夜会唯一の男性ヴォーカリスト――宮下文一さんについて

「文さん、かっこよかったな~!」

2013年12月14日(土)、名古屋公演最終日の終演後のロビーの人波の中――連れに語りかける男性客の弾んだ声が耳に入ってきて、思わず、我が意を得たり、という思いがした。

今回の夜会工場VOL.1では、これまで舞台の下で、唯一の男性ヴォーカリストとして夜会を支えてきた「文さん」こと宮下文一が、初めて事実上のキャストとして舞台上にも登場したことが、見逃せない注目点のひとつになった。

 

彼の舞台上への登場は3度――それも重要な場面ばかりだ。

最初は、前半部の最終曲――もし休憩をはさんで2幕に分けたとすれば、第1幕のラスト曲になったに違いない――「NEVER CRY OVER SPILT MILK」

過去3回の『2/2』でのアレンジとは異なり、1番を宮下文一が、2番を中島みゆきがメインで歌い、それぞれのサビで互いがハーモニーをつける。そして――アルバム『日-Wings』と同じく――「NEVER CRY…」という美しく余韻を残す歌い終え方。

1番のサビで下手から登場する中島みゆきが、彼の坐る上手側の椅子の後ろを大きく回って彼の前を横切り、下手側の椅子に掛けるという、一連の動き――その途中で二人が右手を高く挙げて合わせるという、最後の大阪公演で追加された演出は、さらにその美しさに華を添えた。

この場面の意味は、「莉花と圭の後日譚のようでした」という、「夜会工場覚え描き」でのぴしわさんの的確なコメントに尽きるだろう。

 

未来の幸福への歩みの到達点――

しかし、初日のレビューで書いた通り、夜会工場というメタ物語の時間は――次の「明日なき我等」を転換点として――過去へと遡行しはじめるのだ。

彼が2度目に舞台上に登場するのは、それに続く「白菊」

ヴォーカルの分担は、「NEVER CRY…」とは逆に、1番を中島みゆき、2番を宮下文一が歌う。とりわけこの2番での、永遠に喪われた過去の幸福――「真白きあの日々」――への限りなき想いを歌う彼の声に、私は激しく胸を衝かれた。

VOL.10『海嘯』は、彼が初めて夜会にヴォーカリストとして参加した公演である。この曲では、中国人医師・梁先生役の張春祥に代わって――中国語歌詞の部分を除き――宮下文一が日本語の男性パートを歌った。

舞台上と舞台下――キャストとヴォーカリスト――の役割分担というこの手法は、彼が再び夜会に参加したVOL.13『24時着0時発』以降、より積極的に活用されるようになる。

これ以降、彼はいわば音楽面における〈鮭〉〈厨子王〉〈矢沢圭〉といった男性の役柄を――時にはサイドヴォーカリストではなくソロヴォーカリストとしても――歌声によって、文字通り「演じる」ことになるのだ。

その舞台下での「演技」を舞台上に移すという今回の試みは、舞台裏を表舞台に引き出し可視化するという「夜会工場」のコンセプトの、ひとつの必然的な帰結だったのではないだろうか。

 

彼が夜会工場VOL.1で3度目に――僧形の厨子王の姿で――舞台に立つ「都の灯り」 は、夜会VOL.15「元祖・今晩屋」、VOL.16「本家・今晩屋」での、そうした事実上のソロ曲のひとつ――それもおそらくは最も重要な一曲であった。

しかしそこに至る伏線として、前曲「らいしょらいしょ」の、あどけない手毬歌のリフレインが、いつのまにか悲劇的な未来を予示するかのように激しくクレッシェンドしてゆくときの彼の声の切迫した力――

この伏線があってこそ、彼が歩み入る扉の向こう側の世界、やがて舞台背面の全面を覆ってゆく炎と爆発に灼かれる未来――来生――のイメージもまた、重く逃れがたいリアリティをもって私たちに迫ってくるのだ。

 

――ところで「文さん」といえば、多くの中島みゆきファンには、上述のような夜会での歌唱だけでなく――劇場版や映像ソフトにもなった2007年のコンサートツアー『歌旅』での、「宙船」の1番をソロで颯爽と歌う姿をはじめとして――近年のツアーやアルバムでの活躍もまた、強く記憶に残っていることだろう。

ライヴでのあの場面ももちろん印象的だったが、私自身が彼の存在をはじめて意識したのは、1999年のアルバム『日-Wings』の収録曲「いつか夢の中へ」での中島みゆきとのデュエットによってである。

『2/2』の再演、夜会VOL.9でのみ――矢沢圭役の藤敏也とのデュエットで――歌われたというこの曲を、私は残念ながらライヴでは聴いていない。

しかし、このレコーディングでの宮下文一と中島みゆきとの、絶妙な距離を取りながら繊細に美しく織りなされてゆくハーモニーは、見通し難い未来を探しあぐねる圭と莉花のふたりの心の迷いと震えを、余すところなく歌いぬいていて忘れがたい。

いつか夢の中へ 1人あなたはさまよっている
(いつか1人 あなたなしにさまよっている)

――この距離感、近づきたいと願うがゆえの遠さの悲しみを歌うふたりの声は、およそ一度でも誰かとふたりで未来を探そうとしたことのある人ならば、誰もが記憶の奥底に隠しているはずの琴線に触れてくるのではないだろうか。

 

中島みゆきが、夜会唯一の男性ヴォーカリストとして彼に信頼を置きつづけている理由は――

中島みゆきのオクターブ下という深々とした低音から、艶やかな高音に至るまでを楽々とカバーする声域の広さ――あるいは『24時着0時発』の「遺失物預リ所」のような繊細さをきわめた歌唱から、上述の「らいしょらいしょ」や「都の灯り」のような、迫力あるフォルティシモに至るまでのダイナミックレンジの広さ。

――しかしそういった技術的な理由に加えて、おそらくより重要なのは――上述の「いつか夢の中で」のように――中島みゆき自身が演じる「女」たちにとって、永遠に交わることのない平行線のように、つねに一定の距離の向こうに存在しつづける「他者」としての「男」の役柄を、自らの「声」によって演じ表現する力を、彼が備えているからなのだろう。

そしてその距離のゆえにこそ、ふたりの声は互いに美しく響きあうことができるのだ。


「夜会唯一の男性ヴォーカリスト――宮下文一さんについて」への2件のフィードバック

  1. 初めまして。ブログはずっと拝見しております。
    今回の夜会工場は、大阪公演を観ました。Never Cry…の演出は追加されたものだったのですね。
    あんなに文さんが演じられるとは思わず、息をのむばかりでした。
    私が文さんを知ったのは TOUR2010~2011の頃なので最近なのですが、それ以降ソロ・ライブにも伺うようになりました。
    みゆきさんの文さんへの信頼の深さがよく分かる今回でした。声の音域の広さはさることながら、人として尊敬する方です。そうでなければ、圭を演じることは出来ないなと思いました。
    プロとしての実力はもちろんのことですが、特別感のない方です。ステージを降りても自然体で接して下さる、そこに文さんのお人柄が表れていると思っております。

  2. 加奈子さん、はじめまして。コメントありがとうございます。
    文さんのソロ・ライヴにも行かれてるのですね。JIVEのBBSからライヴの楽しそうな雰囲気の一端はうかがえますが、私も機会があればぜひ訪れてみたいものです。
    ツアーでのパフォーマンスや、ご本人のTwitterからも、飾り気のないお人柄がよく伝わってきますね。
    そういえば、(これは本文に書いた方がよかったかもしれませんが) 1999年、NHK BSで放送された「夜会の冒険」ではナレーションを担当しておられました。この番組の最後の方の「いつか夢の中へ」のレコーディングのシーンで、「歌いながら涙が出てきました。僕の音楽キャリアの中でもこんなことは初めてで、大きな経験になりました」というふうに語っておられたのが、とても印象に残りました。
    あと、つい昨夜、NHK総合の「1914 幻の東京~よみがえるモダン都市~」では、当時の人気演歌師・添田唖蝉坊の歌を吹きかえておられましたが、世相を風刺する少々やさぐれた雰囲気がとてもよく出ていて、改めて文さんの「声の演技力」を実感しました。
    http://www3.nhk.or.jp/d-station/episode/1914/3682/

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