未完の「結果オーライ」ツアーが投げかけるもの

2月26日(水)の大阪フェスティバルホールでの公演を最後に、新型コロナウイルス感染症の拡大の影響を受けて中断していた中島みゆき2020ラスト・ツアー「結果オーライ」は、4月中旬、ついに今後の全公演――いったん発表されていた札幌・大阪の振替公演を含む――の中止が発表された。

オフィシャルサイトの告知文は、「感染拡大が収束し、いつも通りコンサートを楽しめる日が一刻も早く戻ってくることを強く願っております」と結ばれている。その願いを、今はただ共有するほかはない。

同伴者としても含めて、私が行くことを予定していたいくつかの公演も「幻の公演」となった。が、開催された貴重な8公演のうち2つめの金沢公演 (本多の森ホール) に、私は幸いにも足を運ぶことができた。

まずは、そのかけがえのない記憶をいま蘇らせたい。

 

金沢公演の記憶

自らにとってのコンサート初日をできるだけ「まっさら」な状態で迎えたいとの強い思いから、1月12日の初日以降、ニュースやSNSでの「ネタバレ」情報を可能な限り遮断し、ニューアルバム『CONTRALTO』さえも聴かず、1月20日、私は特急サンダーバードに身を委ねて金沢へと向かった。

開場前、昔からのファン仲間の一人と、近況などを語り合いながら兼六園を散策。金沢はそう遠い場所ではないのに、この名所を訪れるのは初めてである。小雨交じりの天気ではあったが、起伏する空間と豊かな緑が、心を潤してくれた。

隣接する石川県立歴史博物館を訪れたのち、その向かいの本多の森ホールへ。

ロビーではさらに何人かのファン仲間たちと遭遇、しばしの語らいのひと時を過ごす。ツアーがスタートして2つめの公演なので、初日の東京公演のチケットが取れなかった人びとがかなり集まっていたようだ。

この会場を訪れるのは、2012年12月22日、「縁会」ツアーの公演以来である。席は奇しくもその時と同じL列左ブロック。かなり下手寄りではあるが、通路直後の見通しの良い席である。

ステージの中央部、中島みゆきが立つ場所は、銀色の天球儀のような舞台装置に取り囲まれている。コンサートツアーが経めぐる時空の表象なのだろうか。このセットの奥の方で天球の緯線・経線を斜めに横切る6本のラインは、流星群あるいは太陽か月の軌道の遷移――つまりは時間――を表しているようにも見える。

 

やがて、この舞台装置の中心に中島みゆきが登場し、コンサートは「一期一会」で幕を開けた――コンサートツアーという「旅」そのものへの彼女の思いを凝縮したかのような歌。

上記のように「ネタバレ」を遮断してきた甲斐あってか、開演してからの一曲一曲が、新鮮な驚きの連続だった。それは、私が初めて行った彼女のコンサート、1983年の『蕗く季節に』の富山公演で味わった感覚がよみがえったかのようでもあった。

ただ、そのことの裏返しとして、1曲1曲の歌い方や演出、あるいは衣装や立ち居振る舞いについての記憶は――いつものことながら――あまり鮮明ではない。とくに衣装や立ち居振る舞いについては、いつも頼りにさせていただいている、ぴしわさんの「覚え描き」ブログを今回も参照していただきたい。

1曲1曲の詳細な記憶は、2月、4月、そして5月に行く予定の公演で、徐々に補完していくはずだった――だが、それも今となっては叶わない。それだけになおさら、「新鮮な驚き」の印象は、今もそのままに、私の中に残っている。

 

――そのようなコンサート全体の印象をあえて一言に圧縮すると、これは「ラスト・ツアー」というより、まるで「ファースト・ツアー」のようだった、ということに尽きる。

これまでにも増して強い思いのこもった歌声、朗らかな笑顔、愉しいMC、そしてお便りコーナーでの客席からのポジティブな反応――それらのすべてが、「新鮮さ」の印象として凝縮された。お便りコーナーで、私の隣席、昔からのファン仲間のお一人のお名前が呼ばれたのも初めての経験で、コンサートの記憶に華を添えてくれた。

セットリスト(画像)を振り返ると、このツアーが、1977年から2013年までの中島みゆきのすべてのツアーの集大成にもなっていることがよくわかる。1979年春/秋のツアーと1981年の『寂しき友へ』を除くすべてのツアーで演奏された曲が、『結果オーライ』のセットリストには含まれている (もちろん、いくつかの新曲を除いて)。

1977年のコンサートは、正式に「ツアー」と銘打たれてはいなかったが、今回のラストツアーのパンフレットに掲載された “TOUR LIST” には、1976,77年のコンサートも掲載されているので、表に加えた。なお、1976年のコンサートはセットリストが不明のため省いた。

今回のコンサート本編セットリストを振り返ると――「あなたの笑顔を忘れないで」と歌う「一期一会」から、「そして覚えていること」で締めくくられるラスト「誕生」に至るまで――大切なすべての記憶を忘れずにいること、覚えていることへの希求が、繰り返し胸に迫る。

にもかかわらず、アンコールの1曲目「人生の素人」、2曲目「土用波」、そして何よりもラスト「はじめまして」は、いずれも過去と訣別し、未来へと真っ直ぐに足を踏み出そうとする歌である。このアンコールのゆえに、このコンサートの全体は――本編で、かけがえのない記憶たちへの愛惜を歌いながらも――過去へのノスタルジアではなく、未来へ歩み出そうとするエネルギーこそを、圧倒的に心に残した。

 

これまでも中島みゆきの短くないキャリアの中には、「過去の中島みゆき」との別れと、「未来の中島みゆき」との出会いという節目が、何度かあったように思う。

たとえば、1987年の「中島みゆきのオールナイトニッポン」降板は、今思い返しても、とりわけ大きな節目だった。それを発表した時の彼女の「私はやる気で辞めますから!」という限りなくポジティブな言葉を、久々に思い出したりもした。

コンサートツアーの終了というのは、おそらくそれ以上に大きな、もしかしたらこれまでの彼女のキャリアで最大の節目かもしれない。そこに、ただ一度とはいえ立ち会うことのできた幸運に、今は感謝するほかはない。

 

「結果オーライ」という言葉

その後、開催が危ぶまれる中で実施された最後の公演、2月26日の大阪フェスティバルホールでのコンサートに、私は残念ながら足を運ぶことはできなかった。が、この公演の様子については、Facebookでの畏友のおひとりAさんが、ブログで詳細なレポートをしてくださっている。

中島みゆきはMCで、この後に予定されていた28、29日の公演――それらには私も足を運ぶはずだった――の見送りを発表したのち、これから起こるであろう事態を見据えて、私たちファンを気遣い、励ますメッセージを送ってくれたという (具体的には上記ブログ記事を参照)。

こうした社会的危機に遭遇するたびに発せられる彼女からのメッセージは、4年前に札幌のコーヒーハウス「ミルク」を訪れたときにマスターの前田重和さんから伺ったこと――アマチュア時代から、彼女ほど社会の本質を深く、鋭く捉えていた者はいなかった――という言葉を、私に思い出させる。

あるいはより以前、彼女が高校卒業時の寄せ書きに書いたというこの言葉も、いま新たな意味をもって響くだろう。

この世で一番醜いのは人の心、そして、この世で一番美しいのも人の心です。

 

コンサートツアーの中断という――おそらくは中島みゆき自身にとって最も――思いがけない事態――そして、それを余儀なくさせた社会状況――によって、「結果オーライ」というツアータイトルには、はからずも新たな深い意味が加わることになった。

まったく状況は違うけれども、1980年春のコンサートツアー中止についてオールナイトニッポンで語った時の彼女の、重苦しく苦渋に満ちた声を思い出したりもした (その放送については、以前、この記事でも少し触れた)。

 

ツアーメンバーの一人、文さんこと宮下文一さんがTwitterでつぶやいてくれたように、いつの日か、「結果オーライ・リターンズ」と題してのツアー再開を期待したい――私もその気持ちに偽りはない。

そして、「まるで真っ白な霧の中」のように見通しがたい状況の中にあるからこそ、未来へと「真っ直ぐに空を見て、足を踏み出す」ことへの勇気を、未完の「ラスト・ツアー」の記憶から――そして、そこに至る中島みゆきのすべての活動が、過去から未来へと時間軸を貫いて描いてきた限りない軌跡から――今はただ、受け取りたい。

 

追記 (2020/5/5)

1月20日の金沢公演からこの記事を書くまでに3ヶ月以上――さらに、前の記事「万葉集と中島みゆき」からは、なんと1年以上も――かかってしまった。それは、未完の「結果オーライ」ツアーについて、どのような視点・角度から書くべきなのか、ずっと迷いつづけていたのが大きな理由だった。

おそらく、その迷いを解いてくれたのは、今回も――半ば偶然ながら――昔からのみゆきファン仲間たちとの再会だったように思う。

つい先日、1990年頃にパソコン通信『歌暦ネット』で出会って以来のファン仲間たちと、私にとっては初めてのオンライン呑み会を開催した。通信環境のせいもあって、必ずしもスムーズなやりとりとはいかない場面もあった――が、それ以上に、現在の状況の中で、気の置けない仲間たちと語り合う時間の貴重さを愉しんだ。それはある意味、30年前に初めてパソコン通信のオフ会に参加した時を思い出させるような、新鮮な感覚でもあった。

私たちの話題は必然的に、未完の「結果オーライ」ツアーのことへと向かう。とりわけ、アンコールのラスト「はじめまして」が、ファンの予想の遥か斜め上を行く選曲だったこと――そして、そこにこそ、まぎれもない「中島みゆき」らしさが最も強く感じられたこと。

はじめまして 明日
はじめまして 明日
あんたと一度 つきあわせてよ

実はこのリフレインには、36年前に初めて聴いた時からずっと、少し不思議な印象を抱きつづけてきた。

「あんた」という二人称は――「中島みゆきのオールナイトニッポン」の、とりわけ最後の葉書のコーナーでそうだったように――彼女にとって、おそらく最も飾り気なく「素」の状態で相手に語り掛けるときに選ばれる言葉なのだろう。

ただ、この歌詞の「あんた」は、普通に解釈すれば「明日」という時間のことを指しているのだろうが、それと同時に、私たち聴き手への呼び掛けであるようにも聴こえる――その両義性のゆらぎが、ずっと不思議だった。

だがおそらくは、「あんた」への呼び掛けがそうした両義性をはらんでいるからこそ、このリフレインは、まだ見ぬ「明日」と「つきあう」ことへの躊躇いのない勇気を、私たちに鼓舞するのではないか――古い仲間たちとの語らいは、はからずも私にそう気づかせてくれたような気がする。

その鼓舞を胸に、今はこの未完のツアーの記憶を心にとどめつづけたい。

 

万葉集と中島みゆき

2019年5月1日から始まる日本の新元号「令和」の出典と発表されたことがきっかけで、万葉集がちょっとしたブームになっているという。

出典とされたのは、万葉集巻5の梅花の歌32首 (さらに6首を追加) の序。天平2年 (730) 正月、太宰帥・大伴旅人が邸宅に官人たちを招き、観梅の宴席を設けた様子を描いている (原文は漢文、訓読は佐竹昭広他校注『万葉集』(二)岩波文庫、2013年による)

時に、初春の令月、気淑(うるわ)しく風和らぐ。

この一文に基づく「令和」の考案者ともされる中西進氏は、かつて著書『万葉の秀歌』 (ちくま学芸文庫 2012年、原著は1984年) で、梅花の歌38首の中から、この宴の主催者・大伴旅人の歌[巻5 822]を選出し、次のように評している。

わが園に梅の花散るひさかたの天(あめ)より雪の流れ来るかも

「ひさかた」は「はるかな久しい彼方」、空の無限のかなたをいう。……そこから雪がやってきたというのである。「雪」は「梅の花」を比喩したもの。雪は「散る」「降る」「積もる」がふつうだから、「流る」というのは、たいへん斬新な表現だった。……花を雪と見立て、その雪が流れるというのだから、二重の比喩をするのである。
旅人の眼前の落花の景は、やがて幻視のなかで、流雪に変わってゆく。
(上掲書、149-150頁)

「ひさかたの」は「天」や「雨」「月」「日」「光」など天空にあるもの、天空からくるものにかかる枕詞で、原義は未詳とされているが、この中西氏の評釈は、空間的な遠さに加えて時間的な遠さ――「久しい」――をもそこに読み込んでいる。そのことが、実は次に書くことのヒントになった。

 

――この評釈を読み、私はまだ記憶に新しい夜会『リトル・トーキョー』第2幕の「梅が枝」を思わず連想したのだ。

梅乃 (植野葉子) が小雪 (香坂千晶) に日本舞踊を教えるあの場面は、パンフレットによれば、「2001年1月30日 第5場 厳冬期休業終了直前」となっている。梅の開花には明らかにまだ早い。北海道では、梅は桜よりも遅く、5月頃に開花する。

もちろん、あの場面や歌詞が、現実の梅花の情景と対応していなければならない理由はない。梅乃の名に含まれる「梅」に、彼女の――文夫への――想いが託されているのも明らかだろう。だが、そうだとしても、あの場面で「梅」が歌われる理由は、まだ十分には明らかではない。

 

――しかし、上述の万葉集の歌とその評釈を手掛かりにすることで、その謎が解けるような気がした。

「梅」は――大友旅人の歌とはちょうど逆に、あの夜会の舞台の背景に降り積もり、そして小雪の名にも含まれる――「雪」の暗喩であり、さらには、彼女たちをつつんで未来へと流れる時間の暗喩でもあったのではないか。

前の記事でも書いたように、『ウィンター・ガーデン』と同様にこの夜会でも、地上から天空への空間軸は、現在から未来への時間軸と重ね合わせられる。「天から送られた手紙」としての雪は、未来からの手紙でもある。それは幻視のなかで、「はらりはらり」と散る白梅へと変容してゆく。

 

――もちろん、中島みゆき自身が「梅が枝」を書いたとき、本当に上述の大伴旅人の歌を意識していたかどうかはわからない。これはまったくの偶然に過ぎないのかもしれない。

ただ、夜会を含む中島みゆきの作品世界には、その遠く遥かな背景として、奈良時代に成立したとされるこの日本最古の和歌集がずっと存在してきたに違いない――と私は思っている。

中島みゆきと万葉集との接点らしきものについて私が最初に知ったのは、かつて朝日新聞夕刊に連載されていた「新人国記’82」という記事においてである。北海道出身のアーティストや芸能人を紹介した回 (1982年6月29日付) には、彼女について「藤女子大では国文学科に籍を置き、万葉の世界にあこがれる一方で、フォーク活動のとりこになった」と書かれている。

よく知られているように、中島美雪が卒論のテーマとして選んだのは現代日本の詩人、谷川俊太郎であり、指導教員の藪禎子教授も近代日本文学の研究者だった。だが、以前の記事「中島美雪の3人の師」でも書いたように、学生時代すでに、彼女の関心は自らの専攻を超えて、古代から現代に至る日本語・日本文学の広大な世界へと広がっていたように思われる。万葉集はおそらく、記紀とともに、その世界の原初に位置している。

この記事では、そうしたことも念頭に置きながら、中島みゆきと万葉集との関係について、思うところを自由に綴ってみたい。例によって確たる根拠のない想像――妄想というべきか――も多く含むことになると思うが、どうかご容赦願いたい。

 

『相聞』

さて、中島みゆきと万葉集といえば、おそらく多くのファンが真っ先に連想するのが、2017年11月にリリースされた――現時点で最新のオリジナル・アルバム――『相聞』のことだろう。

「相聞」(恋の歌) は、「挽歌」(死者を悼む歌)、「雑歌」と並ぶ万葉集の三大部立 (ぶだて、ジャンルのこと) のひとつである。古代風の衣装をまとった中島みゆきのジャケット写真も、明らかにその時代をイメージしている。

このアルバムのリリース時の中島みゆきのインタビューをみてみよう。平原綾香への提供曲「アリア-Air-」のセルフカバーについて語っている部分である。

―― 一人で歌うパートなのに“一人では歌えない”と言っている。まさに相反する。二律背反、核心ですね。

中島:アリアをキチっと歌えるのはどこかで自分のアリアを歌っている人と出会った時でしょう。受け合うのね。受け合った時に波が生まれる。それが「相聞」ですよ。そのために歌わなきゃだめだ。それぞれの「アリア」が共鳴した時に人と人の関係が生まれる。それが「相聞」。

このインタビューからも明らかなように、ここでの「相聞」の意味は、狭義の「恋の歌」を遥かに超えている。そこにこめられていたのは、「孤独という冷たい闇」から解き放たれ、他者の声を聞くこと、互いの声を聞きあうことへの「希い」であったのだ。

このアルバムを初めて通して聴いたとき、まず圧倒されたのは、「私」という孤独な存在の意味を、遥かな宇宙の果てまでの無限の空間、遥かな過去から遥かな未来に至る無限の時間に向けて問いつづける、その問いかけの迫力のたゆみなさに対してだった。

――アルバム『相聞』は、いわばこの言葉の原義を経由して、そのように限りない問いかけへと開かれている。だが、そこに至る原点には、おそらく万葉集の (狭義の) 相聞歌から彼女が受け取ったなにかがあったはずだとも、私には思える。次項では、そのことについて考えたい。

 

『日本の恋歌』

中島みゆきと万葉集との関係について考えるには、彼女自身の編による『日本の恋歌 その3 涙が出ないのはなぜ』(作品社 1985年) は、絶対に欠かせない重要な資料のひとつである。

谷川俊太郎監修によるこの3巻本 (「その1」は谷川俊太郎自身の編、「その2」は吉行和子編) は、古代の和歌から現代詩、さらには現代のポピュラーソングに至るまでのさまざまな日本語の「恋歌」から、各編者がそれぞれ100篇を選出するという企画である。裏表紙の紹介文によれば、各巻は邂逅・相聞・別離と部立てされており、中島みゆき編の「その3」は別離の歌の巻だった。

その100篇の中に、中島みゆきは万葉集から9首を選んでいる。そのすべてについて触れる余裕はとてもないので、ここでは2首の相聞歌――ここでは万葉集内の部立としての――だけを取り上げよう (この2首は、この本の40-41頁に見開きで掲載されていて、訓読はこれに従う)

小竹(ささ)の葉はみ山もさやにさやげども吾は妹思ふ別れ来(き)ぬれば
[巻2 133] 柿本人麻呂

人麻呂が石見の国から妻と別れて上京する途上で詠んだ10首 (うち2首は長歌) のうちの1首。吹きつける強風が無数の笹の葉をひるがえし、その響きが全山をどよもさせる――その壮絶な外界と、ひたすらに「妹思ふ」自らの心との対比。その対比の鮮烈さのゆえに、離別の哀しみは一直線に胸に迫る。

――このように、広大な外界へのまなざしと、孤独な自らの心とを対比させる、めくるめくような世界観は、多くの人麻呂の歌に共通するものである。それはまさに、多くの中島みゆき作品に共通する世界観でもある。

 

我が背子を大和へ遣(や)ると小夜更けてあかとき露にわが立ち霑(ぬ)れし
[巻2 105] 大伯皇女

「我が背子」は大伯皇女の同母弟・大津皇子。伊勢神宮の斎宮を務めていた姉をひそかに訪ねた弟の、都への出立を送る歌である。この後、大津は異母兄・草壁皇子への謀反の疑いにより、死を賜ることになる。

飛鳥時代の政治劇、それも悲劇の一幕として語られることの多いこの歌だが、その焦点は、暁の露に衣を濡らしながら立ちつくす大伯の限りない孤独にある――神にのみ仕え現世との交わりを絶たれた斎宮の孤独と、死へと赴く弟を救うことのできない姉の孤独とが、その姿には重ね合わされる。

この時代においても、同母の兄弟姉妹のあいだの恋は重大なタブーだった。だが、この本での青木健氏による解説も――さらに話は大きくそれるが、この時代を描いた里中満智子の漫画『天上の虹』も――この歌に、姉と弟という関係を超えた大伯の大津への想いを読み取っている。もちろん、それが史実かどうかは検証不可能だろうが、後世の私たちに、そのような想像をさせずにはおかない彼女の孤独の深さと想いの強さとが、この歌からは聞こえる。

 

この項の最後に、中島みゆき自身による、この本のまえがきから引用しよう (同書9頁) 。

見るがいい。
こんなに堂々とふりかざしてくる孤独を。嘆きを。愛を。これは言わば、しぶとい生命力である。自刃にだって、強い自力が必要なのだ。同情などせずに、せせら笑ってやるがいい。つき離してやるがいい。私が自分の痛みだけのために忙しいデクノボウになっても、彼らはきっと、まだまだ噛みつく相手をたくさん知っているだろう。

――この述懐は、上述の2首も含めて、古今の別離の歌がもつ「しぶとい生命力」へのきわめて率直なオマージュであると同時に、その生命力を自らの内に引き受け、それらの歌の問いかけに自らの歌で応えてゆこうとする、強かな覚悟の表明でもあるように、私には読める。その覚悟は、他者と共鳴しあう「アリア」としての「相聞」を歌わなければならないという現在の彼女の思いへと、遥かにつながっているはずだ。

 

『ウィンター・ガーデン』と蒲生野贈答歌

――ただ、作品世界の遠い背景として存在してはいても、万葉集が実際に中島みゆきの作品の中にモチーフとして登場した例は、実は今のところきわめて少ない。そのほとんど唯一の例外と言えそうなのが、この項で述べる夜会『ウィンター・ガーデン』である――それさえも、公式資料でそう明言されているわけではないのだが。

横領した勤め先の漁協の金で、北限の荒野に立つ GLASSHOUSE――透明なガラス張りの温室のような家――を手に入れ、そこでただひとり暮らす〈女〉 (VOL.11では谷山浩子、VOL.12では香坂千晶)

そこで〈女〉を出迎える、その家の先住者の〈犬〉 (中島みゆき)。

そして彼女たちの生を、その家の傍らでただじっと見つめつづける槲の〈樹〉 (VOL.11では佐野登/波吉雅之/渡邊他賀男のトリプルキャスト、VOL.12では佐野登)

――この3人のメインキャストが立ち替わり50篇の詩を朗読し、その合間に〈女〉と〈犬〉とが歌う13曲が差し挟まれる朗読劇。それは、30年にわたる夜会の歴史の中でも最も特異で実験的であり、そしてある意味で最も深い衝撃を残した舞台だった。

その全体像については、以前に書いた記事「神話の解凍――『ウィンター・ガーデン』再考」に譲ることとし、以下では、その記事では触れなかった万葉集との関係を中心にみていきたい (VOL.11に基づく詩詞集『ウィンター・ガーデン』[幻冬舎 2001年]を資料として参照する)

 

第1幕第2場「花に覆われた湿原」――〈女〉の眼前には、地平線まで咲き乱れる朱色の花に覆われた広大な湿原が広がる。

朱色の花を抱きしめて 私いつまでも待っているわ
朱色の花に埋ずもれて みつからないかもしれないわ
(「朱色の花を抱きしめて」)

夜会工場VOL.2での中島みゆき自身による歌唱も記憶に新しいこの歌を、〈女〉はその広大な朱色の風景のただなかで、道ならぬ恋の相手である義兄――姉の夫――がやがて訪れるのを待ちながら歌いはじめる。そして〈犬〉が、彼女の想いを反復するかのように――あるいは自らの前生の記憶の反復でもあるかのように――その歌を引き継ぐ。

 

つづく第3場「犯罪」――夏のあいだ朱に染まっていた湿原は、季節の移ろいにつれて、少しずつ色褪せ、紫色の野へと変わってゆく。

(あけ) を奪う色は いつの世も紫
(「朱を奪う紫」)

野守が見てるよ
捕ってはいけない動物を
こっそり捕りに来る奴を
昼も夜も 見張ってるよ
(詩「野守草」)

〈犬〉が歌い語るこの2篇は、朱から紫への色彩の移ろいと重ね合わせて、〈女〉が過去に犯した罪と、未来に犯そうとする罪とをしだいに浮かび上がらせる (ここでも、それは〈犬〉の前生の記憶の反復でもあるのかもしれないが、そのことついてはこれ以上触れないでおこう)

 

――ここで、モチーフとしての万葉集の存在が暗示される (訓読は斎藤茂吉『万葉秀歌』(上) 岩波新書、1953年改版による)

あかねさす紫野行き標野行き野守は見ずや君が袖振る
[巻1 20] 額田王

紫草 (むらさき) のにほへる妹を憎くあらば人嬬ゆゑにあれ恋ひめやも
[巻1 21] 天武天皇

668年5月、天智天皇が蒲生野 (現滋賀県) に薬 (薬草) 狩りに行幸したとき、額田王と天智の弟・大海人皇子 (後の天武天皇)とが歌い交わしたという2首であり、「蒲生野贈答歌」としてよく知られる。

万葉歌人として著名な額田王は、かつて大海人の妃であったが、この当時は兄・天智 (中大兄) の寵愛を受けていたという。そのことからこの2首は、大海人と兄の妻・額田との許されぬ恋を歌ったものである、というのが長らく通説であった。

後に天智の死後、大海人は天智の長子・大友皇子との戦 (壬申の乱、672年) に勝利し、権力を掌握して即位するに至る。そうした歴史的文脈もあって、この2首も、この時代の政治劇の一幕として語られることが多い。

 

――万葉集では兄の妻と弟、夜会では姉の夫と妹の恋。「紫」はその罪を象徴する色であり、「標野」――立入禁止の薬草の占有地――の番人である野守は、その罪の目撃者・証言者でもある。

だが、そのように明白な形式的対応関係以上に、さらに深い印象を残すのは、遥かに時代を隔てた両作に共通する、色彩感覚や空間感覚の鮮烈さだ。とりわけ額田王の歌は、私が初めてそれに触れた子どもの頃から変わることなく、鮮やかな情景を幻視させてきた。ただ一度観た夜会VOL.11の千秋楽の舞台は、私の中にその記憶を思いがけず蘇えらせた。

「あかねさす」は枕詞という形式上の意味を超えて「紫」の風景を美しく照り染め、その風景の中を――「紫野行き標野行き」――ためらわず進んでゆく、その自らの視線の遠景には、野守のまなざしを恐れることもなく「袖振る」君の姿が見える。

この鮮やかな色彩と動きとに彩られた情景の中に照り映える額田の想いに、大海人は「憎くあらば」「恋ひめやも」という二重の反語の強調によって、いささか直截に応えるしかなかったのか――

 

――もっとも、この2首は相聞歌ではなく雑歌の部立に含まれていることから、現在では、宴席での余興のために詠まれた歌として解釈されることが一般的であるともいう。

だが、ここでも私が思い出すのは、里中満智子の『天上の虹』での描き方である。そこでは、たしかにこの2首は、薬狩りの日の夜、天智の主宰する宴席で額田と大海人とが歌い交わすのだが、それは余興に見せかけた二人の真情の表現でもあった、という解釈がなされていた――私も個人的には、このさらに穿った解釈に共感したくなる。

 

――万葉集の解釈問題はこのあたりで置くとして、夜会VOL.11の舞台の記憶でもう1点鮮やかなのは、上述の「朱を奪う紫」の後送が奏でられる中、中島みゆきが詩「野守草」を語り始めたとき――「野守が見てるよ」――の独特の節回しともいうべき不思議な抑揚である。率直にいえば、それは詩の朗読というよりも、まるで歌の続きででもあるかのようなメロディアスな抑揚として、耳に入ってきた。

いうまでもなく万葉集以来の日本の和歌とは、本来は文字通り「歌われる」ものだった――その名残りは、現在でも宮中の歌会始などで聴くことができる――が、夜会VOL.11での「朱を奪う紫」から「野守草」への流れは、「歌」と「詩」とが切れ目なく連続するものであることを、より原初的な感覚として、私に知らしめてくれたような気がする。

 

結びにかえて――柿本人麻呂と中島みゆきの世界観

以上、思いつくままに書いてきて、これまで以上にとりとめのない記事になってしまったような気もする。とりとめのなさついでに、『日本の恋歌』でも触れた柿本人麻呂と中島みゆきの世界観の共通性について、もう1首だけ人麻呂の歌をひいて付け加えておこう (訓読は斎藤茂吉『万葉秀歌』(上) 岩波新書、1953年改版による)

ひむがしの野にかぎろひの立つ見えてかへり見すれば月かたぶきぬ
[巻1 48] 柿本人麻呂

軽皇子 (後の文武天皇) が阿騎野 (現・奈良県宇陀郡) に行幸し旅寝したとき、同行した人麻呂が詠んだ4首のうちの1首として、とりわけ著名な歌である。

東天に立ち初める「かぎろひ」(暁の光)と、振り返って西の空に傾く月との、壮大な対比。天空を振り仰ぐように往還するこのまなざしは、中島みゆきの「十二天」に共通する――どちらがどちらを連想させる、ということではなく。

この曲についても、以前「十二天の世界像」という記事で詳しく考察したので、ここでは繰り返さない。ただ、日から月へという視線の往還は、空間軸の往還であると同時に時間軸の往還でもあり、そのようにして時空を見はるかす遠心的な世界像の開示こそが、夜会『今晩屋』では救済への扉を開く転換点となったことだけを想起しておきたい。

広大な外界と、その中の1点としての孤独な自己の存在とを対比し、包摂するまなざし。人麻呂に代表されるそのような壮大な時空感覚こそは、つねに中島みゆきの作品世界を取り囲む遠景として存在しつづけてきたような気が、私にはしている。

 

――もとより、私が知っている万葉集は、その広大な世界のほんの一隅に過ぎない。まだまだ私が気づいていない中島みゆきとの接点が、至るところに潜んでいる可能性は十分にある――第一、上述の『日本の恋歌』に収められた残り7首についてさえ、まだ視野の外にある。だからこの記事は、現時点でのとりあえずのつたない中間報告とでも言うしかないものである――と最後に言い訳をしておこう。

だが、むしろそのように、どこまでも探索しつくすことのできない世界の広大さと奥深さのゆえにこそ、中島みゆきを通して万葉集を再発見するという――私の力量にとってはいささか壮大にすぎる――企ては、きっとこれからも私を魅了し続けてくれるのだろう。

 

追記 斎藤茂吉『万葉秀歌』について

万葉集と中島みゆきとをつなぐ媒介者として、近代日本を代表する歌人の一人、斎藤茂吉の存在も重要だったのではないかと私は想像している。

未確認情報だが、大学時代の彼女が斎藤茂吉研究ゼミに参加していたという話もあるし、また彼女の世代であれば、茂吉の名著として知られる『万葉秀歌』(上・下、岩波新書旧赤版)が、万葉集への入門書のひとつだった可能性も十分に考えられる――まったく余計なことだが、彼女から7つほど年下の私自身もそうだった。

『日本の恋歌 その3 涙が出ないのはなぜ』に選出された9首の万葉集の歌のうち――上述の2首を含む――7首は『万葉秀歌』に選出されていた歌でもある。

さらに想像をたくましくすると、夜会『ウィンター・ガーデン』のモチーフのひとつである中谷宇吉郎博士の『雪』も、岩波新書旧赤版の最初期の名著として知られている (ともに原著は1938年だが、戦後もロングセラーとして長く読まれてきた)蒲生野贈答歌を、中島みゆきがこの夜会の隠されたモチーフとして取り込んだのも、もしかしたらそこに両書をつなぐ無意識の連想のようなものが働いていたのではないか、という気さえしてくるのだ。

夜会VOL.20『リトル・トーキョー』――その2

千秋楽が幕を閉じてから、早や3週間が過ぎた。

夜会『リトル・トーキョー』の公演がおこなわれていた1月末から2月末にかけては――まったく個人的な事情だが――仕事の最繁忙期と完全に重なっていた。こんな時期に初日にも千秋楽にも行けただけでも、ほとんど奇跡的といってもいいくらいだった。激務のあいだを縫っての東京への4往復で、余韻を楽しむ余裕さえろくに持てなかったが、むしろそれゆえにこそ、3月も半ばを過ぎて、少しだけひと息ついた今ようやく、あの客席で経験した束の間の時間のかけがえのなさを、慈しみながら振り返れているような気がする。

「その1」の末尾に追記したように、夜会『リトル・トーキョー』について語るべきことはまだまだ多い。何から書き出せばいいのか迷うが、とにかく後半2回の公演で感じ、考えたことを思いつくままにまとめ直すことから始めよう。

 

「その1」で触れた初日1月30日、中日2月12日のあと、2月21日、そして千秋楽2月27日の公演を観た。

たまたま撮影日2日目に当たった2月21日の公演は、前半の2公演よりも更に激しい情熱の迸りに満ちていて――夜会では常々感じることだが――公演を重ねるごとに当初の緊張がほぐれ、柔軟さと躍動感を増していくという変化を如実に味わうことができた。

が、千秋楽は更にその上に、大団円にふさわしい祝祭的な興奮に満ち溢れた舞台となった。中島みゆきを中心に、すべてのキャスト、ミュージシャン、スタッフ、そして客席の熱情が奔流のように渦巻き、押し寄せてきた。終演直後は、ほとんど言葉にならない思いが胸中に溢れた。

特筆すべきは、ミュージシャンたちの演奏の貢献だ。とりわけ千秋楽は、いつもにも増して全楽器が一体となって激しく滾る熱演で、イントロや間奏やアウトロでも胸を熱くさせる瞬間が何度も訪れた。中でも、古川望の慟哭するようなギターソロ、そして歓びから哀しみに至る心の震えのすべてを限りなく繊細に歌いつづける牛山玲名、民谷香子、友納真緒の弦が深く印象に残った。

終曲「放生」のアウトロで舞台が暗転し、奈落のオーケストラピットが明るく浮かび上がる演出、そして千秋楽のカーテンコールでのみおこなわれた、バンマス・小林信吾の挨拶は、彼女たち・彼らの限りない音楽的貢献へのオマージュでもあったのだろう。

 

なお、今回もぴしわさんの「覚え描き」ブログには、舞台を彷彿とさせる見事なイラスト群が掲載されている。この記事の視覚的情報の不足を補う意味でも、ぜひご参照いただければ、と思う。

 

「帰れる場所」としての「リトル・トーキョー」

まず、夜会VOL.20のタイトルであり、舞台の中心となるライブスポットの名前でもある「リトル・トーキョー」の意味について、改めて考えたい。

「東京には無いトーキョー」と歌われるとおり、その名は、日本――の首都としての東京――と、「世界中によくある」無国籍的な場所としての「トーキョー」という両義性を帯びている。それはより単純に、ローカルとグローバルの両義性と言ってもよい。

その両義性――より端的にいえば矛盾――は、まず第1幕で、おいちゃんこと笈河修身が「リトル・トーキョー」のステージ上でギターを抱えて熱唱する「BA-NA-NA」で呈示される。

アジアの土を這い 風を吸い
強い国の民を 真似ては及ばず

外見が黄色く中身が白い「BA-NA-NA」とは、近代以降の日本人の暗喩である。

ここがアジアの片隅に位置しているという――「土」や「風」に象徴される土着的な――「現実」と、長く近代日本にとって目指すべきモデルであった欧米先進国への憧れという「夢」との両義性。この歌が歌われる「リトル・トーキョー」とは、そのような歴史に根ざした両義性をはらんだ場所なのだ。

英国人の祖父ヘンリー・アダムスの血を引く杏奴が、ホテル&パブの一隅に設けたライブスポットにこの名を与えたのは一見、不思議にもみえる。だが、彼女が我が身の境遇と重ね合わせて、そうした「夢」と「現実」あるいはグローバルとローカルとの両義性をその名にこめたと考えれば、謎は解けるのかもしれない――そこは、ミュージカル歌手として渡米した姉・李珠の帰還を待ち受けるための場所でもあったのだから。

杏奴やその姉・李珠の名の英国風の発音と漢字――「アジアの文字」――の意味との両義性もまた、「リトル・トーキョー」のそのような両義性と正確に対応している。

 

第2幕の東京・新橋の料亭『華乃屋』の場面――そこは、「リトル・トーキョー」のステージが舞台上に現れない唯一の場面でもある――以下では、ローカルな「日本」のイメージが、視覚的に反復して強調される。

あの場面の着物姿の梅乃、そして彼女が――着物の色は黒から紅に早変わりするが――やはり着物姿で小雪に日本舞踊を教える「梅が枝」、そして中詰めの「リトル・トーキョー」でもやはり着物姿のまま他のキャストと同じ振付で踊るシーン――それらはいずれも、グローバルな「世界」と対比されるローカルな「日本」を鮮明に可視化する。

 

――ところで、話は少し逸れるが、梅乃といえば、上述の料亭の場面で、彼女が舞台下手に座り、中央の開いた襖の向こうの奥座敷で文夫が歌う「紅灯の海」のこのフレーズは、さまざまなことを連想させる。

ああ紅灯の海は優しい
海と名のつくものは優しい

「海」は――音の近似性とツクリの共通性から――梅乃の「梅」にもかかっているのではないか、と初日から漠然と思っていた。

「海よ、僕らの使う文字では、お前の中に母がいる」という、三好達治の詩『郷愁』の一節を思い出したりもする。文夫の母・千代も――パンフレットで明記されてはいないが――梅乃と同じく芸妓だったのでないか、そして、母と同じく花街――紅灯の海――に生きてきた梅乃に出会い、やがて思いを寄せることになったのではないか……というような背景への想像がふくらんでくる。

 

――話を本筋に戻そう。

そのようにローカルな「アジア」ないし「日本」と対比されることで、「リトル・トーキョー」という場所には、グローバルな無国籍性のほうががより際立つようにも見える。

だが、おそらくより重要なのは、そこが「帰れない国の代りに」――あえていえば、グローバル化してゆく世界の中で、失われたローカルな故郷の代りに――「夢の国」として新たにつくりだされた場所だということだ。

だからこそ、杏奴が姉・李珠の帰りを待つために設けたライブスポットという当初の設定は、舞台が進むにつれて――客席の私たちをも含めた――あらゆる人びとにとっての「帰りたさの欠片」を結晶化した場所という普遍的な意味を帯びるようになる。

 

――思い出してみれば、これまでも、中島みゆき作品の中には、しばしば「国 (くに)」という言葉が登場してきた。この言葉には、作品の文脈によって、「故郷」「祖国」さらには具体的な「日本」と、さまざまな意味の広がりが与えられ、それぞれの意味のレベルでの「国 (くに)」への思いが表現されてきた。

それらの作品を振り返って改めて気づくのは、中島みゆき作品での「国(くに)」への思いは、そこに安住する者の視点ではなく、むしろそこから遠く離れた場所で、そこから離れざるを得なかった者、あるいはそこから疎外された者の視点で歌われるということだ。

たとえば、「EAST ASIA」「ひまわり “SUNWARD”」「阿壇の木の下で」「樹高千丈 落葉帰根」「リラの花咲く頃」といった諸作品には――直接に「国(くに)」という言葉を歌詞に含むか否かを問わず――そうした視点が共通して存在している。

とりわけ、まだ記憶に新しい夜会工場VOL.2――このライブは、色々な点で今回の夜会VOL.20への連続性を強く感じさせる――の「我が祖国は風の彼方」は、時空の彼方にある祖国への痛切で遥かな思いを、7人の出演者全員の大合唱によって、熱く力強く胸に響かせた。

あの時の7人のうち5人は、夜会VOL.20のキャストとしても登場する。「リトル・トーキョー」は、彼女たち・彼らが「いつの日にか帰り着かん」と歌った遥かなる祖国への思いに応えるために――たとえ「束の間」であるにせよ――つくりだされた場所でもあったのではないか――そんな想像さえかきたてられる。

 

「リトル・トーキョー」のもつそうした「帰るべき場所」としての意味は、この夜会のキーとなる楽曲のひとつ「いつ帰ってくるの」でもはっきりと呈示される。

この曲は、第1幕中盤と第2幕終盤で杏奴 (中島みゆき) が歌うときは長調、第1幕ラストと第2幕最初にリピートされる場面で李珠 (渡辺真知子) が歌うときは短調になっている。同じ曲が長調と短調の両方で歌われるというパターンは、VOL.15,16の「旅仕度なされませ」、VOL.19の「いらない町」に続いてのものだが、それら2曲以上に、今回はそれぞれの場面の意味――誰が誰を、どのような状況で待っているのか――と深く呼応しているように感じる。

短調で李珠が歌う「いつ帰ってくるの」に応えて、吹雪の中から帰ってきたかのようにみえた杏奴は――「その1」で先述したとおり――すでにこの世の者ではなかったのだ。

 

だが、そのこと以上に重要なのは、この歌がこれまでの上述のような――祖国から遠く離れた者の視点で歌われる――作品とは一見きわめて対照的に、むしろ「帰るべき場所」の中から、帰るべき人びとを待ち受ける者の視点で歌われる、ということだ。

帰るべき人を待つ――この視点そのものは、かつてVOL.5『花の色は…』第1幕の4人の「待つ」女たちにも共通してはいた。ただ、彼女たちの「待ち人」たちは、決してあのカフェテラスに帰ってくることはなかった。そのときとも大きく異なり、VOL.20『リトル・トーキョー』の物語は、杏奴が待ち受けた姉・李珠の帰還によって動き出し、そして――後述するように――「待ち人」たちの帰還ののちに幕を閉じるのだ。

仮に、前作『橋の下のアルカディア』のラストで「戻る場所はもうない」と歌った「India Goose」がそれまでの夜会あるいは中島みゆき作品のすべての締めくくりだったとすれば、「帰れる場所はあるのに」と歌う「いつ帰ってくるの」は、それまでの作品のすべてを受け止め、そしてまったく新たな境地を切り開いた――というべきかもしれない。

ただし、それは喪われた祖国を「取り戻す」などということではない。むしろ逆である。祖国から遠く離れざるを得なかった者、祖国から疎外された者たちこそが――あるいはむしろ、そうした者たちだけが――帰るべき、帰ることのできる「夢の国」をつくりだし、その女主人として人びとの帰りを待ち受けるということ――それこそが、本作のヒロイン杏奴に与えられた役割なのだ。

――杏奴の役柄の決定的な重要性は、彼女が、そのようにして「帰れない国の代わりに」人びとに帰るべき場所を与えうる存在であるという点にある。しかしそれは同時に、彼女の役柄の決定的な悲劇性とも表裏一体をなしている――そのことについては、次項以下で改めて考えたい。

 

織りなせなかった布――杏奴とふうさん

「その1」では、初日の第1印象のひとつとして、「愉しいのに哀しい」と書いた。2回、3回と観るごとに、愉しさの印象は更に強まっていったけれども、哀しさがそれ以上にひしひしと身に沁みるようになり、千秋楽ではその哀しさが極まった。

その主要因は、杏奴とその夫、ふうさん――この愛称のほうがぴったりくるので、以下ではこう呼びたい――との関係にある。

 

第2幕終盤の山崩れの直後、舞台は薄暗いまま、下手にいる杏奴にスポットライトが当たり、「いつ帰ってくるの」を長調で歌い始める。彼女は、もはやこの世にはいない自分を探しにきたふうさんと、舞台下手でわずかのあいだ寄り添いながらも、彼の背中を押し、上手――現世――にいる梅乃のほうへいざなう。

――この重要な最後の別れの場面は、多くの知人の話を聞くと、どうも公演日によってかなり演出が変更されていたらしい。気になったので、Twitterでアンケートを取ってみた結果が下記の画像だ。

ご覧の通り、「梅乃の方へ、ごく自然に目線や手の動きでいざなう」から「思いきり突き飛ばす」まで、かなりの演出の揺れがあったことがわかる。ちなみに千秋楽では、「梅乃のほうへそっと背中を押す」という、いわば中間的な演出だった。

中島みゆきがカーテンコールの挨拶で、もっと手直ししたいと思っていたら千秋楽になってしまった、というふうに語っていたのも、主としてこの場面のことだったのではないだろうか。

この場面の演出が二転、三転したとすれば、それは、杏奴とふうさんとの関係――相手のことを想うがゆえに離れざるをえない哀しみ――を、どうすれば最も鮮明に表現できるか、中島みゆき自身も迷っていたためかもしれない。だとすれば、そのことは逆説的に、彼女がこの場面にこめようとしたメッセージの重要性を示唆しているともいえる。

 

そもそも、この場面での「いつ帰ってくるの」は、いったい誰が誰に対して歌っている――誰が誰の帰りを待っている――のだろうか。

素朴に考えれば、杏奴がふうさんに対して、なのだろうが、その解釈では――上記のように演出の違いはあっても――結局、ふうさんを現世の梅乃のほうへ押しやることとは矛盾する。

それよりはむしろ、あそこでの杏奴は、現世にいる――梅乃や李珠をはじめとする――複数の人びとの視点に立ち、彼女たちそれぞれにとって大切なひとの無事の帰りを待つ想いを歌っている、と取るべきであるようにも思える。

――もちろんこの2つの解釈は、どちらかが「正解」であるということではなく、ここにも意味の重層性あるいは両義性がおそらく存在している。そして、前者から後者へ――ふうさんを待つ自らの想いから、同じく彼を待つ梅乃、あるいはおいちゃんを待つ李珠の想いへ――という重心の移動が、この一曲の中で生起しているのではないか。

この重心の移動を、自らの歌で表現し、そして祝福するという点にこそ、先述した杏奴の役柄の決定的な悲劇性がある。

 

梅乃と抱き合うふうさんのほうを見て、杏奴が語るこの台詞の声は、彼にはすでに聞こえておらず、杏奴の姿もすでに視えてはいない。

ふうさん、あんたってつくづく鈍い人ね
あたしだって、ふうさんのことず~っと、大好きだったんだぞ

最後まで明るく、コミカルに語るそのスタイルを崩そうとしないからこそ、彼女の哀しみは、より強く深く胸に響く。

ホテルスタッフを含むキャストたちが舞台下手へ次々と退場していくその最後尾に、ふうさんは梅乃と手を取りあって舞台袖に消えるが、その直前、半壊した「リトル・トーキョー」のステージ上にいる――姿の視えないはずの――杏奴のほうを、彼はなんだか名残惜しげに振りかえる。

夫婦でありながら、現世では結局、互いに「織りなす布」とはなりえなかった二人。しかし現世と異界、あるいは人間界と自然界との境界を越えて、ほんとうは二人の想いは遠くつながりあっていたのだろうか――と思わせ、かすかな救いを感じさせる場面でもあった。

 

隠された転生――「ゆくべき世界」へ

第2幕における杏奴は、現世と異界、人間界と自然界とのあいだの媒介者である。

「その1」でみたとおり、彼女は小雪を自然界からの使者として人間界に招き入れ、人間の女の子として育て、そしてやがて再び、自然界へと放生する。

人間と動物との境を越境すること――このモチーフ自体は、夜会ではすでにVOL.11,12『ウィンター・ガーデン』やVOL18,19『橋の下のアルカディア』で典型的にみられるように、「転生」という形式で反復されてはきた。

ただ――「その1」で書いたように――VOL.20『リトル・トーキョー』では「転生」は、少なくとも表面上は姿を消したようにみえる。

 

――だが、こうは考えられないだろうか。

小雪の母・つららは、一度も舞台に姿を現すことはない。その存在は、杏奴をはじめとするキャストたちの台詞や歌の中で語られ、歌われるのみである。

杏奴は、つららの願いを引き継ぐかのように、いわば母代わりとして、忘れ形見の小雪を育てようとする。彼女が第2幕で最初に歌う「氷女」は、そんな彼女の思いを歌っているようにも聴こえる。

連れてはゆけない 置いてもゆけない
誰かに願いを預けてゆくまで

しかしこの歌詞は、杏奴というよりも、つらら自身の思いこそを歌っているようには聴こえないだろうか。小雪を (異界へと) 連れてはゆけない、(自然界に) 置いてもゆけない。だとすれば、(現世・人間界にいる) 誰かに願いを預けてゆくしかなかい、と。

――もしそうだとすれば、「氷女」を歌う第2幕の杏奴は、つららの転生した姿でもあるのではないか。

彼女が身にまとう純白のドレスも、「リトル・トーキョー」のステージの下という奇妙な場所から身をかがめて登場することも、こう考えれば非常に納得がゆくのではないだろうか――

 

――もしこの解釈が可能だとしても、それは過去の演目でのように明示された転生ではなく、いわば隠された転生である。そして杏奴は――小雪がそうであるのと同様に――人間と動物とを一身に兼ねた両義的な存在であるということになる。

だが、それが隠された転生であり、杏奴が両義的な存在であるからこそ、彼女は、現世と異界、人間界と自然界とのあいだの媒介者として――文字通りの意味での超自然的な――力を、2つの世界の深層をつなぐにようにして発揮しえたのではないだろうか――

そのことは――「その1」でいただいたコメントへのリプライで考えたことの繰り返しになるが――次の場面で傍証されているように思う。

杏奴が歌う(1回目の)「放生」の半ばで、いったん父犬のもとへ帰ったかにみえた小雪は「リトル・トーキョー」に駆け戻ってきて、彼女にこう告げる。

父さんがね、もうすぐお山が通るから、大きいお家にいちゃだめだって
杏奴の小さいお家にいなさいって

――その直後に迫る、山崩れの轟音。

「大きいお家」すなわちホテル本棟には、まだ従業員たちがいた。ふうさんが急いで支配人・三井さんに電話して皆を「リトル・トーキョー」に呼び寄せようとはしたものの、全員の脱出にはおそらく間に合いそうにない。

このとき杏奴は、まるで自然のエネルギーを一身に呼び集めるかのように――眩しいスポットライトを浴びながら――裏山のほうに向かって高々と両腕を差し上げる。

この行為によって彼女は、まだ半ば現世にいた自らの存在とひきかえに、「リトル・トーキョー」のみならずホテル本棟をも完全な崩壊から救ったのではないか――そしてその結果として、現世から完全に姿を消すことになったのではないだろうか。

 

――この場面の後に、暗転をはさんで、上述した杏奴とふうさんとの最後の別れが来る。

 

「いつ帰ってくるの」を杏奴が歌い終え、アウトロに入るとともに舞台は明るくなり、山崩れに襲われたあたりの様子や、斜めに落ちた “Little Tokyo”の看板があらわになる。舞台上手から、怪我を負ったらしく男性スタッフに負ぶわれた三井さんはじめ、ホテルスタッフたちが次々と登場してくる。

そのホテルスタッフを演じたサブキャストたちの存在も、忘れてはならないだろう。彼女たち、彼らは、第1幕の幕開けから忙しそうに働く姿で登場するが、第2幕ではあまり出番がない――と思っていたら、この終盤の場面で――何人かは怪我を負いながらも、無事な姿を見せてくれて、不思議に心を癒される思いがした。

彼女たち、彼らにも、その無事の帰還を待つ人びとがいたはずだ。パンフレットには、三井さんを除く4人の若手スタッフの出身地が記載されている。地元北海道は1人で、他の3人は東京、神奈川、大阪の出身だ。それぞれの故郷で、彼女たち、彼らの帰りを待っていたであろう人びとは、もちろん舞台には登場しない――が、それらの人びとの想いをも、「いつ帰ってくるの」のアウトロは歌いつづけていたような気がする。

 

――自らを除くすべてのキャストたちが舞台袖に姿を消し、杏奴は半壊した「リトル・トーキョー」のステージ上で、(2回目の)「放生」を歌い始める。

さあ 旅立ちなさい もうすべて変わるとき
さあ 哀しみを超えて ゆくべき世界へ
さあ

この世界からは視えない別の世界へと旅立つ杏奴自身をも含めて、舞台に登場した者たちにも、登場しなかった者たちにも――そしてもちろん客席の私たちにも――それぞれに「ゆくべき世界」はある。たとえ「束の間」の「夢の国」は崩落し、この場所が動物たちの自然の世界に戻ったとしても。

地上と天空とをつないで、多数のライトが斜めに交錯しあう――その光景は、『今晩屋』の「十二天」を思い起こさせた。あのときと同じように、すべての生は広大な時空へと解放され、救済される――

 

エピローグ(1)――限りない時空の広がり

この夜会の舞台装置は、過去の演目――とりわけVOL.11から19まで――と比較すれば、一見シンプルな印象を与える。上述の料亭『華乃屋』の場面を除き、一貫して、ライブスポット「リトル・トーキョー」を中心としたホテル&パブの舞台装置の上でのみ、物語は進行する。背景が峨々たる雪山に覆われているせいもあり、そこはひとつの閉ざされた空間のように感じられなくもない。

 

――しかし、なんと広大な時空を、この夜会は、舞台の外側に感じさせてくれることだろうか。

舞台で直接には描かれない時空の広がりは――たとえば朝倉家の三代の系譜のように――パンフレットに明示されているものもあれば、私たちが想像するほかないものもある――この記事で自由に展開したいくつかの想像は、その試みの一端でもある。

私たちの想像に委ねられる部分は、もちろん過去の演目でも多く存在し、それらが夜会の世界に更なる豊かさをもたらしてくれるのも同様だった。だが今回は、舞台装置が一見シンプルな分だけ――いや、おそらくそれだけが理由ではないが――そうした自由な想像の余地は、より限りなく広がっているような気がする。

 

たとえば――「その1」でも指摘したように――この夜会との不思議な暗合を感じさせる『ウィンター・ガーデン』との関係について。

雪と氷の世界という背景や、人間と動物との境の越境――人から犬へ、あるいは山犬から人への転生――については、言うまでもない。「天から送られた手紙」としての雪は――とりわけ、第1幕の中盤、李珠との再会の直前に杏奴が歌う「いつ帰ってくるの」の場面で――不思議に暖かく、優しく降りしきる。

地上から天空への空間軸が、現在から未来への時間軸と重ね合わせられるのも同様だ。

天空あるいは未来は、おそらく三度繰り返して指し示される――一度目は、あの高らかな小雪の遠吠えによって。二度目は、上述した山崩れの直前、高々と差し上げられる杏奴の両腕によって。そして三度目は、まさに終曲「放生」を歌い終えるあのロングトーンとともに、はっきりと上方を指さす彼女の右手によって。

 

そして、『ウィンター・ガーデン』の初演と再演とをつないだ20世紀から21世紀――それは第二千年紀から第三千年紀へという、より大きな移行でもあった――が、『リトル・トーキョー』の物語の時代として設定されているのも、「その1」でみたとおりだ。

それは、人類の未来、「ゆくべき世界」への中島みゆきの希望の反映でもあったのだろうか――

 

エピローグ(2)――客席と舞台とをつなぐもの

再び、あえて個人的な話をしたい。

初日と千秋楽との終演後は、ともに30年来のファン仲間との飲み会で懐かしく盛り上がる一方で、2月12日と21日の終演後は――半ば偶然的な出会いから――まったく初対面のかたがたと、夜会や中島みゆきについて語り合う機会にも恵まれた。

私たちファンは、それぞれがこの世界の中のただひとりの存在として、ひとりひとりで中島みゆきと向き合うほかはない。私(たち)と中島みゆきとの関係は、「1対1」でしかありえない――しかし、むしろそうだからこそ、彼女への思いによってつながる「縁」は、かけがえのないものとして紡がれつづけてゆくような気がする。

 

生身の存在である以上、私たちに与えられた時間は有限だ。かなり以前の記事でも何度か触れたように、私がまだ若かった頃からのファン仲間の中には、もう「逢えない相手」となった人びとが何人もいる。

しかしその一方で、とくに今回の夜会では、ずいぶん若い世代の人びとが、この「縁」の中に加わってきてくれていることに驚き、喜ばしく、また心強くも思った。ここでも、別れと出会いは繰り返されているのだ。

客席の「若返り」をきわめて具体的に体感したエピソードを、ひとつ挙げておこう。「リトル・トーキョー」のサビ――とくに後半の公演――では、ドラムに合わせて手拍子が入った。

ダンサブルなリズムを更に前のめりさせるメロディのシンコペーションのせいもあって、この裏拍の手拍子を正確に打つのは――正直に言えば、年齢相応のリズム音痴の私などには――けっこう難しかったのだが、客席全体は見事にリズムに乗っていて、舞台と客席との熱く緊密な一体感がそこにはあった。

そんなとき、私たち客席の人びとも、この夜会の――文字通りの意味での――参加者であることを、これまで以上に積極的な意味で実感できた。

 

一方、舞台に目を向けると――「その1」でも書いたとおり――渡辺真知子の存在がこの夜会の明るさと愉しさの光源となり、そして清新かつ暖かい風を絶えず舞台に吹き込んでくれたことは、いくら強調してもしすぎることはない。

彼女が演じた李珠が――上述したような――杏奴の役柄の悲劇性に、救いを与えてくれたと言ってもよい。

彼女の千秋楽のカーテンコールでの挨拶での「みゆきさんのお姉さんで幸せでした」という言葉に呼応して――言葉にはされなくとも――「真知子の妹で幸せでした」と、中島みゆきの声が聴こえたような気もした。

 

ライブスポット「リトル・トーキョー」がこの夜会の劇中劇の舞台であったのと同様に、夜会『リトル・トーキョー』全体もまた、私たちが生きているこの世界の中の劇中劇の舞台だったのではないか、などと、とりとめもないことを思ったりもする。

あの舞台の記憶は、これからもずっと、私たちの「帰れる場所」として存在しつづけていて、そしてそれゆえに私たちは、いつでも「ゆくべき世界」へと旅立ってゆくことができるのだ、と――


【キャスト】

  • 中島みゆき (大熊杏奴)
  • 渡辺真知子 (朝倉李珠)
  • 植野葉子 (梅乃)
    香坂千晶 (小雪)
    宮下文一 (大熊文夫=ふうさん)
    石田 匠 (笈河修身=おいちゃん)
  • 泉谷しげる[声] (大熊権作)
  • 志村史人 (三井徳衛)
    宮川 崇 (赤川一平)
    芦田 崇 (吉岡とおる)
    竹下礼奈 (松宮香織)
    青木笑夏 (川西愛美)

【ミュージシャン】

  • Keyboards 小林信吾
    Keyboards 十川ともじ
    Keyboards, Saxophones 中村哲
    Keyboards, Manipulation 飯塚啓介
    Guitars 古川望
    Bass 富倉安生
    Drums 島村英二
    Vocal 杉本和世
    Vocal 宮下文一
    Violin 牛山玲名
    Violin 民谷香子
    Cello 友納真緒

【セットリスト】

  • [第1幕]
    M1 リトル・トーキョー(Inst.)
    M2 渡らず鳥
    M3 何か話して
    M4 リトル・トーキョー
    M5 野ウサギのように
    M6 大雪警報
    M7 BA-NA-NA
    M8 カナリア
    M9 いつ帰ってくるの
    M10 思い出だけではつらすぎる
    M11 勝ち女
    M12 招かれざる客
    M13 テキーラを飲みほして
    M14 後悔はないけれど
    M15 ねぇ、つらら
    M16 LOVERS ONLY
    M17 いつ帰ってくるの
  • [第2幕]
    M18 いつ帰ってくるの
    M19 氷女
    M20 リトル・トーキョー
    M21 ずれてるあたしたち
    M22 大人たちはみんな
    M23 捨て石
    M24 紅灯の海
    M25 梅が枝
    M26 リトル・トーキョー
    M27 月虹
    M28 二雙の舟
    M29 放生
    M30 いつ帰ってくるの
    M31 放生
    M32 リトル・トーキョー(Inst.)

夜会VOL.20『リトル・トーキョー』――その1

夜会VOL.20『リトル・トーキョー』の初日1月30日、ついで中日 (なかび) 2月12日の公演を観た。

中日のカーテンコールの最後に、声だけの特別キャスト・泉谷しげるがこの日の客席に来ていることを中島みゆきが告げ、周囲から万雷のスタンディング・オベーションを浴びるという幸運なサプライズがあった。私は2階席だったので、1階席の興奮がよく見えた。

その喝采は、彼がこの作品の中のネガティブな要素を一手に引き受け、声と歌のみで堂に入った悪役ぶりを見事に演じきったことにも向けられていたように聴こえた。それは裏返してみれば、舞台に登場するメインキャストたちの演技が、総じてポジティブな善意に満たされていたこととの、強烈なコントラストの反映でもあったのかもしれない。

 

そのことからも示唆されるように、『リトル・トーキョー』は、とにかく、これまでになく「明るく愉しい夜会」というのが偽らざる第一印象だ。初日を観おわった時のわくわくした幸福感が、今も胸中にそのままに弾んでいる。

ただそれは、この演目がこれまでの演目に比べて、単純であるとか平板であるとかいうことを意味するわけではない。

「新しいのに懐かしい」――Twitterのフォロワーでもある長年のファン仲間のひとりは、初日の印象を的確にそう表現してくれたが、それに倣えば、「愉しいのに哀しい」「わかりやすいのに謎めいている」……というふうにも言えそうだ。もともと夜会にはそうした多面性があったが、それがもう一段更に高いレベルで実現された、というべきだろうか。

観終えたあと、なかなか言葉にしきれない千々の想いが胸の奥底に残るのは、これまでの演目でも同様だったが、今回はそうした明るく愉しい印象の分だけ、胸に残る余韻はむしろ深い。

 

公演はまだ折り返し点を過ぎたところであり、上記のような複雑な印象は、まだ私の中で十分には整理しきれていない。今は、とりあえず現時点での覚書として、とりわけ重要に思えることを中心に、その印象の内容を可能な限り言葉にしておくことにしたい。

なお以下の記述は、基本的には2回の公演を観た私自身の記憶に基づくが、パンフレットに記載された情報を適宜補完している。また、必ずしも舞台の進行順の記述にはなっておらず、ストーリーの説明は、文脈上最低限必要な範囲にとどめている。

 

「リトル・トーキョー」という場所

夜会VOL.20のタイトルが発表されたとき、その意味について、さまざまな想像をめぐらせて楽しんだ。「リトル・トーキョー」とは一般的には――最も有名なロサンゼルスのそれに代表されるように――海外各地につくられた日本人街の通称である。だとすれば今回は、海外に流浪した日本人の物語なのだろうか――そんな単純な予想は、少なくとも表面上は、見事に覆された。

 

初日の第1幕の緞帳が上がったとき、まず目に飛び込んできたのは、舞台中央に設えられたライブスポットの木造のステージ――その上部には、古典的な書体のアルファベットで “Little Tokyo” と書かれた大きな看板が掲げられている。

ステージの背後は、峨峨たる雪山が視界のすべてを覆う。

この場所、北海道に建つ「ホテル&パブ・オークマ」の女将である大熊杏奴[あんぬ] (中島みゆき) は――メインビジュアルのとおりの――ワインレッドのクラシカルな英国風ドレスを身にまとい、下手にある、これも古風で立派なデスクのあたりで3曲の新曲を歌ったあと、中央のステージに上がり、スタンドマイクの前に立つ。

その曲のイントロが始まった瞬間、私の背中に電流のような衝撃が走った。

――「野ウサギのように」!

VOL.7『2/2』以降、夜会の初演の演目は、テーマ曲「二隻の舟」を除くすべてが新曲で構成されてきた。この瞬間、その慣例に終止符が打たれたのだ。

ちょうど30年前のアルバムのタイトル曲を中島みゆきは、まるでアイドル歌手のような可憐な振付で、楽しげな笑顔を絶やさずに歌う。

野に棲む者は 一人に弱い
蜃気楼(きつねのもり)へ 駈け寄りたがる

このフレーズは、この場所が――パンフレットに掲載されたテーマ曲「リトル・トーキョー」の歌詞を借りていえば――「帰る先を失くした」人びとが集まってつくりだす仮初めの住処、あるいは「幻の場所」であることを示唆しているのだろうか。

だがそのこと以上に強く印象づけられるのは、この曲のアウトロでの振付、スカートの裾を両手でつまんでステップを踏みながら中島みゆきが踊る姿だ。それは否応なしに30年前のコンサートの記憶――1989年の『野ウサギのように』ツアーではなく翌年の『Night Wings』ツアーでの「野ウサギのように」だったかもしれないが――を、私の中にありありと蘇らせた。

もしかしたら、「帰らないすべてが ここだけに有る」リトル・トーキョーとは、私たちファンにとって、過去の中島みゆきのすべてのライブの記憶が保存され再生される場所でもあるのではないか――もちろんこれは、ファン目線からの深読みのしすぎだろうが、そのようにさえ錯覚させてくれるのも、この夜会の大きな愉しみのひとつとなった。

 

――ただ、それは深読みのしすぎとしても、このライブスポット「リトル・トーキョー」が、この夜会の中に設えられた一種の劇中劇のステージであることは明らかだろう。

セットリストの中で、「野ウサギのように」に始まる第1幕の5曲の既出曲は、いずれも「リトル・トーキョー」のステージ上で歌われる。更に、第2幕で宮下文一が歌う「紅灯の海」も、東京・新橋の料亭『華乃屋』の奥座敷という設定になってはいるが、そこは舞台装置の配置としては「リトル・トーキョー」のステージと同じ場所である。この事実は、上述の印象をより強める。

元ロックミュージシャンの農場主・「おいちゃん」こと笈河修身 (石田匠) がこのステージでギター片手に歌う姿は、はまり役として見事に決まっている。第1幕の後半で、「テキーラを飲みほして」を歌いおえての「サンキュー、リトル・トーキョー!」というノリの良い挨拶には――今回のセットリストでも最も初期、1983年のこの曲への懐かしさも相まってか――客席から間髪を入れぬ拍手が沸いた。

夜会の舞台進行の途中での拍手は、これまでにも例がなかったわけではないが、今回は明らかにその意味が違う。ライブスポット「リトル・トーキョー」とは、さまざまな夢が歌われ、演じられる舞台そのものの比喩であり、拍手はそのような夢の記憶への拍手でもあるのだ。

 

――劇中劇のステージ「リトル・トーキョー」の盛り上がりは、第2幕も中盤、舞台前縁の上のミラーボールが回転し、舞台も客席も華やかな光に包まれる中、5人のキャストが声を合わせて歌い舞うタイトル曲「リトル・トーキョー」で最高潮に達する。

そのアウトロが閉じたときの万雷の拍手の中、中島みゆきは――杏奴という役柄をあえて離れて――喝采に応え、「それでは、そろそろお話を進めてまいりましょう」と、舞台を物語の流れの中に引き戻す。このように、彼女が役柄から離れて客席に語りかけるのは、VOL.3『邯鄲』で演劇的形式が導入されて以来、夜会ではおそらく初めてのことだ。

それほどに、「リトル・トーキョー」という劇中劇のステージは、この夜会の舞台の全体を強い磁場によって意味づけているということだろう。

 

群像劇

さて、「リトル・トーキョー」は、杏奴の姉で、18歳のときにミュージカル歌手を目指して上京し、渡米したあと長く行方不明となっていた朝倉李珠[りず] (渡辺真知子) の帰りを待ち受けるための場所でもあった。

第1幕中盤、その李珠の思いがけぬ帰還によって、物語は動き出す。

――事実上の準主役である渡辺真知子の存在は、冒頭で強調したこの夜会の明るさ、愉しさの光源に位置している。彼女が登場しただけで、舞台はまるで暖色系の光に隈なく染められるかのように見えた。

李珠は修身と幼馴染だったようで、妹の杏奴さえすぐには気づかなかった彼女に、彼は一瞬で気づき「りっちゃん、おかえり!」と快活に告げる。その二人が第1幕の終盤で歌う「後悔はないけれど」の美しいハーモニーは、ともに音楽への夢を経めぐったあと、故郷での再会を果たした二人のあいだに交わされる想いの共鳴のようだ。

 

その一方、第2幕ではもうひとつの再会が果たされる。

杏奴の夫「ふうさん」こと大熊文夫 (宮下文一) は、1年前、東京・新橋の料亭で、異母兄の不動産会社社長・権作 (声・泉谷しげる) から、朝倉家の広大な土地を乗っ取るため、杏奴を暗殺しようという謀略を聞かされ憤る――ここが、冒頭で触れた泉谷の声による名演技、迫真力ある悪役ぶりが見事に発揮される場面だ。

この密談を立ち聞きした芸妓・梅乃 (植野葉子) ――文夫と東京で暮らしていた愛人――は危険を察知して失踪し、北海道の笈河修身の農場で獣医助手として働きながら、杏奴の身辺の状況を探っていたようだ。

第2幕の中盤、杏奴の遺体が雪崩の下から見つかったという警察の情報を受けて「ホテル&パブ・オークマ」に戻ってきた文夫は、思いがけず梅乃と再会する。

 

――この二組の再会の外に、ヒロイン杏奴はいる。

文夫との結婚は、両親の死後――それも大熊家の陰謀であったことが上記の密談で示唆されている――広大な家屋敷の相続に窮した杏奴に、権作と文夫の父である大熊不動産の先代社長がもちかけたものだった。「動物好きな温和しい性格ですから、新しいホテルの代表に」と。

そうした計略結婚の経緯から、二人のあいだには、最初から大きな距離感が存在していたようだ。第1幕の冒頭、支配人に促されてしぶしぶ文夫と電話で話したときの杏奴の声は、およそ夫との会話とは思えぬ、よそよそしいものだった。

ところが――おそらくは電話が切れた後のひとり芝居で――「裏山の山犬の”つらら”が仔犬を産んだのよ! 三匹もよ~」と語りかける杏奴の声は、それまでとはうって変わって甘やかで親しげで、動物たちへの思いのみが二人の遠い距離をつないでいたのだろうか、とも思わせる。

後述する第2幕のラストで、既にこの世にいない杏奴は、「あたしだって、ふうさんのこと、ずーっと大好きだったんぞ」と想いを告げるが、それが今生で叶えられることはない。

 

――再会を果たした二組と、その外にいる杏奴、そして (後述する) 小雪の6人全員のキャストによって歌われる「二雙の舟」は、彼女たち、彼らのあいだでそれぞれに交錯する想いが響きあい、力強く胸に迫ってくる。

「二雙の舟」は、最初の2つの夜会でフルバージョンで歌われたのち、VOL.3『邯鄲』以降は、さまざまな物語の文脈の中で、さまざまな部分が取り出されて歌われてきた。今回、中島みゆきが「時流を泳ぐ海鳥たちは……」から歌い始め、やがて6人の大合唱となってエンディングに至るアレンジは、これまですべての「二雙の舟」の中でも、最も激しく心を揺さぶるものになった。

 

この「二雙の舟」に集約的に表現されているように、これまでの夜会でも最大の6人というメインキャストが起用され、その一人ひとりが個性を発揮する群像劇となっていることも、『リトル・トーキョー』の新境地のひとつだ。

そして、この群像劇の中心に位置し、それぞれに個性的なキャストたちを導いていく中島みゆきの強靭な求心力は、より力強さを増したと言うべきだろう。

 

「自然」の呼び声

「帰る先を失くした」人びとによってつくりだされた「夢の国」リトル・トーキョーとは、いわば「都市」という人工の世界の縮図であり、その外側には、舞台背景の雪山に象徴される「自然」が広がっている。

だが都市は、その背後にある自然なしには存立しえない。第1幕の中盤、修身が持ち込んだ血の滴る鹿のアラに杏奴は恐れをなし、「外に出して!」と叫ぶが、そのようにして血なまぐさい自然を視界の外に追いやり、かつそれに依存せざるをえないという矛盾によってはじめて、人工の世界は維持されているのだ。

 

――そうした都市と自然との対比は、この夜会全体の構成上は、第1幕と第2幕との対比に反映されているようにもみえる。

第1幕のラスト近く、雪山に響く密猟者の銃声を聞き、杏奴は「つらら!」と叫んで裏の雪山へ飛び出してゆく――その直後、地鳴りのような轟音とともに、雪山を襲う雪崩。

そして幕切れ寸前、「リトル・トーキョー」のステージの下という不思議な場所から彼女は突然姿を現し「つららが撃たれた!」と叫ぶが、この時の衣装は上述のワインレッドから純白に変わっていて、すでに彼女がこの世の者ではないことを鮮明に可視化する。

李珠が「いつ帰ってくるの」と歌い、ホテル&パブの人びとが杏奴の帰りを沈痛な様子で待つこのシーンは、第2幕の冒頭でもリピートされるが、床に敷かれた絨毯の色は、第1幕の暖色系から寒色系に変わり、そして舞台下手の窓や扉の枠には、多くのつららが下がっている――撃たれた山犬が自らの名によってこの世に思いを残そうとするかのように。

すでに自然は、第2幕の冒頭で、この人工の世界を侵食しはじめているのだ。

 

――その自然の世界からの使者として、杏奴はつららの忘れ形見の次女・小雪 (香坂千晶) を連れ帰る。

彼女は人間の女の子の姿をし、人間の言葉を話し、そして人間として「リトル・トーキョーのスター」を目指して「新人研修」を受ける。最初は歌の音程さえまったくの調子外れだった彼女が、やがて歌も踊りも上達し、成長していく様子は、自然・野生の世界から人間・文明の世界への移行を意味しているかのようにも見える。

前述の、ミラーボールが回転する「リトル・トーキョー」は、そんな彼女の最高の晴れ舞台となった。

 

――だが、第2幕の終盤、再び裏の雪山に地鳴りのような轟音が響く。雪山の下手側には何匹もの山犬の眼が光り、かすかな遠吠えが聞こえてくる――それは「自然」の呼び声でもあるかのようだ。それを耳にして、野生がよみがえったかのように、キャン、キャンと鳴きはじめる小雪。

父さんだ、父さんが迎えに来た!

「リトル・トーキョー」のステージに駆け上った小雪は、下手に向かって座りながら顔を上げ、魂の震えるような長い長い遠吠えで父犬に応える。

この小雪の見事な遠吠えは――おそらく前作『橋の下のアルカディア』での零戦の登場と同様に――今作の大詰めでの最大の転換点である。あるいはもっと以前、『花の色は……』の終曲「夜曲」のさらにアウトロで、月に向かって歌うかのような杉本和世のスキャットの絶唱とも、比肩しうるかもしれない。

 

――動物を擬人化して描くという方法は、演劇も含めてさまざまなジャンルで定番化した表現方法ではある。だが、この夜会での小雪の存在は、そうした演劇的表現という以上に、人間と動物、文明と自然との越えがたい境界線が、まるで奇跡のように越境されることを意味しているように見える。

そして、まさしくその越境――いったん雪山へ走り出たあと、「リトル・トーキョー」に駆け戻ってきて、山崩れの危険を告げる小雪――によって、人間たちもまた救済されるのだ。

山崩れによって半ば崩壊した「リトル・トーキョー」のステージで、杏奴が力強く歌う、終曲「放生」――

さあ悲しみを超えて
ゆくべき世界へ

解き放て 解き放て
輝いていてくれるように

――それは、文明と自然との境界を越えて、生きとし生きるものすべてが、あらゆる呪縛から解き放たれ、新たな世界で新たな輝きを獲得することへの讃歌だ。とりわけこの歌のエンディングで、「さあーーーーーーーー!」と4小節以上もつづく中島みゆきの素晴らしいロングトーンが、その解放の意味を再確認し、舞台は閉じられる。

 

追記1 「山犬」について

「山犬」という言葉について、少し補足しておこう。『日本国語大辞典』には、「山犬」は「にほんおおかみ(日本狼)の異名。また、野生化して山に住む犬」とある。

パンフレットのあらすじ「序」には、杏奴と李珠の祖父、英国人動物学者ヘンリー・アダムスは「狼の生きてゆける自然を護るため……この地に永住を決めた」とあるので、実質的には「山犬」は「狼」を意味しているとも取れる。

ただ、現実には、ニホンオオカミ (本州に生息) もエゾオオカミ (北海道に生息) も、20世紀前半には絶滅しているので、この夜会の時代設定、2000年12月に北海道に野生のオオカミが生息していたとは考えられない。もし「山犬」が「狼」を意味しているとすれば、それはやはりひとつのファンタジーとみるべきなのだろう。

舞台上の台詞でも、(上記のあらすじ「序」を除く) パンフレットの記述でも、「狼」ではなく「山犬」という言葉が使われているのは、そうしたリアリティとファンタジーとの微妙なバランスの上に立った表現なのかもしれない。

 

ちなみに、北海道標茶町には、アラスカから連れ帰ったオオカミが2017年まで生息していた「オオカミの森」という施設があるとのことだ。この記事の最後の方にある「オオカミの目を通して自然をみつめる」という言葉は、この夜会のメインビジュアルの画像を連想させる。

 

追記2 さまざまな気がかり

上記以外にも、『リトル・トーキョー』について語るべきことは、まだまだ数多くありそうだ。

形式上の新機軸については、30年の夜会の歴史の中で、VOL.3『邯鄲』での演劇的形式の導入、VOL.7『2/2』での全新曲による構成についで、VOL.20『リトル・トーキョー』は3度目の大きな飛躍をなした、というべきだろう。その理由の一端――とりわけ、既出曲の挿入――については、この記事でも少し触れた。

内容的には、VOL.11『ウィンター・ガーデン』以降ずっと踏襲されてきた「転生と救済」という基本モチーフのうち、「転生」が――少なくとも表面上は――外れたことは、やはり大きな転換であるように思う。しかし、上述のとおり、すべての生を新たな「ゆくべき世界」へと解き放つラストシーンの解放感はこれまでに比類がなく、まったく新たな次元での「救済」を感じさせてくれる。

 

ところで『ウィンター・ガーデン』といえば、この演目と今回の『リトル・トーキョー』のあいだには――表面上の印象はきわめて対照的であるにもかかわらず――いくつかの不思議な暗合のようなものが存在していることも気になる。一点だけ挙げれば、20世紀の終わりという『リトル・トーキョー』の時代設定は、VOL.11『ウィンター・ガーデン』がBunkamuraシアターコクーンで実際に上演されていた時期と、ほぼ重なっているのだ。

さらに、個々の曲――新曲、既出曲を含めて――や、個々の場面の演出の細部の意味については、私の記憶力や筆力の限界ということもあるが、この記事ではほとんど触れることができなかった。

そうしたさまざまな気がかりについては、次の記事――おそらく千秋楽よりも後になるだろうが――に譲ることとし、いったんこのあたりで記事を閉じることにしたい。

 

(「夜会VOL.20『リトル・トーキョー』――その2」につづく)

【コメントは、上記「その2」にお願いします】

空ゆく数多の翼には (2)――零戦のリアリティとファンタジー

零戦52型 (復元、海上自衛隊鹿屋航空基地史料館)

夜会VOL.20『リトル・トーキョー』の初日が目前に迫った。チケットもすでに手元にある。

そんな今になっても、すでに初演の初日から4年と少しが過ぎた『橋の下のアルカディア』の舞台の記憶は、新鮮で懐かしい。あの世界の隅々までは、まだまだ探索しきれていないのに……という焦燥感のようなものが胸に迫る (まあ、それを言ってしまえば、さらにそれ以前の数々の演目も、すべて基本的には同様なのだが)

だが、時間は有限だ。昨年8月の記事で予告したように――『橋の下のアルカディア』の多面的な構成要素の中でも、とりわけ重要でかつ個人的な気がかりでありつづけてきた――零戦をめぐるリアリティとファンタジーについて、これまで気づいたり考えたりしたことをいま可能な限りまとめておくことで、とりあえずの区切りとしよう。

なお、一部これまでに書いた記事と重複する部分もあること、また内容の性質上ややマニアックな記述を含まざるを得ないことは、ご容赦願いたい。

 

零戦――零式艦上戦闘機――は、よく知られている通り、第二次世界大戦期の日本海軍の主力戦闘機である。1万機以上が生産され、戦線に投入された。大戦初期にはその優れた空戦性能等によって敵機を圧倒したが、米英の新型機の開発・投入が進むとともに次第に劣勢となり、戦局全体が著しく悪化した大戦末期には、多くが特攻機としても使用されるという、悲劇的な運命を辿った。

その栄光から悲惨への道筋は、日本にとって、先の大戦の記憶そのものを象徴していると言っても過言ではないだろう。『橋の下のアルカディア』のラストシーン――破局からの脱出と救済への飛翔――に、零戦が登場する基本的な理由もそこにある。

 

4年前、初演の初日のレビューでも書いたように、『橋の下のアルカディア』は――とりわけ、あの巨大な逆説と衝撃に満ちたフィナーレは――究極的にはひとつのファンタジーである。

しかし同時に、その中心に位置する零戦の表現には、実は周到なリアリティへの配慮がなされてもいるということに、ここで注目したい。そのリアリティとファンタジーとの不思議な均衡こそが、戦争の記憶という、舞台の終盤になってようやく明かされる主題の重みを支えているのだ。

 

造形のリアリティとファンタジー

ラストシーンの零戦の造形については、以前、Facebookで知り合ったベテラン航空機技術者であり、零戦の復元にも携わったことがあるHさんというかたから、数々の貴重なご教示をいただいた。ずいぶん時間がたってしまったが、ここに深く謝意を表したい。

以下、本節の内容は、そのHさんからの示唆に基づき、まとめなおしたものである――

 

まずプロペラについて。プロペラブレードの臙脂色の塗色と、その先端の危険識別のための黄色のライン、そして3枚のブレードが反時計回りに回転するのは、いずれも実機の忠実な再現になっている。

機体前部のエンジンカウルの黒の塗色や、その下部にある吸気口の造形も同様だ。

主翼両端に輝くナビゲーションライト――左舷が赤、右舷が緑――は、実機や航空法に準拠したものである。再演VOL.19で追加された演出だが、第2幕で高橋九曜 (石田匠) が「水晶宮」を歌うところで、祖父・一曜と父・忠の遺影を収めた仏壇の脇から取り出す零戦の模型にも、このナビゲーションライトが印象的に輝いていた。

――Hさんは子どものころ、星を観察していると、この赤と緑のナビゲーション・ライトを灯した旅客機が上空を何機も通過するのを飽きずに眺め、空への憧れを抱いたという。

空ゆく数多の翼には 憧れ抱かせる光がある

という「国捨て」の歌詞は、そのようにして空に憧れた少年たちの記憶にも裏づけられているのだろう。

 

その両主翼の、胴体から1/3ぐらい離れたところに、実機では零戦の主兵装である20mm機銃が搭載されている。

――が、『橋の下のアルカディア』のラストシーンでは、エンジンが起動し上述のプロペラの回転が始まるとき、その位置に2つの前照灯が点る。さらにエンジンがフル回転し、いよいよ機体が上昇し始めるとき、前照灯はまばゆく輝きを増す。

あるはずの銃もなく あるはずの武器もない
見るがいい その場所には 輝く何かが見える

この『国捨て』の再演での追加歌詞は、リアリティからファンタジーへの上記の転換を正確に反映している。

 

さらに「武器」については、機体下部も見逃せない。零戦の実機では、下部に増槽 (航続距離を延ばすための追加燃料タンク、約400kg) がぶら下げられることがあり、また特攻機の場合は、500kg爆弾を搭載するのが一般的だった。

――『橋の下のアルカディア』で、それらの代わりに零戦がぶら下げるのは、いうまでもなく人見と天音の二人が乗ったケージである。垂直上昇はともかくとして――これはこの場面の最大のファンタジー要素であろう――機体が懸架しうる荷重という観点からみれば、零戦が二人の乗ったケージを吊り下げることには、十分にリアリティの裏付けがあるのだ。

私の願いは空を飛び 人を殺す道具ではなく
私の願いは空を飛び 幸せにする翼だった

初演時から歌われた『国捨て』の核心をなすこの歌詞もまた、そのようなリアリティからファンタジーへの転換――爆弾から人を乗せるケージへ、機銃から行く手を照らす前照灯へ――と正確に呼応している。

 

そして、リアリティとファンタジーとの均衡という点で、おそらく最も視覚的に重要な意味をもつのは、機体そのものの塗色だろう。

これも初演 (VOL.18) の初日のレビューで書いたことだが、零戦の機体上面が濃緑色、下面が灰白色という塗り分けが一般化するのは「52型」に代表される後期型からであり、初演ではこの塗色が再現されていた。機体上面の濃緑色が「緑の手紙」を可視化する一方で、下面の灰白色――この塗色は、下から見上げた時に空に溶け込む保護色の意味があったとも考えられる――は、リアリティを担保していた。

しかしながら、再演 (VOL.19) では――零戦が上昇してゆくにつれて必然的に目に入ってくる――機体下面もまた、上面と同じ濃緑色に塗装されていた。これは実機には存在しない塗色であり、リアリティからファンタジーへと大きく舵を切った転換とも言えよう。

そして言うまでもなく、破局からの救済へのメッセージである「緑の手紙」の意味は、この転換によって、より強烈かつ鮮明に表現されることになったのだ。

 

吹きつづける風

さて、『橋の下のアルカディア』で零戦のリアリティを支えているのは、上述のような機体の視覚的造形だけでは実はない。

艦上戦闘機の「艦上」とは、空母 (航空母艦) 上で運用される――空母の飛行甲板から発艦し、またそこに着艦する――という意味である。実際には陸上基地で運用されることもあったが、艦上で運用されることを前提として設計されている。

『橋の下のアルカディア』にはもちろん空母は登場しない――が、その代わりに艦上機であることの意味を示唆しているのは、終曲「India Goose」の全編を吹く「風」である。

 

第二次大戦期の空母の全長は、日米ともにおおむね200~270mぐらいであり、陸上基地の滑走路 (通常、最低でも1kmはあった) よりも遥かに短い。当時、アメリカ海軍の空母は、その滑走距離の短さを補うため、カタパルト――油圧等の強い力によって艦上機を前方に射出する装置――を装備しつつあったが、日本海軍の空母にはカタパルトはなかった。

そこで、戦争映画等でしばしば描かれるように、艦上機の発艦時には、日本の空母は風上に向かって全速で航行する――これを「艦首を風に立てる」という。向かい風と空母の速力、そして機自身の速力との合成風力によって、翼はようやく十分な揚力を得、甲板から飛び立つ。

いつの風か約束はされない いちばん強い逆風だけが
高く高く峰を越えるだろう 羽ばたきはやまない

「India Goose」のこの歌詞は、そのように逆風を突いて飛び立つ零戦の姿を彷彿とさせる。また、

小さな小さな鳥の列が なぎ払われる
小さな小さな鳥の列が 組み直される

このフレーズは、戦場の大空を舞い、闘い、そしてその多くが散っていった零戦の映像と二重写しになっては見えないだろうか。

 

――さらに、「India Goose」のイントロや間奏に繰り返される、弦による小刻みな三連符と大きな抑揚とが印象的なあの旋律もまた、強風にあおられる「小さな小さな鳥の列」を聴覚的に表現しているように、私には聴こえる。

『橋の下のアルカディア』の冒頭が、いきなりこのイントロで始まることを思い出したい。それはフェイントのように「なぜか橋の下」につながっていくのだが、もしかしたら「India Goose」の強風は、冒頭からフィナーレまで、この演目の全編にわたって吹きつづけていたのかもしれない。

再演で追加された風鈴の演出も、あえて深読みすれば、そのことを暗示していたようにも思える。「模型の高橋」の軒下に人見が吊るす5個の風鈴は、この世にいない者たちの思いをこの世に呼び戻すための信号であると同時に、「風」が過去から未来へ――あるいは、未来から過去へ――と絶えず吹きつづけていることを示す信号でもあったのではないか。

その「風」は、私たちの運命を翻弄してきた歴史の奔流でもあり、そして同時に、私たちを新たな未来へと飛翔させる揚力でもあるのだ。

 

追記: 映画『風立ちぬ』について

ところで零戦といえば、その設計者として有名な技師・堀越二郎を主人公のモデルとした宮崎駿監督のアニメーション映画『風立ちぬ』 (2013年) のことを思い出すかたもおられるかもしれない。

この映画では、冒頭の二郎の少年時代、大空を翔ける夢の中に、イタリアの航空技術者カプローニの姿を借りて、彼を誘惑する悪魔が登場する。

悪魔は二郎とどこかへ飛んでいく飛行機の編隊を見上げながら、「あの半分も戻ってこまい 敵の街を焼きに行くのだ」、「だが戦争はじきおわる」と語りかけ、「飛行機は戦争の道具でも商売の手立てでもないのだ」、「飛行機はうつくしい夢だ 設計家は夢に形をあたえるのだ」などと、甘い言葉で二郎を誘惑します。
(一ノ瀬俊也『昭和戦争史講義――ジブリ作品から歴史を学ぶ』人文書院 2018年, 23頁)

――「戦争の道具」という現実と、「空ゆく数多の翼」に憧れる少年の夢との両義性。

 

『風立ちぬ』という映画のタイトルは、サナトリウム文学の名作として知られる堀辰雄の同名の小説から取られており、そのモチーフは、二郎の婚約者・菜穂子の存在に投影されている。

残された僅かな生を愛とともに生きようとする菜穂子と、戦争へと突き進む歴史の中で「うつくしい飛行機」を創る夢にこだわり続ける二郎。ふたりの生を通して、個の生の意味と、その背後にある巨大な歴史の流れとが重ねあわされる。

繰り返し美しく呈示される風と飛行機とのイメージが、かれらの生きた風景を貫く時間の流れを可視化する。風に乗り、空を飛ぶこと――それは生の自由への希求なのか。

 

この映画と『橋の下のアルカディア』(2014年初演) との関係についても、確かなことは何も言えない。ただ、風と飛行機とのイメージ、そしてそれらに託される生の自由への希求は、文脈やジャンルの差異を超えて、両作品をつないでいるようにも思えた。

 

新たなるリアリティとファンタジーへ

「言葉の実験劇場」と銘打って30年前にスタートした夜会は、前作『橋の下のアルカディア』に至るまで、総じてファンタジーを基調としながらも、その背後には確固たるリアリティ――私たちが生きている、この現実の世界――への眼差しが存在してきた。

だからこそ、客席の私たちは、舞台上に構築され提示される世界が、劇場の外に存在している私たちの現実の世界を根底から揺るがし、そして「転轍」するかのような衝撃を、何度も味わうことができたのだと思う。

――30年目の演目、VOL.20『リトル・トーキョー』の初日は目前に迫った。

その舞台で、どのような新たなリアリティとファンタジーとに出会うことができるのか――とりわけ今回は、事前に公開されている情報がきわめて少ないこともあり――強い胸騒ぎにも似た期待とともに、今は待ちたい。