波のかなたから流れて来るのは ――アルバム「パラダイス・カフェ」にこだまする声――


『MIYUKOLOGIE』第24号、1996年

 

一 「アルバム」の位置づけ

一九九六年十一月にリリースされたアルバム「パラダイス・カフェ」は、色々な意味で、中島みゆきの表現活動における「アルバム」というジャンルの位置づけを改めて考えさせられる作品である。

ここには、「夜会」も含めた彼女の過去の作品(さらに場合によっては、他の人の作品も含めて)のさまざまなエコー(反響)が聴こえる、というのが、このアルバムを聴いての私の第一印象であった。これはもちろん、それらが過去の作品の単なる焼き直しや二番煎じであるというネガティブな意味ではなく、過去の作品が潜在的にはらんでいた意味を、「ああ、そういう意味でもあったのか」と、別の文脈、別の作品の中で改めて気づかされる、という意味でである(その具体例は後に述べる)。

こうした意味の響き合いは、思い出してみれば「夜会」の当初のコンセプトとも共通するものであった。また、アルバム全体にただようライヴ的な雰囲気――これは、このアルバムが現在一般的な多重録音ではなく、スタジオライヴ的ないわゆる「一発録り」でレコーディングされたことからきているのだろうが――も、やはり「夜会」の印象と共通するものを感じさせる。こうした点からも、中島みゆき自身にとっての「夜会」の経験がこのアルバムに色濃く反映しているという印象は強い。

ところで、「パラダイス・カフェ」は言うまでもなくリメイク・アルバムではなく純粋なオリジナル・アルバムである。オリジナル・アルバムとしては、一九九四年の「LOVE OR NOTHING」以来二年ぶりのものである。さらにその前は一九九二年の「EAST ASIA」であるから、オリジナル・アルバムに関していえば、最近の中島みゆきは二年に一枚というペースをとっているようにも見える。ただしそれらの中間には、一九九三年の「時代 -Time goes around-」と一九九五年の「10 Wings」という、二枚のやや特異なセルフ・リメイク・アルバムがはさまっていた(1)

その「10 Wings」が「夜会」のオリジナル曲のリメイク集であったことからも示唆されるように、近年の中島みゆきの活動の中心が「夜会」におかれていることは、もはや誰の目にも明らかだろう。近年の私自身の記憶を振り返ってみても、中島みゆきから受け取ったメッセージや問いの、それも重要な部分の多くが、「夜会」の舞台に接した経験から得られたものであることに改めて気づかされる。

さらに「夜会」について言えば、一九九四年のVOL.6「シャングリラ」までは、既存の作品を新たなストーリーの中に置き直すことによって新たな意味を与えるという当初のコンセプトが維持されていたのに対して、一九九五年のVOL.7「2/2」、一九九六年のVOL.8「問う女」では、実質的に全曲をオリジナルによって構成するという大きな転換がなされた。それゆえ、もしVOL.9、VOL.10でも引き続きこのスタイルがとられるとすれば(私はその可能性が大きいと考えるが)、今後ますます、「夜会」はアルバム――およびその収録作品を中心とするコンサートツアー――からは、作品としての独立性を強めていくことになるだろう。また、「夜会」の映像メディア化(LD/ヴィデオ)にも毎年かなりのエネルギーが割かれていることも考えあわせると、中島みゆきの表現活動の中でアルバムの占めるウェイトが相対的に低下しつつあるという事実は、やはり否定できない。

ただ、このウェイトの低下はあくまでも「量的」なものにすぎない、ということはここで強調しておかなければならないだろう。

というのも、冒頭に「パラダイス・カフェ」について述べたように、最近の(とくに「EAST ASIA」以降の)アルバムに収められた作品のいくつかは、「夜会」も含めた中島みゆきの過去から現在に至る様々な作品と呼応しあいながら、新たに重層的に織り成されたメッセージを私に伝えてくるように思われるからである。いわば他の作品と響きあうことによって、新たな意味を生み出す酵素となるべき「質」を、それらのアルバムに収められたいくつかの作品はとりわけもっている、と言ってもよい。

「パラダイス・カフェ」を聴くことによって、私は初めてこのことを明確に意識できたように思う。本稿では、このアルバムに収められたいくつかの作品を中心に、思いつくままに、そうした重層的な響きの意味について考えてみたい。(一般的なアルバムの感想文や批評文のように、すべての曲について収録順にコメントしていくというスタイルはとらない。その理由は次の述べるとおりである。)

二 「パラダイス・カフェ」の聴き方・聴こえ方

中島みゆきのアルバムを聴くとき、かつて私にとって「曲順」という要素は非常に重要な意味をもっていた。ひとつひとつの曲の内容のみならず、場合によってはそれ以上に、曲順が生み出す意味の流れは、アルバムジャケットや歌詞カードのデザインとも響きあいながら、一つのトータルなメッセージを伝えてくると感じられたのである。とりわけLP時代には、まずA面のラスト曲でアルバムの前半が締めくくられ、精神の集中をいったん小休止させてディスクを裏返し、改めてB面の一曲目に針を降ろすという儀式が、アルバムを聴くという行為の流れの中で大きな意味をになっていたのである。

そのような意味での、アルバムを聴くという行為の儀式性、あるいはそれと密接に絡み合った「曲順」という要素の重みは、しかしCD時代になってからしだいに薄れていったように思われる(2)。A面・B面の区別がなくなったことのみならず、それ以上に重要なのは、ランダム・アクセスがLPとは比較にならないぐらい容易になったという事実であろう。さらに、聴き手の側で曲順を自由に設定できるプログラム演奏という芸当に至っては、LPでは(いったんテープにダビングしなおさない限り)まったく不可能だった。一方、アルバム・ジャケットや歌詞カードが小型化し、LP時代に比べて簡素化されたのも決して無視できない要素であろう。

メディア技術が音楽の聴き方にもたらすこうした変化の是非については、簡単に結論づけることはできない(CDのジャケットや歌詞カードに関しては、はっきり「非」と結論してもよいように思われるが)。しかしその是非は別にして、こうした変化は、送り手にとっても受け手にとっても、決して単なる外的な要因のままにはとどまらない。それは、送り手がひとつの作品を構成していく際のコンセプト、あるいは受け手がその作品からいかなるメッセージを受け取るかにまで、影響を及ぼさざるをえないからである。中島みゆきが、最新のメディア技術を自らの作品に取り入れることにしばしば意外なほどに積極的であったのは(3)、彼女がこのことに敏感に気づいていたからではないだろうか。

また、過去のアルバムと最近のアルバムとを比較してみて気づくのは、ラスト曲の位置づけの微妙な変化である。「糸」「眠らないで」「人待ち歌」「パラダイス・カフェ」といった歌は、それぞれに優れた重要な作品ではあるが、かつての「断崖―親愛なる者へ―」「異国」「歌姫」「ファイト!」といった、内容の点でも演奏時間の点でも「大曲」と呼ぶのにふさわしい作品では必ずしもない。むしろ最近のラスト曲は、アルバム全体の結論あるいは大団円というよりは、いわばアンコール・ピース的な性格を感じさせるのである。

このことは、中島みゆきが、かつてのようにアルバム全体の結論としてラスト曲をおくというアルバム構成の方法論には、もはやあまりとらわれていないことを示唆しているように、私には思われる。その分、また聴き手としての私も、アルバム全体の曲順には必ずしもとらわれる必要がないという意味で、聴き方の自由度を高めてもよいのではないかと考えている。

 

少し脇道にそれすぎてしまったかもしれないないが、そうした理由で、私は「パラダイス・カフェ」を含めて最近のアルバムを、アルバム通りの曲順で聴くことはめったになくなっている。そのときどきの気分や状況に応じて、聴きたい歌を聴きたい順番にプログラミングして聴くという聴き方がほとんどである。

そして、むしろこうした聴き方で聴いた方が、最初に述べたような作品の重層的な意味――つまり、過去の作品を想起させ、それと呼応しあいながら生まれてくる新たな意味は、むしろ鮮明に浮かび上がってくるのである。これはいうまでもなく、ひとつひとつの歌が、アルバムの前後の曲順による意味づけから解放されるからであろう。

たとえば、「伝説」のタイトルや、とりわけ「記された文だけがこの世に残ってゆく/形ある物だけがすべてを語ってゆく」という一節は、「正確な伝説は他人が記さなくてはなりません」という夜会VOL.5「花のいろは……」の時間泥棒の台詞を思い出させずにはおかない。さらに、この「物語の語り手の視点」というテーマは、VOL.6「シャングリラ」でもVOL.7「2/2」でも(そしておそらくは、VOL.8「問う女」でも)、ストーリーの基盤として重要な位置をしめている(4)

また、アルバムのタイトル曲「パラダイス・カフェ」は、一九八五年のアルバム「miss M.」の一、二曲目に収められていた「極楽通りへいらっしゃい」「あしたバーボンハウスで」と(さらに言えばイーグルスの「ホテル・カリフォルニア」とも)、内容的に響きあうものを感じさせる。それらの歌に共通するイメージ――現実の時間の流れから隔絶し、悩みを忘れ「甘い夢」を見、「幻と待ち合せ」するための客が集まってくる場所――は、夜会VOL.5「花の色は……」の第一幕の舞台となったあのカフェテラスにも再現されていたように思われる。そこでも季節は現実の時間とは逆に移ろい、女たちは決して来ることのない相手を待ち続けたのである。

しかし「パラダイス・カフェ」の収録曲の中でも、私にとりわけ多くの重層的な響きを伝えてくるのは、「永遠の嘘をついてくれ」と「阿檀の木の下で」の二曲である。

もちろんこれらの曲以外にも、好んで聴いている歌はたくさんある。全体にこのアルバムは――最初に述べたライヴ的な雰囲気ともあいまって――、前作「LOVE OR NOTHING」に比べて、詞・曲もヴォーカルもサウンドも肩の力が抜けたのびやかさを感じさせるのだが、とりわけ「ALONE, PLEASE」「なつかない猫」「SINGLES BAR」の三曲にはその印象が強い。これらの歌は――いささか私事をさらすようで恐縮だが――風呂上がり、あるいは寝る前のゆったりとした時間に、ビールやワインのグラスを傾けながら聴くといった聴き方が、とりわけぴったりくる。中島みゆきの歌をこうした気分・聴き方で聴くのは、もしかしたら私にとってはほとんど初めてのことかもしれない。

が、そうした聴き方をする場合でも、プログラムの最後にしばしば入れて聴きたくなるのは「永遠の嘘をついてくれ」か「阿檀の木の下で」、あるいはその両方なのである(ちなみにプログラムの最初には、収録順とは逆に、タイトル曲「パラダイス・カフェ」を入れることが多い)。

三 「永遠の嘘をついてくれ」

「永遠の嘘をついてくれ」は、厳密に言えばまったくのオリジナルではなく、吉田拓郎への提供作品であり、一九九五年の彼のアルバム「Long time no see」に収められている。おもしろいことに、このアルバムがリリースされたとき、「このアルバムではこの曲が最も拓郎節を強く感じさせる」という評がみられた。私自身はこのアルバムを聴いていないが、中島みゆきが歌ったバージョンと、私が知っている過去の吉田拓郎自身の作品(といってもごく有名なものに限られるが)から判断する限り、この評には思わず納得させられるものがある。

吉田拓郎という名は、とりわけ一九七〇年代前半に青春時代を送った世代にとっては(特に彼のファンであった者でなくても)、その頃の時代の雰囲気の記憶と結びついて、忘れがたいものであろう。もちろん彼は現在も現役で活躍しているアーティストであり、その頃のフォーク・ブームの記憶とばかり結びつけて語られるのは、彼自身にとっては迷惑以外の何物でもないだろうが、事実としてそうした印象が存在することは否定できない。

落合真司によれば、一九七四年に(デビュー前の)中島美雪は、ある雑誌に吉田拓郎について「たかが歌でふと泣けたりする。その時の音楽の『価値』というのは一体どうやってつけるのだろうと思うのです」と書いている。また「吉田拓郎の大ファンの美雪は、拓郎の楽屋に何度も顔を出していた」そうである(5)

その頃すでに彼女は、「たかが歌」が人を動かす力をもちうるということの意味、またそうした歌を歌うということの意味を、考えはじめていたのだろう。歌がそうした力をもちうるということが初めて社会的に認知されたのがその時代であり、中島美雪にとって吉田拓郎はそうした時代の象徴的存在の一人だったのかもしれない。

「永遠の嘘をついてくれ」にまず聴こえるのは、そうした時代の雰囲気である。ただしそれは、決して単なる郷愁の対象としてではない。その時代が(中島美雪も含めて)多くの人々に見せた「夢」は、現在の視点からみればやはり「嘘」でしかなかった――それが客観的な事実であろう。しかしその「嘘」は、すべてがただの「嘘」にすぎなかったのだろうか――そこには一片の真実も含まれてはいなかったのだろうか。

中島みゆき自身はこの歌について、インタヴューの中で「真実に対する嘘はついてはならないが、事実に対する嘘はつかなければならない場合がある」という意味のことを語ったという。あるいはこの言葉は、「真実に対する嘘をつかないためには、事実に対する嘘をつなかければならない場合がある」ととった方が、より正確かもしれない。

この歌に登場する「君」は、かつての「夢」に含まれていた真実の可能性を今も決して諦めようとはしない人々である。「やりきれない事実」よりは「永遠の嘘」こそが、その真実を私たちに語り伝えてくれる。その意味で、この歌は郷愁の歌ではなく、あくまで現在の、そして未来の夢の歌なのである。

「永遠の嘘をつきたくて 今はまだ僕たちは旅の途中だと」という一節は、「私達の船は永く火の海を 沈みきれずに燃えている」という「誰のせいでもない雨が」の一節を思い起こさせる。もちろん「永遠の嘘をついてくれ」は、「誰のせいでもない雨が」のように明示的に学園闘争の記憶を歌っているわけではないが、過去に対する前述のような視点には、やはり共通するものを感じさせる。

その「誰のせいでもない雨が」とともに一九八三年のアルバム「予感」に収められていた「ファイト!」を、吉田拓郎が最近になってライヴで何度か歌っているのは、決して偶然ではないだろう。「誰のせいでもない雨が」と「ファイト!」は、それぞれ過去と現在の「闘い」を歌った歌として一対をなすと考られるが、いずれも、その闘いに托された人々の思いを未来へとつなげていこうとする視点において、やはり一致している(6)

吉田拓郎のインタヴューによれば、中島みゆきは彼に送った「永遠の嘘をついてくれ」のデモテープでは、「泣き叫ばんばかりに」歌っているそうである。アルバム「パラダイス・カフェ」での中島みゆきのどちらかといえば飄々とした歌い方からすれば、これは少々意外かもしれないが、ライヴでの「誰のせいでもない雨が」や「ファイト!」の激しくほとばしるような彼女の歌い方を知っている者には納得できる話であろう。

一九九七年には二年ぶりのコンサートツアー「パラダイス・カフェ」もおこなわれるとのことなので、そこで彼女が「永遠の嘘をついてくれ」をどのように歌うか、今から楽しみなところではある。

四 「阿檀の木の下で」、「吹雪」そして「竹の歌」

話は少しさかのぼるが、一九九〇年のコンサートツアー「Night Wings」のファイナルは、八月三十一日に沖縄市民会館でおこなわれた。私が沖縄を訪れたのは、今のところこの時が唯一の経験である。わずか三泊四日の滞在(言うまでもなく本島のみ)で、それもコンサートが主目的であったために、十分に沖縄という場所を観てまわることはできなかったが、最も強く印象に残ったのは、島を囲むエメラルド・グリーンの美しい海と、焼きつけるような強い太陽の輝きであった。

「阿檀の木の下で」を聴いて最初に眼に浮かぶのは、その海の色と太陽の輝きである。

しかしいうまでもなく、その美しい自然は、かつて一般市民を含む多くの人々の生命が散った戦場でもあった。

「遠い昔にこの島は戦軍(いくさ)に負けて貢がれた」と歌われるとき、伴奏のドラムは遠い過去から響いてくるように、軍楽隊風のリズムを奏でる。「ひまわり”SUNWARD”」を思い出させるこのリズムは、しかし単なる過去の残響ではない。「貢がれた」島に生きるものたちにとって、「戦軍」は今もつねにすぐそばにある。それゆえに「波のかなたから流れて来るのは 私の知らない国歌(くにうた)ばかり」「私の知らない決めごとばかり」なのである。

阿檀という木の名を、私はこの歌を聴くまで寡聞にして知らなかったのだが、『広辞苑』には次のような記述がある。

 あ-だん【阿檀】 タコノキ科の熱帯性常緑低木。樹皮は暗褐色で葉跡がめだつ。幹の下部から多数の気根を出す。葉は細長くてとがり、縁にとげがある。沖縄・台湾に自生。葉で日除帽子やうちわを、また、気根を裂いて乾かし、わらじを作る。茎は弦楽器の胴、根はキセル材など、生活用品の材料に多用される。

「大地を抱いて阿檀は生きる」という比喩は、直接には、この多数の気根をもった木の姿が、あたかも大地を抱いているかのように見えるのを指しているのだろう。

また、阿檀の茎は弦楽器の胴に用いられるという。この曲のオープニングとエンディングに聴かれる印象的な弦楽器の音は(サンプリングされたものではあろうが)、沖縄固有の楽器である蛇皮線の音だと、中島みゆき自身がラジオで語っていた。だとすれば蛇皮線の胴の響きも、阿檀の木の響きなのかもしれない。

 

ところで、この歌を聴いたとき、中島みゆき自身の過去の作品として私がまず思い浮かべたのは、実は「吹雪」であった。

眩しいほどの熱帯の太陽が輝く「阿檀の木の下で」の風景と、降り積る白いものに覆いつくされてゆく「吹雪」の風景とは、あまりにも対照的に見えるかもしれない。しかし、一方の「遠い昔のあの日から この島に人はいない」「島の行方は波風まかせ」、他方の「日に日に打ち寄せる波が岸辺を崩すように」「どこにも残らぬ島なら 名前は言えない」といったフレーズは、それぞれの作品の文脈を越えて、交互に響きあうものを感じさせる。この両作品に共通するのは、やはり時代と社会に対する中島みゆきの鋭い視線なのである。

「吹雪」については、歌詞の難解さのゆえもあって、その解釈についてはこれまで様々な議論がなされてきた。ただ、「羽根の形をした」「降り積もる白いもの」が、核爆発によって生じる放射性降下物、いわゆる「死の灰」の比喩であり、「何もない闇の上を」吹雪が吹くという終末論的な風景は、核戦争後の世界の比喩であるという解釈、すなわち「吹雪」は、「核の脅威」への警告をテーマとした歌であるという解釈が、少なくとも一部では一般化しているようである(7)。またその解釈の根拠とされるのは、一九八九年のコンサートツアー「野ウサギのように」のある公演で中島みゆき自身が、「吹雪」を歌う前に舞台装置を指して「第五福竜丸の船底みたいでしょ」と語ったという事実だという(8)。

この解釈は、たしかにかなりの説得力をもつものではあるが、「吹雪」という歌がもたらす多層的なイメージをはらんだ衝撃力を、それだけで説明することはとうていできないようにも私には思われる。

また仮に、「吹雪」が警告している危険が「核」の危険だとしても、その危険の中には、そこから単に目をそらそうとする態度のみならず、それを自己の視点から問題として捉えることができずに、単に他者に同調しながら、あるいはイデオロギーの表現手段としてのみ「反対」していくような態度も含まれるだろう。中島みゆきが「ブーム」という言葉で警告しているのは、まさにそうした自律性を欠いた態度だと思われる。

とはいえ私自身は、「警告」というメッセージを直接に「吹雪」から受け取ったというわけではない。むしろ、そこには恐怖と絶望に満ちた黙示録的な風景ばかりが浮かぶというのが、初めて聴いたときから変わらない印象である。ただ、その恐怖や絶望を、聴き手としての自分がどう受け止めるかと反省的に考えたとき、「警告」という意味が出てこざるをえないと思うのである。

中島みゆきの作品は、作品として自己完結しているのではなくて、つねにわれわれ聴き手がそれをどう受け止め、またそれに対する答をどう投げ返すかという、絶えざる一対一の対話のなかでこそ真の意味をもつ。(これは中島みゆき自身、再三色々な場所で言っていることであるし、私も本誌に寄せた拙稿の中で、何度か指摘してきた。)

それゆえ、中島みゆきの作品の場合、恐怖や絶望というネガティヴなメッセージがネガティヴなままで完結するということはありえない。作品の内容がネガティヴなものであればあるほど、それに対してポジティヴにどう応えていくかという課題はより重いものにならざるをえない。そのとき、現実を少しでも絶望から遠いものに変えていくために、自分自身の視点から、その現実に対してどうアプローチしていくかが、問題になってくるのである。もちろんその方法は、われわれ一人一人が自力で探していくしかないものであるが。

 

いささか「吹雪」への寄り道が長くなってしまったが、以上のような考察は、基本的に「阿檀の木の下で」にもあてはまるものだと私は考えている。中島みゆき自身、「自分の問題として考えられなければ、沖縄について歌うことはできない」と、最近の『朝日新聞』のインタビューで語っている。

ただ、(作品自体としては)ネガティヴな世界の表現に終始した「吹雪」とは異なり、「阿檀の木の下で」には、ポジティヴな希望の芽がはっきりと存在する。その希望は「ひまわり “SUNWARD”」と同じように、降りそそぐ陽光によって育まれ、その陽の下で「大地を抱いて生きる」阿檀の姿に象徴されるものである。

「山の形は雨風まかせ」という一節は、「夜会VOL.7―2/2―」の「竹の歌」、とりわけ「遥かな山から吹きつける風に ひれ伏しながらけして折れはせぬ」という冒頭のフレーズを思い起こさせる。この歌は、「2/2」の主人公・莉花が、日本への依存と甘えから少しずつ離れ、ヴェトナム(と思われる土地)で自立して生きてゆこうとしはじめるときに歌われる。「地下に根を張る」竹は、その自立の象徴である。

それに続く「紅い河」で、莉花は自らのアイデンティティを探す過去への旅に出て、「遥かに流れる血縁の流れ」をさかのぼってゆく。そうして辿り着いた先、自らを無意識のうちに苦しめていた原罪感の根源にあったのは、「同じにならなきゃできそこない」だと強制する「アンテナの街」によって作られた「噂」であった。(莉花が双子の姉を「殺した」という大伯母の言葉は、そうした強制のひとつの表現にしかすぎない。)

「間違った恐れに縛りつけられないで、ただ真っ直ぐに光の方へゆきなさい」「あたなは一人、私も一人。私とは違う人生をゆきなさい」という双子の姉・茉莉の言葉で、莉花は原罪感の強制から解放され、自らのアイデンティティを再生させる。このストーリーは、莉花の自己再生の旅であると同時に、日本人・莉花が「アジア人」としてのアイデンティティを再発見する旅でもあったと言えよう(9)。

こうした視点、すなわち、日本のローカル性を抜け出し、アジアという空間を媒介に、グローバルな世界の中でアイデンティティを再発見しようという視点は、「EAST ASIA」を出発点として、「阿檀の木の下で」にも貫かれている。とりわけ沖縄という場所は、この視点にとって重要な位置にある。なぜなら――あえて誤解を恐れずに言えば――沖縄は日本にとって「内なる他者」でありつづけてきたからである(10)。それゆえ沖縄は、日本人のアイデンティティに、つねに問いを提起する存在として立ち現われてくるのである。

日本にとっての沖縄が、莉花にとっての茉莉のような存在となりうるかどうか――それはやはり、私も含めて日本人ひとりひとりが、まさに「自分の問題」として問うていくしかないテーマであろう。その問いがそれぞれに真摯なものであれば、「波のかなたから」流れて来るのが「私の知らない」歌ばかりではなくなる日が、いつか来るのかもしれない。


(1) これらのセルフ・リメイクに関しては、拙稿「回帰する歌たち――中島みゆきにおける「リメイク」が語るもの」(『MIYUKOLOGIE』第二十二号、一九九五年)で論じた。
(2) ちなみに、中島みゆきのアルバムで最初にCD化されたのは一九八四年の「はじめまして」、最後にリリースされたLPは一九八九年の「グッバイ・ガール」である。まったくの偶然ではあろうが、この二枚のタイトルはなんとも象徴的なものを感じさせる。
(3) たとえば、唯一のライヴ・アルバムである一九八七年の「歌暦」が、ドルビー・サラウンド方式のCDのみでリリースされたこと、また同年に(現在でも一般的なメディアとは言えない)CDVがリリースされたことなどが代表的な例であろう。
(4) 未確認情報であるが、「伝説」は市川昆監督の映画「四十七人の刺客」の主題歌を想定して書かれた曲だという。以前、拙稿「物語の物語――折り返し点を迎えた「夜会」によせて」(『MIYUKOLOGIE』第二十号、一九九四年)でも述べたように、中島みゆきはこの映画についてのエッセイの中で、「復讐劇」が「復讐する側の視点」によって「美談」に仕上げられることへの批判を、この映画に読み取っている (中島みゆき「私たちが知りうること」、『小説新潮』一九九四年十月臨時増刊号『四十七人の刺客』)。
(5) 落合真司『中島みゆきデータブック』(青弓社、一九九五年)、二〇頁。
(6) この両曲は、一九八三年のコンサートツアー「蕗く季節に」のラストで歌われた。その時の様子については、拙稿「海の中の国境を越えて――LOVE OR NOTHINGツアー香港公演によせて」(『MIYUKOLOGIE』第二一号、一九九五年)を参照されたい。
(7) 「吹雪」の解釈をめぐる議論については、西戸俊彦氏の「吹雪」(『MIYUKOLOGIE』第一九号、一九九四年)を参照されたい。なお、「吹雪」を単なる「反核ソング」としてしかとらえない一部の「反核運動家」の「定説」はあまりにも皮相的な解釈であり、「吹雪」のもつメッセージの多層性をとらえそこねるものであるという点で、私も西戸氏の見解にまったく同意する。
(8) 第五福竜丸は、一九五四年にビキニ環礁での米軍の水爆実験で被爆し「死の灰」を浴びた日本の漁船である。これは広島・長崎についで三番目に核兵器による日本人の犠牲者を出した事件であり、実際に一人が死亡、その後の原水爆禁止運動に大きな影響を与えた。
(9) この点については、詳しくは拙稿「生まれる前にみた夢――中島みゆきにおける「誕生」あるいは「再生」をめぐって」(『MIYUKOLOGIE』第二三号、一九九六年)を参照されたい。
(10) 沖縄(琉球)と日本との歴史的関係については、たとえば高良倉吉『琉球王国』(岩波新書、一九九三年)を参照されたい。この本で著者は、「日本社会は太古の昔から一枚岩的にあったものなのではなく、さまざまな要素を吸収しながら歴史的に形成されてきたものであり、いまなお形成されつつある社会だ、とする基本認識を沖縄の側から提示すべきである」と述べている(一八二―一八三頁)。