『MIYUKOLOGIE』第22号、1995年
1 過去と未来との往還
「変わり続けることによって自分自身であり続けるアーティスト」という形容は、かつてボブ・ディランに対して用いられたものらしいが、この形容ほど中島みゆきという表現者の性格を端的に言い表わしている言葉も珍しいだろう。中島みゆきがつねに既存の成果に安住せず、つねに新たな表現形式や表現領域を求め続けてきたアーティストであることは、私自身も含めて多くの人が指摘してきたし、さらにはこの「前のめりのラディカリズム」にこそ、中島みゆきの表現者としてのアイデンティティを見出そうとする人も少なくないだろう。
ただしこの「前のめりのラディカリズム」は、自己目的的な新しがりなどでは決してない。それはあくまでも、聴き手との「一対一」のコミュニケーションの回路を、より自由な、より開かれた、そしてより豊かなものにするためにこそ取られた姿勢なのである(1)。「昔のみゆきさんの方が好きだった」というのはファンの自由である。しかし、「昔の中島みゆきこそ本来の中島みゆきだった」という類の断定に対しては、彼女は冷やかな眼差しを隠さない。そうした断定は、「現在の」彼女とのコミュニケーションの回路を閉ざした自閉でしかありえないからである。
しかしながら中島みゆきが「前のめりのラディカリスト」であることは、彼女が自らの過去の作品を軽視するアーティストであるということを決して意味しない。それどころか、中島みゆきほど自らの過去の作品に執拗にこだわりつづけてきたアーティストも珍しいのである。いうまでもなくアルバムやシングルにおける多くのリメイク作品の存在はその端的な表われであるし、彼女のコンサートの曲目には、最新アルバム曲ないし最近の曲のみならず、かなり過去の作品が必ず加えられ、しかもそれらはしばしば、オリジナルとは歌い方やアレンジ、時には歌詞の一部までもが変更されて演奏されていた。
そして周知のように、(VOL.6までの)「夜会」の最大の眼目の一つは、過去の作品を新たなストーリーの中に置き直すことによって、新たな意味を与えるという実験を行うことにあった。重要なのは、中島みゆき自身がその実験の動機を、「歌を自由にしてやりたい」という言葉で表現していたことである(2)。すなわち、過去の作品に新たな意味を与え、あるいは再解釈するのは、必ずしも過去の作品が過去においてもっていた意味を否定し、あるいは新しい解釈のみを唯一の「正しい」解釈として打ち出すためではない。むしろ作品を、唯一の「正しい」意味、「正しい」解釈という檻から解き放ち、多様で豊かな意味をはらむ作品の生命力を引き出してゆくことこそが、そこでは目指されていたのである。それはいうまでもなく、聴き手との「一対一」のコミュニケーションをより自由で豊かなものにするという「前のめりのラディカリズム」と同一の志向に根差している。いわば、未来に向かってより自由なコミュニケーションを求めてゆこうとするヴェクトルは、同時に過去へも向かって、作品を意味の固定化から救出し、そして再び未来へと回帰して、その新たな生命力をはばたかせてゆくのである。
従って、中島みゆきが自らの作品にどのようなリメイク、どのような再解釈をほどこしてきたかを個々にみていくことは、それらの作品がはらむ生命力、多様な「意味」の可能性のひとつひとつを検証する作業でもあるといえよう。本稿では、アルバムを中心とした録音メディアにおけるリメイクに範囲を限定し、いくつかの作品を思いつくままに取り上げながら、この作業にとりかかってみたい。
なお、「夜会」を含むライヴにおける作品の再解釈は、更に興味深いテーマではあるが、いずれ稿を改めて論じることとしたい。
2 歌詞のリメイク――「片想」のケースをめぐって
個々の曲のレベルでリメイクの問題を考える場合、まずひとつの興味深いケースを提供しているのが、一九七九年のアルバム「親愛なる者へ」に収録された「片想」である。この作品は、一九八七年にリリースされた(中島みゆきの唯一の)ライヴアルバム「歌暦」に、「片想’86」とタイトルを変えてリメイクされている。
アルバム「親愛なる者へ」のオリジナルバージョンで、中島みゆきは「片想」を次のように歌っている(歌詞は以下の議論に必要な部分のみを引用する)。
目をさませ 早く 甘い夢から
溺れているのはおまえだけ [1]
……
目をさませ 早く 甘い夢から
うかれているのはおまえだけ [2]……
手を放せ 早く すがる袖から
溺れているのはおまえだけ [3]
……
手を放せ 早く すがる袖から
溺れているのはおまえだけ [4]
手を放せ 早く 甘い夢から
溺れているのはおまえだけ [5]
私が所有している「親愛なる者へ」のLP(レコード番号:C25A0031)の歌詞カードはこの実際の歌の内容と一致しており、『中島みゆき全歌集』(朝日新聞社)、『愛が好きです』(新潮文庫)の両歌詞集においても同様である。しかしながら、現在発売されているCD「親愛なる者へ」の歌詞カードでは、上記の[1]~[5]がすべて「うかれているのはおまえだけ」と印刷されていて、しかも五箇所すべてに、「*『溺れているのはおまえだけ』とまちがって歌っています」という奇妙な注釈がついている。(従ってこの注釈は厳密に言えば、[2]では歌詞カード通り「うかれているのは……」と歌っていることと矛盾している。)つまりこの歌詞カードでは、[1][3][4][5]四箇所で中島みゆき自身が歌っている「溺れているのは……」という歌詞は、すべて「間違い」であるとして否定されているのである(3)。従って現在では奇妙なことに、この([1]~[5]すべてを「うかれているのは……」とする)バージョンが、「片想」の歌詞のいわば「正規の」バージョンであるということになる。
一般に、いったん(LP、CDなどのメディアで)発表された歌詞を変更することは、著作権登録などの手続き上、大きな困難を伴うようである。「夜会」のVOL.2からVOL.5までのビデオ/LDの歌詞カードに、「ライヴの構成上、歌詞と一部異なります」という注釈が入っているのも、明らかにそれが理由であろう(4)。「片想」の場合は、少なくとも一度はリリースされたオリジナルの歌詞カードを差し替えたという点で事情は異なるが、いずれにせよ「まちがって歌っています」という奇妙な注釈は、「歌」とは本来自由なものであるはずだという中島みゆきの思いと、歌詞の同一性を強要する(著作権に象徴される)システムとのあいだの矛盾を暗示しているように思われるのである。
そして、ライヴアルバム「歌暦」の「片想’86」では、第三のバージョンが呈示される。ここでは中島みゆきは次のように歌っている(当然、歌詞カードもこれに一致している)。
目をさませ 早く 甘い夢から
うかれているのはおまえだけ [1]
……
目をさませ 早く 甘い夢から
うかれているのはおまえだけ [2]手を放せ 早く すがる袖から
溺れているのはおまえだけ [3]
……
手を放せ 早く すがる袖から
溺れているのはおまえだけ [4]
手を放せ 早く 甘い夢から
うかれているのはおまえだけ [5]
このバージョンでは、いったん否定された「溺れているのは……」のフレーズが復活し、しかも[1][2][5]では「……甘い夢から」に対して「うかれているのは……」、[3][4]では「……すがる袖から」に対して「溺れているのは……」と、歌詞の前後の対応関係がきっちりとしている。「甘い夢」「すがる袖」に象徴される自己の幻想への自嘲、そしてそこからの訣別への意志がこの曲の主題だとすれば、それが最も客観的に表現されているのはこのバージョンであると言えよう。
以上まとめると、「片想’86」も含めれば、「片想」の歌詞には三種類のバージョンが存在することになる。この三つを比較して、後の方のほど中島みゆきの「本来の意図」に近い歌詞であると推測することもできよう。すなわち、「親愛なる者へ」で実際に歌われている歌詞よりも歌詞カードに印刷された歌詞の方が、さらに「片想’86」の歌詞の方が、彼女の本来の意図に近いという推測である。
しかし重要なのは、この推測が仮に当たっているとしても、「片想」の過去のバージョンがそれで否定されるわけでは決してないということである。「親愛なる者へ」に収録された「片想」では、歌詞の前後関係が混乱しているがゆえに、「甘い夢」「すがる袖」を幻想と知りながらも、そこから訣別できないでいる現在の自己の解決しがたい矛盾が、むしろ切実な心情として伝わってくる。それに対し「片想’86」では、自嘲も混乱もすでに客観視され、それゆえにこの歌は、「幻想から訣別して歩き出そう」という力強いメッセージとして響くのである。そのいずれが「片想」の「本来」の姿であるかを詮索することにはあまり意味がない。聴き手にとってどのバージョンがより真実なものとして響くかは、聴き手自身が自らの生という文脈の中で、その歌をどう位置づけ、意味づけるかにこそかかっているからである。
3 Rollin’ Age――時代と交差する視線
周知のように、アルバムというレベルでも中島みゆきはいくつかのリメイク作をリリースしている。一九七九年の「おかえりなさい」、一九八五年の「御色なおし」、一九八九年の「回帰熱」の三枚は他の歌手への提供曲を自ら歌い直したものであったが、一九九三年にリリースされたアルバム「時代 -Time goes around-」は、他の歌手への提供曲に加えて、中島みゆき自身が歌っていた作品をもリメイクしたという点できわめて注目すべき試みであった。
このアルバムがリリースされた当時、インターネットの「中島みゆきメーリングリスト」(略称「なみめり」)(5)では、個々のリメイク作品の評価をめぐって非常に熱っぽい議論がおこなわれた。それも、どちらかといえば「オリジナルバージョンの方がよかった」という意見の方が量的には多かったのが印象的であった。私自身はリメイク版に対して全体に肯定的な評価をしたのだが、オリジナル版を評価する意見の中にも、その人なりの中島みゆきに対する姿勢や関わり方がうかがわれ、反論しつつも興味深く耳を傾けされられるものがあった。
いくつかのリメイク作品の中でも、とりわけ賛否がはっきり分かれ、また興味深い議論がなされたのが「ローリング」である。この作品の主題に、学園闘争に象徴される過去の闘いの時代への屈折した思いがあることは、ほぼ異論の余地がないだろう。問題はその「思い」が、(過去ではなく)現在という時代のなかで、誰によって、どのような意味で引き受けられるかということである。興味深いのは、オリジナル版(つまり、アルバム「中島みゆき」に収録されているバージョン)の方を評価する人のひとりが、この歌の主人公を「内なる闘争心を抱えながら、それをどうしていいのかわからない若者」、つまり「狼になりたい」の主人公にも似た、社会の中で自らの居場所を探しあぐねている孤独な若者だと考えていたことである。
私自身は、この歌の主人公の視点は、現在の若者ではなく、中島みゆき自身の世代(ないしはその五歳下ぐらいまで)におかれていると解釈している。なぜなら、「黒白フィルム」の中に「燃えるスクラムの街」を見、そして「夢のなれの果てが転ぶのばかりが見えた」世代とは、学園闘争が広がりを喪うとともに一部で自閉的に尖鋭化していった時代、すなわち一九七〇年代前半頃に青春期を送った世代だと考えるのが、もっとも自然だと思われるからである(ちなみに浅間山荘事件が起こったのが一九七二年であり、中島みゆきはこのときちょうど二十歳であった)。
中島みゆきの世代は、きわめて微妙な位置にいる。彼女たちは、上の世代がまさにその中心にいた「闘い」の空気を肌で知りながら、それらが昂揚していった時代よりは、むしろそれらがやがて色あせ、「幻」となっていって時代こそを長く見つめ続けた世代なのである。「燃えるスクラム」の中にいた者たちが闘うことができたような明確な「敵」が、もはや眼に見えるようなかたちでは存在しなくなった現在という「荒野」のなかで、それでも眼に見えない敵と闘いながら未来へと歩いてゆくほかはないという、一種の諦観を伴った決意。それがこの歌の主題であると私は解釈している。「どうしても一つだけ押せない」電話番号とは、主人公にとってもはや帰ることのできない過去へとつながるものであろう。この決意をよりストレートに力強く表現しているのはリメイク版の方であると、私には感じられたのである。
ただしもちろんこの主題は、直接には中島みゆきの世代の経験に規定されたものであっても、現在の日本という社会を「荒野」と見る視点そのものは、世代を問わず普遍化可能なものであろう。だから、「ローリング」の主人公を若者とみる解釈を一概に誤りとして退けることはできない。その解釈には、その聴き手なりの「荒野」への視点が表出されているからである。
しかしなぜ、「ローリング」の主人公を若者と見る人はオリジナル版の方に、私はリメイク版の方により強い説得力を感じたのだろうか。両バージョンでの中島みゆきの歌い方から普通に考えれば、やや抑えた歌い方で屈折した感情を表現しているオリジナル版よりも、ストレートに感情をこめぬいて歌ったリメイク版の方が、「若者」の心情の表現にはふさわしいように思える(逆もまた同様である)。その鍵はおそらく、オリジナル版に強く感じられる一種の「真摯な一途さ」のようなものが、リメイク版では薄れているという点にある。オリジナル版の主人公は、「淋しさを他人に言うな」「軽く軽く傷ついてゆけ」と必死に自らに言い聞かせていてるように聴こえ、そして今初めて自らが立つ「荒野」を、苦渋しつつ現実として認識しようとしているように見える。この真摯さが感情の屈折を生むのである。
しかしリメイク版の主人公にとっては、「淋しさを他人に」言わず、「軽く軽く傷ついて」ゆくことはすでに身についてしまった癖であり、「荒野」の風景はすでに明確に認識された現実としてある。ただし、だからといって後者の主人公の決意が真摯でないということではない。その真摯さは、「荒野」のさらに向こう側、未来に自らが歩いてゆくべき場所へと向けられているのである。このヴェクトルが、リメイク版のいわば開き直ったようなストレートな感情表現を生む。
それにしても、中島みゆきはなぜ「ローリング」をリメイクしたのだろうか。「時代 -Time goes around-」の収録曲のうち、中島みゆき自身がすでにレコーディングしていた曲をリメイクしたものとしては他に「時代」「流浪の詩」の二曲があるが、いずれも最初期(一九七〇年代)の作品である。それに対し「ローリング」は、一九八八年のアルバム「中島みゆき」で発表されてから、わずか五年後にリメイクされたわけである。この五年間に、中島みゆき自身の「ローリング」への視点を変化させ、新たな解釈を提示させるような出来事が起こったという想像は、あながち不当ではあるまい。
一九八九年のコンサートツアー「野ウサギのように」の大阪公演(六月十二、十三日)で中島みゆきは、「誰のせいでもない雨が」を歌った後、「少し懐かしい曲だけど、最近の情勢を見ていると、世の中はちっとも変わっていないのかもしれないと思えてくる」と語り、六月四日に中国・北京で起きた天安門事件を示唆した(6)。一方、周知のようにこの同じ年に始まる「東欧革命」(東欧社会主義諸政権の崩壊)は、一九九〇年の東西ドイツ統一を経て、ソヴィエト連邦の崩壊、冷戦と東西対立の終焉へと帰結した。それらの国々での闘いは、「眼に見える敵」が存在したという意味ではかつての日本の「燃えるスクラムの街」での闘いとたしかに同型であり、またその限りで「ちっとも変わって」はいなかった。しかし同時にそれらの闘いは、かつての日本での闘いを根底のところで方向づけていた座標軸の有効性を、最終的に否定した闘いでもあった。
この座標軸――「左」と「右」という差異を、「白」と「黒」という差異と鮮明に重ね合わせていた座標軸――は、いうまでもなく現実にすでに具体化された国家・社会を評価するための座標軸としては、かつての日本での闘いの時代においてすでに有効性を喪失していた。しかしそれは、未だ実現されていない、来るべき世界のイメージを方向づける座標軸としては、少なくともかつて「燃えるスクラム」の中にいた人々の多くにとっては、一九八八年という時点ではまだ完全に意味を喪失してはいなかったのだろう。この座標軸が崩壊した瓦礫のひろがる「荒野」が、一九八八年の「ローリング」と一九九三年の「ローリング」との間には横たわっている。しかしまた、だからこそ一九九三年の「ローリング」の主人公は、荒野の向こうにまったく新しい座標軸を探し始めることができるのだとも、私には思われる。
かつてやはり学園闘争の時代を歌った「世情」「誰のせいでもない雨が」は、「ローリング」とともに三部作を形成しているように見える。この三曲がリリースされた年が、一九七八年、一九八三年、一九八八年と正確に五年の間隔を置いていること、そして「ローリング」のリメイク版がリリースされたのが、さらにその五年後の一九九三年であったことは、単なる偶然を越えた何かを私に感じさせる。それらの年に、中島みゆきの視線は時代と最も鋭く交差したのではないだろうか。
4 もうひとつの「夜会」――「10WINGS」
一九九五年十月にリリースされたアルバム「10WINGS」は、「夜会」のために書かれたオリジナル曲をアルバムに収録したという点で、「時代 -Time goes around-」以上の驚きをわれわれにもたらした。なぜなら(繰り返しになるが)「夜会」には、アルバムでの位置づけなどからくる固定された意味から、歌を解放してやりたいという明確な動機が存在し、われわれもその「実験劇場」に六年間のあいだ立ち会ってきたからである。しかし「10WINGS」では逆に、「夜会」のオリジナル曲を「夜会」のストーリー上の意味だけには限定されない、多様な意味をはらむ作品へと再び解放しようというヴェクトルが働いているのである。(「夜会」のミュージシャンが意図的に外されているのも、その傍証であろう。)
ただし注意しなければならないのは、「ストーリー上の意味だけには限定されない」ということは、必ずしも「ストーリー上の意味とは無関係」ということではないということである。むしろ「ストーリー上の意味をいったん踏まえた上で、しかもその歌を別の文脈に置き直してみればどうなるか」という(もう一段高度な)思考実験を、かつて「夜会」での実験を目撃した聴き手は要求されているように思われるのである。実際、夜会のステージを観た者にとっては、これらの曲を歌われた場面をまったく思い浮かべずに聴くことは難しい。だから、その場面だけが前後の文脈から切り離されて、突然記憶によみがえるという違和感が生じてくる。それも、歌い方やアレンジや、時には歌詞までもが変わっているために、その違和感はさらに強められる。その失われた「前後の文脈」を、聴き手自身の想像力によって、聴き手自身の生の文脈の中に位置づけ直しながら、「夜会」の「そうでありえたかもしれないもうひとつのストーリー」として補いながら聴いてゆくことが、われわれ聴き手には求められているのかもしれない。だとすれば、十の舞台袖(Wings)のあいだの舞台では、われわれ一人ひとりにとっての、もうひとつの「夜会」が上演されることになるだろう。
個々の曲についても、思い付くままにコメントしておこう。
「DIAMOND CAGE」は、「夜会VOL.4 ―金環触―」では「さあ旅立てWOMAN」という外向的なメッセージになっていたのに、アルバムでは、(まさにその部分の歌詞が歌われていないことに象徴されるように)依然として「檻」の中に閉じ込められたままの女性を歌った内向的な歌になっている。
「Maybe」では、「何でもないわ、私は大丈夫……」以下の、いわゆるサビの部分でもテンポが変わらずに、リズムに乗りながら、またメロディーを自由にデフォルメしながら歌われているのが心地よい。他の曲でも感じたことだが、「夜会」よりもむしろコンサートツアーで歌うとこんな感じになるのではないか、というライヴ的な乗りを感じさせる。
このバージョンの場合は、「なんでもないわ、私は大丈夫」という女性の、強がりと裏腹の弱さよりもむしろ、「夢見れば人生は辛い思いが多くなる、けれど夢見ずにいられない」と、まさに「夢見る勇気」を最後に力強く肯定することの方にアクセントが置かれている。あるいは、「夢」がついにかなった歓びを、それまでずっと「もしかしたら……」と願い続けることしかできなかった過去を振り返りながら、歌っているようにも聴こえる。「夢が本当にかなうことだってあるんだよ」と……
「ふたりは」の子供のコーラス、および世良公則とのデュエットという試みは賛否が分かれそうなところであるが、オーケストラの伴奏も含めて、この曲がもっているオペラ的な空間の拡がりをより豊かに感じさせるバージョンとなっているといえよう。行儀よく楽譜通りに歌う子供のコーラスは、(このバージョンで新たに付加された歌詞の言葉を借りれば)「意味も知らずに」、「バイタ」と呼びかける子供の、無邪気さと裏腹の残酷さを正確に表現している。さらに言えば、小市民的な日常性や「良識」が、「ふたりは」の主人公たちのような存在を排除せざるをえないという残酷さまでもが、そこには表出されているように思われるのである。
「人待ち歌」はいうまでもなく「夜会VOL.5 ―花のいろは……」の唯一のオリジナル曲であったが、この「VOL.5」が夜会全十回の前半のラストに位置づけられる(はずである)ことと、「人待ち歌」が「10WINGS」のラストに置かれていることとのあいだには、やはり単なる偶然を超えた中島みゆきの意志が感じられる。「荒野を越えて、銀河を越えて、戦を越えて必ず逢おう」――このフレーズは、十曲の歌という翼にこめた、中島みゆきからわれわれへのメッセージでもあるかのように聴こえる。
5 おわりに
一九九五年の「夜会VOL.7 ―2/2」では、これまでの「夜会」とスタイルを大きく変え、(「二隻の舟」を除く全曲が)新曲で構成されることになった。「VOL.8」以降もこのスタイルが続けられるかどうかはまだわからないが、少なくとも「VOL.6」までの、過去の作品に新たな意味を与えるという「夜会」の方向性はここで大きな転換を迎えたわけである。私は本当に残念ながら、個人的な事情でこの公演に接することができなかったのだが、「VOL.7」で生まれた新曲が、いつかまた新たな意味をはらんで回帰してくるとき、それを私自身の生というストーリーの中で受け止めることができればと願っている。
「ローリング」の主人公が立っていた「荒野」も、「人待ち歌」の主人公が越えようとした「荒野」も、われわれが生きているこの世界のなかに広がっている。その「荒野」の風景は、一人ひとりの視点によってそれぞれに違うだろう。しかし、それぞれの視点から「荒野」を見つめ、そしてどこかへ向かって歩きだそうとするとき、中島みゆきの歌は翼のように回帰し、われわれに何かを語りかけるはずである。
注
(1) この点については拙稿「物語の物語――折り返し点を迎えた『夜会』に寄せて」(『MIYUKOLOGIE』第二十号、一九九四年)を参照。(3) なお、LPでも歌詞カードに同様の変更・注釈が加えられたバージョンが存在し、むしろこちらの方が所有者は多いようである。従って、この歌詞カードの変更はCDの発売よりも前、それもかなり早い時期におこなわれたと考えられる。