂の正面の扉を指さしながら、こう告げる。

都へ逃げよ、都は夜のないところ、目もくらむ眩きところ
それが都ぞ、疾う逃げよ

「夜」が過去の悔恨の出発点=運命の分岐点であったとすれば、「夜のないところ」としての「都」とは、もはや過去に立ち戻ることなく、過去を忘却し否定しつづけることによって、未来へと突き進んでゆく場所、その意味での「近代化」の最尖端のごとき場所を意味するのではないか――この予想は、後述の「都の灯り」によって裏づけられることになる。

〈暦売り〉は、 「迎えに来ますと、約束を……」と、安寿への別れの言葉を告げようとする〈ホームレス〉を六角堂のほうへ突き飛ばしながら、こう叫ぶ (これが第1幕の最後の台詞となる)。

置き去りにせよ、骨肉 (こつじく) を!

間髪を入れず、第1幕2回目の「旅仕度なされませ」のイントロが始まる。1回目のときの軽快なアップテンポ、明るくコミカルな長調から一転して、重い足取りのミディアムテンポ、悲しげな短調で。

〈庵主〉は、笠と白装束、黒の衣を取り出し、〈ホームレス〉に着せていく。この「旅」は、今生においても何かから逃走しつづけた彼の最後の脱出の旅、あるいは死出の旅なのだ。

 

「縁切寺」の炎上

〈ホームレス〉が旅仕度を終えると、第1幕2回目の「らいしょらいしょ」が始まる。中島みゆき自身が歌うこの曲は、杉本和世・香坂千晶が歌うときのあどけない表情の手鞠歌とはうってかわり、原初的な恐怖と情念と深い悲しみに満ちた歌に変貌する。

六角堂の《舞台上の舞台》の上に〈禿〉が現われ、再び鞠つきを始めるが、左右の崖の上に赤い光が閃くと、彼女はおびえたように裏手に消える。赤い光は前生の恐怖の記憶の象徴なのか。

やがて再登場した〈禿〉が手にした松明の火によって、「縁切寺」は内部から炎上しはじめる。宮下文一が歌う「らいしょらいしょ」のエンディングのリフレインがクレッシェンドするにつれて、炎は激しく燃え上がり、堂が燃え落ちる音が響き始める。

「都の灯り」の激しいイントロとともに、錫杖と数珠を手にした僧形の〈ホームレス〉は、ついに炎上する六角堂の正面階段をゆっくりと昇り始める。それまで決して開かれることのなかった正面の扉が〈庵主〉と〈禿〉の二人の手によって、彼を迎え入れるために開かれるとき、扉の向こうには、ステージ奥のライトがまさに「都の灯り」のように彼方に輝くのが見える。

都の灯りが彼方に浮かぶ そこまで逃げよと運命 (さだめ) が示す
裏切って 見限って 骨肉分けた人を捨て
従って 逆らって 明日のために今日を捨て
都の灯りが彼方に浮かぶ 都の彼方に来生が浮かぶ

〈ホームレス〉=転生した厨子王の「都」への脱出、すなわちその彼方にある「来生」への脱出が、なぜ炎上する「縁切寺」に身を投じることと同義なのか――。

 

「縁切寺」とは、家族や主従の「縁」から人びとを解放するアジールであり、伝統的な共同体の秩序が支配する世界の中で、唯一その秩序を無効化する異空間であった。しかし、伝統的な秩序そのものが解体し、「縁」に縛られることのない世界が出現すれば、もはや「縁切寺」は必要なくなる。

ここで「都」とは そうした世界――すなわち、「骨肉分けた人を捨て」て脱出した人びとが集まり暮らす世界を意味するのではないか。またそれは、すでにみたように、絶えず過去を忘却しながら未来へと突き進んでゆく世界――「明日のために今日を捨て」つづける世界――でもあるのではないか。

「縁切寺」を焼く炎は、過去のすべての「縁」を焼き尽くし、もはや「骨肉」のしがらみに縛られることのない世界への脱出をもたらすエネルギーの象徴であり、またそのことによって、過去を否定し未来へと突き進むエネルギーの象徴なのだ。

 

残された問い

〈ホームレス〉=転生した厨子王の「都」への脱出という第1幕の結末は、形式上は、「山椒大夫」のストーリーを反復しているようにもみえる。しかしそれは次のような意味で、単なる反復ではない。

ここで、冒頭に引用した公演パンフレットの「まえがき」にある、中島みゆきの問いを思い出したい。

弟は、なぜ「姉を犠牲にした」という自責と悔恨に苦しまなければならなかったのか。

それは、安寿の自己犠牲が、「骨肉分けた人」としての自らへの純粋な「愛」のためになされた行為であったがゆえではないか――。その「愛」が純粋なものであればあるほど、弟の自責と悔恨――そして、弟にそれを強いたという姉の自責と悔恨――はより深くなる。

「愛」に基づく「自己犠牲」という行為がはらむこの根源的な矛盾こそは、彼が炎上する縁切寺に身を投じることによって、「都」へと再び脱出しなければならなかった真の理由ではないか。この根源的矛盾から脱出する道がもしあるとすれば、それは、「愛」に基づく「自己犠牲」そのものをもはや必要としない世界――すなわち、「骨肉」の「縁」そのものが存在しない世界への脱出しかありえないからだ。

 

しかしこの脱出は、過去からの――〈今晩屋〉が売ろうとした「夜」からの――真の解放と救済をもたらしたのだろうか。

〈ホームレス〉=転生した厨子王が身を投じた「縁切寺」が燃え落ちた後、転生した安寿の分身であった〈庵主〉と〈禿〉は、舞台左右の滝壷に身を投じる――これはいうまでもなく、前生における安寿の入水の再現である。

しかしながら、転生した安寿の第三の分身ともいうべき〈暦売り〉は、すべてが終わったかにみえたその後になってようやく、焼け跡の《舞台上の舞台》の裏手から、赤い消火器を背中に背負って再登場する。「縁切寺」の火を消し止めることが彼女の意志だったのだろうか――。

また、すべてが終わったことを知った〈暦売り〉は、入水した〈庵主〉と〈禿〉が片方ずつ残した藁沓を一足に揃え、《舞台上の舞台》の正面、階段の上に置く。これは、安寿の記憶をさらなる来生へと引き継いでいこうとする意志の表現なのだろうか――。

これらの残された問いは、すべて第2幕へと引き継がれてゆくことになる。

 

第1幕を観終えた後に残る悲痛な重苦しさは、その悲劇的なラストシーンによるものばかりではない。

それは、〈ホームレス〉=転生した厨子王が脱出しようとした「都」――絶えず過去を忘却しながら未来へと突き進んでゆく世界――こそは、いまわれわれが現実に生きているこの世界なのかもしれない、という予感のためでもある。この予感への応答も、やはり第2幕で与えられることになる。

 

中間考察――輪廻転生というモチーフ

第2幕の考察に移る前に、ここで「今晩屋」の物語の縦軸をなす、前生-今生-来生という輪廻転生というモチーフについて考えておきたい。

〈禿〉と〈ホームレス〉が、「縁切寺」の境内で、前生における姉弟の幼い頃に帰ったかのように鞠つきに興じる場面で歌われる「らいしょらいしょ」は、この輪廻転生というモチーフのもつ本質的な意味を、直感的に表現している。

来生 来生 前生から 今生見れば 来生
彼方で見りゃ この此岸も彼岸

私たちがいまこうして生きている「現実」としての今生は、もしかしたら、私たちの記憶していない前生からみた来生だったのかもしれないし、まだ知らぬ来生からみた前生なのかもしれない――いま、ここの「現実」を、無限の時間軸の中に宙づりにしてしまうかのような、夢のような浮遊感。

私たちの日常の経験のなかで、このような浮遊感に満ちた世界感覚に最も近かったのは、おそらく幼い頃の記憶であろう。「らいしょらいしょ」は日本古来の手鞠歌を素材としているが、同じように、わらべうたに垣間見られる原初的な世界感覚は、夜会VOL.3「邯鄲」で歌われた中島みゆきの最初期の作品「ひとり遊び」や、前作「24時着0時発」で歌われた (童謡「通りゃんせ」をモチーフとする) 「DOORS TO DOORS」にも共通するものだった。

 

輪廻転生あるいは「死と再生」というモチーフは、「今日は倒れた旅人たちも/生まれ変って歩き出すよ」という、最初期の代表作「時代」のよく知られた一節を思い出すまでもなく、中島みゆきの作品世界を、現在に至るまで一本の赤い糸のように貫いているモチーフである (そのことについては、かなり以前にも、活字媒体の同人誌への寄稿で論じたことがある)。

近代的な直線的時間のなかでは、個人の生は、誕生を始点とし死を終点とする有限の長さの線分としてしか、時間軸上に存在しえない。その始点と終点は――個人を他の誰でもない「一者」として他者から隔てる、根源的孤独という檻と同様に――個人の生を有限の時間のなかに閉じこめる時間的な檻でもある。この檻を打ち破り、誕生という始点よりもさらに以前の過去、あるいは死という終点よりもさらに向こう側の未来へとまなざしを振り向け、そこでしか出逢えない他者の姿を探し求めようとするときに浮上してくるのが、転生というモチーフであった。

このモチーフが、〈夜会〉の前々作「ウィンター・ガーデン」および前作「24時着0時発」でも物語の基軸をなしていたのはまだ記憶に新しいところである。その意味でそれら二作と今回の「今晩屋」とは、三部作を構成しているとみることができるかもしれない。また、「24時着0時発」のオリジナル曲で構成された2005年のアルバムが「転生(TEN-SEI)」と題されていたことも、このモチーフを近年の中島みゆきがとりわけ重視していることを反映しているといえよう。

ただし、これら三作における輪廻転生のモチーフの意味ないし位置づけは、もちろん同一ではない。そのことについては、三作の比較を踏まえ、いずれ稿を改めて論じたいと思うが、ここで一点だけ指摘しておこう。

前作「24時着0時発」での輪廻転生は、 「命のリレー」の歌詞に象徴されるように、「この一生」という限界を越えて、「願いを引き継いで」ゆくことを可能にする世界観を意味するものだった。

虫も獣も人も魚も
透明なゴール目指す 次の宇宙へと繋ぐ
この一生だけでは 辿り着けないとしても
命のバトン掴んで 願いを引き継いでゆけ

だからそれは、「願い」の達成を阻むネガティブな壁――鮭たちの故郷への遡上を阻む廃墟堰に象徴される――を打破することにより、新たな世界への「転轍」を図り、「願い」を未来へと引き継いでゆくポジティブなエネルギーを導く水路でもあった。

それに対し、 「今晩屋」においては、ネガティブな壁は登場人物たちの外部に打破すべき対象としてあるのではなく、彼女たち自身の過去の内部に存在している。それは彼女たちが、互いに「縁」ある存在であるがゆえに負わなければならなかった悲しみ、苦悩、罪責そして悔恨であり、輪廻転生は、それらのネガティブな記憶を導く水路でもあったということが、しだいに明らかになってくるのだ。

物語の構造 (2) につづく】