「十二天」の世界像

京都国立博物館の特別展「国宝十二天像と密教法会の世界」を観てきた。

第一展示室に、この展覧会の最大の眼目である、同博物館蔵の国宝・十二天画像(平安後期、1127年)の十二幅の掛軸が展示されている。

これらは、正月八日から七日間、宮中の真言院で執り行われた後七日御修法(ごしちにちのみしほ)において、道場を守護するために掛けられていたものである。

後七日御修法は、平安初期の835年、天皇の健康と国家の鎮護を祈るための修法(密教の儀礼)として、空海の奏請によって開始された。正月七日までの宮中節会(せちえ)の後に引き続いて七日間行われるため、この名がある。現在もなお、東寺の灌頂院に場所を移してつづけられている (同博物館ホームページより)

1127年、東寺宝蔵が火災にあい、それまでこの修法に使用されてきた十二天画像も焼失してしまう。この時に新調され、東寺に伝えられてきたのが、今回展示された画像である(特別展図録より)

この特別展では、他にも、密教法会に使用された絵画や曼荼羅、仏具、関連文書等が豊富に展示され、その世界像に触れることができる。それは、上記の後七日御修法の由来からもうかがわれるように、日本中世に重きをなした鎮護国家の思想としての密教の世界像そのものである。

毘沙門天
風天 西北(乾)
水天 西
羅刹天 西南(坤)
焔魔天
火天 東南(巽)
帝釈天
伊舎那天 東北(艮)
梵天 天(上)
地天 地(下)
日天
月天

十二天が、全世界のすべての方位の――垂直軸の天と地、時間軸の日と月を含めた――守護神として、密教的世界像の中でとりわけ重要な位置を占めていたことは想像に難くない(十二天と方位との対応関係は右の表を参照)

それゆえ、十二天は平安初期から室町時代に至るまで、繰り返し図像化されてきた。この展覧会でもその掛軸や屏風の何点かを観ることができたが、やはり圧巻だったのは、第一室の国宝の画像である。縦横ともに1メートル強の大画面に、繊細な描線と芳醇な色彩によって、十二天それぞれの姿が、きわめて表情豊かに描き出されている。

とくに印象に残ったのは、十二天の最後に展示されている月天の、白を基調とした清澄な色彩と、吸い込まれるような静かで穏やかな表情――そして、その顔の向かって左に浮かぶように描かれた、白い蓮の花である (この特別展は、残念ながら2月11日(月・祝)で終了してしまうが、「e国宝」というサイトで、全12幅の精細なデジタル画像を観ることができるので、できれば画像を拡大してご確認いただけるとありがたい)

 

この絵を観て即座に連想したのは、中島みゆきの夜会VOL.15/16『今晩屋』での、「十二天」から「紅蓮は目を醒ます」への一連の場面だった――蓮の花の、白と紅という色の違いはあるにせよ。

以前、この夜会のレビュー「物語の構造」(2)でも書いたように、この場面は、『今晩屋』の物語の最大の転換点である。

罪責と悔恨の果ての絶望に打ちひしがれ、床に倒れ臥した〈母〉を少しずつ包み込むように、地と天とを往還する無数の救済の光――そして、長い年月を泥の中で種子として過ごしてきた蓮がひそかに花開く、再生への覚醒の瞬間。

北の天から 南の天へ
乾の天から 巽の天へ

この歌の視点は、地平から天頂を経て180度反対の方角の地平へと、天空を振り仰ぐように往還しながら、反時計回りに回転していく。そして、

梵の天から 地の天へ
日の天から 月の天

天から地へという垂直軸の往還、日から月へという時間軸の往還――

このめくるめくような視点の往還による、全宇宙を見はるかす遠心的な世界像の開示こそが、救済への扉を開く。

上記特別展の解説にも書かれていたが、十二天は当初は、東西南北と乾坤巽艮を守護する八天が仏教思想に導入され、それに天地の二天を加えた十天、そして日月の二天を加えた十二天という順序で、全方位の守護神として、密教的世界像の中に組み込まれていったという。

中島みゆきの「十二天」の歌詞の展開は、まさにその世界像の構築の過程を如実に再現しているようにもみえるのが興味深い。

 

『今晩屋』は、以前、「『山椒大夫』と森鴎外」でも書いたように、日本の宗教的世界像の古層に分け入ることを糸口として、「過去の救済」という壮大なビジョンを提示した物語だった。

十二天を、その物語の最大の転換点をなす救済者として、またそれのみならず――第1幕がこの曲のインストルメンタルによって幕を開けることからもうかがわれるように――物語全体の枠組みをなす世界像として、中島みゆきが導入したこと――

その理由のひとつは――これはいうまでもなく、まったく私の個人的な想像にすぎないが――天地という垂直軸と、日月という時間軸をも、十二天がその構成要素として含むからではないだろうか。

『今晩屋』のみならず――たとえば以前に「神話の解凍」でも書いたように、『ウィンター・ガーデン』も含めて――これまでの多くの夜会において、地上と天空という垂直軸は、過去から未来へという時間軸と重ね合わされることによって、転生と救済の物語の基本構造をなしてきた。

『今晩屋』の「十二天」の場面での、地上から天空へ、天空から地上へと交錯する照明のすばらしい効果も――舞台と客席の全体を包みこんだ、あの圧倒的な「救済」の感覚は、映像ソフトでは残念ながら十分には再現されていないが――その世界像の表現の一端であったと思う。

 

「十二天」といえば、そのやすらぎと懐かしさに満ちた旋律の魅力も忘れ難い――ご想像通りというか、国宝十二天像の鑑賞の際にも、心の中にずっと流れていたのは、あの旋律である。

上述の『今晩屋』第1幕のオープニングのインストルメンタル、とりわけその最初の、牛山玲名がヴァイオリンのG線(最低弦)で、ノンヴィブラートの素朴な音色を生かしながらゆったりと奏ではじめる旋律は、いつも私を『今晩屋』の夢のような世界へと一瞬で誘ってくれる――初めてそれを耳にした時から、今も変わることなく。

『今晩屋』の舞台であの演奏に魅せられた人は少なくないようで、当時、彼女のブログに寄せられた多くのコメントからも、そのことがうかがわれる。

言葉と音と光(照明)と舞台――それらのすべてが一体となって織り成される広大な世界像こそは、「十二天」という曲の本質である。数ある「夜会」のオリジナル曲の中でも、とりわけ特別な思いを私がこの曲に対して抱くのも、そのゆえだ。


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